塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

葛根田川〜大石沢

日程:2014/10/11-12

概要:葛根田川沿いの滝ノ上温泉から林道を進んで入渓。初日は大石沢出合まで進み幕営。2日目は大石沢を詰めて田代平に抜け、乳頭温泉郷の蟹場へ下山。

山頂:---

同行:ニシさん / モモリさん / チオちゃん

山行寸描

▲葛根田川の「函」。上の画像をクリックすると、葛根田川(初日)の遡行の概要が見られます。(2014/10/11撮影)
▲大石沢のナメ。上の画像をクリックすると、大石沢(2日目)の遡行の概要が見られます。(2014/10/12撮影)

ニシさん・チオちゃんとの6月の飲み会の席で決まった体育の日の三連休の沢登り。そのときは「笹穴沢に行こう!」という話になっていたのですが、時期が近づいてニシさんに連絡をとったら「忘れてた。笹穴沢は9月に別便で行くことになっている」というつれない返事。しかし、その代わりにとニシさんから提案のあった岩手県の葛根田川はこれまた前々から行きたかった沢なので文句はなく、チオちゃんも異存ありません。ニシさんの山岳会の仲間であるモモリさんがメンバーに加わり、コースは2012年10月の『岳人』で紹介された葛根田川から大石沢へつなげるお気楽ルートとなりました。このコースは、遡行を終えて稜線に出たところにある田代平(田代岱)という高層湿原と、下山後の乳頭温泉もポイントです。

直前まで台風の動向が定まらずやきもきしましたが、「(晴れ女の)チオちゃんが何とかしてくれるでしょう」という私のコメントにチオちゃんは「師匠、無茶振りし過ぎです orz」と泣きながらも台風と折り合いをつけてくれて無事に決行となりました。そして当日、三々五々こまち3号に乗った4人は誰一人としてこまち3号が全席指定だということを知らず、かろうじて私だけが最後の1席をゲットできましたが後の3人は盛岡まで立ち席ということになってしまいます。それでも無事に盛岡駅で全員が集合して、ここでチオちゃん・私とモモリさんが初対面の挨拶を交わしてから田沢湖線で雫石まで移動し、タクシーを呼んで滝ノ上温泉を目指しました。

道中、助手席の私の目を引いたのは懐かしい岩手山の勇壮な姿です。かつて八幡平から岩手山まで縦走したのは1990年のことで、これはなんとモモリさんが生まれた年。そんな若いモモリさんやちょっとお姉さんのチオちゃん、もっとお姉さんのニシさんが紅葉の美しさに見とれつつ後部座席でおしゃべりに花を咲かせているのをチラ見した運転手さんは「どこかの学校からですか?」と私に聞いてきましたが、運転手さんの目にはどうやら我々が「教授と3人の女学生」と映ったようでした。

2014/10/11

△11:15 滝ノ上温泉 → △11:50-12:05 入渓点 → △13:15 ドクロ滝 → △14:50 大石沢出合 

タクシー代4,640円で到着した滝ノ上園地休憩舎で着替えと荷分けを済ませた後、まずは川沿い・地熱発電所沿いの車道をてくてく歩きます。

なるほど、これは発電所ができるのも頷ける地熱の強さです。

車道が尽きるあたりで川に降り、そこから入渓しましたが、さっそく事件が起こりました。すぐに現れた堰堤の高さが微妙に高いためにリュックサックを背負ったままでのマントリングは厳しそうだったので、荷物を先に堰堤の上に投げ上げて空身になってから乗り越えたのですが、リュックサックを背負い直して立ち上がってみると滝のような音と共に水(?)がリュックサックから漏れ出し、途端にぷーんと甘い匂いがあたりにたちこめました。悲劇!リュックサックの中に忍ばせていた「浦霞 禅」の瓶が割れてしまったのです。ああっ、もったいない……と思っても後の祭り。「お神酒を捧げたと思って」と一行に慰められはしましたが、荷は軽くなっても足取りは重く、ため息をつきながらの河原歩きとなりました。

しばらく河原を歩いたところで最初に右岸に現れた支沢はなかなか立派で、これを登ろうと思うとロープ長にもよりますが最低3ピッチは必要そう。

この辺りまではずっと河原歩きで、ところどころ渡渉を求められることにはなりますがラインを正しく選べば膝より上を濡らすことはそれほど多くなく、青空の下ところどころの淡い紅葉を眺めながらの歩きが続きます。支沢を過ぎてしばらくした頃からナメ床が現れるようになり、やがて左岸をへつった先に小さいながら特徴的な支沢が左岸から入ってくる場所に着きました。これは一見したところ髑髏のように見えるのでドクロ滝と紹介されることもある小滝ですが、見ようによっては巨神兵の頭部と見えなくもありません。興味津々のチオちゃんがフリクション登攀の真似事をしてみましたが、歯が立ちそうにありませんでした。

