塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

黒部丸山東壁緑ルート

日程:2008/07/19-21

概要:「黒部の巨人」丸山東壁の中央壁を直上する人工登攀の著名ルート「緑ルート」。三連休の初日はルートミスでアプローチ敗退、2日目は雨のため1ピッチを登りかけたところで撤退。そして待ったなしの3日目に、やっと下から大ハングの上まで抜けられた。

山頂:---

同行:現場監督氏

山行寸描

▲取付から見上げた丸山東壁。上の画像をクリックすると、丸山東壁緑ルートの登攀の概要が見られます。(2008/07/21撮影)
▲三日月ハングを越える現場監督氏。待った甲斐あって良い天気になった。(2008/07/21撮影)
▲大ハングを越える私。ボルト間隔は近く、技術的にはさほど難しくない。(2008/07/21撮影)

前々から行きたいと思っていた丸山東壁緑ルートは、人工登攀の技術を身に付けている者にはぜひ押さえておきたい一本です。2週間前のカンマンボロンで練習も積み、いよいよ金曜日の夜に現場監督氏共々新宿発のバスに乗って一路扇沢を目指しました。計画では黒部川の内蔵助谷出合付近にテントを張ってから壁に取り付き、その日は中央バンドの洞穴=通称「ホテル丸山」にビバークして、翌日大ハング登攀終了後に同ルートを下山しそのまま帰京。海の日の月曜日はあくまで予備日というつもりでいました。

2008/07/19

△07:05 黒部ダム → △08:05-35 内蔵助谷出合 → △11:50-12:10 緑ルート取付 → △12:40 内蔵助谷出合

黒部ダムのたもとの売店で朝食をとってから、いったんトンネル内に戻って登山道に向かう出口から外に出ました。急下降の道を黒部川まで下り、虹がかかって見える木橋を渡って左岸を下流へ。この道は昨年剱岳源次郎尾根を登りに行ったときにも通ったところで記憶に新しいところですが、1カ所違っていたのが丸山谷出合を埋めていた雪渓です。ここは固定ロープにすがって雪の上に降り立ち、向こう側に渡りました。

すぐに内蔵助谷出合に到着し、1段上がった看板のある小広場にテントを張ってベースキャンプとしました。実は、この快適なテントサイトが他パーティーに占有されてしまうのではないかと気が急いてここまで来たのですがそれはまったくの杞憂に終わり、この快晴なのに誰も丸山東壁を登りに来ないのか?アルパインの退潮もここまで来たか……と勝手に嘆いたのですが、そうではなかったことは後でわかります。

手早くテントを張り、ギア・食料・軽量コンロ・シュラフカバーをアタックザックに詰めて出発。ちょっとアップダウンのある登山道を進むことしばしで、左手から乾いたルンゼが落ちてきているところに出合いました。「これが1ルンゼだね」と決めつけて進路を誤ったのは、ハイ、私です。そのままガラガラのルンゼを詰めて途中から右手の踏み跡(?)を辿りましたが、すぐに薮を漕ぐようになりました。ここでおかしいと気付けばよかったのですが、なまじ1週間前の沢登りで薮漕ぎに抵抗感がなくなっているものだから気にせずぐんぐん奥へと進んでしまいました。そのうち岩に突き当たって、ロープをつけて1ピッチ登ってはみたもののその先はさらにしょっぱい岩場です。さすがにこれはおかしいと現場監督氏に退却を告げましたが、思い込みとは恐ろしいもの。さっきのルンゼが1ルンゼではないとは露ほども思わず「途中から右に入ったのがいけなかったんだ」と勘違いして、改めてルンゼを詰め上がりました。幸い岩は堅く危険はありませんが、途中III+くらいの涸滝もノーロープで越えながら高度を上げて、いくら何でもこれは上がり過ぎだと気が付いたときには往路を退却することはできなくなっていました。うーん、これはハマったかも?

