尾白川本谷〔西坊主ノ沢出合手前まで〕

山頂  
分類 南アルプス / アルパイン
日程 2012/01/07-08
同行 かっきー / 現場監督氏 / ケイ氏 / きむっち
概要 黒戸尾根を登って五合目から黄蓮谷へ下り、岩小屋泊。翌日、黄蓮谷を下降し、二俣から尾白川本谷へ。西坊主ノ沢出合手前まで遡行して遭難者の荷物を回収してから、往路を戻りその日の内に下山。

黄蓮谷千丈ノ滝近くの岩小屋。少々天井が低いものの、快適に過ごせます。(2012/01/07撮影)

目的地までの行程。次にここに来るときは純粋に遡行を楽しみに入りたいと、心から願います。(2012/01/08撮影)

何か、虫の知らせがあったのでしょう。1月5日の昼に仕事で外出中、交差点を渡るときにふとiPhoneを手にとったところ、ぴったりのタイミングできむっちから電話がかかってきました。その内容は、彼の友人=moto.p氏が単独で甲斐駒方面の氷瀑に行ったまま帰って来ないので、私が属しているそちら系のメーリングリストで情報提供を依頼してほしいというもの。しかしほどなくして、moto.p氏の車が見つかり山域が特定できたので、情報提供依頼は不要となった旨の続報がありました。そのときはそれで終わりと思ったのですが、翌6日に状況が急展開しました。

残念ながらmoto.p氏は、尾白川本谷の支流である滑滝沢のF1で墜死しているのが長野県警のヘリによる捜索で見つかり、遺体もピックアップされたのですが、残置されているテント及びその中の遺品一式を回収してほしいという依頼が警察からあったとのこと。事故処理の手続のために必要ということらしいのですが、あいにくmoto.p氏は事故時点では山岳会に所属していなかったため、氏の仲間で回収に向かうしかありません。ところが故人の友人たちの中で、冬季ヴァリエーションルートの登攀能力を要する一泊二日の回収山行にただちに向かえる者はきむっちとかっきーの二人だけ。これだけでは明らかに戦力不足であることから、きむっちから私やケイ氏、現場監督氏に協力要請が入ったのですが、ちょうど1月7日から9日までが成人の日の三連休とあって、現場監督氏も私も冬季登攀装備をパッキング済みという状態でした。

私は故人と面識がなく、現場監督氏も別のパートナーとの沢登りの際にニアミスしたことがある程度。しかし、故人のホームページに載っている先鋭的な登攀の記録の数々は敬意をもって参考にしてきましたし、とにかく山の友人であるきむっちが我々を頼んでの要請とあれば、断る道理がありません。こうして、私、私と一緒に八ヶ岳に行く予定だったケイ氏、単独でやはり八ヶ岳の予定だった現場監督氏の3人が予定を変更して、遺品回収に協力することになりました。

2012/01/07

■06:50 竹宇駒ヶ岳神社 ■11:50-12:05 五合目 ■13:45 千丈ノ岩小屋

午前5時に故人の関係者が北杜警察署に集合し、リーダーのかっきーを中心に行動予定を確認。黒戸尾根を登って五合目から黄蓮谷側に下り、岩小屋をベースとして、あわよくばその日のうちに遺品を回収してしまい、翌日に往路を戻るというプランとされました。

故人の友人たちの見送りを受けて、かっきー・きむひろ・ケイ・現場監督・私の5人の回収隊が竹宇駒ヶ岳神社近くの駐車場から出発。神社でミッションの無事完遂を祈願してから、橋を渡って黒戸尾根に取り付きました。この尾根は昨年も1月に登っていますが、下の方はだらだらととにかく長い登りが続きます。

ところが、その最初の登りからきむっちが顕著に遅れがち。持病の喘息が出てしまったようで、それでも刃渡りまではがんばってくれたのですが、ここでまさかのリタイアとなってしまいました。きむっちから共同装備を受け取って、そこから先は4人での登高です。

