王女メディア

1998/05/10

三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで、蜷川幸雄演出、平幹二朗主演の「王女メディア」。原作はギリシア三大悲劇詩人の1人エウリピデス(前480年頃-前406年)の著名な作品です。

世田谷パブリックシアターはざっと見て500人収容程度の適度なサイズの劇場で、扇形の階段状に座席が配置され古代ギリシア悲劇を演じるのにはうってつけの構造をしており、舞台と客席との間の段差もほとんどないため、役者は客席の階段通路まで使って大胆に演技できます。舞台上は石造りのイアソーンの館の中庭を模した一場で、装置・照明もなかなかに雰囲気が出ていました。人形作家として有名な辻村ジュサブローの衣裳もユニークですし、メディアが乗る竜車は松任谷由実のコンサートで使われたような大胆なクレーン仕掛けのドラゴン。

ただ今日が初日ということもあるのか、全体にセリフ回しがまだこなれていない点が見られたほか、コロスの息が合っていません。16人がユニゾンでセリフを喋るシーンが多用されるのですが、現代演劇のスピードをそのまま持ち込んで語らせるために何を言っているのかわからない場面が少なくありませんでした。また、要所要所で津軽三味線の激しい曲がかかる(コロスも三味線を抱える)のは素晴らしく効果的でしたが、例えばメディアが子殺しの決意を固める長い一人語りの場面などにSE的にストリングス系の曲がループでかけられるのには首を傾げました。ここはメディアが子供への愛情と夫への復讐の気持ちのはざまで揺れ動き、感情を激しく振幅させるところ。ここで愛憎のせめぎあいに苛まれるメディアに観客が感情移入できなければメディアはただの悪女で終わってしまうところであり、いわば役者にとって最大の見せ場であるはずなのに、単調なBGMが平幹二朗の語りの上に全面的にかぶさって観客の主役への集中を阻害してしまいます。しかもそのBGMがよりによって「風の谷のナウシカ」でナウシカの死と復活の場面で使われた(使い古された)久石譲の曲では、通俗に過ぎて興醒めです。

12年ぶりの復活公演ということで期待が大きかったものの、少々残念な印象となってしまいました。

配役

メディア 平幹二郎
イアソーン 大和田伸也
クレオン 近藤洋介
守役 瀬下和久
乳母 深沢敦
アイゲウス 廣田高志
伝令 浅野雅博
コロス長 青山達三 / 有馬光貴 / 妹尾正文 / 飯田邦博

あらすじ

乳母が、女主人メディアの不幸を嘆き悲しんでいる。黒海の東コルキスの王女だったメディアは、金羊毛皮を探しにきたイオルコスの王子イアソーンを助け、彼と結ばれた。故あってイオルコスから追われた2人は、コリントスに逃れている。メディアが夫に対して一身を捧げているにもかかわらず、イアソーンは彼女と2人の子供を捨てて、コリントスの領主クレオンの娘と結婚しようとしていた。メディアは神々に、イアソーンの不実を泣いて訴える。コリントスの女たちのコロスが登場して、見捨てられた女を慰める。

そこへクレオンが現れ、メディアと子供たちを国外追放すると言い渡す。しかし、せめて1日の猶予をとすがるメディアに負け、翌朝までこの地にとどまることを許してしまう。残された時間はわずか。メディアは、自分と子供たちを捨てた夫に復讐するための策を巡らす。

メディアのもとにやってきたイアソーンは、領主との縁組みは子供たちの将来を思ってのこと、と弁明するが、メディアは耳を貸さず、激しい口論に復讐の思いはさらに煽られることになる。メディアはコロスに、クレオンの娘を殺害し、夫に復讐するために自分の子供も殺す計画であることを打ち明け、乳母にイアソーンを呼びに行かせる。

メディアは、子供たちに二つの死の贈り物、すなわち猛毒を染み込ませた絹の衣と毒を塗った黄金の冠を持たせて、イアソーンと共に新しい花嫁のもとに行かせる。1人になったメディアは、子供たちを犠牲にする最後の決断をする。

クレオンとその娘の死を伝える伝令の言葉に事の成就を知ったメディアは、先に戻っていた子供たちの命を断つ。領主の復讐のために子供たちを殺そうとしているコリントス人から子供を守ろうとやってきたイアソーンの目の前で、メディアは竜車に乗って天空に飛翔し去る。