塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

槍ヶ岳北鎌尾根

日程:2005/04/29-05/01

概要:上高地から東鎌尾根(ニセ乗越)を越えて北鎌沢出合へ下り、幕営。北鎌沢右俣を上がって北鎌のコルから北鎌尾根を縦走してP15でふたたび幕営。槍ヶ岳登頂後に槍沢から上高地へ下山する周遊コース。

山頂:槍ヶ岳 3180m

同行:現場監督氏 / ひろた氏 / Niizawa氏

山行寸描

▲北鎌沢出合、立派な雪の回廊が稜線まで駆け上がっているよう。上の画像をクリックすると、4月29日の行程の模様が見られます。(2005/04/29撮影)
▲独標からの槍ヶ岳、4年前の縦走時には見ることができなかった展望に感激。上の画像をクリックすると、4月30日の縦走の模様が見られます。(2005/04/30撮影)
▲槍ヶ岳山頂からの独標はこうして見ると指呼の間だが、我々には厳しいアルバイトだった。上の画像をクリックすると、5月1日の登頂の模様が見られます。(2005/05/01撮影)

ゴールデンウィークの北鎌尾根を登ろうというプランは、一昨年からの懸案になっていました。NHKの人気番組をもじって「プロジェクトK」と名付けられたこの計画はメンバーの都合や曜日の並びなどから2シーズン延期されていたのですが、今年ようやく諸条件が揃って決行の運びとなりました。ここに結集することになったのは白馬岳主稜鹿島槍ヶ岳東尾根でそれぞれに呼吸を合わせたメンバーでしたが、残念ながらSakurai氏は仕事の都合で参加できず、現場監督氏・ひろた氏・Niizawa氏・私の4人。ただし参加者もいまいち日程の自由度が高くなく、湯俣からの完全トレースは諦めてスピーディーに行動できる上半部のみの縦走とし、上高地から入って水俣乗越を越え、北鎌沢を詰めて稜線に出るプランとしました。宿泊予定地は北鎌沢出合と北鎌平です。

春の北鎌は体力勝負。極力軽量化を図ってテントも含めて乾燥重量15kgとしましたが、なにしろ私以外の3人は名だたる健脚、足から先に産まれてきたような人たちばかりなので、果たしてついていけるかどうか一抹の不安を抱えながら、金曜日の深夜に待ち合わせ場所の調布駅でNiizawa氏・現場監督氏と合流しました。

2005/04/29

△06:25 上高地 → △09:00-25 横尾 → △10:55-11:25 槍沢ロッヂ → △12:30-45 大曲 → △13:55-14:10 ニセ乗越 → △15:20 北鎌沢出合

沢渡でひろた氏とも合流し、タクシーで上高地へ。ここから先は皆にとって通い慣れた道で、休憩コミで2時間半程で横尾に着いてしまいました。雪は徳沢と横尾の間くらいから出始めて、さらに進んだ槍沢ロッヂ周辺は完全に残雪の山の様相。ここで上下ヤッケにスパッツの出立ちとなりました。天気はあいにくの下り坂で、それでもここまでは時折ぱらぱらと降られる程度でしたが、大曲から右手の沢筋に入ってぐんぐん高度を上げる頃からしっかりした雹に降られるようになってきました。以前、鋸岳から甲斐駒ヶ岳へ縦走したときに雷につかまって怖い思いをしたことがあり、そのときの様子と似ていたために内心びくびくものでしたが、どうやら雷鳴が轟くことはなく、水俣乗越に登り着くことができた……と思ったのですが、2日目に北鎌尾根の稜線から見たところ、我々が辿り着いたこの鞍部よりもひと山越えた槍ヶ岳寄りに最低鞍部があったので、どうやらここは「ニセ乗越」と呼ばれる鞍部だったようです。

ニセ乗越から前方には大きな沢筋が下っており、雪の急斜面をがんがん下って北鎌沢を目指す……と言いたいところでしたが、春の軟雪にたびたび足をとられ、傾斜はすぐに緩くなってしまったのでシリセードも使えず、ここは粘り強く「忍」の一字で歩みを進めるしかありません。やがて左手を下る本流らしい大きな沢に右から合流するあたりで、後ろからやってきた単独行の男性に追いつかれました。聞いてみるとP2の取付まで下降してそこから縦走する予定でいるのだそうですが、この軟雪と天気に既にやる気の半分を失っているような表情でした。

