横岳西壁大同心南稜(敗退)

日程:2004/12/18

概要:美濃戸口から赤岳鉱泉に入り、ただちに大同心稜を登って南稜を登る。しかし、ドームが登れず敗退。大同心ルンゼから大同心稜に戻って、赤岳鉱泉へ帰着。

山頂:---

同行:現場監督氏

山行寸描

▲大同心を見上げる。上の画像をクリックすると、大同心南稜の登攀の概要が見られます。(2004/12/18撮影)
▲南稜取付。ホールドは豊富だが本当に信頼していいのか?という感じ。(2004/12/18撮影)
▲私のお尻とドーム。ここからリッジの右をからむようにトラバース。(2004/12/18撮影)

冬といえばここ数年は八ヶ岳。今回も当初は東面の雪稜ルートを模索していましたが、今年はいつにもまして雪が少ないとの情報に、西面の岩稜ルートに転進することにしました。パートナーにはちょうど現場監督氏ときむっちが都合がつき、行き先も大同心南稜と小同心右稜に決めて準備を進めました。出発数日前に、某メーリングリストに

小同心クラック2ピッチ目出だしから10mほどピンが抜けています。ハーケン、カムがあったほうが良いです。また大同心ドーム出だしも2本ほど抜けてランナウトします。いずれも転落事故の際に抜けたようです。

との情報が流れてきて少々慌てましたが、ここまできたら行けるところまで行くしかありません。

金曜日に茅野へ向かう列車は極端に少なくなっており、新宿21時発のあずさを逃すと次は最終の23時54分発で、茅野着が午前3時半です。それはイヤなのでがんばって早く帰宅して身繕いし、あずさに乗って茅野に着いてみると、ここに降りた登山者は現場監督氏と私の2人だけという閑散ぶりに呆れました。

2004/12/18

△07:15 美濃戸口 → △09:40-10:20 赤岳鉱泉 → △11:50 大同心南稜取付 → △13:45 大同心ドーム取付 → △15:40 大同心南稜取付 → △16:35 赤岳鉱泉

駅で一夜を過ごして始発のバスで到着した美濃戸口で、車に乗ってやってきたきむっちとも無事合流し、雪のまったくない道を赤岳鉱泉目指して歩き出しました。ところが、病み上がりのきむっちは風邪が抜けきらず苦しそうです。途中でロープをきむっちのリュックサックから現場監督氏のリュックサックに移したものの歩行のペースがなかなか上がらない様子に赤岳鉱泉に着いたところで「どうする?」ときむっちに聞いてみたところ、今日は自重しますということになり、ここから現場監督氏とのペアで大同心南稜を狙うことになりました。

赤岳鉱泉にリュックサックをデポして、アタックザックで硫黄岳方面の山道に入りました。大同心沢を渡るところから右に入り、大同心稜を詰め上がります。ここもまったくと言っていいほど雪がなく、快調に高度を上げていくうちに、森林限界で先行の3人パーティーに追いつきました。小休止にちょうどいい平地でアイゼンを履きながら行き先を聞いてみると、先方は小同心クラックへ向かうとのこと。他に先行パーティーも見当たらず、どうやら今日は南稜を独り占めにできそうです。

大同心正面壁を右に回り込んでバンドを辿り、南稜の取付に到着してルートを見上げてみると、基本的にはガバ系のホールドばかりですが、それらをどれだけ信用していいのかわからないし、残置ピンが岩に同化していてルートの判別ができません。これは……とは思いましたが、とりあえず私のリードで取り付いてみることにしました。

1ピッチ目:ハーケンは左上に見えているものの、何となく右上して大きく回り込むラインどりになってしまいました。途中ランナーは岩角で1カ所。取付の真上に戻って来たところにリングボルトが打たれており、ここでピッチを切りました。

2ピッチ目:現場監督氏のリード。ホールドは豊富ながら傾斜のきつい壁を登ります。つるっとした岩に打たれたボルトでランナーをとってさらに登っていきましたが、突然頭上から「ラク!」の声。はっと見上げると子供の頭ほどの岩が岩壁を離れて降ってくるのが見えました。あわてて身体を壁に押し付けると、岩は私の背中の後ろを落ちて行ってセーフ。確保態勢が整ったところでフォローしましたが、この立った壁をランナウトしながらリードするのは正直イヤな感じで、このピッチを現場監督氏に譲ってよかった、と胸をなでおろしました。

3ピッチ目:私のリード。現場監督氏が確保している場所からすぱっと切れた壁を右に回り込むとしっかりした支点があり、そこからちょっとしたバランスでさらに右上して安定したリッジの上に出ました。リッジに抜けたら方向を変えて左上。ここはずんずん歩けて気分がいいのですが、調子に乗ってリッジの先まで登りかけたところで、ドームに向かうラインが数m手前から右へトラバースしていることに気付き、ずりずりとクライムダウンしてトラバース点でピッチを切り直しました。

4ピッチ目:ドーム基部までのまったく易しいトラバース〜リッジ。現場監督氏リード。

5ピッチ目はいよいよドームの登攀ですが、ここはまず経験豊富な現場監督氏にリードをお願いしました。しかし、ドーム基部のリッジを左に回り込んで壁を4mほども上がってみたものの、既にかなりのランナウトで、しかもまだ上のハーケンに届かないようです。何度かトライを繰り返していましたが、ビレイしている私の方が不安を感じ、懇願して断念してもらいました。続いて私も取り付いてみたところ、出だしカンテを左に回り込むところにいくつかリングボルトと、下から2mほどのところにハンガーボルトがあり、その上の立った壁も手掛かり足掛かりがあることはあるものの、ハンガーボルトの次は1mほど上に頼りないリベットがあるだけ。そのリベットが打たれた岩の上に立ち上がると次のハーケンがやっと見えはしますが、そこまで手を届かせるのにあと2m近く上がらねばならず、落ちればダメージ必至です。しかも上に行くほどホールドが甘くなる状況で、どうしても踏み込めません。

現場監督氏はかなり悔しがっていましたが、自分も取り付いてみてその気持ちがよくわかりました。これは、ランナウトしていなければ間違いなく突っ込める程度のグレードなのです。それに、もし過去に登った経験があってホールドの状況を熟知していればランナウトを気にせず突っ込めたかもしれませんが、万一、ハーケンに手が届くまでの間に行き詰まってしまった場合には退却のすべがなくなりそう。結局、不確定要素の大きさが測れず退却ということになってしまいました。

泣く泣く敗退を決め、外傾した幅広いバンドを懸垂混じりで安定したところまで降りて、日なたぼっこをしながら軽く行動食をとりました。

そこからがらがらのルンゼを下降してもときた南稜取付に下り、そのまま大同心稜を下って赤岳鉱泉に帰着しました。

夜、赤岳鉱泉の食堂で夕食をとっていると、すぐ近くにすわったのが廣川健太郎氏でした。今年の秋に同氏と渋谷で飲んだことがあったのでお声がけしましたが、誰あろう、上記「ピンが抜けている」旨の情報をメーリングリストに流して下さっていたのが廣川氏だったので、自然と話題はその話になりました。廣川氏の話や、翌日現場監督氏がシュクラさん(今シーズンの初アイスで外にテントを張っていたそう)から仕入れた情報などを総合すると、ハーケンが抜けたのはやはり転落事故のせいで、我々が登る1週間前にシュクラさんの知り合いのクライマーが落ちたとのこと。そのクライマーは肋骨を3本折ってヘリで搬出されたものの、幸い、命には別状なかったそうです。