丹沢全山縦走

日程:2014/11/22-24

概要:初日は駿河小山駅から不老山に登り、西進して三国山に達してから北上。神奈川県境の尾根を菰釣山に達し、避難小屋脇にツェルト泊。2日目は大室山から犬越路を経て檜洞丸まで歩き、青ヶ岳山荘泊。3日目に蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳をつないでから表尾根を下り、ヤビツ峠から大山へ。そして三峰山を越えて煤ヶ谷へ下山。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:不老山 928m / 三国山 1343m / 菰釣山 1379m / 加入道山 1418m / 大室山 1587m / 檜洞丸 1601m / 蛭ヶ岳 1673m / 丹沢山 1567m / 塔ノ岳 1491m / 大山 1252m / 三峰山 935m

同行:---

トレイルランニングの老舗ルートとしてはいわゆるハセツネ六甲全山縦走がありますが、丹沢全山縦走というのも意外によく走られているようです。その場合、大山と山中湖畔(平野)をワンデイでつなぐパターンが多く、西からも東からも走られていますが、調べた中で最もすごいと思えたのは、三国山の西にある篭坂峠からスタートして秦野駅までを走り通している記録。もっとも、私の現在の脚力と膝のコンディションとではとてもトレイルランニングやファストパックでこうした篤志家に太刀打ちできるものではないので、古風な縦走スタイルで丹沢を歩くことにしました。しかし、どうせ縦走スタイルとするならコースの両端を延ばしてみようと地図を眺めたところ、西は不老山から三国山までのライン、東は大山から三峰山へつなげるラインが見えてきました。後はどちらから歩き出すかを選択しなければなりませんが、2泊3日とすると(丹沢の稜線上は幕営禁止なので)1泊は営業小屋、もう1泊は避難小屋を利用することになりますから、早く荷物が軽くなるように、つまり避難小屋利用が先になるように駿河小山を起点とすることにしました。

2014/11/22

△07:10 駿河小山 → △09:35-45 不老山 → △13:00-15 三国山 → △15:15 高指山 → △18:40 菰釣山 → △18:55 菰釣避難小屋

朝5時すぎに渋谷駅を発って、品川、国府津経由で御殿場線の駿河小山駅に着いたのが7時すぎ。リュックサックの中にはツェルト、シュラフ、マット、防寒具、食料、4リットルの水が収められています。

上から3分の2くらいが雪で白くなっている富士山を見ながら不老山登山口を目指して歩くと、なかなか凝った手作りの標識が道沿いに次々に現れました(上の画像をクリック)。地元の登山愛好家の方が新道を開いたときに設置したもののようですが、どうやら対立する勢力(?)がいるらしく、山の世界も一筋縄ではいかないということを図らずも認識させられました。

これらの道標は地元・小山町在住で町議会議員も務めた岩田㵎泉いわたたにいずみさんの作品で、町も公認のものであることを後日知りました。

緩やかな尾根上の山道を高度を上げていくと、尾根の左手に富士山や愛鷹山を大きく眺められるポイントもあったりしてなかなかいい気分です。やがて主稜線に出て分岐点の標識が示す通りにいったん右(東)へ向かうと、すぐに不老山頂でした。

木のテーブルやベンチが設えられた広場になっている不老山頂で少しのんびりしてから、分岐点に戻り金太郎の像がついた標識に従って世附峠を越え、小さなアップダウンを繰り返しながら明神峠へ向かいました。

ルートは明神峠でいったん車道に接しますが、すぐに尾根上の道になり、次に車道を横断してから三国山へ向かいます。この前後で、2パーティーと行き合いました。今日は快晴、絶好のハイキング日和です。

三国山に登る途中から後ろを見ると、表丹沢の山々が並んでいるのが見えました。あの中で左寄りの鞍部が、武田信玄が小田原攻めに際し犬を先頭にして越えたという伝承のある犬越路に違いありません。こうして見ると、確かにゴールははるか彼方という気がしてきます。

三国山の山頂は広場状でしたが、樹林に囲まれて展望はありません。その代わり、北に進んでわずかの鉄砲木ノ頭の手前は見事な萱の原になっており、山頂からは大きな富士山の足元に山中湖の全景を見下ろすことができました。

