塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

剱岳源次郎尾根

日程:2014/09/20-21

概要:剱岳山行の初日は、剱沢のテントサイトまで。翌日、剱沢を下って源次郎尾根に取り付き、剱岳へ抜けて帰幕。

山頂:剱岳 2999m

同行:よっこさん / チオちゃん / ヒロセ氏

山行寸描

▲剱沢キャンプ場全景。初めてここに泊まったが、素晴らしいロケーションに感激した。(2014/10/07撮影)
▲剱沢から源次郎尾根を経て剱岳へ。(2014/10/07撮影)

よっこさんから「剱岳に登りたい」という話を初めて聞いたのがいつだったか正確には覚えていないのですが、それでは源次郎尾根を案内しようと申し出たときには旦那さんのさとし氏も一緒にということだったと思いますので、たぶん2012年に北鎌尾根を歩いた直後だったのでしょう。それから2年、単身赴任で遠くサウジの砂と化した旦那さんを尻目にアルパイン熱がいや増すばかりのよっこさんを連れて、ついに剱岳に向かうことになりました。旦那さんに代わって同行してくれたのは、これまた剱岳未経験のヒロセ氏とチオちゃんです。

よっこさん・チオちゃんと共に新宿を金曜日の夜に発つ乗り心地の良い夜行バスで富山駅前に早朝に着き、シネマ食堂街なるアヤシげな一角を探索してから、安心品質の吉野家で朝食をとりました。

さらに室堂行きのバスの中でヒロセ氏とも無事に合流し、一路室堂を目指しました。

バスの車窓から眺める剱岳は地獄の針山のような風貌ですが、弥陀ヶ原の広々とした景観には得も言われぬ懐かしさを覚えました。そして頭上に広がる快晴の空は、これから4日間の山旅の成功を約束してくれているよう。しかし、標高が高ければ物の値段も高くなるのは自然の摂理。昼食にした「とやまポークカツ定食」は1,700円もして、頼んでもいないのに財布の軽量化に貢献してくれました。

……にもかかわらず、バスターミナル内の売店の試飲コーナーでの惹句に乗せられて、ここでしか売っていないというお酒「佐々成政の隠し酒」をテントでの宴会用に購入。こうして万端の準備が整ったところで、いよいよ登山の始まりです。

2014/09/20

△12:00 室堂バスターミナル → △14:25-35 別山乗越 → △15:10 剱沢キャンプ場

この日は室堂からいったん雷鳥沢キャンプ場に下り、別山乗越を越えて剱沢キャンプ場に下るだけの気楽な行程です。

……が、脚力作りが十分ではなかったらしいチオちゃんは別山乗越への登りで既にバテ気味。もしかすると高度の影響が出ていたのかもしれません。

それでもなんとか頑張って別山乗越に着いてみると、先行していたヒロセ氏はここでもビールをきこしめしていました。どうしてそんなに飲めるんだ?しかし、目の前に突如現れた剱岳の雄大な姿には一同歓喜。キャンプ場での乾杯のために剱御前小屋でビールを仕入れると、キャンプ場への下り道にかかりました。

キャンプ場は色とりどりのテントで大賑わいでしたが、メインストリートから少し離れトイレの便利もよい位置に格好の場所を見つけて、男組テントと女組テントの2張りを設営しました。このキャンプ場に泊まるのは私も初めてですが、水は豊富だし眺めはいいしで最高の幕営地でした。

テントの設営が終われば後は宴会あるのみ。明日からのクライミングの成功を祈って乾杯し、石を寄せ集めて作った即席のテーブルの上に各人が持ち上げてきたアテを広げました。チオちゃんは富山駅で買ってきた鱒寿司、私はイカの薫製、ヒロセ氏はソーセージを炒め、そしてよっこさんはジャッキーカルパス。このカルパス(実はよっこさんのリュックサックの中で長期熟成されていた逸品)が後に惨事を生むことになるとは、このときは知る由もありませんでした。

2014/09/21

△05:30 剱沢キャンプ場 → △06:50 源次郎尾根取付 → △08:40-50 I峰 → △09:15-45 II峰 → △10:40-11:00 剱岳 → △13:00-50 剣山荘 → △14:30 剱沢キャンプ場

4時に起床してテントの外に出ると空には満天の星、そして登山道にはヘッドランプの長い列が山頂近くまで続いていました。なんでそんなに早いのか?山頂でご来光を仰ぎたいということなのかな?と呆れながらテントに戻って朝食をとり、明るくなるのを待って5時半に出発しました。

