鋸岳〜甲斐駒ヶ岳

山頂 鋸岳2,685m / 甲斐駒ヶ岳2,967m
分類 南アルプス / アルパイン
日程 2002/05/25-27
同行  
概要 歌宿から丹渓新道を戸台川沿いへ下り、角兵衛沢を登って大岩下ノ岩小屋にテント泊。翌日、鋸岳の稜線を縦走して甲斐駒ヶ岳に達し、直接北沢峠へ下る。最終日は北沢峠から歌宿まで。
鋸岳のぎざぎざの稜線。距離は短いものの、一般縦走路とは言い難い手強さがあります。(2002/05/25撮影)
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第一高点からの甲斐駒、こうしてみるとゴールは遠い。上の画像をクリックすると、第一高点からのパノラマが見られます。(2002/05/26撮影)
核心部を越えて第二高点から振り返る。第一高点がすっきりと高い。(2002/05/26撮影)
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甲斐駒の眺め。一見初夏のようなこの景色が3時間後には……。上の画像をクリックすると、甲斐駒山頂からのパノラマが見られます。(2002/05/26撮影)

近場の低山歩き主体だった私が初めて高い山に登ったのは1986年の鳳凰三山で、その頃買った本に「空撮登山ガイド / 北岳・甲斐駒・赤石」というのがありました。この中で鳳凰三山や白峰三山、荒川三山・赤石・聖などの楽しげな縦走コースに混じって紹介されていたのが「角兵衛沢から鋸・甲斐駒・仙丈」というコースで、特に鋸岳の悪絶な様子は「寒気のするほど足場の悪い岩稜」だの「細心の注意と慎重な行動が望ましい」だのと書かれていました。初心者ハイカーだった当時の私は、尻尾を巻き込んだ犬のように怯えながらこの解説を読んでいたのですが、刷り込みというのは恐ろしいものでこの記憶は連綿と10数年も生きており、岩の技術を身につけるようになって「そろそろ行けるんじゃないか」と思うようになったのは昨年あたりからです。そしてGWの北岳行で久しぶりに甲斐駒の姿を見たとき、今年こそ長年の憧れを現実のものにすることを決意しました。コースとしては、このガイドにも書かれている通り戸台川から角兵衛沢を詰め上がって稜線に出、そのまま甲斐駒ヶ岳まで歩き通すことにしました。そんなわけで、初日を角兵衛沢の途中にある大岩下ノ岩小屋までとして、翌日一気に甲斐駒へ歩きそのまま黒戸尾根を下る計画を立てました。もちろんこれではコースタイム通りに行っても夜に入ってからの下山となってしまうので、途中時間切れ / 体力切れで六合目石室または七丈小屋泊まりとなることも想定し、予備日を1日設けました。

2002/05/25

■09:00-15 歌宿 ■09:35 丹渓新道分岐 ■10:40 熊穴沢標識 ■10:50 角兵衛沢標識

新宿から23時50分発の急行アルプスに乗り、辰野経由で伊那市着が5時21分。7時19分発のバスで戸台口に降り、さらに長谷村営バスに乗り継いで歌宿に降り立ったのは9時でした。雪はまったくなく、バスはそのまま北沢峠まででも走って行けそうですが、運転手さんの話によると山梨県側が開通する6月中旬までは長野県側からも入ってはイカンと環境省が運行を認めてくれず、しかたなく国立公園の境界線のすぐ外にある歌宿までで折り返しているのだそうです。

歌宿のバス停は鋸岳の展望台になっていて、青空の下、目の前に戸台川をはさんで屏風のような鋸岳が威圧的な姿を見せています。その稜線は名前通りのギザギザで、予想される明日の行程の厳しさに今さらながら身が引き締まりました。舗装された道をしばらく歩いて、標識も何もないコーナーから左手へ丹渓新道を下ります。丹渓山荘が廃業された今となっては徐々に廃道化しつつあるようですが、枯葉に覆われてはいるものの比較的しっかりした道の形と赤テープが残っています。最後に小広い段のようになったところで右手へ下るべきところを左手へ下ったため道を失いましたが、沢音が近いので気にせずずりずりと斜面を下り、傾斜がほとんどなくなってぽんと出たところは熊穴沢への標識が立つ地点でした。そのまま下流へ10分で角兵衛沢への標識に着きました。