萱と山中湖と富士山との組合せは、さらに北にある高指山からでも見ることができましたが、ここから先は丹沢らしくブナなどの樹林に覆われた尾根道になってきます。

富士山頂を隠す笠雲がダイヤモンド富士のように夕日に輝くさまを眺めてから、さらに歩くこと45分。石保土山の先で夜の帳につかまりました。地図で見ると平らに見える甲相国境尾根も、実際には細かいアップダウンが繰り返されていてなかなか行程がはかどりません。しかし、何度か完走しているハセツネでの経験からこうした夜戦には慣れており、特に急ぐこともなく淡々と足を前に運び続けました。

菰釣山の手前から、山頂にいくつかのヘッドランプが動いているのが見えていたので不思議に思っていたのですが、山頂に着いてみると何人かの登山者が山頂のベンチで酒盛りをしていました。「お疲れ様でした」と声を掛けてくれた彼らに話を聞くと、菰釣避難小屋では10人程度の団体が15時頃から宴会をしていて、彼らはたまらずこちらに避難してきたのだとか。「避難小屋から避難してきた」というのは少々ユーモラスな話ですが、この人たちは山頂近くの登山道脇の平地にテントを張って今夜はここで寝るつもりのようでした。

菰釣避難小屋に着くと、宴会は終わっているらしく中は真っ暗。そっと扉を開けて中を覗いてみましたが、テーブルの上には宴会グッズが広がり、土間まで使って人が寝ている様子にとても小屋の中に入る気にはなれず、外で寝ることにしました。小屋の隣に設えられているテーブルで遅い夕食を済ませてから小屋の壁の近くにマットを敷き、ありったけの衣服を着込んでシュラフの上からツェルトをかぶるとぽかぽか。この日の行動時間12時間弱の疲労とほんの少しの日本酒のおかげで、すぐに眠りにつくことができました。

ところが、22時すぎに地面が揺れる気配で目を覚ますことになりました。ここでは揺れは大したことはなかったのですが、後で知ったところでは、このとき長野県北部で震度6の地震が発生していたのでした。

2014/11/23

△05:40 菰釣避難小屋 → △08:15 モロクボ沢ノ頭 → △10:30-35 加入道山 → △11:45 大室山 → △13:00-10 犬越路 → △15:35 檜洞丸 → △15:40 青ヶ岳山荘

4時半に目覚ましの音で起床。同じ頃に避難小屋の中でも団体が起き出す音が聞こえてきました。

私と同じく小屋の外にツェルトを立てて寝ていた女性登山者(明神峠から畦ヶ丸まで歩き西丹沢自然教室へ下るとのこと)とテーブルをシェアして朝食をとっているうちに、彼方の山の端が明るくなってきました。準備が整ったところでお先に出発、どうやら今日も快晴に恵まれそうです。

モロクボ沢ノ頭あたりからは沢登りの後の詰めで部分的に歩いたことがある区間となって、懐かしさを感じながら登り続けた先に、明るくこじんまりと開けた山頂と一段低いところにある簡素な避難小屋の佇まいがすてきな加入道山がありました。この加入道避難小屋は水場が近くにないので炊事用の水を担ぎ上げなければなりませんが、その労力をかけてでも泊まってみたいと思わせられる小屋でした。

二重山稜のような地形を面白く見たり、背後にずいぶん遠くなった富士山を眺めたりしながら、さらに先に進みます。

加入道山と共に自分的未踏峰の大室山にはお昼前に到着……と言っても、菰釣避難小屋を出発してから既に6時間が経過しています。犬越路への分岐を右に分けてさらに5分ほど進んだ明るい広場が大室山の山頂でしたが、その北面に雪が残っているのには驚きました。どうやら直前の木曜日の雨が、山の上では雪になっていたようです。

リュックサックをデポしていた犬越路への分岐まで戻って小休止をとってから、犬越路まではほぼ一気の下り。犬越路避難小屋はトイレ完備の清潔な小屋で、当初の検討段階ではここを中継地点にして1泊2日で大山から平野まで抜けることも考えていたのですが、やはり水場が少々遠いのが玉に瑕です。

犬越路から先はこれまでに複数回歩いている区間ですが、いずれも檜洞丸から下ってくる逆コース。今回のように小笄・大笄を経て檜洞丸へ向かう標高差500m余りの登り返しはなかなか厳しく、疲労が溜まってきていることもあってガイドマップに記載されたコースタイム通りにしか進めません。それでも背後の大室山が徐々に遠くなるのを励みにしながら、我慢の歩みを続けました。

檜洞丸の山頂手前は手すりまでついた立派な木道が続いていましたが、その周囲にはこれでもかというばかりにたくさんの標識が立っていて、そこには植生保護のため経路内を通行してくださいとありました。しかし到達した山頂では、キャンプ禁止の標識の向こう側になぜかツェルト村ができていました(一応、近くの青ヶ岳山荘の許可をとってあったようです)。

