塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ナイロビ - マラング

2001/12/29

午前5時にモーニングコールがあって、5時半から朝食。車で空港に移動して、エミレーツ航空の飛行機でナイロビに向け飛び立ったのは8時50分でした。約5時間のフライトの後、懐かしのナイロビ、ジョモ・ケニヤッタ空港に降り立ったのは現地時間の12時40分(ドバイとの時差1時間)です。歴史のある空港だけにドバイの近代的な空港施設とは打って変わって古めかしさを感じさせる作りですが、トラブルもなくバゲージを回収してさっそく出迎えの車に乗り移ると、車は直ちに南を目指してひた走りました。

窓の外には広大なアフリカの大地と空が広がっており、一行は最初のうちこそ風景の雄大さや植生の違いなどに感想を漏らしていましたが、やがてすっかり圧倒されて声もなく外を眺めるばかりとなりました。

1時間ほど走ったところで最初の休憩。売店併設の休憩所のようなところでランチボックスを受け取り、昼食としました。箱の中にはサンドイッチやパンケーキ、チキン、ゆで卵、フルーツ、飲み物が入っていてけっこうボリューミーでした。

車は再び南を目指します。てっぺんが平らなアカシヤの木がまばらに生える起伏のある乾いた大地にはところどころに茶色の蟻塚が立ち、木の枝にはハタオリドリの巣がぶらさがっており、マサイの人々の赤を基調とした原色系の衣裳が目に鮮やかです。途中で何箇所かの検問があり、大きな板に釘を逆茂木のように生やしたもので車のスピードとコースをコントロールしていましたが、何のための検問だかさっぱりわかりませんでした。

2度目の休憩のときにケニアの出国カードとタンザニアの入国カードに必要事項をあらかじめ記入し、16時15分に国境の町ナマンガに到着しました。ここは撮影禁止とあらかじめ言い含められていたのでカメラは出さなかったのですが、ケニア側で車を止めるとわらわらと物売りが寄ってきて「ファイブダラー!ワンダラー!」と凄い喧噪になりました。それをかき分けて入った事務所で出入国手続を済ませ、車を乗り換えていよいよタンザニアの道に入ります。キリマンジャロの方向は雲に覆われていますが、どうやら裾野らしいスロープが見えていて気分が盛り上がってきました。

美しい岩壁を持ち形の良いロンギド山の麓を通り過ぎ、正面に大きなメルー山を見上げながら車は真っすぐ進みます。相変わらず乾いた大地に、ところどころでマサイの人々が家畜を追っている姿や集落などを見ながら、やがて緑が多くなってはっきりと大きな町に入ると、そこがメルー山の南にあるアルーシャでした。さすがに街中だけあって人の数もぐっと多くなりましたが、たいていはふらふらと歩いていたり建物の軒先にぞろぞろ居並んでこっちを眺めていたり。そして最後の休憩場所は、18時すぎに着いたアルーシャのノボテル・マウント・メルーでした。ここで早川TLのおごりでキリマンジャロ・ビールを飲んで一息つきましたが、さっぱりとして飲みやすくおいしいビールでした。

ここから車は最後のワンピッチを進みます。薄暮の中、前方にキリマンジャロの雪が見えたときは車の中に歓声があがりましたが、暗くなるにつれて皆(自分も)疲れて眠り込んでしまったようです。車が止まる気配に目を覚ますと、暗闇の中にそこだけ明るくホテルが建っていて、これが今宵の宿、カプリコーン・ホテルでした。時刻は既に20時45分ですが、受付を済ませてからホテル内のレストランで全員で遅い夕食をとり、明日のスケジュールを確認しました。

メインの建物からわずかに歩いて離れの客室棟へ移り、A氏と相部屋の客室に落ち着くと取急ぎパッキングをし直して、そのままシャワーも浴びずにベッドに倒れ込みました。何はともあれ、明日からいよいよ登山の始まりです。