この調子では北鎌沢出合までどれくらい時間がかかるのだろうか……と気が重くなっていたことが、判断を誤らせました。左岸に顕著に押し出してくる沢の出合に達しましたが、ニセ乗越からまだ1時間ほどしかたっていないし、北鎌沢にしては見た目にもずいぶん立派過ぎるように思えます。これは独標から流れ下っている沢のどれかだろうと決めつけて先に進みかけましたが、現場監督氏が近くで小さなケルンを発見。してみるとこれが北鎌沢なのか?念のためもう少し下って右岸に貧乏沢が入ってくるかどうかを確認しましたが、どうやらそれらしい白い沢筋の存在や、その先で両岸が迫ってくる地形から、先ほどのが北鎌沢らしいと判定しました。夏には樹木が繁茂して涸れ沢の右俣がみすぼらしい北鎌沢も、この時期は白い雪の回廊が真っすぐ稜線へ突き上げる立派な姿をしていたのでした。

きびすを返して北鎌沢出合の近くに戻り、左岸のわずかに木に囲まれた平地に2張りのテントを設営しました。天候ははっきり雨に変わっており、それに風も強くなってきました。現場監督氏のテントにひろた氏、私のテントにNiizawa氏を収容して、何はともあれ今日の労働をねぎらうアルコールタイム。お互いのテントを向かい合わせにして乾杯の声を合わせました。

シュラフに入る前に濡れた衣類をできるだけ乾かしたくて食後もガスをつけて手袋や靴下をあぶっていると、外の風の動きがテントの中に波動となって伝わるのか身体や衣類から上がる湯気が左右に揺れるのが不思議です。しかし、そうこうしているうちにうとうとしてしまい、右手の小指に派手なやけどをこしらえてしまいました。こりゃいかんと見切りをつけ、まだ乾ききっていないヤッケや靴下のまま三季用シュラフにもぐりこんで、すぐに眠りにつきました。

2005/04/30

△05:25 北鎌沢出合 → △07:35-50 北鎌のコル → △09:30 天狗の腰掛 → △12:35-13:15 独標 → △17:30 P15

夜半には相当風雨に叩かれましたが、朝になってみれば快晴で、まるで台風一過です。十分明るくなった5時すぎにテントを畳み出発、いきなり出だしから北鎌沢の急登です。無雪期には岩がごろごろしている沢筋もこの時期は完全に雪壁の登りに終始し、アイゼンで重い足をひたすら上げ続けるしかありません。息が上がるというのではなく太腿が上がらなくなるタイプの登りを続けているうちに、恐れていた通り、ひろた・Niizawaの超健脚コンビはどんどん先に登っていってしまい、現場監督氏も遅れがちな私を気遣いながら先行2人と私との中間にポジションをとって登り続けています。

えっちらおっちら登高を続け、ようやくのことで北鎌のコルに登り着くとコルはすっかり雪稜状態で幕営の跡もなく、行く手にはどうやら単独らしい踏み跡が1条のみ。このゴールデンウィークにこの山域に入っている登山者が少ないことが窺えます。北鎌のコルから天狗の腰掛(P9)までの急登でも軟雪に苦しめられ、変わりばんこにトップをつとめてステップを切っていきましたが、ほとんどラッセルに近い状態のところもあってここでも体力と時間を消耗しました。しかし、それでも確実に高度を獲得し、振り返るごとに北鎌のコルや尾根の下部のピークがどんどん遠くなっていくのを見ると単純にうれしくなってきます。そして前方には独標の姿が迫ってきました。

天狗の腰掛のてっぺんから眺める独標の夏道=トラバースルートは奈落の底へと切れ落ちた急傾斜の雪壁となっていて恐ろしくとても渡ろうという気にはなれないので躊躇することなく直登を選択しましたが、さてそのルートが問題。上部の雪田に踏み跡が続いているのは見えるのでそこまでの2ピッチ分ほどを発見すればよいのですが、遠目にはいまひとつ判然としません。離れたところで悩んでいても仕方ないので先を急ぐことにし、天狗の腰掛から一つ小ピークを越えていったん急下降し、ちょっと登ってコルを目の前にする位置に達しました。すると、コルの正面のリッジを左から絡んで雪壁を登るラインが見えてきて、踏み跡もそこを登っています。後は上部の岩稜を上に辿れば雪田に届きそうです。