五合目からはかつて小屋があった広場の奥に続く道を進んで、やがて地面を雪に覆われた樹林の中をルートファインディングしながらの下降となります。「赤テープを追いかけていけばよい」という事前の情報も空しく途中からルートを外してしまい(翌日の登り返しのときに判明したのですが、ザレた箇所をトラバースした後に左下へ下降すべきところを直進してしまったのがミスだったようです)少々際どい下降が続きましたが、かっきーのGPSの活躍で何とか千丈ノ岩小屋に到着しました。

岩小屋を形成する岩は巨大なボルダーで、外には大きな前傾壁の下にテント二張り分のスペースがありますし、岩小屋内も詰めれば7〜8名は入れそう。少々天井が低いのが気になりますが、風の当たらない岩小屋内に居を構えることにしました。ただ、岩小屋到着が予定より遅れてしまい、今から目的地へ向かうと到着前に暗くなり始めるのは必定。このためこの日の行程はここで打ち切り、翌日遺品を回収しに行ってから往路を戻って一気に下山する作戦に切り替えました。

連休最終日にお嬢さんの成人式を控えている現場監督氏は、何としても翌日の内に帰宅しなければならないため二俣まで偵察に行き、残る3人は雪集めなどの仕事を終えてから、きむっちの「厚意」でいただいたお酒を温めてちびちび。その間、何組かのパーティーが近くを通ってゆき(その内の一組はムラタさんパーティー)、一組はボルダーの外にテントを張っていました。やがて、暗くなる前に現場監督氏が戻ってきたところで夕食とし、早々に就寝しました。

2012/01/08

■07:05 千丈ノ岩小屋 ■08:00 二俣 ■10:55-11:25 西坊主ノ沢出合手前

出入口は開けっ放しだというのに岩小屋での睡眠は暖かく快適で、朝5時半までほぼ熟睡。起床後、もろもろの準備を済ませてから、行動食とスコップだけを入れたザックを背負って岩小屋を出ました。岩小屋のすぐ下は千条ノ滝で、かつて沢登りでここを遡行したときとは逆に、前日に現場監督氏がつけてくれた踏み跡を辿って黄蓮谷を下降。事前に現場監督氏が言っていたように「小一時間」で二俣に着き、ここからは右俣=尾白川本谷を遡行することになります。

二俣からすぐのところに緩やかながら存在感のある氷瀑があり、ここをかっきーはすたすたと登っていってしまいましたが、残る3人は要ロープ。現場監督氏とケイ氏は滝の右寄りのルンゼから中段まで上がり、そこからかっきーが張ってくれたフィックスロープを頼りに滝の上へ。一方、両手にPetzlのクォーク、足にはBlack Diamondのサイボーグプロと格好だけはアイスクライミング仕様の私は上から確保された状態で滝を直登しましたが、ここでもサイボーグプロの効きの良さを実感することになりました。

顕著なおむすび型の岩峰を前方右岸に眺めてから、足にこたえるゴーロ歩きが続きます。ところどころ踏み抜きに気をつけなければならないところもありましたが、部分的に出てくる美しいブルーアイスの氷床は、快適に歩くことができて癒されました。しかし、二つ目の滝をロープを出して越えてしばらく歩き、故人のテントがあると想定していた北坊主ノ沢出合を過ぎても、それらしい物は見当たらず、だんだんあせりが出てきました。そして、二つ目の滝を越えてテン場を気にしながら遡行すること約1時間、二俣からカウントすれば約3時間で、左岸を小さく巻き上がったところから前方を見た現場監督氏が、上流の大きな岩に張り付くような黄色い物体を発見!それが、目指す故人のテントでした。

