塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

北穂高岳滝谷クラック尾根

日程:2011/09/25

概要:B沢を下降してクラック尾根に取り付き、北穂高山頂直下まで登攀。帰幕後ただちにテントを畳み、上高地へ下山。

山頂:北穂高岳 3106m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲B沢入口。上の画像をクリックすると、滝谷クラック尾根の登攀の概要が見られます。(2011/09/25撮影)
▲旧メガネのコル。随所に崩壊の様相が見られる。(2011/09/25撮影)
▲クラックを登る先行パーティー。いろいろお世話になりました。(2011/09/25撮影)

◎「北穂高岳滝谷第四尾根」からの続き。

昨日渋滞の原因となってしまったことを反省して、この日の登攀では、

  • 残置ピンが固め打ちされているところがあれば、多少短めでもピッチを切る。
  • ピッチグレードが低く、かつ安定した確保態勢をとれる場所なら肩絡み確保も可とする。

の2点をあらかじめ申し合わせました。

実は昨日の登攀に時間がかかった原因の一つは私のロープにもあって、洗浄を繰り返しているうちに滑りが悪くなってしまったのかルベルソやATCガイドでの支点ビレイにするとロープの引き揚げにえらく腕力を使ってしまっていました。肩絡み確保を使用するという決定にはその点への対策という意味もこめられているのですが、支点で折り返してボディビレイとすればロープの流れがさほど悪くならないことは昨日確認してあったので、十分な支点構築ができるならボディビレイとすることも視野に入れました。

2011/09/25

△04:00 北穂高岳南稜幕営地 → △04:10-05:15 北穂高小屋 → △05:30 B沢入口 → △06:05-20 フィックスロープ → △06:55-07:05 1ピッチ目取付 → △11:45-55 終了点(北穂高小屋直下) → △12:10-40 北穂高岳南稜幕営地 → △13:50-55 涸沢 → △15:15-20 横尾 → △17:30 上高地

現場監督氏は明日まで休暇をとってありますが、私はこの日のうちに帰京しなければならないために、思い切り早起きして4時にテントを出ました。しかし、いかんせん早過ぎてあたりは真っ暗。小屋でトイレを使わせていただいてもまだ夜明けまで余裕があり、しばらくこっそり乾燥室で待機しました。

この時間帯からトイレに女性の行列ができているのに驚きながら外を窺い続け、やがて乾燥室の窓から見える地平線がオレンジ色に明るくなってきたのを見計らって小屋のテラスを抜け、槍ヶ岳方面への下降を開始しました。大キレットに通じる急な登山道を下りて、鎖場を降りきったところの左手に縦走路から少しだけ離れた鞍部がB沢のコル。ご丁寧に「B沢入口」とペンキで書かれた岩も置かれていましたが、入口はかなり狭くて現場監督氏が声を掛けてくれなかったら通り過ぎるところでした。

ここからのB沢の下降はやはり脆く、特に上半部はC沢の下降よりも悪いと感じました。途中ではあやうくひっかかったチョックストーンの上を懸垂下降で下る場面もあり、懸垂支点自体はしっかりしているものの空中懸垂になる際の衝撃でチョックストーンが動き出さないかと気が気ではありません。この懸垂下降のポイントで我々の先に下っている単独氏がいるのを発見しましたが、見れば昨日我々のテントの前に思い切りギア類の店を広げていた若い男性でした。

神経を使いながら下降すること30分、北穂高小屋前の案内板にも記されていたフィックスロープが見えて来ました。この下でシューズを履き替えてから先行する単独氏の後を追うように登ると、ルートはフィックスロープと金属製の足場に沿って直上した後右へトラバースしてから凹角を2m登っています。先行した現場監督氏はここで足場にした岩が動いて肝を冷やしたそうで、後続の私に対しては単独氏が親切にも貸してくれたロープを利用して上から確保してくれました。

凹角の上にはハンガーボルトでがっちり作られた懸垂支点があり、そこから大胆に斜め懸垂すると赤茶けたトラバース道に降りることができました。もともとはB沢からこのトラバース道に入れたようですが、いつの頃からか途中が崩壊してしまったためにできたのが今しがた辿ってきた迂回ルートです。健在の箇所だけ見れば一般登山道並みのこのトラバース道は残念ながらすぐ先の尾根を回り込んだところでも崩壊しているため、その手前から左上へ踏み跡に従って巻き上ると目の前にクラック尾根の取付がありました。