小灌木を分けて河原に降り立ち徒渉点を探しましたが、水量は豊富で勢いも強く、どうやら飛び石伝いに対岸に渡るのは難しいようです。覚悟を決めて靴と靴下をザックにくくりつけ、素足になってストックを突きながら沢に入りました。水は痛いくらいに冷たいのですが、深さは膝まで。歯をくいしばりながらなんとか対岸に渡りつき、日に当たって暖まっている石に足裏を乗せて感覚の回復を待ちました。ついでにここで行動食をとりだして大休止とし、水を1リットル補給しました。

■13:50 大岩下ノ岩小屋

徒渉点のすぐ裏に大きなケルンがあり、ここから角兵衛沢沿いの登りとなります。道はいったん角兵衛沢を渡って右岸の樹林帯の中をぐんぐん登るようになりますが、非常に明瞭で歩きやすい道に赤テープがこれでもかというくらいに付けられていてまず道を誤る心配はありません。ところどころにクライミング心をくすぐる巨岩がごろんと転がっているのを見上げながら先へ進み、やがて角兵衛沢に戻ってガレ場の登りに変わると上方に目指す大岩が見えてきました。ここからが意外に長かったのですが、ガレとはいっても石は比較的しっかりしていて順調に高度を上げることができ、大岩の基部に着いたところで左岸に移って右手へ岩壁沿いに進むと、今日の泊まり場となる大ハング下の岩小屋に到着しました。

岩小屋にはテント3張りくらいのスペースがあり、焚き火の跡もありました。またハングの奥に2箇所、まるで水道のように途切れることなく水が滴り落ちていて、実にあつらえむきの宿泊地です。まだ時刻は早いですが、ここのところの寝不足や水の補給、夏至前で日が長いことなどを考えれば今日はここまでにしても十分明日の計画が成り立ちます。早速テントを張り、薪を集めて火を熾しました。ふと気づくと、この岩小屋の上の方にかなり古そうな残置ピンやスリング、リングボルトまで残されています。後日『日本登山体系』で確認してみたところ、目の前の大ハング7mを越えて垂壁を登る10ピッチ290mのルートが開かれており、グレードは「V,A2」とありました。

15時半頃に角兵衛沢を下っていく3人パーティーと言葉を交わしたほかは誰もいないたったひとりの岩小屋で、テントの前で焚き火の面倒を見ながらコンビーフ入り焼そばを作り、まったりとウイスキーの水割りを飲んで、やがて正面の豊富な残雪をまとった中央アルプスが夕映えのピンク色のシルエットに染まるのを眺めました。

2002/05/26

■05:05 大岩下ノ岩小屋 ■06:55-07:10 角兵衛沢のコル

夜中に寒さで何度か目が覚めたせいか寝坊をしてしまい、十分明るくなる朝4時には出発するはずが1時間遅れとなってしまいました。自分の焚き火跡をあらためて見ると、大人の二の腕ほどもある薪もぶちこんでいたのに黒い炭はほとんど残さずしっかり白く燃え尽きており、自己採点「9.90」といったところ。仕度を終えて再び角兵衛沢に戻り、ここから上は崩れやすい「ガラ」と「ザレ」の中間のような苦しい登りが続きます。両手のストックを一番短くして突きながら涸れた沢の中洲のような場所や左岸沿いを道を選んで登っているうちに、アリジゴクの巣に落ちた蟻の気持ちが痛いほどわかってくるから不思議です。来世は蟻にだけは生まれかわらないようにしよう、と考えながら左手にスフィンクス岩をやり過ごし、頭上が開けてきた頃に足下がしっかりしはじめたらコルはもうすぐ。コル直下にも整地された跡があって水を十分担ぎ上げていたらここまで登ってもいいだろう、と思ううちに冷たい風が通る角兵衛沢のコルに着きました。ここでストックの役目は終了。ハーネスを着け、持参した8mm30mロープを取り出して気持ちを入れ替えました。