仕方なくロープを出して右手の尾根にトラバースし、コンテ混じりで樹林の急斜面を下降。最後は懸垂下降にちょっと冷や汗のクライムダウンを交えて安定したところに下り着いたらそこが本当の1ルンゼで、そこからは右奥にしっかりと丸山東壁が見えていました。骨折り損のくたびれ儲けとはまさにこのこと。とんだタイムロスですっかり意気消沈してしまいましたが、それでも取付は確認しておかねばと雪の残るルンゼを詰め、途中から右手の小尾根につけられた道を登って東壁沿いを奥へ進むと小広く平らになったスペースがあって、そこの壁は浅い凹角状になっておりリングボルトも2本打たれていました。明らかにここが緑ルートの取付です。

時刻は正午前。本当なら10時頃には離陸しているはずだったのに……。それでも諦めきれない私は現場監督氏に「今から取り付いて、15時までに三日月ハングを越えられたらそのまま上まで。越えられなかったら懸垂で降りて、というのはどう?」と提案してみました。しかし、かんかん照りの壁は猛烈な暑さでとても登攀の雰囲気ではありません(道理で他にクライマーの姿を見なかったわけだ)し、もし三日月ハングを越えられずにいったん下りることになったらその分の消耗が問題。それにあわてなくても明日も予報は晴れとなっているからここは仕切り直した方がいいだろう、といったことを瞬時に判断した現場監督氏の意見にしたがって、結局今日のところは退散することにしました。

ギアをデポしてルンゼを下り、そこから明瞭な道をテントサイトまで。残された時間は河原に下りて冷たい沢の水に足を浸したり、目深に帽子をかぶって昼寝をしたり、枯れ枝を集めてきて焚火をしたり。要するに沢遊びモードになって午後一杯をまったりと過ごしました。

2008/07/20

△04:10 内蔵助谷出合 → △04:45-06:30 緑ルート取付 → △07:15 内蔵助谷出合

午前3時起床。さっさと食事・お勤めを済ませ、まだ暗い中ヘッドランプの明かりを頼りに内蔵助谷の道を進みます。今度は間違えることなく1ルンゼに達し、ぼんやりと黒いシルエットを見せる丸山東壁を目指して高度を上げました。昨日確認した緑ルートの取付に到着したときには十分明るくなっていましたが、案に相違して天気の方はなんとも冴えず今にも泣き出しそうな空模様。話が違う……とは思いましたが仕方ない、とにかく岩に取り付いてみよう。正面の凹角周辺は濡れて嫌な感じで、しかも最初のボルトまで10mほどもランナウトします。そこで現場監督氏はずいぶん右手の方に打たれたリングボルトからアブミでスタートし、3手上がったところから左へ微妙なフリクションでトラバースして正規ラインに戻りました。そこからもフリー混じりにはなるもののボルトのラインは見えてくるようで、右上するように弧を描いてロープを40m伸ばしブッシュの中のビレイポイントに到達しました。しかしこの頃にははっきりと雨模様になってきており、壁全面がみるみる濡れて黒光りしてきてしまいます。こりゃダメだ。せっかく上がってくれた現場監督氏には申し訳ありませんが、今日のところは撤収としました。

懸垂下降で戻ってきた現場監督氏も残念そうでしたが、諦めてギアを再びデポ。テントに戻ったのは午前7時すぎで、そこから2人とも日頃の睡眠不足を解消しようとここぞとばかりに眠りまくりました。昼食に現場監督氏持参のドーナツを二つずつ食べ、また数時間寝てから夕食はそれぞれラーメン。実は私の方は2日で登りきるつもりで食料を切り詰めていたので、この晩はラーメン半分で我慢することになりました。それでも一日中寝ていたせいでそれほどひもじい思いはしませんが、とにかく明日は晴れてくれなくては。

2008/07/21

△03:50 内蔵助谷出合 → △04:35-55 緑ルート取付 → △09:20-10:00 中央バンド → △11:10-55 大ハング上終了点 → △13:10-20 緑ルート取付 → △13:55-14:20 内蔵助谷出合 → △16:05 黒部ダム

目を覚ましてテントの外に頭を出し空を見上げた現場監督氏が「星が出ている☆」。どうやら今日こそはなんとかなりそうだと喜び合い、すぐに支度をして昨日と同じ道を進みました。3度目の取付に到達してデポしてあったギアを装着し、再び現場監督氏のリードで壁に取り付きます。どうしても今日中に帰京しなければならない我々は正午には下降を開始することを申し合わせてあり、与えられた時間は7時間半。トポの標準タイムは4〜8時間ですから、なんとかなるでしょう。