テントの位置は、対岸に逆層のハングを連ねる西坊主ノ沢のわずかに手前の大岩の中段の小さなテラスで、なぜこんな所に?と思うような場所でしたが、振り返り見ると下流の方角の眺めが開けて平地までを見通すことができ、開放感は抜群です。この景色に惹かれてここを選んだのかどうか、それはもう確認するすべがないので定かではありませんし、また、故人の最期の地となった滑滝沢はここからさらに上流で、その入口を見ることもかないませんでした。ともあれ、我々は警察から依頼されていた通り、まずテントの外観、続いてテントの中の写真を丹念に撮り、それからテントの中身を全て外に出して持参したビニール袋に詰め、テント本体と共に分担して各自のザックに収容しました。故人の親友だったかっきーは、テントがあった場所に手を合わせ、持ってきた焼酎をそこに注いでから、皆でほんの少しずつ回し飲み。

■13:30 二俣 ■14:55-15:30 千丈ノ岩小屋 ■17:10-15 五合目 ■20:35 竹宇駒ヶ岳神社

後は往路を戻る「だけ」ですが、ここまでの長い道のりを思い出すと気が遠くなってきます。果たして今日中に下山できるのか?特に、岩小屋から五合目までの標高差約400mの登り返しは、ルートファインディングを伴うだけに、明るい内に登りきってしまわないとエライ目に遭いそう。

元来たゴーロを蛇行するように下り、ロープを出した二ヶ所の滝は懸垂下降。二俣から、今度は黄蓮谷を遡行して岩小屋を目指します。このあたりから、私は徐々にヘロヘロに。一方かっきーとケイ氏はぐんぐん飛ばしていきます。若いって、羨ましい……。

行きにも冷や汗をかいたトラロープの微妙なトラバースを、かっきーの指導を得ながらなんとか突破し、最後の登りを気合だけでこなして岩小屋に戻れば、先に戻っていた3人はせっせと荷物の搬出中でした。岩小屋の中を空にし、故人の荷物を再度振り分け直して、いよいよ五合目までの先の見えない登り返しが始まります。ここからなら赤テープがつながっていそうなものですが、恐らくは昨年9月の台風のせいで山が荒れていて、テープが巻き付けられた木が倒れていたり、本来踏まれた道であったであろう場所が崩れていたりで、やはりルートが判然としません。おおまかな方向だけははずさないようにして斜面の弱点を縫うように高度を上げていきましたが、やがて小休止をした場所からふと右下を見ると、登山道と言ってもいいほど明瞭な踏み跡がありました。確認すると赤テープも近くにあり、複数人の踏み跡も雪の上に残されていて、どうやらこれが正規ルートの模様。やれやれ、助かった。

ザレた斜面を越えて一段上がると、そこには我々が行きに横に進んだ踏み跡が残されていました。なるほど、ここを下ればよかったのかとは思いましたが、下降を促す目印は見当たらず、これでは経験者でなければ正規ルートを発見するのは難しいように思えます。ともあれ、水平になった道をやっとの思いで歩けば、すぐに五合目の広場に出ることができました。時刻は17時過ぎ、一番星が甲斐駒の山頂近くに輝き始めていましたが、なんとかヘッドランプを使わずにここまで上がることができてラッキーでした。

あとは一般登山道を、その拷問的な長さに耐えながらひたすら下るだけ。満月の明かりも我々を助けてくれて、さほど苦労することなく高度を下げることができます。刃渡りにさしかかったところで小休止し、ケイ氏とかっきーが下界に連絡をとっている間、私は前方に広がる夜景と、その上の煌々と輝く満月に見とれていました。

やっと下りついた竹宇駒ヶ岳神社に無事帰着のお礼をし、いろいろな意味で辛かった山行を耐え抜いた健闘を讃え合って、4人で固い握手を交わしました。駐車場に戻れば、刃渡りからの電話を受けて待ち構えていたきむっちたちが出迎えてくれました。その後、北杜警察署に移動して回収した荷物を広げ、かっきーとケイ氏が撮影した写真のデータを提供。警察の担当の方には感謝の言葉をいただきましたが、故人の遺体はまだ解凍中とのこと。諸々の手続が済んで全てがご遺族の手に渡るまでには、あと数日を要するようです。

ここで今回のミッションは終了となり、パーティーを解散しました。なお、謹んで故人の御冥福をお祈りいたします。