塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

剱岳剱尾根主稜

日程:2012/07/28-29

概要:池ノ谷乗越に張ったテントをベースに八ツ峰VI峰フェース登攀から八ツ峰主稜線を縦走して帰幕した翌日、山行の主目的である剱岳剱尾根主稜を登攀。下山は剱岳本峰を越えて室堂へ。

山頂:剱岳 2999m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲コルCから屹立する岩壁。トポでは「IV・A1」となっているこの壁をリードの現場監督氏はフリーで突破(後続の私はA0)したが、技術的にはここの方が「門」よりも困難。(2012/07/28撮影)
▲剱尾根の象徴「門」。上の画像をクリックすると、剱尾根の登攀の概要が見られます。(2012/07/28撮影)
▲「門」の上から。リードの私がアブミを出したのは最初の2手だけで、後続の現場監督氏はすべてフリーで登ってきた。(2012/07/28撮影)

2012/07/28

△04:15 池ノ谷乗越 → △04:50 三ノ窓直下 → △05:45 R2取付 → △06:30 コルE → △09:00-10 コルC → △12:00-10 コルB → △14:20 剱尾根ノ頭 → △14:35-15:25 長次郎ノ頭 → △16:20 池ノ谷乗越

夜半、一瞬の突風がありテントが「ばん!」と揺れました。もしかするとこれは、長次郎谷で起きた雪崩に伴う風だったのかもしれません。よって朝、出発時にテントの中に岩を入れて飛ばされないように補強することにしました。

今日は池ノ谷ガリーをどんどん下降し、池ノ谷左俣の下部からR10(「R」は「ルンゼ」の略)を詰めて尾根上に出て、後はひたすら尾根通しを登り返すという長丁場です。二俣から長次郎ノ頭までの標高差が900mあるといいますから、R10取付からでも800mくらいはあるでしょう。そして池ノ谷ガリーの下降の悪さ、R10をすんなり見つけられるかどうか、「門」と呼ばれる岩峰の登攀の難しさ(トポでは人工登攀を交えるということが書かれています)など不安要素はてんこ盛り。このため現場監督氏はワンプッシュは無理と思っていたようですが、私の方は「なんとかなるんじゃない?」と根拠レスの甘い見通しを持っていました。

午前4時すぎに出発。まだ薄暗い池ノ谷ガリーを下ると出だしに残雪がありましたが、すぐに雪は消えてガラガラの悪いルンゼ下降になりました。このルートはいわゆる北方稜線ルートの一部で、その岩の脆さは前から噂に聞いていましたが、確かにこれはひどい。昨年の滝谷の下降よりも悪く感じたほどです。

肝を冷やしながらの30分ほどの下降で三ノ窓の下を通過し、さらに30分で雪渓の上端に到着。ここでアイゼンを装着し雪渓の上に乗りましたが、傾斜は比較的緩やかで真っすぐ下ることが可能です。雪渓に乗って数分で左上から支流が合わさってきましたが、この支沢を登り返して右にあるルンゼ(R2)を詰めたところが剱尾根の上半部と下半部を分かつコルBで、もし下半部だけで時間切れになったときはR2からここへ下りてきて池ノ谷ガリーを登り返すことになるので、この辺りの地形を頭に入れました(が、結局そういうことにはなりませんでした)。

左壁を見上げながら下り続けると、下の方に雪渓の傾斜が平坦になるところが見えるあたりで、左岸の岩壁を断ち割って切れ上がるはっきりしたルンゼと出合いました。目を凝らせば稜線上のコルも見えており、どうやらここから上がってしまえば良さそうです。それでも現場監督氏は念には念を入れて、ちょうど下から池ノ谷を詰め上がってきていた3人パーティーのところまで下っていって情報収集をしてくれましたが、やはりここがR10だと下から叫んでくれました。うまい具合にシュルントも空いておらず、しっかりしたスノーブリッジを渡ってR10取付に乗り移り、アイゼンを外して水を補給している間に現場監督氏も上がってきて、とにかく急いで稜線まで上がるようにと強い口調での指示。下から上がってきたパーティーも劔尾根を目指しているので、可能な限り先行したかったようです。このため現場監督氏はアイゼンを履いたままR10内に残った雪の上を登っていきましたが、残雪の左側が登路としてずっと上まで続いており、あえて雪に乗らなくても大丈夫。最後は脆い斜面に足をとられながら木登りの要領で稜線に到達すると、そこが2人も立てばいっぱいの狭い鞍部であるコルEです。