1ピッチ目(40m / IV,A1):現場監督氏のリード。出だしの凹角はやはり濡れていて嫌な感じですが、左手の泥混じりのランペ状から取り付けばある程度無理なく最初のピンまで届きます。現場監督氏はそのまま順調にロープを伸ばして昨日と同じブッシュの支点にセルフビレイをとったものの、そこから上を見てもボルトラインが見当たらない様子でしたが、しばし偵察の後に私に後続するようにとコールを掛けてきました。セカンドの私にとっても出だしのびしょ濡れ凹角を草もつかんで登る最初の10mはかなり不安な思いをし、そこから時間短縮のために間隔の遠いところはチョンボ棒も駆使して高さを稼いでいくと、途中で現場監督氏から「左に行くように」との指示が飛びました。見れば壁の途中から左上するラインが派生(というよりこちらが本線)しており、その先に安定したテラスとしっかりしたビレイポイントが見えています。喜び勇んでコースを変更し、そちらのテラスに乗り上がりました。

2ピッチ目(30m / A1):私のリード。ピンクの花も咲く草付混じりのフェースを、アブミの架け替えで登りました。途中ちょっとしたフリーが混じる箇所や腐りきった残置スリングでバランスをとる場面もありましたが、特に問題なく次のビレイポイントに到着すると、こちらも安定したテラスになっていました。

後続の現場監督氏は出だしこそ微妙なトラバースに慎重になっていましたが、正規ラインに入ってからは凄い勢いで登ってきました。ちなみに現場監督氏のアブミはグリップフィフィ仕様で、ノーマルな私のアブミのようにカラビナ操作がいらず極めて効率的です。

3ピッチ目(40m / A1):現場監督氏のリード。トポによればここから頭上の三日月ハングまで30m、そこでピッチを切ってハング越えが20m。現場監督氏にもその旨を伝えましたが、実際に登ってみるとハング下まで行ってもロープは十分残っており、現場監督氏にそのままハングの上まで行ってもらうことにしました。鮮やかなアブミ捌きでハングを乗り越した現場監督氏からビレイ解除の声が掛かり、引き続いて私が後続。テラスの右手のフェースを易しいフリーで数手上がってから、連打されたボルトを辿ってハングの下まで達してみると、ハングのせり出しはせいぜい1mでボルトの間隔もずいぶん短く、いともあっさりとハングの上に抜けることができました。ハングのすぐ上にビレイポイントがありますが、事前の情報でさらにその上10mの位置により安定したビレイポイントがあると知っていたので、現場監督氏はそこまで上がって私を待っていました。

4ピッチ目(30m / A1):私のリード。きれいなフェースに等間隔で打たれたボルトを辿るライン。ところどころ最上段に乗ることになりますが、傾斜が寝てきているので問題はありません。ただし、あまり律儀にランナーをとっていくとギアが足りなくなるので2本飛ばしては一つランナーをとるという間隔でクイックドローを使いましたが、それでもぎりぎり。またこの頃から青空が広がり、初日の暑さがぶり返してきました。ビレイポイントは狭いレッジですが、支点は安定していました。

5ピッチ目(50m / A1・II):現場監督氏のリード。数m直上してから右へトラバースし、回り込んだところで現場監督氏の姿は消え、後はロープが伸びていくばかり。背後にはイワツバメの群れがぐるぐると円を描くように飛び回り、その中で好奇心旺盛なものがときたまビレイ中の私の近くまで偵察にやってきます。その風を切る羽音とはるか下の沢の音を除けば、誰もいない岩壁は実に静かです。そのうちロープの残りが少なくなってきて「あと10!」「あと5!」と上に向かって声を掛けましたが、ロープはおかまいなしに出ていってしまいます。結局ぎりぎりのところでロープの動きが止まり、ややあって「ビレイ解除!」のコール。続くセカンドの私は、現場監督氏の姿が消えたあたりは微妙に際どいフリーで右へ渡り、すぐに出てくる小ハングを残置ピンを探しながら越えると、後は草付の緩い傾斜になって安定したバンドの奥壁まで導かれました。

この時点で9時20分。結局、トポで7ピッチあるところを5ピッチで済ませたことになるわけで、おかげで時間にはまだゆとりがあり、大ハング越えにチャレンジできそうです。

当初泊まる予定だったホテル丸山は、ビレイポイントの右側の夏草が野放図に茂った奥にあって、あまり快適な感じではありませんでした。我々が向かうのは反対側で、やはり草ぼうぼうで外傾した中央バンドをロープを結んだまま左奥へ進み、どんづまりの凹角が緑ルートの上部ピッチとなります。その手前にも壁にスリングが下がっているところがありましたが、これはダイレクトルートでしょうか。ともあれ、ここからハングの上までは2ピッチに分けることにしてあり、まずは現場監督氏が発進しました。

