塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

前穂高岳北尾根四峰正面壁松高ルート(敗退)

日程:2011/08/05-07

概要:初日に奥又白池まで。翌日、松高ルートを目指してC沢のチョックストーン下まで行くも雨のため撤退。3日目に再びC沢から正面壁下の斜上凹角を登りルートを登り出すも、松高ルートを目指していたつもりが北条・新村ルートに入っていたことがわかり途中撤退し、その日のうちに下山。

山頂:---

同行:きむっち

山行寸描

▲初日、雲上の楽園・奥又白池。これで翌日以降が天気に恵まれていたら言うことなしだったのだが……。(2011/08/05撮影)
▲奥又白池上の尾根から見た四峰全景。今となってみればルートも同定できるが、初見では難しい。(2011/08/06撮影)
▲恥ずかしながらのルートミス。上の画像をクリックすると、間違って入った北条・新村ルートの「さわり」が見られます。(2011/08/07撮影)

前々から気になっていた奥又白池周辺の岩場にそろそろ手を出してみようかときむっちを誘って、木曜日の夜発の「さわやか信州号」に乗りました。計画では、金曜日に上高地から奥又白池まで上がって幕営し、土曜日は北尾根四峰正面壁の松高ルート、そして日曜日に全装備を担いで北壁〜Aフェースを登り、前穂高岳から岳沢経由で下山という予定だったのですが……。

2011/08/05

△06:25 上高地 → △07:55-08:05 徳沢 → △11:55 奥又白池

もう何度目になるか数える気にもならないほど通った上高地から徳沢への道。ワンゲルあがりのきむっちの高速ペースにはついていけないながらも、この日は池までなので焦ることもなく新村橋を渡りました。梓川右岸の自動車道から山道に入ってしばらく行ったところで男女2人組の登山者とすれ違いましたが、2人のリュックサックの雨蓋の下からロープがはみ出ているのを目敏く見つけさっそく情報収集してみると、奥又白池まで上がったものの水は枯れている、C沢の雪渓はアブナイ、天気予報もイマイチという三重苦にとっとと下山してきたのだそう。あらら、そうなんですか!それでも親切に教えてくれた2人に礼を言って登高を継続し、パノラマコースを右に分けて、正面の松高ルンゼの右の尾根につけられた鉄砲登りの道の相変わらずのきつさと暑さに負けそうになりながら昼前には1年ぶりの奥又白池に着くことができました。

まだ誰もいない奥又白池周辺のどこにテントを張ってもよさそうですが、水場近くの乾いた砂礫地が平らで快適そうなので、そこに2泊3日のベースキャンプを設営することにしました。まずはテントサイトから水平に伸びる踏み跡に従って中又白谷の方に足を運んでみましたが、やはり水は流れていません。うーん、そうなると池の水を使うことになるのか?仕方なくテントを張った後は池の水を汲んでは煮沸を繰り返し、貴重なガスをずいぶん使ってしまいました。

午後のまったりした時間、きむっちが担ぎ上げてくれたアルコールでほけらとしているうちに、単独のベテラン男性、年配の男女2人組、そしてしばらくしてヘルメットをかぶった5人組が池に到着しました。この5人組のメンバーは奥又白池周辺のことをよく知っているらしく、水汲みの姿で中又白谷を下っていくと、しばらくしてちゃんと水を確保して戻ってきました。なるほど!水場は思っていたよりもずっと下流にあったのか。勉強になりました。

5人組は池の入口近くのテントサイトにかたまっていましたが、残る3組(我々、単独、男女)は水場近くの平地に集まって、夕食どきには小さな火を囲んで仲良くあれこれの山談義になりました。明日は、単独行の男性はA沢経由で前穂高岳へ、男女2人組は五・六のコル経由で涸沢へ行くのだそうです。我々は四峰正面壁ですが、池から四峰やC沢の位置ははっきり見えるものの正面壁のどこから取り付いてどこを登るのかは判然としておらず、明日、現場でのルートファインディングに頼るしかなさそうです。

2011/08/06

△05:40 奥又白池 → △07:05 C沢入口 → △07:45-08:30 C沢CS近く → △09:05-35 C沢入口 → △10:50 奥又白池

シュラフカバーだけでもさほど寒くない夜でしたが、テントを叩く雨の音にはときどき目覚め、溜め息をつくことを繰り返しました。それでも一応3時に起床したものの、朝食をとっても雨と霧がとれる様子がなく、しばらくはテントの中でなすすべもなく待機するしかありません。

ところが、やがて外が明るくなるとともに雨も上がり、東の空がオレンジ色になる頃には頭上に青空も広がり始めました。この日は時間にゆとりがあるので、のんびりと5時40分に出発しました。