リッジの手前のハイマツにひろた氏がビレイをとって、現場監督氏がリードで1ピッチ目。雪壁に突き当たるところの岳樺の木にロープが設置してあり、現場監督氏はそこでランナーをとってからぐっと立った雪壁を慎重に登っていきました。やがてコールが掛かってロープがフィックスされ、Niizawa氏・私の順にプルージックで登っていきます。登ってみると雪壁の上部は垂直に近く、リードした現場監督氏の腕の確かさに舌を巻きながら自分はゴボウでぐいぐい登りました。続いて最後尾のひろた氏が登ってくる間にNiizawa氏と私がロープを結んでNiizawa氏の先行で2ピッチ目。易しい岩のリッジが上に伸びており迷いようはありません。ひろた氏もそのままつるべで2ピッチ目をリードし、3ピッチ目も一応スタカットとしたもののほとんどロープを要するグレードはなく、4ピッチ目はそれぞれコンテにして独標のピークに達しました。独標のてっぺんは前回踏み逃して悔しい思いをしていたのでこれでようやく願いがかなったことになりますが、ここからの槍ヶ岳はちょうど戦艦の艦橋を正面やや右舷寄りから見るような形をしていて、強烈な直射日光の下に明暗のくっきりした堂々たる姿を見せてくれていました。

独標の標高が2899mで、ここから北鎌平までは標高差は100mほどしかなく、稜線の起伏をあるいは直登し、あるいは雪壁のトラバースでかわしたりして進むことになります。しかし、その前に一つ問題を解決しておかなければなりません。独標のピークから槍ヶ岳に向かって下ると小さなコルに出てすぐに独標の一部と思われる隣のピークが目の前に立ちはだかるのですが、2001年の夏にこのコルに達した私はこの「隣のピーク」を越えることができず、コルからがらがらのルンゼを下ってトラバースしていました。よって、北鎌尾根縦走経験者ばかりである私以外の3人の誰かがここで正解ルートを示してくれるるはずと期待していたのですが、豈計らんや先行したNiizawa氏やひろた氏、それに現場監督氏までもこの辺りをどうやって越えたか記憶が定かではない様子……。しかし既に隣のピークの肩まで登ってしまっている我々は先ほどのコルへクライムダウンする気になれず、とは言うもののピークの向こう側を覗いたNiizawa氏はそちらを進むのに乗り気ではない様子を示しているので、見かねた現場監督氏がピークの手前から右へ回り込むラインに挑むことになりました。残置ピンとスリングにさらにハーケン1枚を打ち足して支点を作り現場監督氏が外傾したバンドを進んでみると、向こう側はしっかりしたバンドが続いていてそのままピークの反対側に達したようです。ついで私が後続しましたが、最初の一歩が微妙にバランス技となるものの、伸ばした右手の届く位置にアンダーでとれるしっかりしたホールドがあってこれさえ見つかればノープロブレム。ただし、ここを確保なしにトラバースするのはちょっと気持ちという悪い感じです。

「隣のピーク」をクリアした先はひろた氏がずんずん先行して我々が後を追う展開となりましたが、(たぶん)P12を巻くところで一瞬ひやり。ひろた氏と現場監督氏がまずは左(天上沢側)から、Niizawa氏と私は右(千丈沢側)から巻いて、その先で合流して天上沢側の雪壁の上部をトラバースしたのですが、最後尾になった私に現場監督氏が振り返って「そこ雪が崩れやすいから気をつけて」と声を掛けてくれて、こちらがわかったと返事をしてから次の一歩を踏み出した途端、足元の雪が崩れ頭を下にして滑落しかかりました。これには思わず「うわ、うわー!」と声をあげましたが、滑落停止の姿勢に入る間もなく右足が岩と雪壁の隙間にすっぽり入ってくれて何とか止まり、大事には至りませんでした。先行の3人も驚いたと思いますが、私も一瞬どうなることかと焦りました。

また(これもたぶん)P13は踏み跡が左の急斜面を横切っていて実際こちらしか行けそうにありませんが、時刻は15時すぎで雪はすっかり腐っており、先行しかけたNiizawa氏は進むたびに足元の雪が崩れて四苦八苦しています。そこで手前のハイマツでビレイをとり、私のリードでロープを伸ばしましたが、岩と雪壁との接点から思い切って離れて横に進めばこの雪壁もしっかり我々の重さを支えてくれて、なんとか無事にここを通過できました。

