キボ・ハット - ギルマンズ・ポイント

2002/01/02 (1)

目をつぶりはしたものの、ぐっすりと眠ることはできませんでした。23時頃には同室のドイツ人夫婦が起きてひそひそと話しているし、ドアの外からも他のパーティーが出発の準備をする様子が伝わってきました。起床予定時刻より少し前に起き上がってトイレに行くために外に出ると、月齢17日の月が煌々と照っています。部屋に戻ると皆も起き出して、そのまま朝食になりました。ポーターが運んでくれたのはレトルトパックのお粥で、これはすぐに力が出るようにと早川TLの気遣いです。これに梅干、生みそ汁、お茶の組み合わせが高所のダメージを受けている身体に実に優しくて、たいへん助かりました。ここ数日一番食が細かったKさんも出発態勢に入っていて一安心。ところがふと見ると、昨夜血中酸素濃度の数値が悪かったK氏が、早川TLの呼び掛けにもかかわらずシュラフに潜り込んだまま出てきません。最初はずいぶん寝起きが悪いものだなと半ば笑っていましたが、そのうち早川TLの口調が緊迫感を帯びていることに気づきました。K氏はシュラフの中で意識混濁の状態にある模様。トラブルです。

早川TLは大きな荷を解いて巨大なシュラフのような形状のガモフバッグ(携帯型加圧バッグ)を取り出しK氏の隣のベッドの上に広げると、若い方のK氏の手も借りてK氏をシュラフから引き出しガモフバッグの中に入れました。どうやらK氏は、完全に気を失っているわけではないものの、意識レベルが極度に低い状態のようです。ガモフバッグは密閉されたバッグ内に患者を入れ、ポンプで加圧することによって一時的に低圧低酸素障害を緩和するものですが、あくまで緊急避難措置に過ぎず、症状が緩和したら直ちに高度を下げなければなりません。足踏みポンプでバッグをふくらませていた早川TLが「ここから気圧が上がりますから、耳が痛むかもしれませんよ」とガモフバッグの中のK氏に声を掛けましたが、K氏は聞こえているかどうかよくわかりません。やがて、加圧を続けているうちに意識が戻ってきたK氏は、事態が飲み込めないままバッグから外に出たがっているようで、「ここから出たいんですが、どうしたらいいんですか?」と言いながら中からごそごそとバッグを開けようとしています。しかし、早川TLはこの事態でも冷静で、懐中電灯でバッグの中の様子を見ながら「動かないで。じっとしていて下さい。そこ触らないで」とK氏に指示をしています。

K氏の様子が落ち着いたところで別室の現地ガイドたちと打ち合わせた早川TLは、自分がK氏をホロンボ・ハットへ避難させること、アタック隊にはブライソン他2名の現地ガイドが同行する旨を我々に告げました。K氏の無事を祈りつつ、一同出発準備を終えて外へ。月明かりで十分登れるので、ガイドがヘッドランプを消すように指示をして、0時35分、いよいよアタック開始となりました。

今までとはうって変わった急傾斜につけられたざくざくの砂礫の道を、ガイドを先頭に一列に隊列を組んでゆっくりゆっくり歩き、そのゆっくりした足並みに合わせて自分の呼吸を数えながら、ジグザグに少しずつ少しずつ高度を上げました。ところが今度はB氏の様子がおかしく、妙にハイになっていて、しきりに先頭のガイドに超カタコトの英語で話し掛け、心配したガイドがときどき歩みを止める状態となってしまいました。ペースが乱れるから話し掛けるのはやめてくれと注意して一時は静かになったのですが、しばらく登ると元のようにおしゃべりを再開して、とうとう休憩時にB氏と私も含む他の参加者との間で口論になってしまいました。結局B氏は納得してくれて隊列の後ろの方について歩くことになったのですが、その後も最後尾のガイドに話し掛ける声はしばらく続きました。次に変調が見られたのは、比較的高齢のM氏です。B氏が後ろに下がった後は先頭のガイドの次のポジションで黙々と登っていたのですが、ガイドはM氏が苦しそうなことをすぐに見てとったらしく、ひとしきり登っては立ち止まって「大丈夫か?」とM氏に声を掛けるようになりました。隊列の中程にいるKさんもしきりに「ゆっくり登って下さい」と訴えています。