剱岳の山頂部は朝日を受けて赤く染まり、その明るい部分が見る見るうちに下の方に下がってきました。

剱澤小屋を経て剱沢に下り着き、ゴーロ状をぐんぐん下って雪渓に出たところからは軽アイゼンとストックを駆使してさらに高度を下げていきます。我々の前には先行するパーティーがおり、さらに平蔵谷の出合に達したところで彼らも源次郎尾根を登ろうとしているということがわかりました。まぁ急ぐこともないだろうとこのときは鷹揚に構え、ゆっくりハーネス等を着けてから先行パーティーの後を追うことにしました。

草付の緩斜面の中の明瞭な踏み跡を登った突き当たりの涸れ滝には以前はなかったフィックスロープが垂らしてあり、これを使って楽に越えることができました。その後、草付の中の涸れ沢状の登路から樹林の中の木登りが続きましたが、やがて先行パーティーが止まっている場所にぶつかりました。どうしたのかな?と見てみると、1段上がったところの岩登りがある場所で彼らの前にいるパーティーがロープを出している模様。迂闊なことでしたが、我々の前にそれほど多くの先行パーティーがいるとは思っていなかったので、この渋滞は誤算です。このままオーダーを守っていくと登りに時間がかかるばかりでなく最後のII峰の懸垂下降点で長時間待たされることになるのは必定なので、ここでギアを切り替え追い抜きモードに入ることにしました。かくして我々の「抜かさせてほしい」オーラに気付いた先行パーティーが道を譲って下さったのを機に、その前にいたロープパーティーも順次追い抜き、遅れ気味なチオちゃんを鼓舞してとにかく先を急ぎます。

さらにルンゼルートが合流した先のスラブで道迷いを起こしていた大部隊を尻目に左の凹角から正規ルートを進むことで、どうやらこの日源次郎尾根に取り付いたパーティーの中ではかなり前の方のポジションを占めることができたようでした。

長い登りの末に到達したI峰の頂上で一休み。前方にはII峰、そして剱岳の本峰、右手には八ツ峰。熊ノ岩周辺の雪の残り具合や数張りのテントも見下ろせて、来年の秋はあそこだ!と思わせるに十分な展望です。

後続パーティーが姿を見せたところで腰を上げ、II峰への鞍部へ下ってからすぐに登り返してさしたる時間もかからずにII峰の先端に着いてみると、懸垂下降の準備をしていたのは3人だけ。彼らが姿を消すのを待って、我々もそこに設置されている頑丈なチェーンにロープを掛けました。

ここからの懸垂下降が50mロープ1本で足りることは7年前に実証済み。ヒロセ氏、チオちゃん、よっこさん、私の順に下ったところで懸垂支点に10人もの後続部隊が到着したのを見て、先を急いだ甲斐があったと胸をなで下ろしました。

後は剱岳までの緩い斜面をひたすら登るだけ……なのですが、どうも先ほどからお腹の具合がよろしくありません。これは明らかに長期熟成カルパスによる食中毒の症状です。懸垂下降を終えて少し登ったところで、私は他のメンバーに先に行くように言って一人で左手に見えていたハイマツの陰に駆け込みました。なんとも際どい態勢でのキジ打ちになりましたが、とにかく間に合ってよかった。

山頂まではガラガラの砕石の斜面ですが、2007年に登ったときに比べると息も上がらずスムーズに登ることができました。さすがにシャモニーでの高度順化の効果はもうなくなっていると思いますが、それでいながら7年前と比べても脚力が落ちていないというのはうれしい発見です。

待望の剱岳山頂到着。私にとっては6回目の、他の3人にとっては初めての山頂は、素晴らしい展望で我々を迎えてくれました。眼下には先ほどまでそこにいた源次郎尾根があり、その向こうに後立山の山並みが見えています。また右に視線を振ると、槍ヶ岳・穂高岳や薬師岳から黒部五郎岳を経て笠ヶ岳まで見通すことができました。さらに北西の方角には富山湾もはっきり見えていて、なんだか不思議な感じです。

しばしの休憩の後、下山開始。カニのヨコバイも懸念したほどの渋滞にはならず、降り着いた平蔵のコルからは明日登ることになる本峰南壁A2をじっくり観察することができました。

しかし毎度思うことですが、剱岳の下りは長い。崩れやすい足元にそれなり神経を使う上に、どこまでも下りかと思えば不意打ちのように登り返しがあったりして、登頂の感激も下りの辛さの前に薄れがちです。

それでも、やっとの思いで登り着いた一服剱の上から剣山荘の屋根を見下ろしたときはほっとしました。あそこには生ビールが待っている!

期待通りに剣山荘で生ビールをいただき、さらに私は中華丼、他の3人はおでんの昼食をとった後、のんびりテントに戻って本来なら皆の剱岳初登頂を祝う宴会となるところですが、「カルパスの呪い」から逃れきっていない私は早々にシュラフにもぐり込んで意識を失ってしまいました。

◎「剱岳本峰南壁A2」へ続く。