まずは池から奥又尾根に付けられた道をどんどん上に登っていき、何かの石碑を越えてすぐの位置で右に分かれる踏み跡に入りました。そこは北尾根の四峰をほぼ真横に見るような高度で、草の中を下っていくとザレた斜面をトラバースするかすかな踏み跡が続いています。

きむっちに引っ張られるようにして、岩を踏み越え、谷を渡り、やがて本谷の雪渓に着いたところでアイゼンを装着。軽量ピッケルを突きながらスプーンカットをつなぎつつ雪渓を渡って、シュルントに悩まされることもなくC沢の入口近くの斜面に達して雪渓を降りました。ところがC沢の雪渓はかなり薄くなっており、その上からC沢に入るのは一見して無理。C沢左岸の岩場をきむっちは際どく登っていきましたが、後続の私は先を行くきむっちが一歩進むたびにがらがらと音を立てて降ってくる落石にかなり怖い思いをしました。

しかも、きむっちが奮闘しているのを下で待っている間に、C沢の雪渓が「バゴン!」という音を立てて目の前で崩落しました。恐ろしい……。そんなこんなですっかり神経をすり減らした私は、安全地帯に抜けたきむっちにロープを要求。上から確保されてなんとか目の前の段々の岩を越えると、C沢のチョックストーン手前でカムで確保してくれていたきむっちと合流しました。

そこはC沢から離れて右手の尾根に上がる数mほどの浅いルンゼで、尾根上に出てみれば目の前に四峰正面壁が広がっています。そこに向かう草付の中には踏み跡も見えていて進路は明確ですが、折しもその頃からあたりはガスに包まれ、そして雨も降り出しました。どうしよう?と思案しながらとりあえず座り込んで行動食を口にしましたが、雨脚は強くなるばかりなので退却を決定し、先ほどの小ルンゼを下りました。

しかし、ここから元来た雪渓に戻るためには懸垂下降が必要です。手近の岩にハーケンを2枚打ち込みスリングをかけて支点を作ると、私→きむっちの順に懸垂下降でC沢を出たところの左手の斜面へ退却しました。懸垂下降中もいやというほど岩を落としましたが、幸い雪渓の上端がめくれたような形になっていてそこで岩が止まるので、雪渓下端の登山道(奥又白池から五・六のコルに通じる道)を通る登山者に迷惑をかける懸念はありませんでした。

雪渓を真っすぐ下って涸沢に通じる登山道を目指したところ、思った以上に下ったところに赤布や赤スリングの目印があって登山道を見つけることができ、そこから奥又白池方向へ樹林の中の急登をこなしたら後はほぼ水平の道を辿ることになりました。池に戻ってみると我々のテント以外に5人組のテントも残されていて、そういえば彼らは我々がC沢の入口に着いた頃に奥又尾根の途中にある展望台のようなところからこちらを見ていたことを思い出し、A沢経由での前穂高岳往復なのだろうと想像がつきました。この雨の中、大変でしょうに……。

結局、5人組が池に戻ってきたのは、我々がテントの中でひたすら昼寝をしながら長い午後を過ごした後、ようやく雨が上がって青空もちらりと見え始めた17時すぎでした。お疲れさまでした。

2011/08/07

△05:00 奥又白池 → △06:25 C沢入口 → △07:25 C沢CS近く → △07:55-08:25 T1 → △09:50-10:20 北条・新村ルート途中 → △10:35-11:00 T1 → △11:25-35 C沢CS近く → △11:55-12:05 C沢入口 → △13:15-40 奥又白池 → △16:05-15 徳沢 → △17:30 上高地

前日のC沢の雪の状態からこの日も松高ルートを目指すことにしていたのですが、夜半の激しい雨音に「こりゃダメだ」と思い込んで時計を見ることもなく思い切り寝込んでいたら、きむっちが突然「もうすぐ4時です!星も出ています!」と私を起こしにかかりました。星?そんなバカな!あわててマルタイラーメンの朝食をとり、雨で濡れて重くなっているロープをリュックサックに入れて出発しました。

この日は昨日とはルートを変えて、五・六のコルに向かう登山道を本谷まで進み雪渓を登ってC沢にアプローチしてみました。実際に歩いてみると、落石が雪渓上を滑り落ちてくるリスクはあるものの、歩きやすさという点では昨日の奥又尾根上部からのトラバースとは比べ物になりませんでした。

