塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

薄根川川場谷

日程:2002/10/12-13

概要:桐の木平キャンプ場の先から川場谷に入渓し、8m滝の上で幕営。翌日も水流をひたすら詰めて、中ノ岳の武尊山寄りの地点で登山道に合流。武尊山を越え武尊神社へ下る。

山頂:武尊山 2158m

同行:---

山行寸描

▲平滑。川幅いっぱいに広がるナメが気持ち良い。(2002/10/12撮影)
▲獅子の牢。上の画像をクリックすると、川場谷の遡行の概要が見られます。(2002/10/12撮影)
▲8m滝。見た目は立派だが簡単に登れる。(2002/10/12撮影)

2002/10/12

△09:00 桐の木平キャンプ場 → △09:10-40 入渓点 → △09:50 平滑 → △10:35 獅子の牢 → △14:00 8m滝 → △15:00 幕営地点

確かに、朝4時半に目を覚ましたとき胃がむかつくような違和感がありました。しかしせっかくの連休、しかも天気予報はめったにないほどの快晴を告げているのですから、ここで日和る選択肢はないだろうと渋谷発5時33分発の銀座線で新橋に出て、東京駅始発の「あさひ」に乗り継いで高崎へ向かいました。車中で朝食をとろうと思っていましたが食欲が全く湧かないままに上越線で沼田に着いたのは7時53分で、駅前にコンビニがないのに若干動揺しつつ、幸い手近にあった喫茶店でかろうじてトーストとコーヒーの朝食をとりました。その後タクシー代に7,460円もかけて桐の木平キャンプ場に着いて、管理人のおばさんに言われるがままに入山ノートに記帳してみると、今日沢に入るのは私が1人目で、その前は1週間前のようでした。

4段になっているキャンプ場を抜けてさらに奥へと続く山道を歩いて行くと、適当なところで沢筋に接する場所があったので、そこで入渓することとしました。この辺りもなんとなくナメっぽいところがあったりして、なかなか期待させてくれます。そして歩き始めて10分くらいで滝が出てきて、これを右から巻くとすぐにきれいなナメが広がりました。これがこの沢の最初のポイントになる「平滑」で、くるぶしくらいまでの水の上をひたひたと歩き、やがて釜が現れたので右に巻きました。夏なら喜んで釜に飛び込み直進するところだが今日の気温と体調では自重した方がいいだろう……と巻いたのですが、どうやらこのとき「ウナギの寝床」と呼ばれるゴルジュも巻いてしまったようです。

それにしてもこの沢は水が本当にきれいで、透明な水流が釜に落ち込むところでは青く色を変え、そこに純白の泡が沸き立ってかえって人工の造型美のようですらあります。右岸の上の方に建物を見てしばらく進むと小滝の先にトンネル状のゴルジュが出てきて、これが「獅子の牢」。誰が名付けたのか知りませんが、なかなかうまいネーミングです。中は暗くて何かが出てきそうなムードがありますが、案外短く外に出られました。しかしその後もゴルジュは続き、小滝も次々に出てきます。

ゴルジュ帯が終わるとゴーロ帯が延々と続き、しかも2-3mの滝がこれでもかというほど現れて、だんだん嫌気がさしてきました。それになんだか胃から込み上げてくる感覚がしますし、ここにきて関節も痛くなってきました。これはもしかすると、と思って額に手をあててみると、

「……熱があるじゃん……」

風邪ひきのままで10月の沢に入ったアホな登山者の図、です。ここまで来たら引き返すのも癪(交通費も相当かかってるし、という不純な動機が大きかったことは否定しません)ですが、とりあえず日当たりのいいところで30分ほど仮眠し、むかつきが収まるのを待ってから遡行を続けました。

川場剣ヶ峰沢が右から出合う頃からやっとナメ状になってくれて、ここからは楽しい遡行となります。さらに小滝を越えていよいよ核心部の8m滝、といってもIII級程度と聞いていたので落ち着いて滝の左のラインを目で追うと、確かにホールドは豊富で問題はなさそうです。なるべく滝身から遠い乾いたホールドを使うようにして登り、途中残置ピンを2本見送って落ち口に近づいてから、水流に近いフットホールドに右足を飛ばして立ちこめば簡単に上へ抜けられました。

そのすぐ先の4mスダレ状滝は左から笹をつかんで水流沿いにワシワシと登り、ついで川筋がぐっと曲がったところの河原に焚火跡を見つけました。この時点で時刻は14時。今日は15時になったら行動を停止するつもりでいるので、ここは見送って先に進むと、流木の先に見事な連瀑が現れました。ホールドがなく直登は無理で、左から巻くのはつるつるの壁に申し訳程度に草が生えている感じの草付が嫌らしく感じられ、一方右側には小さなルンゼ状がこちらを誘っているように見えます。ふらふらとその誘いに乗って右斜面を詰め上げていきましたが、ちょっと上がり過ぎか?と思ったところで上流側の支尾根に際どくトラバースしてみると、その先は断崖でとても沢に降りられそうにありませんでした。

教訓:「ちょっと上がり過ぎ?」と思ったときは、既にその高巻きは失敗しています。

仕方なく手近のしっかりした針葉樹の幹に捨て縄をかけてラペリングでルンゼまで下り、元の沢へ戻り着きました。ここで時間切れ。先ほどの焚火跡まで戻り、テントを張ることにしました。