この後も決して小さいとは言えないアップダウンや岩の脆いぼろぼろの登りなどで時間を使い、徐々に日が傾いてきました。大槍・小槍は立派な姿を惜しげもなくさらして手招きしてくれているのですが、我々の歩みは遅々として進みません。なんとか早く今日の幕営予定地である北鎌平に着きたいのだが……と思っていたところ、先行してP15に着いたひろた氏がここでテントが張れるとコールしてきました。なるほど着いてみればP15のてっぺんはきれいな雪の広場になっていて、適度に掘り下げれば立派なテントサイトになりそうです。既に時刻は17時半。前方の北鎌平までは1時間はかかりそうだし、明日の行程を考えればここで行動を打ち切っても支障はありません。もういい加減へとへとになっていることもあって、協議の末ここを泊まり場とすることに決し、Niizawa氏持参のスコップで2張り分の地所を半地下風に掘ってテントをしつらえました。

ようやく暗くなった頃にテントにもぐり込み、乾杯・夕食となりましたが、私は疲労のせいで食欲がなく、地上から持ち上げた日本酒にもマルタイ棒ラーメンにも手が出ません。Niizawa氏にねだって一口だけビールをもらうと、後はコーヒー、パン、ソーセージで簡素な食事を済ませました。ちなみに同じテントのNiizawa氏は悔しいくらいに食欲旺盛で、重量おかまいなしのレトルトの具(脂ギトギトのチャーシュー数枚や巨大メンマ、煮玉子まるまる1個など)をラーメンにぶちこんでおいしそうに食べていました。

2005/05/01

△05:25 P15 → △06:15 北鎌平 → △07:50-08:20 槍ヶ岳 → △08:40-09:30 槍岳山荘 → △10:55-11:20 槍沢ロッヂ → △12:30-13:00 横尾 → △15:20 上高地

夜中はそれなりに気温が下がって、23時頃に一度テント内の温度を上げるためにガスに火をつけたものの、その後も1時間おきに目が覚めてしまう状態でしたが、前夜十分に寝ていたので起床はさほどつらくありませんでした。テントの外に出ると大天井岳方面の空がピンクに染まっており、やがて太陽が穏やかな光を投げかけてきました。紫外線が刺すようだった昨日とは違い、今日は空に薄く雲がかかっていて、周囲の山々も静かに目覚めを迎えつつあるように感じます。昨日はゆとりがなかったので気付かなかったのですが、見れば見るほどこのP15は素晴らしい場所で、正面に大槍を適度な距離で見通せる最後の展望台でもありますし、左(東)には常念山脈、右(西)には三俣蓮華〜双六周辺のたおやかな山稜や笠ヶ岳の美しいフォルム、後ろ(北)には独標があって、その左はるか遠くには鹿島槍ヶ岳も見えています。

さて、朝一番の仕事はP15の突端からの懸垂下降です。およそ10mほどの下降は丹念に探せばクライムダウンできるラインもあるかもしれませんが、大槍寄りの岩にスリングが2本残置されていて、どうやらここからのラペリングが手っ取り早そう。さすがに残置スリングだけでは心配だったのでテープスリング1本を足し、さらに最初に下る現場監督氏にはバックアップで上から確保して降りてもらいました。以下、ひろた氏、私、Niizawa氏の順にとっとと下降し、そしていよいよ北鎌平の取付に着きました。4年前にツェルトでビバークしたのはこの左手だなと懐かしい思いでその岩陰を眺めましたが、ここまでずっと我々を導いてくれた先行者の踏み跡はその左手の雪面をどんどん巻き上がっています。しかし、ひろた氏がいったん雪面に踏み入ってみたものの雪の状態が安定しておらず、岩稜を直登した方がよさそうということになりました。それぞれ思い思いに左右から岩稜に取り付き、大岩を大胆に乗り越して北鎌平へ進むとここはだだっ広い雪のプラトーと化していて、まるで整備された野営場のようですらありましたが、風が強ければ吹きさらしでちょっとつらいかもしれません。そして、ここでついに標高3000mに達しました。