ここからは、我々、単独氏、それに昨日の第四尾根でも3番手につけていた男女パーティーの3組が前後しながら登ることになります。

1ピッチ目(30m / III):私のリード。白ペンキで「クラック」と書かれた取付から離陸して、ホールドの豊富な凹角を登るピッチ。特に問題なし……と書きたいところですが、まさかと思うような岩がゆらりと動いたりして意外に冷や汗をかきました。3m登ったところの残置ピンにクリップしたら、その後の自分の安全は自前のカムで守るという態度が求められます。傾斜が緩んだところのフェースに残置ピンが3本連打された安定した場所があったのでそこでピッチを切りましたが、事前の申し合わせ通りとは言えちょっと短かかったかもしれません。

ここで現場監督氏を次のピッチに送り出している間に、早くもビレイする私、単独氏、後続パーティーのリードの女性の3人が交錯することになりましたが、後続女史はハーケンには目もくれずカムでささっと支点を構築してセカンドを迎えていて、その手際の良さにすっかり感心してしまいました。私のクライミングはともすれば「ルートファインディング」ではなく「残置ピンファインディング」になってしまいがちですが、カムやナッツを駆使して状況に応じた安全確保手段を講じる能力は、とりわけここ滝谷では必須の登攀技術だと痛感しました。

2ピッチ目(40m / III+):現場監督氏のリード。出だしの2mほどの垂壁は案外難しく、ここだけならIV級以上ありそう。その上にはクラックが走ったまだら模様の垂壁が続いていて、その先のリッジの向こう側の草付斜面をトラバースしたところで現場監督氏は支点を作っていました。このピッチはトップからのコールが岩に反響してあらぬ方向からビレイヤーに届くので注意が必要です。

後続した私は現場監督氏のいる草付斜面には行かず、まだら模様の垂壁を越えたところで一旦待機して現場監督氏がリードの確保態勢に入るのを待ってから、そのままリッジを登りました。

3ピッチ目(20m / III):私のリード。リッジと言ってもゆるやかな傾斜で、そのどんづまりは短く脆いオープンブックから岩塔状になっています。私の辿ったラインから行くとオープンブックを越えて岩塔を左から回り込むように登ることになるのですが、現場監督氏がビレイした地点から撮った写真を後で見るとそちら側からフェースを直上して岩塔を右から回り込むラインもありそうな気がします。

4ピッチ目(20m / II):現場監督氏のリード。前のピッチをロープの流れを考慮して短く切っていたのでここも短距離とし、岩塔から小さくクライムダウンして脆いリッジを向かいの立派な垂壁の下まで。この辺りが「旧メガネのコル」と呼ばれるところで、名前からするとかつてはメガネ状に穴の空いたような岩場になっていたのかと思いますが、しかし今は崩壊が進行中のただの鞍部です。

5ピッチ目(35m / A0):私のリード。ルートはビレイポイントからフェースを1段上がって安定したレッジに出て、そこから正面に顕著なクラックが見えているものの左に回り込むラインもありそうな気もする、という悩ましい状況です。それでも素直に目の前のクラックに取り付いてみたのですが、最上部まではIII級程度の動きで問題なく行けるものの出口のチムニーを抜けるための良いフットホールドが見つからず、ここでハマってしまいました。クラック右のフェースに貼り付いたフレークにキャメロット#0.4をかませ、さらにチムニー内に残置されていたカラビナとスリングでもランナーをとって保険は十分と思えるものの、ああでもないこうでもないとやってみても身体が引き上げられず、いったんレッジまで屈辱のロワーダウン。しかもこのとき回収しようとしたカムがフレークの奥に逃げてしまって回収できなくなってしまいました。

この間、後続の男女パーティーをずいぶん待たせてしまったので先を譲ったのですが、リードの女性はフェースの左側を一度は覗き込んでみたもののそちらは違うと感じたらしく微妙なトラバースで戻ってきて、正面のクラックを直上しました。彼女もやはり出口で大奮闘になりましたが、足をクラックの角に押し付けるようにしてずり上がり「はあはあ……しんどい……」と喘ぎながらも見事に抜けていきました。続く男性の方はナッツキーを取り出してフレーク内のカムの回収を試みてくれました(ありがとうございます)が、日陰の寒さの中でそんな作業を続けていただくのは申し訳ないので「いいです、どうぞ進んで下さい」と声を掛けました。

男女パーティーがクラックの上へ消えたところで選手交代し、現場監督氏がリード。しかし彼も出口のチムニー内に身体を入り込ませてしまって身動きがとれなくなり、しばらく必死にもがいた末にテンション(これを見て私が内心ひそかに安堵の吐息を漏らしたのは言うまでもありません)。結局ここは残置カラビナをつかんで身体を引き上げ、左上のガバカチに手を伸ばしてからクラック内の右足スメアという泥臭い登り方で解決することになりました。