せっせと薪を集めていると、単独で遡行してくる登山者に出会い、言葉を交わしました。彼はガイドブック(『上信越の谷105ルート』(山と溪谷社))の写しを示して、さらに先のビバークポイントまで行くつもりだと言いました。私が先ほどの顛末を話すと「もし抜けられなければここに戻ってきます」と言って先に進みましたが、戻ってはきませんでしたからどうやらそのまま上流へ行ってしまったようです。こちらは焚火を熾してズボンと渓流ソックスを乾かし、テントの中でラーメンの夕食をとり、18時頃には寝入ってしまいました。

2002/10/13

△07:10 幕営地点 → △09:20 家ノ串上ノ沢分岐 → △10:50 水が涸れる → △12:15-25 登山道 → △12:55-13:20 武尊山 → △15:00 手小屋沢避難小屋分岐 → △16:05 武尊神社

心配したほど寒い思いもせずに朝を迎えてテントの外に出てみると、渓流スパッツの表面がうっすら白く凍っています。幸い熱は下がったようですが相変わらず食欲はなく、パンとコーヒーで軽く朝食をとってからテントを畳みました。

昨日右斜面を登ってドツボにはまった連瀑と再び対面し、改めて左の急斜面を見上げると、昨日の単独行者のものらしき踏み跡がかすかに見えています。今度は迷わずこちらに取り付き、少々笹を漕いで滝の上に出ました。続く4mスダレ状滝はしばらくにらめっこをした上で左壁に取り付きましたが、3mほど上がったところでホールドがなくなりセミになりかけました。あと1手つながれば上の段に這い上がれて、そこからは笹をつかんで進めるのに!と目の前の土をかき分けると、幸いそこに隠れていたホールドが指先にかかって事なきを得ました。そんな苦労はありましたが、剣ヶ峰沢の見事な15mスダレ状滝を左に見送った先には本当に気分のいいナメが続いており、おそらく川場谷の最もよいところはこの辺りのナメ地域であるに違いありません。引き続き2mトイ状滝はステミングで、続く5mスダレ状滝は左壁から越え、4m2段ネジレ滝はすたすた歩いて越えると、沢の中州のようなところにかっこうの幕営適地があって真新しい焚火の跡もありました。ここは私がテントを張った河原から1時間の地点で、昨日の単独行者はここで幕営したに違いありません。

8m2条多段滝を問題なく過ぎ、1:1で出合う家ノ串上ノ沢を右に見送って左へ進むと、その先の二俣で水流は右へ続き、左俣は涸れています。右俣はガイドブックでは「水流ほとんどなし」と書かれている沢筋のようですが、今日の状態ではこちらが本流と思えるので右俣を詰めることにしました。実はこの山行の前にネットで川場谷の記録を検索していて、ガイドブックに書かれている武尊山と剣ヶ峰の間に抜けるルートだけではなくこちらの中ノ岳方面へ詰め上がるルートをとった記録も見ていたのでこちらでもなんとかなるだろうという成算があったのですが、二俣の先には傾斜がきつく案外しょっぱい滝が連続し、どうにも登れないつるつるの狭い連瀑は左から巻いたものの、その他の直登した数えきれないほどの小滝もどれも微妙に難しくて神経を使いました。ちなみに、こちらの沢筋にはクモの巣が張っていたので昨日の単独行者はガイドブック通りに左へ進んだようです。

背後に剣ヶ峰が同じ高さで見えるようになってからも2、3の滝があり、最後の方できれいなスレート状の岩で作られた垂直の滝を越えると、中ノ岳の山頂が上に見えてきました。水が涸れたのは10時50分で、同時に上の方に登山者の姿が見えました。登山道は(距離的には)案外近いようですが、上へ、左へ、上へ、左へ、と笹薮を漕いでもなかなか到達できず、まったく踏み跡のない密笹を漕ぐのがこれほどの重労働であるということを初めて知りました。それでもだんだん登山道が近づいてきて、そのうち行き交う登山者が怪訝そうな顔でこちらを見下ろしているのがわかるくらいになりました。通りがかった地元の登山者が「一人で川場谷かい。大変だったろう」と声を掛けてくれたときには笑顔を返しましたが、そんなに近いところからでも登山道に出るのには5分みっちり笹をかき分けなければなりませんでした。

登り着いたところは中ノ岳直下の武尊山寄りの位置で、ヘルメットをリュックサックにくくりつけただけですぐに武尊山を目指しました。へろへろになって着いた山頂は満員ですが、360度の視界が素晴らしく、谷川連峰や至仏山、燧ヶ岳、日光の山々がはっきり見えています。また南面を見下ろすと遡行してきた川場谷の全景が手に取るようにわかりました。

軽く行動食をとってから沢装備を全てしまい、スニーカーに履き替えて下山にかかったのですが、この下り道がけっこう長く疲れました。食料も余っているのでよほど途中の手小屋沢避難小屋でもう1泊しようかと思いましたが、なんとか気力体力をつないで武尊神社に下り着くと、駐車場は観光客とその車でごったがえしていました。どうやら地元のホテルが運行しているらしい巡回バスが日に3便あって、その最終便は16時15分となっていたので間に合ってラッキーと思っていると(これがないと通常のバス路線の停留所までさらに1時間20分も歩くことになります)、さらに幸運なことにその場に居合わせた年配のご夫婦が声を掛けてくれて、水上まで乗せて下さるとのこと。よほどこちらが疲労困憊した姿に見えたのだろうと思いますが、しかしありがたくご厚意に甘え、おかげでずいぶん早い時刻に水上駅に着くことができました。ありがとうございました。