塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

笛吹川東沢鶏冠谷右俣

日程:2002/06/15

概要:奥秩父の鶏冠谷右俣を遡行。ツメの大滝の手前で右に逃げ、戸渡尾根を下降。

山頂:---

同行:さかぼう氏

山行寸描

▲果敢に水に浸るさかぼう氏。しかし、これがアダとなってカメラが名誉の戦死を遂げた。(2002/06/15撮影)
▲5段のナメ滝で絶体絶命。この後、さかぼう氏は見事にこの難局を突破。(2002/06/15撮影)
▲逆くの字のナメ滝。右から取り付いて水流沿いを登るが、つるつるの屈曲部がホールドが遠くちょっと微妙。(2002/06/15撮影)

『K.U.Outdoor Site』の現場監督氏から5月下旬に奥秩父へ沢登りに行こうと誘っていただいたのが4月1日。一も二もなく話に乗って、以来お互いに日程をやりくりし、さらに同志を募って『山岳劇場』のさかぼう氏もジョインして下さることになりました。日程は6月15・16日の2日間と決まりましたが、現場監督氏は家の用事で土曜日の夜から合流となり、まず初日はさかぼう氏との2人旅で初手合わせに手頃な長さと思われる鶏冠谷右俣に入ることとしました。

2002/06/15

△07:15 西沢渓谷入口駐車場 → △07:45 西沢山荘 → △08:15 鶏冠谷出合 → △08:30 魚止ノ滝 → △09:45-10:15 逆「く」の字のナメ滝 → △10:45-50 二俣 → △11:50 沢に戻る → △13:20 40m大滝の手前 → △14:15-25 戸渡尾根登山道 → △16:10 近丸新道登山口 → △16:35 西沢渓谷入口駐車場

午前4時に目を覚ますと外は雷雨。「どうも鋸岳以来、カミナリづいているなぁ……」とぼやきながら、そのまま時間ぎりぎりまで待って雨脚が落ちた頃合に自宅を出ました。ちょうど前日にサッカーのワールドカップで日本が決勝トーナメント進出を決めたところとあって、渋谷では興奮したサポーターの群れと警官隊とが衝突したそうですが、そんなこととは知らずにさかぼう氏と待ち合わせの渋谷駅の西口まで歩いていくと、明け方の渋谷は人波も雨脚も消えかけてずいぶん静かでした。予定通り5時ちょうどにさかぼう氏の車に拾っていただき、井の頭通りから甲州街道、そして中央自動車道と辿って西沢渓谷入口の駐車場に車を入れたのは午前7時前でした。

夜の宴会グッズは全て車の中にデポし、まずは沢登りの用具一式をリュックサックに詰めて西沢渓谷への歩道へ。明日辿るヌク沢にかかる橋を渡って休業中の西沢山荘の前から左に下り、吊り橋を渡ってわずかに進んだところから右の明瞭な踏み跡に入ると、そのまま東沢の河原へ導かれます。しばらく進んだところで身繕いをし、左右に徒渉しながら進むと木の幹に「鶏冠谷出合」と書かれた標識が止められている恐ろしくわかりやすい出合に到着しました。

出合の奥は薄暗く、すぐ目の前に小滝がかかっています。これを左から越え、鶏冠尾根に登る道を左に分けていくつかの小滝を適当に越えていくと、正面に12mの魚止ノ滝が現れました。ロープも張られたはっきりした踏み跡が右にあり、これであっさりと巻いてなおも進むと、狭いゴーロや小さなナメ、ナメ滝が続くようになります。

狭い谷とあいにくの曇り空で暗くはあるもののなかなか気分の良い遡行を続けているうちに、とある小さな釜に出会いました。私は左から釜の底に沈んでいる岩も使ってここを突破しましたが、最初に右から水流に近づこうとしたさかぼう氏は予想外に深い釜に浸かってしまい、ここで胸につけていたカメラがあえなく名誉の戦死を遂げてしまいました。合掌

そこから数分で左(右岸)に切り立った大岩壁が現れました。これが奥ノ飯盛沢です。その先に出てくる大きくきれいなナメ滝はまんじゅうのように丸みを帯びた多段の姿を見せており、つるつるの表面は濡れていていかにも滑りそう。これは右から巻きかな?と見回していると、さかぼう氏はためらう様子も見せずに左端のディエードル状を途中まで上がってから右へトラバースを始めました。おぉ、勇気あるなぁと思って見ましたが、案の定途中で行き詰まり動けなくなってしまいました。下が釜なら落ちても問題はありませんが、あいにくさかぼう氏がへばりついている場所からでは滑り落ちるとダメージを受けそうです。ディエードルの先にはしっかりした木が生えているので、そこまで登って懸垂で救出に行こうとロープを取り出したとき、さかぼう氏が身体をわずかに右に動かし、そのままずるずると30cmほど力なく滑り降りたところで右足がかすかなフットホールドをとらえた様子。こうして、さかぼう氏はめでたくこの難局を根性で突破しました。この後、私の方はいったん木のところまで登ってロープをかけ、懸垂で途中まで下ってロープの先をさかぼう氏に投げて横に引いてもらい、プルージックに切り替えて1段目の上へ出ました。