この辺りから沢は徐々に面白みを増し、ナメ床をひたひたと歩いたりちょっとした岩登りをこなしたりした後に、右岸のトラバースポイントが登場しました。大石沢までの間で唯一、初心者にはロープが欲しくなる場所です。

出だしを残置スリングの助けを借りて1段上がってから外傾したバンドを上流へ進みましたが、フィックスロープもあるものの枯葉のせいで滑りやすい岩の上を進むのは私でも緊張します。そして段差を2m下るところでは残置ピンに固定されたロープに全体重をかけて腕力頼みのクライムダウンとなるため、重荷の場合は確保が欲しくなってきます。このクライムダウンをこなして引き続き右岸のバンドを上流に進むと、葛根田川は水流の強い小滝を経て「函」と呼ばれるU字谷状のゴルジュへと様相を変えました。ここがこの日のハイライトです。

「函」の中はところによって流れが強く水深もそれなりにあるために、水面下の足場も探しながらのひたひたとしたへつりが中心になるのですが、ところによっては細かいスタンスに爪先を乗せての微妙な=面白いトラバースも出てきます。

フリクションはおおむね良好で、ところどころの立体的な地形もリーダーのニシさんを先頭にずんずん進んで行きましたが、しんがりの私は写真を撮りながらのんびりペースで歩いているために遅れ気味です。

途中の平坦地で休憩をとって、最後のへつりは最初左岸から進みましたがちょっと微妙。このためニシさんはかなり引き返して水深の浅いところを右岸に渡り返す判断をしたのですが、写真班の私は「これはおいしい場面だぞ」とへつりを続けたところ、確かに急な角度のスラブ上の細かいスタンスを拾って水面上1mほどまで追い上げられる部分はあるものの、どうにか安定した場所へ抜け出すことができました。ここが、クライミング的には最も楽しい箇所でした。

そして実はこのポイントが「函」の出口で、そこからすぐに大石沢出合に到着しました。まだ15時前ですが、この日の行程はここで終了です。

本流と大石沢に挟まれた台地上には格好のテントサイトが用意されており、近くの岩盤上には焚火の跡もありました。私たちもテントを設営し、まずは薪集めです。季節が遅いせいか思ったほど流木がありませんでしたが、本流・大石沢のいずれも少し上流に足を運べばたくさんの薪をゲットすることができました。ニシ流焚火術では焚付けに新聞紙を使うそうですが、ここで私が「ちょっと待った」と取り出したのは、以前かっきーから伝授された自転車のタイヤのチューブの切れ端です。焚付けとしては火持ち・火力とも申し分なく、集めた粗朶に一発点火。これには一同感心していました。

しっかり火が熾ったところでカンパイ!安定した火力を活かして厚切りベーコンやエリンギ、銀杏などが焼かれていきました。近くの笹をナイフで削いだものが串の代わりです。

食事当番ニシさんのカレーとうどんの夕食の後は、1.5mまで炎の上がる焚火を眺めながらニシさんの日本酒とモモリさん持参のワインで幸福感に包まれつつまったり。

2014/10/12

△07:30 大石沢出合 → △12:50 稜線 → △12:55-13:20 田代平 → △13:55 蟹場分岐 → △14:30 蟹場

目を覚ましてみると、モモリさんが熾火に枯葉や粗朶をかけて火を熾してくれていました。昨夜くべた薪はきれいに灰になっていて、これは高得点です。

今日は大した行程ではないのでのんびりとフォーの朝食をいただきながら、沢の中に朝日が差し込んで周囲の紅葉が鮮やかさを増していく様子に見とれました。

集めてあった薪を燃やし尽くし、気温も上がったところでおもむろに出発。葛根田川の遡行はそのまま北西へ本流を詰めて北ノ又沢から八瀬森周辺の稜線に上がるパーティーが多く、日程にゆとりがあればさらに秋田県側の大深沢へ繋げる長旅にする場合もあるようですが、我々はここからぐっと向きを変えて南下し、最短で県境稜線を目指すことになります。

大石沢はすぐに戸繋沢(金堀沢)を分け、その先できれいなナメ床を広げます。これは快適だ!と大喜びしましたが、ナメ床はそれほど続かず、やがてゴーロ帯が長く続くようになりました。

「大石沢」と言うくらいだから石ごろごろなのは仕方ないか……と思いながら左岸のガレた崖を見送ると等高線が詰まりだし、小滝が出てきます。ここからしばらくは脚力勝負で高度を上げていきますが、朝食がフォーだけでは足りなかった私は既にシャリバテ気味。それでも標高1100mの二俣をピンクのテープも目印に右に入ると、傾斜はなだらかになってきました。