昨日と同じくC沢入口のザレた斜面に上がり、今度は最初からロープを出して2ピッチで小ルンゼに達します。さらに昨日残置したハーケンとスリングを回収してから右手の尾根上に出て、草付の中の踏み跡からルンゼを登って昨日当たりを付けておいた斜面途中の窪地までロープをつないだまま上がりました。この窪地は北条・新村ルートや甲南ルートの起点となるT1の手前10m下くらいの位置にあって、トポからすると松高ルートはここから左上するのだろうと思っていたのですが、いざその場所に立って左を見上げると苔がついたスラブの斜面はどう見ても人が登っている形跡がありません。後から冷静になって考えてみればそれなら少し戻ってみればよかったのですが、そのときは「ここじゃないなら、もう少し上か?」と反対方向に思考してしまいました。しかも、そこから偵察のために少し登ってみたきむっちから「上に広場があります」と言われたとき、その「広場」がT1だと気付かなかったのは魔が差したとしか思えませんが、結局我々は松高ルートに取り付くつもりでいながらT1に達してしまったようです。

その小広い平坦地でシューズをクライミングシューズ(私は久しぶりにマムートのベルベット)に履き替え、広場奥の岩にハーケンが連打されたところから、まずはきむっちからスタートすることになりました。そこから左上方向の高いところにスリングが下がっているのが見えていて、そのこともルート誤認の原因の一つにはなっていたのですが、そちら方向へ向かったきむっちは、トポに「II級」と書かれているこの斜面が体感III+、しかも残置なしという状況に方向転換。「広場」から真上方向に向かう凹角に入っていきました。ところがこれも意外にシビアで、きむっちは「なんだかよくわからないっす。どんどん壁が立ってくるし」と泣きそうになりながら、かなりのランナウトの末に1本だけランナーをとってロープ長30m弱のところでピッチを切りました。さっそく後続してみたところ、確かにこれは松高ルートのトポにある1ピッチ目の「草付のルンゼ状」ではなくて「快適な垂壁」です。よく見れば残置ピンもところどころにあってルートであることは間違いなさそうですが、果たしてここは……。

きむっちが達した地点からルートは少し傾斜を落として右上しており、リードを交代した私は、まるでルート自体に導かれるようにぐいぐいと高度を上げていくアルパインクライミングならではの楽しさを満喫しながら気分良く高度を上げていきましたが、とは言うもののここが松高ルートではないことは動かしようのない事実になってきました。というよりも、最初に直上し、ついで弓なりに右上へと変わるこのラインは、前日に遠望して同定した北条・新村ルートに違いありません。

2ピッチ目を終えたところで後続のきむっちを引き上げにかかりましたが、ロープを操作しながら上を眺めると、ルートの延長線上には顕著な凹角の登路が続いており、その左にはスラブが広がって、頭上はハングが見えており、そのハングの左端にまたしてもスリングが垂れ下がっていました。あちらが松高ルートであることは間違いなさそうですが、方向転換しようにもそこまでの間のスラブは突破できそうにないので振り返ってみると、すぐ下まで来ていたきむっちのさらに数m下に安定したバンドが見えています。そこから松高ルート方向へ移動することはできないか?ときむっちをロワーダウンさせ、バンドの左手を探ってもらいましたが、やはりそちらもスラブに行く手を遮られていました。霧の中、壁の上と下とでしばらくのやりとりの後、スリングとカラビナを残置して私もバンドまで降り、バンドの左端できむっちと合流しました。どうやら松高ルートへの転進は難しく、かと言ってこの北条・新村ルートは途中に人工登攀のセクションを持っており、そして我々はアブミを持参していません。ここで敗退が決定し、バンド左端の残置ピン4本にスリングをセットし懸垂下降で下ると、ほぼぴったり50mでT1に帰り着きました。

T1でシューズを登山靴に履き替えてルンゼを下る途中で、今度こそ正しい松高ルートの取付を発見しました。やはりあの「窪地」からしばらく下がったところで、T1側から見れば分岐した踏み跡と残置ピンも見えるのですが、登り方向では見逃しがちな角度にそれはありました。

昨日と同様に小ルンゼの下から懸垂下降で退却。せっかく今朝回収したハーケンは、結局また残置されることになってしまいました。次回来たときに残っていたら、回収してやるからな。

雪渓を下りきったあたりから雷雨に見舞われ、激しい降雨の中を帰幕しました。仮に正しく松高ルートに入っていたとしたら、我々は北尾根の上でこの雷にさらされていたかもしれません。結果論的にはルートミスによる敗退は吉だったのかもしれませんが、それでも悔しい敗退であることに変わりありません。収穫の少なかった3日間に落胆した我々は、奥又白池から中畠新道を急降下し、上高地までの道を飛ばせる限りの速さで飛ばしました。