■07:30-35 第一高点

急だが短い登りで、鋸岳の最高点である第一高点に到着。前方遠くに甲斐駒の金字塔が聳えており、その右にぐるっと北岳・仙丈。その仙丈ヶ岳との間を流れる戸台川までは一気に1,400m落ち込んでおり、非常に高度感があります。ここからいよいよ小ギャップから第二高点までの核心部にかかりました。

以下の図及び記述は、私が歩いた印象をもとにこの核心部の模様を再現・図式化したもので、正確な地形図 / ガイドというわけではありません。なお、赤字で「鹿窓ルンゼ」などと書かれたところをクリックすると写真がポップアップしますので、適宜参照して下さい。

第一高点から小ギャップの手前までは、細い尾根ではありますが特に不安なく下れます。見事に切り通し状になった小ギャップの手前にはしっかりした支点があり、そこからトラロープも張られてはいますが、これは下りには使えそうにありません。自分のロープをセットし、逆層の垂壁を懸垂下降で10m弱下って底に立ち、目の前の草付の壁をよじ登るとそこは真横に走るナイフエッジ状、というか包丁の峰のようなところで、これをよいしょと越えて甲州側のトラバース道に入りました。すぐに鹿窓または風穴と呼ばれる縦長のゲート状に出て、向こう側には南アルプス林道も見えています。冬はここから稜線に上がり、第三高点を踏んで大ギャップへ懸垂で下るようですが、今回はガイドブックにしたがって鹿窓をくぐりました。数メートル下ったところに支点があって、こちらは残置ピン2枚にちょっと不安なスリングがかけられています。ここにもフィックスロープがありますが、スリング1本にくくりつけられているだけだったのでこれは使わず、残置スリング全部にロープをかけてロープ一杯まで懸垂下降しました。降り立ったところは細く足下の不安定なルンゼの中で、ロープを回収するときにいやというほど石が落ちてくるのでヘルメットは絶対欠かせません(というのは後からの反省。このときはたかをくくってヘルメットを持ってこなかった自分を呪いました)。両手を伸ばすこともできないほど狭いルンゼの中をずりずりと下っていくと、支点から恐らく50m程のところで右手の草付の斜面にテープの目印と踏み跡があり、そちらへ逃げることができました。

ところが、歩きやすい水平の踏み跡を辿り、左に折れてじぐざぐに下って再びルンゼに降り立つところではたと困ってしまいました。このコースに来る前にWebで他の記録を一通り見て、ここから左手へバンドを辿っていくのだということはわかっていましたが、てっきりそこには赤テープなどの目印があるものだと思い込んでいたのでした。しかし、今ルンゼに降り立ってみると見渡す限りそれらしいマークはなく、ルンゼを渡る踏み跡も見当たりません(ルンゼは常に上から石が落ちているので、横断する踏み跡がないのは実は当たり前)。行く手には踏み跡といえばそうとも思えますし、ただの岩の段差といえばそうも見える地形が見えていますが、赤テープがないのでここが目指すバンドなのかどうか見当がつきません。そこでさらに右岸の草付をしばらく下ってみると、はるか下方の対岸の急斜面に立っている木の枝に、ずいぶん明瞭に赤テープが2箇所くくりつけられているのが目に入りました。なるほど最後はあそこに行くのか、しかしどうやってそこまで登り返すのだろう?と悩みながら高度を下げていきましたが、鹿窓ルンゼと大ギャップからのルンゼが合流するあたりの地形がわかるようになってみると、そこは断崖状に落ち込んでいてとても渡れるような場所ではないように思えました。仕方なく先程逡巡した位置まで登り返し、ルンゼを横断して両ルンゼの中間尾根をトラバースすることにしました。