予想外の奮戦でアドレナリンが出たところで今度は核心部とされる逆「く」の字のナメ滝が登場し、ここは図々しく「私が行きます」とリードを宣言してさかぼう氏にビレイをお願いしました。水流の右側から取り付き手前の凸曲面をしっかりした手掛かりを頼りにフリクションで越えて樋状の滝の中に入って行くと、右壁のコンタクトラインには足を置ける岩の出っ張りがあり、案外順調に進むことができました。右壁の上から垂れ下がっている4本のスリングにランナーをとり、屈曲部の最後でちょっと思案。クイックドローをかけるついでにスリングを引いてみると案外しっかりしていて、そのままゴボウで壁の上に抜けることもできなくはなさそうですが、どうもそれは本線ではないと思い直してそのまま水流沿いを左にカーブすることにしました。水流が向きを変えるところで最も強く磨かれた岩壁にはホールドは乏しいのですが、ほんの1歩を耐えて身体を上げれば手掛かりがあってレイバック気味に登ることができます。滝の上に抜けて態勢を整え後続のさかぼう氏を迎えましたが、ギアを回収しながら順調に上がってきたさかぼう氏は、屈曲部も「ふ〜ん、ここか」といった感じの表情を見せながらあっさりと通り抜けて私の横にやってきました。さかぼう氏というと「山岳劇場」の雰囲気から抒情派詩人の趣きを予想していましたが、こうして直にその登りに接してみると、むしろ常に大胆かつ沈着冷静でかなりイメージが違いました。

この少し先の乾いた岩の上で小休止として行動食を口に入れながらここまでの遡行を振り返りましたが、この沢の核心部は逆「く」の字よりもその前の「絶体絶命のナメ滝」だった、と2人の意見は一致しました。

二俣に到着すると、樹木が覆いかぶさってトンネルのようになった右俣の先には25mの滝が派手な音をたてて落ちていて越えられないので、いったん左俣に入りすぐに右の尾根に取り付きました。ところがここからの高巻きが文字通り大高巻きとなってしまいます。滝の音がずいぶん下に聞こえるようになって「本当にこんなに登ってしまっていいのか?」と心配になるくらい上に上がったものの、そこから先に沢へ下る踏み跡が見つかりません。さかぼう氏と共にさんざん右往左往したあげく、樹林の中の滑りやすい急斜面を強引に下って沢に降り立ったのは巻き始めてから1時間後で、ゴルジュのど真ん中でした。

ゴルジュの出口近くの小さいけれどもしょっぱい滝を、右の外傾した壁に打たれたハーケンを使ってA0で抜けて、なかなか立派な30mの滝は左のルンゼから高巻きました。これを最後に沢は開けてきて明るいナメやナメ滝が続くようになりましたが、正直に言ってだんだんナメ滝にも飽きてきました。その後もこれでもかというくらいに続くナメ滝にしまいにはキレてしまい「もういい!もう疲れた!」と沢に向かって悪態をついてみせましたが、さかぼう氏の方は相変わらず涼しい顔でぐんぐん歩き続けます。結局、無情のナメ滝はさらに30分ほども続きました。

やっと見えてきた40m大滝の立派な姿に見とれてから、右手の支沢に入ってすぐの踏み跡を右にトラバース気味に上がりました。後から思えば本当はもっと支沢を詰めていくべきだったのでしょうが、我々は笹の密生帯からシャクナゲ地獄に突入してしまい、またもルートをロスト。シャクナゲの枝をかき分けたり倒木をまたいだりしながら上を目指して、奮戦1時間後にようやく戸渡尾根の登山道に辿り着きました。ここで沢靴を運動靴に履き替え、歩きやすい登山道をひたすら下って近丸新道に入り、ヌク沢を渡った先からは朽ち果てたレールが残る軌道跡をほぼ水平に歩きます。途中の道にもたくさんの白い石が落ちていましたが、ここはかつて珪石の採掘が行われていたところで、そのときに使われていたトロッコ道のレールはところどころで斜面に埋もれたり谷筋に寸断されながら我々をずいぶん下の方まで導いてくれました。

現場監督氏とは笛吹川のヌク沢出合で落ち合うことにしていましたが、夕方以降雨がぱらつくようになったため、我々は途中の大きな東屋に宴会グッズを運ぶことにしました。広いテーブルの上に店を広げているところへ、19時頃暗い道を通り過ぎようとする登山者の姿をさかぼう氏が目敏く見つけ、声を掛けてみるとやはりそれが現場監督氏でした。なんだか初対面とは思えない親しみやすさを感じながら挨拶を交わし、何はともあれビールで乾杯。各人が持ち寄った食べ切れないほどのおかずに箸を伸ばしながら、ランタンやローソクの淡い光の中で缶チューハイ、ワイン、それにロンリコ(アルコール度数75.5度)がくいくい空いていきました。しかし夜も更けるにつれて雨脚が強くなり、やがてはっきり豪雨となってきました。「これは明日の遡行は中止だな。現場監督氏には申し訳ないけれど、その代わり気兼ねなく酒を飲めそうだ」と内心ほくそ笑んでいたのが誰だったかはここでは明らかにしませんが、それでも22時にはシュラフをのべてローソクの火を消しました。

◎「笛吹川ヌク沢左俣」へ続く。