気温はどんどん下がってきて、私も途中でヤッケの下にトレーナーを1枚着込み、さらに手袋もコンビニ手袋から冬山用の二重のグラブに取り替えました。3時10分、中間点の岩小屋であるハンス・メイヤーズ・ケイブ(ハンス・メイヤーとは、1889年にヨーロッパ人として初めてキリマンジャロに登ったドイツ人の名前)に到着。岩屋根の下にはハットで同室だったドイツ人夫婦が休んでいましたが、顔色には生気がありません。我々も無駄口を叩く余裕はなく座り込んで休憩しましたが、寒さもつのってきているし、あまりゆっくりはできません。10分程で登りを再開して、再び砂礫のジグザグ道。登りはじめる頃には空に低くかかっていたオリオン座が、頭上に位置を移していて、三ツ星の下にある帯剣の小三ツ星まではっきり見えています。ふと地平線方向を見たときに星が流れたので皆の登頂成功を祈りましたが、しばらく登ったところでブライソンはM氏をパーティーから切り離す決定をし、ブライソン一人がM氏に付いて後ろから歩き、他のメンバーは残る二人のガイドと共に先行することになりました。

砂礫帯はすぐに終わりそうに見えてなかなか終わりません。極端なポレポレ・ペースに歩調を合わせられないB氏は、しばらく立ち止まっては一気に間隔を詰める、といったことの繰り返しをしていましたが、そのうち調子が悪くなってきた様子ですっかり無口になってしまいました。時折A氏が皆を励ます頼もしい声が聞こえましたが、私自身もこのスローペースでは寒さによる消耗の方が恐くなってきて不安を感じました。

背後の地平線が明るくなってきた頃、ドイツ人の大所帯と抜きつ抜かれつ(というより道を譲ったり譲られたり)するようになりました。そう言えばタンザニアはドイツ領だった時代もあるのだ、と思い至ったのは迂闊にも下山してからの話ですが、ようやく砂礫帯を抜けて岩場の登りにかかったところではっきりと夜明けの様相を呈してきました。一同の顔色を見てから、ガイドに「サンライズをここで休みながら迎えようと思うのだが」と話し掛けると、ガイドは黙って上を指差しました。見ると、大して遠くない上方に登山者が何人も固まっています。そこが、待望のギルマンズ・ポイントなのでした。

すっかり明るくなっているので、ここから先は自由行動。横道も使って何人も追い越しながら上を目指し、6時過ぎについにギルマンズ・ポイントに到着しました。ここは火口壁上にあって、目の前には巨大なクレーターが広がり、右手には青白い万年雪が堆積しているのが見えました。これこそ「キリマンジャロの雪」。かたや振り返れば、マウェンジ峰がシルエットになって見下ろせます。

ギルマンズ・ポイントの看板がある辺りは登山者で混み合っているので、そこからほんの少し岩場を登った場所に陣取りました。こちらは残念ながら周囲がキジ場になってしまっていましたが、静かに日の出を待つには好適の場所です。やがて体調のよいH氏、若いK氏が登り着いて、3人で高い場所から御来光を待ちました。ちょうど日の出の時刻に、A氏、Kさん、T女史、少し遅れてB氏も上がってきました。A氏は看板の近くに座り込むと感激の面持ちで、我々も合流して握手を交わし、記念撮影をしました。

ガイドのジョワキムが「ウフルへ行くか?」と聞いてきました。もちろん!この山の最高点は、クレーターの向こうに見えている、あのウフル・ピークなのですから。

00:35 キボ・ハット 4,703m
03:10-20 ハンス・メイヤーズ・ケイブ  
06:05-40 ギルマンズ・ポイント 5,682m