檜洞丸山頂からわずかに下ったところに建つ青ヶ岳山荘が、この日の宿りです。本当はこの日のうちに蛭ヶ岳まで達しておきたかったのですが、時刻は既に15時40分。ここから蛭ヶ岳までは3時間行程ですから、まともな食事にありつこうと思えばここで行動を打ち切るしかありません。

山小屋の向こうには蛭ヶ岳から丹沢山、さらには塔ノ岳へ連なる丹沢主脈の山々が斜めの光を浴びて居並んでいました。明日は、あそこを越えていくことになります。

夕方、檜洞丸の山頂から犬越路側に少し下った場所からピンクに染まる空と富士山のシルエットを眺めることができました。はるばる歩いてきた甲相国境尾根は夕靄の中に霞み、道志山塊とも重なって判然としませんでした。

実は、青ヶ岳山荘は予約制の山小屋です。事前の調査不足でそのことを知らずに宿泊を申し入れた私は、小屋番の女性の応対に「泊めてもらえないのかな?」と一抹の不安を感じましたが、奥に入って戻って来た彼女の「『予約なしは500円増しになるがいいか?』とが言っていますが、いいですか?」という言葉にほっと胸を撫で下ろしました。その後も彼女は「リュックサックを座布団の上に置くとが怒りますから(今のうちに)こちらへ移して下さい」などと言葉の端々に恐ろしげなの存在を滲ませていたので、どんなに怖い人が奥の間に潜んでいるのかとこちらは戦々恐々。しかし、夕日を見終わったところで小屋に戻ったときに奥から出てきた「」は、確かに山小屋の女主人らしいきっぱりした性格の様子ではありましたが、宿帳を見ながら客の一人一人に声を掛けてくれたりして親しみを感じられる方でした。この方はこの青ヶ岳山荘を建てた高城則貴氏の奥様・律子さんで、最初に応対してくれたのは娘さんの理生りなさんです。

夕食を終えて他の客が2階の寝所に消えた後で、朝食代わりの弁当が出来上がるまでの間、私ともう1人(わざわざ関西からここに泊まるために来られた方)とで理生さんと小屋の経営のことや歩荷のこと、はては昨夜の地震のことまであれこれ話し込んでいるうちに、私はすっかり彼女と青ヶ岳山荘のファンになってしまいました。今度ボランティアで歩荷しようかな。10kgでいいなら……。

2014/11/24

△04:45 青ヶ岳山荘 → △07:30-40 蛭ヶ岳 → △09:00-05 丹沢山 → △10:00-10 塔ノ岳 → △13:25-30 ヤビツ峠 → △14:35-45 大山 → △16:40 三峰山 → △18:35 煤ヶ谷

三連休の間ずっと好天が続くことを期待していたのですが、夜半に小屋の屋根を雨が叩く音を聞き、幸運というのはそう長くは続かないものだという人生の真理を噛み締めながら朝を迎えました。

昨夜受け取っていた巨大なおにぎり二つの内の一つを食べて、起き抜けの理生さんに挨拶をしてから霧雨の中を出発。しばらくは暗闇の中をヘッドランプの光を頼りの歩行が続きましたが、臼ヶ岳あたりから明るくなってきました。

それでもまだまだ強い風が濃いガスを運んできていて少々荒れ模様でしたが、蛭ヶ岳手前の急坂を登る頃から時折雲が切れて視界が開け、また雲の向こうに太陽の気配を感じられるようにもなってきます。そうこうするうちに、蛭ヶ岳の山頂に到着しました。今回の山旅の最高峰ですが、当然のごとく視界ゼロでした。

蛭ヶ岳から塔ノ岳までの間は何度も歩いているので心理的にはぐっと楽になりましたが、冷たい風と霧は収まってくれません。それに先ほどから気になるのは、登山道の横にずっと張られているフェンス状の構造物です。これは鹿の食害から植生を守るためのものですが、もしかして、と思って先を急ぐと……。

やはり。私の大好きな竜ヶ馬場もフェンスに囲まれており、これではこの笹斜面の明るく開けた風情が台無しです。仕方ないこととはいえ、とても残念……。せめてもの慰めは、この頃から時折青空が覗くようになってきたことです。