6ピッチ目(20m / IV):現場監督氏のリード。ジャンケンクラックがあるピッチです。目の前のワイドなクラックは支点も乏しく難しそうですが、先行パーティーは左に回り込んだところにあるクラックの走ったフェースを登っており、我々もこちらを後続しました。ここは楽しいピッチで、ちょっと剥がれそうではあるもののはっきりしたホールドをつかんで傾斜の立った壁を登り、かなり上の方で狭いバンドを微妙なバランスで右にトラバースして、オープンブックの割れた綴じ目にホールドを求めて上へ抜けます。

7ピッチ目(35m / III):私のリード。ジャンケンクラックを抜けた位置から1段上がったところにテラスがあり、そこから脆い凹角を登るピッチ。私がそこに着いたときには男女パーティーの男性が凹角直下でビレイしていましたが、リードの姿は凹角の上に消えていてロープの動きがぴたっと止まってしまっていました。先行ビレイ氏は呟くように「何で動かないんだよ!」と独り言。何しろこのルートは出だしからここまで(実は最後まで)ずっと日陰で、そのために身体を動かしていないと寒くて仕方ありません。先行ビレイ氏と私はぶるぶる震えながらリードの女性がロープを伸ばすのを待つことになりましたが、ややあって先行ビレイ氏は再び独り言で「何が起こってるんですかっ!」。丁寧語で怒っているところが何となく笑えますが、寒さの方は笑い事ではありません。ようやくコールが掛かって先行ビレイ氏が抜けていった後、寒さでまったく感覚のなくなった爪先をほぐすように岩にシューズを押し付けて私もロープを伸ばしました。凹角を抜けてみると先行パーティーは正面のフェースを直上するラインをとっていましたが、どうやらそこがシビアだったらしく、先行氏は親切に左に回り込むラインを教えてくれました。

8ピッチ目(15m / II):現場監督氏のリード。尾根を左に回り込んだ位置から、さらに大きく弧を描くようにして易しい草付ガレ場にロープが伸びていきましたが、その先のピッチが脆いらしく、ビレイしている間に先行女史や現場監督氏から何度か「ラクッ!」のコール。この辺りはちょうどB沢入口と同じ高さになっていて、縦走路を行く登山者がこのコールを聞いてこちらを見ている姿が見受けられました。

9ピッチ目(45m / III+):私のリード。目の前のリッジの右にすっきりしたフェースがあって、そちらがトポで言うIV級ピッチ(バンド〜フェース)だと思われますが、ここも先行パーティーに従ってリッジ左のスラブ状凹角へ。凸凹でホールドも多く楽勝と思って取り付きましたが、だんだん傾斜が立ってきてちょっとIII級ではきかない感じになりました。それでもきちんとルートを探しながら登れば無理なく上に抜けられて、最後は脆い緩斜面をロープ長いっぱいに伸ばして岩角でビレイ。

10ピッチ目(15m / II):9ピッチ目を後続で上がってきた現場監督氏に、そのまま左手のガレ場を渡ってフェースを1段上がってもらいました。この頃にはガスで視界が閉ざされてしまい、雹まで降って陰鬱な雰囲気。しかし見上げるとフェースの上の方には北穂高小屋の風向風力計が見えています。

11ピッチ目(20m / III):私のリード。またしてもアンサウンドな凹角の登り。この尾根は私にとっては「クラック尾根」ではなく「脆い凹角尾根」という感じです。もしかするとここは、ガレ場の上のテラスから左上ではなく正面を風向風力計目指して直上するのが正解だったのかもしれませんが、寒さや時間が気になるばかりの私はあまり考えることなく先行パーティーの後を追いかけるかたちとなりました。

12ピッチ目(20m / III):現場監督氏のリード。正面のクラック2本が縦に走ったフェースをカムでランナーをとりながら登ります。クラックを左から右へと渡り歩いて上へ抜けると崩れやすい岩に覆われたバンドがあり、そこから素直にバンドを左上すると北穂高小屋のすぐ下の登山道に出ました。これでクラック尾根の登攀は終了です。

北穂高小屋を経由してテントサイトに戻ってみれば、残されているテントは我々のテントと単独氏のテントの2張りだけ。そういえば単独氏を最後に見たのはジャンケンクラックの上、脆い凹角の下でしたが、どうか無事に抜けてきて下さい。

我々の方はただちに撤収を開始し、持って上がったものは全てリュックサックに詰めて下山にかかりました。しかし、正午には撤収したかったのに既に40分オーバーの状態です。このため涸沢で小休止をした他はひたすら早足とし、背中の荷物の重さに身体がぎしぎし言いそうな下降を続けて横尾に15時15分に到着しました。過去の経験からするとこの荷物の重さでも横尾から上高地まで2時間半あれば余裕なので、どうやら上高地18時発の最終バスに間に合いそうだというメドが立ってきました。もう1日ゆとりがある現場監督氏とはここでお別れ。お疲れさまでした。また来年もよろしく。そして私は上高地に向けて脇目もふらずに歩き続けました。