一時は空が開けていたのですが、やがて沢筋が細くなると共に笹が力を増すようになり、最後はかすかな沢形を辿りながらの藪漕ぎに突入しました。ここで地形図を読むと、忠実に沢筋を辿ったのでは田代平から離れ、しかも登山道と平行に乳頭山の中腹まで上がることになってしまうので、どこかで右に入りたいところです。

ここぞという分岐で右に入ったところ、本格的な藪漕ぎはさして続かずにぽんと開けた場所に飛び出すことができました。歓声を上げながら秋枯れの草原を登りかけたのですが、ふと後ろを振り向いたモモリさんが、背後の少し遠くに田代平が広がり木道を登山者が歩いているのを見つけてくれました。そこで方向転換して等高線通りにトラバースし再び笹薮に突入しましたが、わずか30mほど漕いだだけで登山道に出ることができました。

眼下に見えている田代平までは登山道をほんの少し下るだけ。きつね色に枯れた湿原の真ん中にある池の畔まで進んで、そこで装備を解くことにしました。沢靴を脱いで足を解放することの快感といったらなく、モモリさんは感極まって「この瞬間のためにここまで沢靴を履いてきたと言っても過言ではない〜」と文学的な表現をしていましたが、確かにその通りです。

池の向こうには乳頭山(烏帽子岳)、その右の方には秋田駒ヶ岳のたおやかな姿。あの山もいつかは登りたいと思っている山の一つでしたが、こうしてじかに目にするのは初めてです。複数の噴丘と二つのカルデラからなる起伏に富んだ、それでいて柔らかいカーブを描くスカイラインを持った秋田駒ヶ岳は「いつか」と言わず来年にでも登りたくなるような個性を持っていました。

大勢の登山者が行き交う田代平の一角でしばらく休憩をとった後、下山にかかりました。向こうに見えている乳頭山の手前には田代平山荘(無人小屋)があって宿泊することもできますし、ここから登り1時間の乳頭山の山頂から北東方向へさらに2時間余りをかければ滝ノ上温泉に戻ることもできるのですが、私たちは南西側の乳頭温泉郷へ下ることにしています。

当初の計画では田代平山荘から孫六湯へ下ることになっていたのですが、登り返さなくても稜線を西に進んで蟹場へ下ればよいではないかと話がまとまり、そちらに進むことにしました(後で気付いたのですが、もしかしてニシさんは孫六湯に入るのを楽しみにしていたのかな?そうだとしたら、悪いことをしました)。

ブナ林の中の気持ちの良い登山道を西へ進んで、蟹場分岐から一気に下るともうそこは下界。無事の下山をハイタッチで祝った後、すぐ目の前にあった大釜温泉で汗を流すことにしました。

秘湯の雰囲気を若干漂わせた大釜温泉でさっぱりしたところで、この日の夜行バスで盛岡から東京へ戻るモモリさんとはお別れです。お疲れさまでした。いつかまたご一緒しましょう。そしてニシさん・チオちゃん・私の3人は乳頭キャンプ場に泊まりました。もちろんここでも焚火つきです。

翌朝は、キャンプ場から徒歩30分ほどの鶴の湯まで足を伸ばしました。17世紀からの歴史を持つ湯治場だということなのでつげ義春的な秘湯を想像していたら、日帰り入浴の受付開始時刻である10時には行列ができるほどの人気スポットで若干拍子抜けでしたが、湯治客用の茅葺の大きな宿泊施設を備え、白湯、黒湯、中の湯、滝の湯と名付けられた複数の泉質の源泉風呂も面白く、温泉フリークではない私にとっても足を運んだ甲斐がありました。何から何まで企画してくれたニシさん、ありがとうございました。

とにかく楽しい沢歩きでした。葛根田川は穏やかな本流の周囲にいくつもの支流を持ち、その多くが遡行・下降のルートとして多様な楽しみと癒しを沢登ラーと釣り師に提供していて、これならまた来てもいいなと思いましたが、実は沢歩きよりも印象深かったのは、稜線に出てから眺めた秋田駒ヶ岳のなだらかで立体的な姿や裾野を埋めるブナ等の広葉樹の森の広がりでした。

今でこそ、まわし(ハーネス)を締めて長ドス(アックス)を振り回すような渡世稼業に身をやつしていますが、これら日本の原風景的な山並みに囲まれていると、かつて百名山を追って日本各地の山々を歩き回っていた頃のピュア(?)な気持ちを思い出します。いつの日か「体力の限界!」と引退会見を開いて雅号を「塾長」から「御隠居」に変更するときが来たら、その後はこうした優しい山々と密やかな温泉宿とを丹念に訪ね歩く紀行的な山旅の世界に回帰したいものだとつくづく思いました。