6ピッチ目(25m / A1):現場監督氏のリード。途中、彼にしては妙に時間がかかっているなと思ったら上から「(確保)よろしくーっ!」という声が降ってきてシビアなフリーに挑んでいるらしい様子が伝わってきましたが、やがてビレイ解除の声が掛かってこちらも離陸しました。出だしの1手はハングになっていて、左手で身体を支えながら右手を伸ばせば届く位置にハーケンが打たれていますが、深打ちのせいかカラビナがうまく通せません。しかしこんなこともあろうかと持参していた5mmスリングを通し、そこにアブミをかけてぶら下がれば、後は適度な間隔で残置ピンが続いています。途中で現場監督氏がフリーをかました場所も安定した後続の目で見ればちゃんとボルトがあり、フリーを交えることなく現場監督氏がハンギングビレイしている場所に到達しました。ここから見る大ハングは確かにどっかぶりですが、左上するラインは明瞭です。

7ピッチ目(25m / A2):私のリード。ビレイポイントにぶら下がっている現場監督氏をまたぐようにしてスタートし、極力リストループに体重を預けて腕力の消耗を防ぎながら登りましたが、ピンの間隔は案外近く、アブミの2段目を巻き込んで伸び上がればたいてい次のピンに届いてしまいます。広沢寺弁天岩の大ハングで最上段巻込みの連続に慣れた身であれば、ここは易しい……のですが、何しろここに登るまでにそこそこ疲れてきており、しかもとにかく気温が高く、体力を消耗してしまいます。ふうふう言いながら手数をつなぎ、途中アジャスタブルデイジーでのレストも交えながらなんとかハングを越え、垂壁に入りました。

そこからは容易なフェースの人工登攀ですが、1カ所体重をかけたときに「ビシッ!」という音とともにリングボルトがお辞儀をしたのにはびびりました。それでも左上を続け、どうにかオープンブック状のビレイポイントに到達してセルフビレイをとったときには、ほっと安堵の息を漏らしました。ビレイポイントには古いスリングがこんがらがるように何本も巻き付けられていて、中央バンドの下のきれいに整備されたビレイポイントとは趣きがずいぶん違いますが、ともあれリングボルト3本から自前のスリングの流動分散で支点を作り、現場監督氏をビレイ。後から登ってきた現場監督氏の身体がハングの先端から空中に乗り出したときの眼下の素晴らしい高度感には、思わずじんときてしまいました。

正規ルートはこの後さらに2ピッチ続いていますが、多くの記録に「木登り混じりですっきりしない」といった趣旨のネガティヴな評価が記されていますし、時間的にもそろそろいっぱいなので、ここで登攀終了としました。

現場監督氏のカラビナを一つ残置してもらっての最初の懸垂下降は、50mロープ2本をつなげば余裕で中央バンドまで届きますが、完全に空中懸垂となるのでくるくる回ってなんだか心許ない感じ。それに、大ハングに取り付く前に中央バンドにリュックサックをデポしてきたのですが、その中にグラブを忘れてきていたためロープを操作する手のひらが熱くなってちょっとつらい思いをしました。

それでも無事に中央バンドに着陸し、右に移動してリュックサックを回収。今度はグラブもちゃんとはめ、登りのときの5ピッチ目のビレイポイントから4ピッチ目のビレイポイント→三日月ハングのすぐ上→2ピッチ目のビレイポイント→1ピッチ目のビレイポイントとスピーディーにつないで、最後の懸垂下降を終えるとどんぴしゃで取付に下り着きました。

BCに戻ってガチャ分けを行い、テントを畳んで登山道を黒部ダムに向かいます。途中の小滝の冷たい水で喉を潤し、ついでに頭も洗ってさっぱりしてからさらに進むと、行きにはスノーブリッジを渡れた丸山谷出合の雪渓が崩壊していて通行不能。ここは丸山谷を少し上流に回り込めば渡れたはず、と慌てず騒がずルートを探して無事にクリアし、黒部ダムの足元から最後の厳しい登りをこなして、へろへろになりながら黒部ダムのトロリーバス駅に帰着しました。

これでまた一つ、懸案が片付きました。おつきあいいただいた現場監督さん、ありがとうございました。「緑」が終われば、やっぱり次は「赤」ですかね?

◎その「赤」に登れたのは12年後のことでした。