剱尾根の縦走はこのコルEから始まり、出だしの細いリッジからすぐにハイマツや草付・灌木の急登に変わります。踏み跡は比較的明瞭で進路に迷うことはなく、技術的にも問題にはならないのですが、ところによっては覆い被さるハイマツや木の枝を腕力頼みにかき分けつかまりながらの登りとなり、少々気が滅入ってきます。そうした登りを30分ほども続けたところで前方に20mほどの岩壁が現れ、先行していた現場監督氏はそのままフリーソロで登っていきましたが、途中ところどころで逡巡している様子。こんなところにこんな壁があるなんて聞いてないよ(ヒロケンさんのトポにはこの壁についての言及なし)と思いましたが、上に抜けた現場監督氏からロープを投げてもらって私も後続したところでは部分的にIV級はありそうです。そしてこの岩壁を越えて少し登ったピークがおそらくIII峰で、ここから前方に剱尾根のシンボルである巨大な岩峰「門」が見えてきました。まるでバットマンの頭部のように2本のツノを生やした「門」は、ガスの中にその姿を見え隠れさせていて神秘的な雰囲気を漂わせています。

ここで小休止して行動食を口にしてから「門」に向かって右手へ回るように小さく下ると、左からR8が上がってきてコルDになります。ところがこの辺りでは先ほどの岩壁のこともあって私も現場監督氏もいまひとつ現在地を同定することができておらず、ここから登るリッジ〜フェースがコルCからの岩壁なのかも?そうするとアブミを使うことになるのか?などと訝しみながらロープを出すことになりました。しかし実際には、リッジの上はホールドが少々細かくはあるもののフリクションの利くフェースの登りに過ぎず、残置ピンもほとんどないままに上に抜けられました。そこからハイマツと岩の痩せたリッジを進み、小さなピーク(II峰)を過ぎて圧倒的な岩壁の手前のギャップであるコルCに降り立ちました。見ると細く切れ落ちたコルCを右俣側に少し下ったところにはテントを張れそうな小平地があり、実際にそこにテントを張った記録もあるのですが、水はとれないのでここでの野営を夏の計画に組み込むのは難しそうです。

トポによれば、この岩壁は出だしIV級から右へアブミトラバースして、さらに右壁をA0混じりで直上することになっていますが、目の前の岩壁は一見するとどこをどう登るのかという感じ。しかし目を凝らして見ると残置ピンや残置スリングが見えてきて、どうやら登りながらでもラインの見当がつきそうです。ここで登山靴をクライミングシューズ(私は歩き重視のマムート「ベルベット」)に履き替え、ロープを結び直して登攀開始。「門」の方をリードしたい私は言葉巧みに(?)このピッチのリードを現場監督氏に譲りましたが、イヤな顔一つせずリードを引き受けてくれた現場監督氏は5mほど登ってから「あそこにガバがあるのか」などと独り言を言いながら右を窺って、そのままアブミを出すことなくやおらトラバースを開始。部分的にシビアなところもあったようですが、そのままフリーで抜けてロープを40mほど伸ばしたところで安定したレッジに立ち、ガッツポーズを見せてくれました。

コールが掛かって私も後続。出だしは問題なく、そこから右へのトラバースは要所にガバホールドがあるもののバランスが悪いところもあり、ためらうことなく残置スリングを使ったA0で速度を稼ぎました。右手に回った後の長い垂壁もしっかりIV+程度はあり、重荷の場合は侮れません。現場監督氏もこちらの垂壁の方がロープが重くて往生したと言っていましたが、ルートが屈曲している関係でこれは致し方ありません。今回の我々は幕営装備を持たない軽装だったのでフリーないしA0で済ませましたが、もし池ノ谷を下から詰めて全装備を背負った状態でここを登ろうとしたら、確かにアブミに頼りたくなりそうです。

ともあれ、この岩壁を切り抜けると「門」がぐっと近づいてきます。そのままコンテで進み、R6のコルから左折して「門」の麓に続く踏み跡を辿るようにして突き当たりの岩壁まで達しましたが、逆光で「門」がずっと見えにくい状態が続いたことと、よく見られる状態になったときには既に近づき過ぎていて全体像を把握できないほど「門」が大きく覆い被さってきていたことから、「門」の形状に関して私の中に誤認が生じていました。つまり、トポの図解や遠くから逆光の中のシルエットとして見えていた「門」の姿を下の図の左側のシンプルなものだと思っていたのですが、実際の「門」は図の右側の複合的な形状をしており、「門」の麓を通るトラバース道は我々が登ろうとしていた登攀ラインの前を通過して奥壁のより困難なラインにつながっていたのでした。