間もなく塔ノ岳に到着し、尊仏山荘に立ち寄ってPETのお茶を購入したら、ほとんど休むことなく先を急ぎます。

ここからヤビツ峠までの表尾根を縦走するのは(逆コースですが)1984年以来ですから、実に30年ぶりです。当然記憶はほとんど残っておらず、塔ノ岳直下の急下降にこんなに急だったっけ?と思ったり、木ノ又小屋の綺麗さに驚いたり(もちろん建て替えられていると思います)、逆に古色蒼然たる新大日茶屋(休業中)のトタン板にほっとしたり。

行者岳の手前のちょっとスリリングな馬の背状の尾根を渡り、烏尾山を経て三ノ塔に到着しました。たくさんの登山者がここで休憩をとっていましたが、こちらはそうそう休んでもいられません。

三ノ塔からは左手に意外に遠く、大山の姿が見えていました。あれを越えるのか……。

ぐっと下って車道をしばらく歩くと、急に賑わいを見せるヤビツ峠に到着しました。自動販売機で販売していたコーンスープを補給してから、今度は大山への登り道にかかります。標高差はヤビツ峠から大山山頂まで500m近くあって、これは犬越路から檜洞丸までの標高差と大差ないのですが、こちらの登り道は非常に歩きやすく、さほどの苦労は感じませんでした。

表参道を右から合わせ、鳥居をくぐって登った先にあるのが阿夫利神社です。ここで可愛い呼び子(右の女の子)の声につられてホットドッグを購入し、ついでに近くの売店で売っていた味噌きゅうりにも手を出しました。テラスの屋根を叩く雨が派手な音をたてていましたが、標高を下げれば雨は収まるだろうと予測できたのでさして気になりません。

この左上の標識の温泉マークの誘惑にはぐらっときました。大山から最後のピークである三峰山へのルートは七沢温泉へのルートとも途中まで重なっているため「三峰山はカットして七沢温泉を目指そう」という悪魔のささやきにしばらく悩まされましたが、かろうじてこれを押さえ込んで唐沢峠の東屋の先で七沢温泉方向(不動尻経由)に向かう道を見送り、三峰山へ直接通じる尾根に入りました。

この尾根筋のルートは地図上では点線になっており、実際、かすかな踏み跡を探したり木の間を抜けたりと多少の勘を働かせるところもあるのですが、明るい時間帯に歩く分にはそれほどの困難は感じません。やがて不動尻から上がってくるもう1本の道と合流し、ここから三峰山の鎖と階段を伴うアップダウンが始まります。そして何度かの登り下りを経て、最後のピークである三峰山に到着。ここに明るいうちに着けてラッキーでした。以後、周囲は急速に暗くなっていき、下界には夜景が広がり始めます。

アップダウンはさらに続きましたが、やがて落ち葉に覆われた滑りやすい急斜面の長い下りが終わると、唐突に道は穏やかな、歩きやすいものに変わりました。

危険だから無理をしないで引き返す勇気が必要ですという無体な注文をつける標識や、ひっそりと佇む山の神の祠を経てさらに下り続け、やがて車道の光が見えてきたと思ったらもうそこが登山口です。そして人家が並ぶ道を少し歩いた先の煤ヶ谷のバス停が、3日間の山旅の終着点でした。

こうして歩き終えてみれば体力に十分余裕を残しての完歩でしたが、バス停の自動販売機で買ったジュースを一気に飲み干して人心地がつくと、まとまった山域の端から端までを歩き通す「完全縦走」の達成を素直に喜ぶ気持ちが湧き上がりました。

初日の行動時間11時間45分、2日目10時間、3日目13時間50分で、合計35時間35分(休憩コミ)。合計距離は72.55kmで、累積標高は上り5891m、下り6000m。今回のコースをもって丹沢の「全山」を縦走したと称していいかどうかは丹沢山地の定義に関わってきますが、ここでは大らかに「丹沢ロング縦走」くらいの意味合いで「丹沢全山縦走」の名を使うことを許していただきたいと思います。

これまでのこの手の低山ロング縦走の経験としては、1999年の谷川連峰馬蹄形縦走〜主脈縦走がありますが、今回のような夜戦・野宿をあらかじめ組み込んだプランニングには、やはりその後の経験の蓄積がものを言っています。本厚木駅行きのバスを待ちながら、そうした自分の貯金を活かせるこのような「歩き」の課題を、来年以降も時折は設定して取り組んでみようと思いました。そして、今回の山行を通じて再認識した丹沢の懐の広さ・魅力の大きさをもしみじみと噛み締めました。

◎このコースのバリエーションとなる山行の記録は次の通り。