歩いてみれば、かすかに踏み跡らしきものが水平に続いています。しかし、ところによって幅30cm程のバンドはけっこう際どいトラバースになっていて、難しくはないのですが右に足を滑らせたらまず助からず、これでもし行き詰まることになったらどうしよう、と不安を抱えながら進みました。やがて左に回り込み思い切りのいる1歩を越えて大ギャップからのルンゼに達してみると、その左岸沿いにかなりはっきりした踏み跡があって一安心。小さなガレを横断して斜面の中につけられた道に達しました。対岸から見えていた赤テープはずいぶん下の方にあり、何のためにそんな場所にあるのかは今もって謎(あるいは上の図の「?」と赤テープをつなぐルートがあるのかも?)ですが、詮索はやめ、先を急ぐことにして雪の一部残った草と灌木の斜面を直登し、最後に小さなガレを進んで岩塊の積み上がった第二高点に到達しました。結局、ルートファインディングのミスもあって、この核心部越えに2時間半も使ってしまいました。もし同じルートを辿る機会があれば、今度はたぶん半分の時間ですむでしょう。

■10:10-20 第二高点 ■10:45-50 中ノ川乗越 ■13:05 三ッ頭 ■14:00 六合目石室分岐

第二高点から振り返ると第一高点がすっきりと見通せますし、行く手の甲斐駒も少しは近づいたようです。岩とハイマツの稜線を下り、滑り台のような傾斜のガレを延々と下って熊穴沢の詰めにあたる中ノ川乗越に下りました。ここから戸台川へ下る道はエスケープに使え、鋸岳だけを目的とするならさっさと下降してもいいのですが、まだまだ時間にゆとりはあるので一路甲斐駒を目指すことにしました。ここからは山稜の東北側の斜面のトラバースなので、ところどころ残雪が道を覆っています。アイスハンマーで氷を割ったり身体の支えに使いながら進みましたが、思うようにはスピードアップできません。そうこうしているうちに、あたりが暗くなってきたと思ったら、三ッ頭の手前でばらばらと降ってきたのは何と雪?いや、直径3mm程の霰です。三ッ頭の山頂直下からは烏帽子岳方面へ踏み跡が伸びていて、時間に余裕があれば先程からすきっと美しい姿を見せていた烏帽子岳へ立ち寄りたいところですが、この時刻・この天候では先を急ぐしかありません。エアリアマップには道は三ッ頭の北側を巻くと明記されていますが、実際には三ッ頭のてっぺんに出てから稜線通しに下ります。霰はいったんあがって日が差しており、甲斐駒がずいぶん近づいてきたのがわかりました。

三ッ頭を下って進むうちに、再びあたりが暗くなってきたので右手を眺めると、ちょうど仙丈ヶ岳や北岳が雲の下で風雪に巻き込まれているところでした。こうして見ると北岳や仙丈ヶ岳がまるで敵機の集中攻撃に耐えている艦隊のように思える……などと呑気に見とれていると、妙なものに気がつきました。自分が立っている稜線と仙丈ヶ岳の間を流れる戸台川の上、こちらの目線の高さを無数の白い点がふわふわと浮遊し、わずかずつ高度を上げています。と、次の瞬間、それらが向きを変えて一斉にこちらに押し寄せてきました。甲斐駒も雪に巻き込まれたのです。後ろを振り返ると、まるで鳥の群れが尾根を越えていくときのように、斜面に沿って吹き上がってきた雪が稜線の鞍部を越えて甲州側へなだれこんでいます。

吹雪かれながら歩き続けて、道は六合目石室と縦走路の分岐に差し掛かりました。ここで今日の行動を打ち切り石室に退避することも考えられないではありませんが、このまま一晩越すと道がどういう状態になるかわかりませんし、一方ここからエスケープする七丈ガ滝尾根もなかなかの悪路と聞いています。それに先程から伊那谷方面を眺めていると、雪雲と晴れ間とが交互にきているようなので、甲斐駒に着くまで降られっぱなしというわけでもなさそうです。それなら、まだ雪が積もらず道が明瞭なうちに甲斐駒を越えてしまった方がむしろいいでしょう。このように判断して、先を急ぐことにしました。