そのまま脆い奥壁を10mほど登ったところで右上を見上げると、上の図の右側の二つの面が交わるところに向かって逆層の斜面が広がっており、そちらに残置スリングも見えてはいるもののいかにも困難そう(=『日本登山体系』やヒロケンさんのトポに書かれた三つ目のルート)。改めて見回してみると、いま自分がセルフビレイをとっている残置ピンにはカラビナが残されており残置スリングなども近くにあって、先人がここから退却したのであろうことがありありと見てとれます。後続の現場監督氏にもここまで上がってもらっていましたが、いったん下のトラバースバンドまで懸垂下降で戻ることに意見が一致し、残置ピン1本・残置カラビナ1枚に命運を託してロープをセットし下りました。幸い先人はしっかりした仕事をしてくれていたらしく、ハーケンは抜けることもなく我々をバンドまで送り届けてくれましたが、私のトポの読み込み不足によって思わぬタイムロスをしてしまいました。

トラバースバンドを戻ってみると右の壁の中ほどに顕著なトンガリ状クラックがあり、先ほどはどうしてこれに気付かなかったのかと呆れながら、ここから仕切り直しで再び私のリードです。出だしを1段上がって目の前にぶら下がっているいつ切れてもおかしくなさそうなスリングにアブミを掛けてそっと体重を乗せてみました。大丈夫。続いてそのすぐ上の短いスリングにクイックドローを掛けてから次のアブミをセット。こちらもOK。ここでランナーをとってから伸び上がるとすぐ手が届くところに立派なガバがあって、安定したレッジに乗り上ることができました。ここでアブミを回収してから頭上と左手を眺めてみると、どうやら登攀ラインは左に続いているよう。すぐ先で直上するクラックが分かれ、そちらにも残置ピンは見えていましたが、左上に続く階段状のランペの方が易しそうです。途中、残置ピンに残された細引きをナイフで切り落としてクイックドローをセットしたりしながら左上を続けましたが、残りは拍子抜けするほど易しくてほぼIII級。やがて門扉の上に出ればそこには残置ピン3本が固め打ちされている岩があり、ここでピッチを切りました。このピッチも約40mです。

私の登りを見ていてアブミを出す箇所が出だしのワンポイントに過ぎないこと、その上にガバが待っていることを知った現場監督氏は、このピッチもフリーで続いてきました。ここもコルCからの岩場と同様に全装備携行ならA1になるだろうし軽装ならフリーでの突破を試みるのが妥当という印象ですが、ともあれこれで剱尾根の技術上の核心部は無事に通過したことになります。

そこから先は、緩傾斜のスラブから脆いルンゼへとランナーらしいランナーをとることもなく登って尾根上に出て、ロープを外しての歩き少々で茫洋としたピークに立ちました。ここが後から思えば剱尾根のドーム(I峰)だった模様で、遠くから見ればはっきりそれとわかるのでしょうが、縦走の途上ではドームをドームと認識することができませんでした。ともあれ、行く手に見えている剱岳本峰から八ツ峰ノ頭にかけての稜線はずいぶん遠く、かつ高く、横を見ればまだ我々のいる位置は三ノ窓と同じくらいの高さに過ぎません。

前途の残された長さを覚悟しながら下り着いた狭いギャップがコルBで、前述のとおりここは剱尾根の上半部と下半部を分ける地点です。左方向はR2から池ノ谷で、剱尾根上半部だけを登るパーティーや、逆に下半部だけで縦走を打ち切るパーティーが登り下りしているところですが、懸垂下降用の支点はコルの右側にもつけられており、しかも比較的新しそうでした。ということは、ここからR2とは反対側のαルンゼを下って池ノ谷右俣上部の岩場を登るクライマーが今でもいるということなのでしょうか?それはともかく、我々はコルBで14時を回るようだったら縦走打切りを考えようと事前に申し合わせてありましたが、時刻はまだ正午なので、これなら余裕を持って上半部を登ることができそうです。しかしこの先はしばらく険悪な雰囲気の岩稜が続いているので、ここで改めてロープを結びました。

コルBからの最初のピッチは稜線通しから途中で左に回り込むバンドを辿れば易しかったのだと思いますが、残置スリングに導かれて現場監督氏がチョイスしたラインはIV級テイストのちょっとしょっぱいフェースクライミング。続く1ピッチはどうということもなく、続いて大きな三角おむすびのような茶色の岩は左ののっぺりしたフェースをトラバース。

その先、草付の中を左上して尾根上に戻ったところでロープを畳みました。ガスが流れたり切れたりの中、前方に鋭く屹立する剱尾根ノ頭はずいぶん遠くに感じましたが、技術的には問題がなく気楽な岩とハイマツの尾根をのんびり歩いて最後のギャップであるコルAから高度を上げ続け、広い岩の斜面を適当にルートファインディングしながら登っていくと、その尾根の突端が剱尾根ノ頭でした。