そのままぐんぐん大槍に近づいていって、角からダイレクトに大槍に取り付きました。出だしの岩場を越えると雪の固い急斜面が続いていて、ここはロープなしで登っていきましたが、登るにつれて高度感はどんどん増していき、先頭の現場監督氏を追うNiizawa氏が前爪を雪面に蹴り込む回数の多さが斜度がもたらす緊張を物語ります。3番手の私はピオレ・パンヌでバランスを支えながらNiizawa氏が切ったステップに静かに乗り込むことを続け、ラストのひろた氏は……と振り返ると思わぬところで「マーキング」中。

頭上の岩に残された支点1カ所を見送って次の支点まで進むと、そこが「下のチムニー」の入口です。チムニーの右手の雪の斜面も行けそうでしたが、せっかくだからチムニーを抜けることにしました。ここからならスタカット2ピッチで頂上に届くはず、と計算してNiizawa氏にロープを出してもらい私のリードでチムニーに入ります。出だしは雪壁になっていてチムニー中央の出っ張った岩まではそのまま上がることができ、この左手の残置スリングにランナーをとってから露出した岩を越えてチムニーの上に抜けたところで残置ピンでもう一つランナー。そのまま雪の急斜面を登って、45mロープを数m残して次の支点の位置に到達しました。ここは「上のチムニー」の中間部に当たる場所で、垂れているスリングに見覚えがあって「上のチムニー」もほとんど雪に埋まっていることがわかりました。

我々のすぐ後に現場監督・ひろたペアも登ってくるので、残置スリングの1m上、右壁に2本ハーケンが残されているところまで上がって支点を作り、Niizawa氏を迎えるとそのままつるべで上がってもらいました。しばしの間の後、山頂に着いたNiizawa氏からコールが掛かり後続。「上のチムニー」を抜けたところからすぐ左上にあの白杭が変わらぬ姿で屹立しており、そこから右手に雪面を登って祠の横に出ました。その後に現場監督氏、そしてひろた氏も上がってきて、8時5分、全員が槍ヶ岳山頂に到着しました。

Niizawa氏が登頂したときにはギャラリーも多かったようですが、私が登ったときは残っていた2人の登山者が下山を始めるところ。ちょっと寂しい山頂でしたが、後から上がってきた山スキーヤーのおじさんが4人揃った写真を撮ってくれて、そこで改めてお互いに握手を交わしました。本当にお疲れさまでした。

穂先からの下降路を慎重に下って槍岳山荘に到着。これで完全に安全地帯に到着です。ギアを片付けてから山荘でビールや炭酸飲料で乾杯し、しばしゆったり寛いでから下山にかかりました。槍沢はシリセードを交えて快適に下り、槍沢ロッヂ、横尾、徳沢、と初日に辿った道を逆方向に下っていきましたが、もうそんなに急ぐ必要はないのに、ひろた氏が先頭に立つと全員脇目もふらず競歩みたいになってしまいました。おかげで足の裏は両方ともひりひりと痛み、帰宅してから2日たってこうして記録を書いている今でも、足先がぱんぱんに腫れ上がってしまっています。

こうして無事に「プロジェクトK」を終了することができたわけですが、今回の山行を総括してみると、春の北鎌は、一にも二にも体力。三、四がなくて、五に雪との駆け引きでしょうか。稜線上において技術的に窮地に追い込まれる場面はなかったのですが、北鎌のコルから天狗の腰掛までの急登はラッセルに近いテイストがありましたし、独標から先も雪の急斜面のトラバースで雪の状態が読み切れず、不用意に足を運んで落とし穴にはまったり、いったん渡りかけたものの行き詰まってロープを出して、といった手戻りを生じた場面がありました。また、スピードアップという意味では、ビレイヤーの足場がよくセカンドの転落の危険が少ない場面での肩がらみ確保の活用やビレイデバイスの確実かつスムーズな使用、急雪壁を登る場合のアイゼン&ピッケルワークなど、お互いに知識と経験を交換し合う必要を感じました。

ともあれ、今回は初日こそ雨に降られたものの後の2日はおおむね良好な天候の下で、いずれも力量と人柄に恵まれたメンバーとご一緒することができて実りある山行とすることができました。パーティーを組んでくれた3人には感謝の気持ちでいっぱいです。心より御礼申し上げます。