六合目石室への道を正面に分けて左折し、稜線通しに先を進みます。案の定、雪はすぐにやんで展望も開けてきました。しかし、西からは黒い雲が波状的に押し寄せてきているのでぐずぐずはできません。そのうちIII級程度の岩場に針金とロープが垂れている場所が出てきました。先を急ぐ身なのでためらうことなくロープをつかみ身体を引き上げたところで、後方からドーンという響きが聞こえてきて真っ青になりました。雷です。仙丈ヶ岳の近くに雷雲がいるらしく、時折明るい光が走ったと思うと、時間をおいて雷鳴が轟いてきました。こちらは登攀装備で金属満載、雷に手招きをしているような出立ちです。雲はぐんぐん周囲を覆いはじめ、あたりが白く閉ざされたと思ったら風に乗ってもの凄い勢いで霰が打ち付けてきました。そして白色光、耳を塞ぎたくなるほどの大音量。そのインターバルは1秒しかなく、ごく至近距離で雷が暴れているのがわかります。ザックを手近の岩陰に押し込み、こちらは少し離れたところで可能な限り身を低くして雷をやり過ごすしかありません。もしここで死んだら『中高年登山者、無謀登山で落雷死。』とか新聞に書かれるのでしょうが……それはイヤだ!ばらばらと音をたてて降ってくる霰がまたたく間に身体の上に積もっていくのを見ながら、頭の中で再計算をしてみました。不幸にしてここで雷に当たってしまったら仕方ありませんが、この雷をやり過ごすことができたとした場合、先程からの雲が流れる速度からして山頂までの間に雪につかまる回数はあと2〜3回といったところでしょう。どうやら1回当たりの降雪時間はせいぜい15分程度のようですし、雪と雪の間は青空すら広がっていますから、雪と雷が来るタイミングを見計らいながら岩場をつないでいけば、なんとか無事に山頂に到達できるに違いありません。そこからは予定を変えて北沢峠へ下り着けば、その後どれだけ気候が変わっても安全に下山できるはずです。ここまで考えて、降雪が収まったところで覚悟を決めて山頂への道に突っ込みました。

■17:05-10 甲斐駒ヶ岳

その後、やはり雪と雷に2回追い付かれ、その都度岩陰に身を潜めることを繰り返して、やっと17時過ぎに甲斐駒山頂に到着しました。着いたときは周囲は真っ白でしたが、すぐに雲が風に払われて鳳凰方面や仙丈方面の荒々しい展望が開けました。特に、摩利支天がてっぺんから左へガスを吹き流し、その奥に鳳凰三山が超越者のように立ちはだかっている姿には原初的な感動を覚えます。しかし、予想以上に大量の降雪で道も斜面も一様に白く覆われており、遠望がきかなくなると道を失う可能性あり。手早く写真を撮り終え、うっすらと残った赤ペンキと地形の凹凸を頼りに直ちに下山にかかりました。六方石への下りの途中でもう1回雷の通過を待ち、途中ロープも出しながら駒津峰を目指して下り続けました。

■18:35 駒津峰 ■19:20 双児山 ■20:45 長衛荘

駒津峰から双児山への途中で、長衛荘に携帯から電話を入れてみました。電話に出たのは長谷村役場の人で、長衛荘の衛星電話の番号を教えてくれましたが、かけ直してみると営業終了のアナウンスがテープで流れました。ここまで来たらじたばたしても仕方がないので、足に任せてひたすら歩きます。管理人が山荘に上がっているのは村役場の人との会話でわかっていたので、とにかく着けばなんとかなるでしょう。