剱尾根ノ頭からちょっとクライムダウンし、ついで赤茶けた脆い壁を登り詰めるとそこは待望の長次郎谷ノ頭。現場監督氏と完登の握手を交わして、ここで剱尾根主稜線の縦走は終了です。R10の取付からここまで9時間かからずに登れたのは自分としては上出来でした。あいにく振り返り見る剱尾根方面は雲が上がってきていて、我々が登った行程を見通すことができませんでしたが、近くの剱岳本峰や八ツ峰は指呼の間。ここで大休止をとって、しばらくはそうした展望を眺めながら息をつきました。

さて、ここで改めて最終日の行程を協議しました。長次郎谷を下ってハシゴ谷乗越から黒部ダムへ戻る道も当然考えられますが、クレバスの状況がどうなっているかわからないし、どうせなら本峰を踏んでから帰りたいところなので、明日はこの尾根を本峰へ歩き、そのまま室堂へ出ることにしました。そうとなれば重いギアやロープ、ピッケルはここに置いていくのが賢いやり方です。今日はもう不要となったものを私が持参していたツェルトにくるんで、長次郎谷ノ頭の一角にデポしました。

長次郎谷ノ頭から池ノ谷乗越までも、比較的よく歩かれているとは言ってもいわゆるバリエーションルート。それなりに気を使うところはありますし、最後の下降は岩が脆くて疲れた身体には少々つらいものがあり、風に飛ばされることなく我々を待ってくれていた青テントに帰着したときには心底ほっとしました。とにかく、長らく狙っていた剱尾根をワンデイ・ワンプッシュで歩き通すことができたので大満足です。これでこのテントにビールの備蓄があれば言うことなしでしたが、かといって重たいビールを担いでいたらここまで登れていなかったかも……。

▲これが、富山平野から真冬に見える剱岳。剱尾根もはっきり見えています。〔Wikipedeiaより借用〕

2012/07/29

△05:45 池ノ谷乗越 → △06:20-35 長次郎ノ頭 → △07:40-50 剱岳 → △11:20-35 別山乗越 → △13:20 室堂バスターミナル

最終日の出発はガスの中。2晩泊まった雪渓上部のシュルントは、水も近くからとれたし風からも守られていたしで快適なテントサイトでした。テントを畳んで回収するときにはやはり雪面が下がっていましたが、ともあれお世話になりました。

花を愛でたり雷鳥の親子に癒されたりしながら昨日歩いた道を逆に進み、長次郎ノ頭でデポ品を回収すると再びリュックサックがぐっと重くなりました。

その先の道も意外に侮れず、行き詰まって懸垂下降を余儀なくされる場面もありました。実はこのとき、前夜三ノ窓に泊まっていたというそれぞれ単独のクライマー及び縦走者と前後していたのですが、縦走のおじさんは巧みなルートファインディングで岩場をするするとクライムダウン。一方のクライマー3人(我々と単独)は、重荷のせいもありますがロープにすがってラペルダウン。うーん……。

そこから30分も歩けば剱岳本峰の山頂で、ここで一気に原宿並みの混雑の中に放り込まれることになりました。剱岳からの下降路はおなじみカニのヨコバイで、この辺りで渋滞に巻き込まれることを懸念していたのですが、山頂の登山者たちが晴れ待ちをしていたこともあって比較的スムーズに下界を目指すことができました。

前剱、一服剱を通り過ぎて、剣山荘には立ち寄らずにくろゆりのコルから斜面をトラバースする道を別山乗越へ向かいます。途中には雪が多く残っていましたがしっかりした踏み跡がついていて、ストックの力を借りれば不安なく歩くことができました。

別山乗越のトイレで久しぶりにお金を使い、そこから雷鳥平までは快調な下降でしたが、雷鳥平から室堂ターミナルまでの登り返しは牛の歩み。重荷と暑さとでまたしてもヘロヘロになってしまいました。もしここに富士山五合目のような「馬」のサービスがあったとしたら、その誘惑に抗しきることは難しかったでしょう。しかし幸か不幸か、室堂は登山者にも観光客にも平等に「自分の足で最後まで歩け」という態度を堅持していたのでした。

▲男2人の4日間の山旅の無聊を慰めてくれた皆さんに感謝。

旅のしめくくりは、信濃大町駅から徒歩5分のかつ丼屋「昭和軒」でビールとかつ丼です。

久しぶりの飽食に満ち足りた気持ちになりましたが、このお店の売りは卵とじではなくソースがけのかつ丼だった模様。次に来る機会があったら必ず「元祖ソースがけかつ丼」を注文しなくては。