塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

サンダカン / ナイトマーケット

1998/12/30

キナバル登山を終えて完全に観光客モード。今日はサンダカンの近郊にあるセピロク・オランウータンセンターの見学です。

御丁寧にもテープと人の二重のモーニングコールで朝5時に起こされ、5時45分にホテル発。空港の軽食コーナーでさっぱりおいしいきしめん状のmeehoon(ビーフンと同じ?)を食しました。飛行機から初めて見下ろすコタキナバルの全景は非常に大きく立派ですし、国内線なのにスチュワーデスさんたちもみな美人。40分ほどでサンダカン空港に着きましたが、予定していたWildlife Expeditions社のガイドが来ておらず、同社の別のガイドが引率するツアーに紛れ込ませてもらいました。ところが今度はセピロクへの移動のバスの中で市内観光(city tour)がセットされていないと言われて困惑していると、前の席に座っていた白人の御夫婦が突然日本語で我々に話し掛け、自分達も市内観光がついていないと言われたが頼んでいるはずなので確認してもらおう、と言ってくれました。伺ってみるとお二人は仕事で東京に6年住んでいた(今はクアラルンプール在住)とのことで、くだけた表現まで含め完璧な日本語を話され、我々の英語とのレベルの違いは天と地ほどのものでした。

そうこうするうちに、まずはオランウータンセンターに到着です。受付で名前と国籍を記帳し、樹林の中に続く木の回廊を進んで行くと、頭上の木の上にオランウータンが現れました。最初は樹上でゆったりポーズをとっていましたが、やがて回廊上に降りて人間たちをかき分け歩き始めたのにびっくり。ついで餌付け用のプラットフォームを正面に見る見物スポットに到着したところ、ちょうどオランウータンが1匹綱渡りをしているところでしたが、係員がプラットフォーム上に餌のバナナとミルクをもって上がると、どこからともなくオランウータンが数匹現れて食事を始めました。しかし決して行儀の良い食べっぷりではなく、他人(?)のバナナに手を出す者や、口と両足にバナナを確保してから両手で綱渡りして離れた場所でゆっくり食べようとする者などがおり、観光客の爆笑を買っていました。オランウータンの方も心得たもので、見物台上の観光客の至近距離に現れてポーズをとったり、カメラ目線を送る者までいます。受付の建物にはオランウータンに身ぐるみはがされる危険ありとの警告イラストもありましたが、今日に限ってはオランウータンたちは紳士的です。この後、入口に戻ってビデオショー「Orphans in Borneo」があり、孤児となったオランウータンを保護して自然に返す活動の様子が紹介されていました。

オランウータンセンターから、いかにも南海のリゾートホテルらしいルネッサンス・サンダカン・ホテル(Renaissance Sandakan Hotel)へ移動して昼食となり、ビュッフェスタイルでトロピカルなランチの後、コタキナバルへの帰りの便が早い我々のみ1時間のshort tourに出ることになりました。

手配された運転手兼ガイドに連れて行ってもらったのは、まず市内全域を展望できる展望台です。第2次世界大戦の際に日本軍が駐留していた市街は大半が破壊され、現在の市街は戦後再興されたもの。かつてサバ州の首都だったこの港町の沖合いには貨物船が列を作っており、運んでいるものを聞いてみたところ、かつては丸太、現在は製材後の材木を日本や香港などに積み出しているそうです。

次に、こちらから希望して墓地を見せてもらいました。墓地の入口周辺はほとんど中国系の墓なので人口構成を質問したところ、人口17万人のうちなんと60%が中国系とのこと。そういえば移動中の車窓から見るサンダカンの市街はよく整備されて活気がありますが、看板には漢字が目立っていたことに思い至りました。そして、墓地の奥まったところに狭いながら日本人墓地がありました。1990年代に近くの開発事業で殉職した若者の墓などもありましたが、最も古いものは明治41年(1908年)のもの。90年も昔からこの辺りに日本人が進出していたとは驚きですが、どんな気持ちでここに眠っているのかと思うとしんみりしてきます。

墓地で時間を使ったため、水上生活者の集落(water village)とダウンタウンの見学はさっと車で通るだけになりました。水上住宅のお値段は1軒RM15,000だそうですが、マレー系の住宅は基礎も含めすべて木造なのに、中国系のそれは土台がコンクリートでしっかり作られています。なぜ水上に住むのか?との質問に対しては「(親の代から)fishermanだからだ」との答が帰って来ましたが、同時にエアコン不要で過ごしやすくもあるそうです。以上でサンダカンでのcity tourを終え、ルネッサンス・サンダカン・ホテルに戻ってから空港へ移動してコタキナバルに戻りました。

カラムンシン・ホテルに帰り着いてしばらく休憩したのち、今度は20時半にタクシーを呼んでウィナー・ホテル(Winner Hotel)まで運んでもらい、その裏手のナイトマーケットを散策しました。広場には露店がたくさん出ており、衣料品・装身具・土産物などが豊富に並んでいます。ぐるっと回って貝細工の土産をいくつか購入しましたが、大きなものでRM12、後はRM5-6が中心で、4人分の土産と自宅用に二つ買って全部でRM40ととてもリーズナブル(翌日博物館で同様の品を見ましたが、博物館の方が平均して25%程度高い感じ)です。実はドリアンにも挑戦したいと思い食べ物の屋台がないかと思って探してみましたが、ここにはそれらしいところは見当たらず、代わりに周囲のビルの1階にたくさんの食堂(ほとんど中国系)が店を開いていました。また、万引きをつかまりでもしたのか?少年が大人に腕をつかまれ、大声を上げながら引っ立てられていく場面にも遭遇しました。少年の仲間とおぼしき子供たちがわらわらと声のする方へ走っていきましたが、すぐに逆走して散り散りに逃げてしまい、後には大人たちの人だかりが残されていました。そんなことはありましたが、ナイトマーケット自体は家族連れも出歩いており、売り子の販売姿勢も押し付けがましいところがなく、安心して買い物ができるところでした。