甲府盆地方面の夜景を見ながら双児山を越えたあたりですっかり暗くなり、ヘッデンでの歩きに切り替えました。満月に近い月明かりも樹林帯の中までは届かず、漆黒の闇の中を周囲数メートルの明りだけを頼りに下りましたが、雪があるところでも微妙に踏み跡が残っていて歩きがはかどりました。双児山からの600m強の下りは予想以上に長く、そのうち雨も降り出していい加減うんざりし始めた頃に、やっと長衛荘の窓の明りが見えてきました。

正面に回ってガラス戸をとんとんとノックすると、しばらく間があってから管理人さんが出てきて扉を開けてくれました。一体どうしたのかと聞かれたので、甲斐駒を越えてきたのだが雷につかまってしまって……と話をすると、とにかく濡れたものを軒先にぶら下げて中に入れと言ってくれました。中には客は一人もおらず、管理人夫妻がいるだけ。二人で薪ストーブにあたりながらテレビを見ていたところでしたが、普段なら夜8時には寝ているところだからあなたは運がよかった、と言いながらお茶を出してくれました。朝の5時にスタートしてからここまで16時間弱の行動に、御主人はしきりに「えらかったなぁ」と感嘆してくれて嬉しくなってしまいましたが、実はこれは「偉かったなぁ」ではなく、伊那方言で「たいへんだったなぁ」といった意味です。何はともあれ、素泊まり料金を払って一晩お世話になることにしました。この日は、出発前にテントの中でフリーズドライの雑炊を食べた後、ここまで行動食としてバランスアップ1本とマシュマロ数個のほかはチューブ入りのコンデンスミルクをなめ続けただけですが、ここに至っても不思議に空腹感が湧いてきません。そのままマシュマロをさらに数個口にしただけで布団に入りました。

2002/05/27

■08:45 長衛荘 ■09:30 丹渓新道分岐 ■09:55 歌宿

ゆっくり7時に起床。ストーブ上に沸かしてあるお湯を分けてもらってラーメンを作りました。外に出てザックに付けてある温度計を見ると氷点下で、夜来の雨は一時雪模様に変わりましたが、管理人夫妻と一緒にNHKの朝ドラ「さくら」を見終えてから出発する頃になると、雪も雨もどうにかやんでくれました。お二人に丁重にお礼を言って出発。薄い曇り空の柔らかい光の下で、雨上がりの濡れた木々の緑を眺めながら、様々な鳥の声に送られての下山は実に気持ちよく、1時間程のアスファルト歩きも苦になりません。しかし、道の右手に並行している鋸岳から甲斐駒への稜線は、上部を雪と雲に覆われて一昨日とは様相を一変させていました。

この後、歌宿から長谷村営バスに乗って戸台口のひとつ手前の仙流荘で降り、ゆったり温泉につかってからビールと唐揚げ定食で打ち上げをしました。それにしても近年珍しいくらい盛り沢山の山行になってしまったものだ、とはビールのグラスを傾け苦笑いしながらの独り言。仙流荘からは新宿まで3時間余りの高速バスが出ており、昼寝をしたり事務所に備え付けの山渓を読んだりしながら時間をつぶして、16時頃のバスに乗りました。余談ですが、このバスは料金も安く(3,600円)快適に高遠・戸台と新宿とを結んでおり、夜行便がないのが玉に傷ですが、北沢峠へ入る足としては甲府・広河原経由以上に利用価値があると感じました。

この年はHP仲間もずいぶん鋸岳を訪れました。

ところで、上記のうち『にょんまい山日記』の記録のみが私とは逆コースになるのですが、これを見ると私が不思議に思った赤テープから下に道が続いているらしいことがわかります。つまり、私が通った際どいトラバース(通称「アンドリュー・ライン」)よりも下を、比較的安全に通れるトラバースルートがあるようなのです。第一高点側からルンゼを下るとあまり下り過ぎることに慎重にならざるを得なくなるのですが、逆コースからすると順当に導かれる道なのかもしれません。次に行かれる方は、ぜひこの点の真偽を確かめていただきたいと思います。