塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

1回目のアタック

2003/07/22

夜中にふと目を覚ますと、窓の外は雷鳴と大雨です。時計を見ると午前1時。「これはダメかもしれないな」とため息をついてさらにうとうとし、3時にこっそり起きて朝のお勤め。どうやら月明かりがさしていて、少なくとも出発はできそうです。3時半になると、皆一斉に飛び起きて支度を始めました。昨夜のうちに準備は済ませてあるので、さっさとリュックサックと残置用のかごを持って食堂に下ると、テーブルの上にパンとジャム、チーズ、それにお湯と粉末のコーヒーが用意してありました。ペーターとダニエルも万全の態勢で降りてきて、お互いの健闘を祈って写真を撮り合います。シュテファンのところへ行き、ロープをエイトノットでハーネスに結んで、3時50分にいよいよ出発しました。順番としては、3組目のパーティーだったように思います。

道はヒュッテの裏手をひと登りしてから水平になり、しばらく雪の上を踏んですぐにフィックスロープが張られた垂直の壁になりました。こういうところではガイドは「Wait」と言って先に登り、上から確保の態勢に入って「OK」とかなんとか言って客を登らせます。そこから先は水平になったり小さく登ったりということをひたすら繰り返して、徐々に高度を上げていきましたが、この辺りは真っ暗な中をヘッドランプの明かりだけを頼りに登っているので、自分だけでもう一度登れと言われてもとてもできそうにありません。ルートはだいたいはよく踏まれた岩の道で、ところどころに身を空中へ乗り出すようなトラバースやホールドの細かい壁が混じるのですが、いずれもごく短く、グレード的にもIII級までである上にガイドがしっかり確保してくれているので心配はありません。シュテファンは自分と私の間のロープをこまめに山側の岩角に引っ掛けてランナー代わりとしながら進んでいましたが、そのスピードはあらかじめ「マッターホルンのガイドは凄いスピードで飛ばす」と脅されていたほどには速くなく、しかし休憩は一切とらずにひたすら同じペースでどんどん登り続けました。

ところが、30分ほども歩いたあたりから雪が出てきてしまいました。決して深くはなく、平らなところで3cm程度の積もり具合ですが、ここから雪が出るようではどうなることかと思っていたら、やはり歩き出して1時間のところでアイゼンの装着指示が出ました。そこからなおも登高を続けたものの、さらに1時間たったところで先行パーティーが岩の下にたむろしているところに合流しました。前方を見ると、ヘリコプターが東壁の上にホバリングしていてしきりに雪煙を巻き上げています。右上には待望のソルベイヒュッテ(標高4003m)のオレンジ色の壁が見えましたが、そこまでは標高差にしてあと100mはありそう。しかもヒュッテの上は完全にガスに隠れており、様子を窺うことはまったくできません。ガイドたちはひとしきり協議して、それぞれの客に「ルートの状態が悪いため、ここから引き返すことにする」と告げました。

……残念ですが、仕方ありません。ここでしばらく休んでから、6時ちょうどに下降を開始しました。

当たり前のことですが、アイゼンを履いての岩場の下りは登りよりも難しいものです。先ほどまで前から確保されながら登った道を、今度は後ろから確保されつつ慎重に下るのですが、ちょっと難しい場所で私が後ろ向きに(岩に身体を向けて)下ると、シュテファンは「こういうところもできるだけ前を向いて下るんだ」と言って「タック、タック、タック」と声に出しながらリズミカルに前向きで下る手本を見せてくれました。後ろから「Right」「Left」と指示されながらどんどん下るうちにすっかり日が登って、あろうことか頭上には青空が広がり始めたのが、なんともやりきれません。

最後の垂壁をロワーダウンで下って取付の雪の上に戻り、8時10分に登攀終了となりました。

ヒュッテのすぐ上の岩場でロープを外して振り返ると、マッターホルンは美しいその姿を青空の下にあらわにしていますが、山頂部は激しく動く白い雲に覆われていて、厳しい表情を崩してはいませんでした。その姿は、敗退した登山者たちを「顔を洗って出直してこい」と叱咤しているようでもあり、「もう登ってこないのか?」と誘っているようにも見えます。シュテファンは「あなた(の技術や体力)は良かったんだが……」と言いつつ肩をすくめましたが、この時点で私は、残り日程の中でもう1回トライすることを心に決めていました。今日は火曜日で、予備日はまだ丸々2日あります。明日ヘルンリヒュッテまで登り返して明後日にアタックすれば、体力的にも問題はなさそうです。

先に下っていくペーターとダニエルのコンビを見送ってから、ヒュッテに残置してあった荷物をリュックサックに詰め登山靴をスニーカーに履き替えて、ヘルンリヒュッテを辞しシュヴァルツゼーへと下りました。昨日とは打って変わっていい眺めの道からは、後ろにマッターホルンの北壁の全貌が眺められます。シュヴァルツゼーではゴンドラ駅から出てきた観光客たちが目の前のマッターホルンの姿に大喜びしながら写真を撮っていましたが、こちらはとにかく早く下って天気予報などを確認し、アルピンセンターとも相談して次の日程を決めなければならないので、とっととゴンドラに乗り込みました。

ゴンドラ駅の一番下、ツェルマットに降り着いて歩き出したところで突然声を掛けられました。「?」と見回すと、リッフェルホルンでガイドしてくれたウィリー・タウグヴァルダーです。

ウ「マッターホルンに登ったのか?」
私「雪のせいで、ソルベイヒュッテの下までしか行けなかった」
ウ「そうか……」
私「でも、もう一度トライしますよ」
ウ「いつ?」
私「たぶん、木曜日」

ウィリーは右手の親指を突き上げて、がんばれのサインを送ってくれました。

11時前にホテルに戻ってカルメンさんに「ダメだった」と報告するとカルメンさんは残念がってくれましたが、雪のせいで全パーティーが引き返したのだと説明すると納得したようでした。しかし、ここで新聞で木曜日の天気予報を確認してみると「雨」。自室に引き上げシャワーを浴びてから、その足でアルピンセンターに出向くと、今日はマヤではない女性が窓口に座っていました。彼女にマッターホルン登山のバウチャーの半券を示して料金CHF1070のうちCHF400の返金を受け、それから明日以降の再登攀の可能性を確認してみました。ルートの状況はヒュッテから(おそらくヘリコプターでの偵察からも)アルピンセンターにレポートされていて、それによればルートのコンディションは「maybe possible」とのこと。天候については「ここのところ午前中は良くて午後悪いとしか言えません。雪がこれ以上つかないことを祈るだけね」と頼りない答でしたが、それなら晴れる確率の高い明日にアタックする方が得策だろうと考え、即日登り返すことに決めました。窓口の女性は「今日またヒュッテに入るの?」と驚きましたが、すぐにヒュッテに連絡をとって宿泊とガイドの手配をしてくれました。料金をカードで支払ってバウチャーを受け取り、ホテルにとってかえして受付のところに居合わせたカルメンさんとペーターに「今日登り返すことに決めた」と伝え、部屋に戻ってパッキング。14時まで身体を休めました。

ゴンドラで上がったシュヴァルツゼーからは、雲は多いものの周囲の山々や氷河、U字谷が美しく見えました。特にブライトホルンからモンテ・ローザ、さらにドムにかけての山々は、午後の方が順光になってきれいです。昨日は雨にせき立てられるように足を速めて歩きましたが、今日は風景を愛でながら、とにかくゆっくり歩くことを心掛けました。そういえば今回はマッターホルンがほぼ唯一の目的という意識で余裕のない日程にしてしまいましたが、ツェルマットをマッターホルンだけのための場所と考えるのはもったいない。マッターホルン登攀がうまくいったら、改めて周囲の氷壁や雪稜や、さらにはハイキングコースをゆったりと楽しむためにツェルマットを訪れたいものだとしみじみ思いました。

ヘルンリヒュッテの受付にバウチャーを出すと昨日のお姉さんの方が応対してくれて、笑いながら「今度はうまくいくよう祈っているわ」と声を掛けてくれました。さらに今回のガイドはマウロという名前だということも教えてくれて、赤い夕食券の裏に部屋番号・ベッド番号と共に「MAURO」と書いてくれました。他の客の様子を見てみると、この日は日本人が何人か、さらに韓国人も2人いる様子です。しかし今日は(どういうわけか)昨日のようなガイドミーティングはなく、夕食(メインディッシュはビーフを煮込んだものとガーリック味のライス、デザートはチョコレートムース)の後に髭もじゃの大男が近づいてきたと思ったら、それがマウロでした。ところが、マウロはイタリア語とフランス語しか解さないので、彼と私とでは話が通じません。他のガイドが助け舟に入って私に「あなたは英語しか話せないのか?フランス語は?」と聞いてきましたが、自分が話せるのはドイツ語で日常のあいさつ少々程度です。しかし、マウロがそのガイドに何ごとか話すと、彼は私が2日連続でここに来ていることを了解したらしく「それでは全部知っているな。昨日と一緒だから」と安心したようです。そんなわけで装備のチェックもなく、私もそのまま部屋に引き上げてさっさと眠りにつきました。