金時山

日程:2001/12/15

概要:強羅近くの宮城野橋を起点に、明星・明神と箱根外輪山をつないで金時山へ縦走。金時神社へと。

山頂:明星ヶ岳 924m / 明神ヶ岳 1169m / 金時山 1212m

同行:にょんまい夫妻 / 山女さん

山行寸描

▲明神ヶ岳山頂。寒風が吹きすさび猛烈な寒さだった。(2001/12/15撮影)
▲金時山頂。この後どんどん暗くなって、下界に着いたときは真っ暗になっていた。(2001/12/15撮影)

札幌在住の豪快な姐御・山女さんが仕事の関係で9月から3カ月程東京に来ることになり、さっそく迎撃オフを申し込んでいました。ところが、その後なかなか双方の都合が合わず、ようやく御一緒できることになったのは山女さんが東京勤務を終えて札幌へ帰る直前の週末で、まさに滑り込みセーフという状態でした。また、今年の夏に偶然涸沢でお目にかかった『にょんまい山日記』のにょんまい夫妻ともいずれ御一緒したいと思っていたので声を掛けたところ、同行を快諾してくれました。行き先は山女さんの所望があって初日は金時山、2日目はにょんまい夫妻の提案で御坂の毛無山から十二ヶ岳をつなぐことにしました。

2001/12/15

△09:15 強羅 → △09:25-30 宮城野橋 → △10:45-50 明星ヶ岳 → △12:05-25 明神ヶ岳 → △14:00-45 うぐいす茶屋 → △15:35-16:30 金時山 → △17:30 金時神社入口

にょんまい夫妻は前日のうちに車で現地に行っており、私が小田原駅で山女さんをつかまえてから箱根登山鉄道で強羅へ移動して、そこから徒歩10分ほど下った宮城野橋のバス停でにょんまい夫妻と合流することになっていたのですが、電車が小田原に近づいた頃に車内を一番前から後ろへ順次移動して山女さんを探したところ、後ろから2両目にどうもそれらしい人がリュックサックを膝の前に立てて座り目をつぶっています。その姿はあたかも果たし合いの相手を待つ剣豪のように近寄りがたい雰囲気に満ちており、気押された私はしばらく近くに立って様子を窺っていましたが、電車が小田原駅に着いた頃合に「失礼ですが、○○さん(本名)ですか?」と声を掛けました。

無事に落ち合えた我々が強羅に着いたのは9時で、駅前の売店でホットドッグを買ってぱくついてから宮城野橋目指して走り下りました。周知の通り箱根の山は巨大なカルデラを形成しており、強羅駅は中央火口丘の斜面に位置しています。今日歩く明星ヶ岳〜明神ヶ岳〜金時山の稜線はその東北から北に円弧を描く外輪山であり、したがって強羅からは一度下って登り返さなければなりません。宮城野橋のバス停には5カ月ぶりにお目にかかるにょんまい夫妻が待っていてくれて、ここで私はゴム長靴に履き替え、さらに山女さんが持ってきてくれたアルコール類を荷分けして、いよいよ登山開始です。

しばらく舗装された車道を小田原方向へ戻るように進み、やがて標識にしたがって山道に入りましたが、上空は晴れているものの箱根の山の上には灰色の雲が居座っていて妙に気温が低く、道端には霜柱が立っていて「箱根」という言葉のイメージとは大違いの寒々しさです。そんな中でも比較的年配のハイカーの人たちが何組か登っており、そうしたパーティーと先になったり後になったりしながらがんばっているうちに稜線に出てわずかに東へ進むと、まるでピークらしくない稜線上の広場が明星ヶ岳の山頂でした。眼下には驚くほど近くに相模湾が広がり、なかなかの眺めです。

元来た方向へ戻って真っすぐ稜線上を進むと、道の右手には丹沢の山塊が見慣れない角度で並んでいて面白く、小田原の町なども見下ろせます。一方左側は早雲山方面で、大湧谷の噴気なども見ることができましたが上の方は雲に覆われていました。最後の急坂を耐えて登ると寒風吹きすさぶ明神ヶ岳山頂でしたが、これではまるで冬山です(……冬の登山であるのは事実なのですが)。正面に聳える富士山も雲に一部を隠されていましたが、それでもとにかく記念撮影をしようと方向指示盤の上ににょんにょんさんと山女さんがカメラを置き、セルフタイマーをセットしてカメラの前に走りました。ところがポーズを決めてシャッターが切れる瞬間に突風でカメラが動いてしまい、あわてた我々がカメラの方へ一歩踏み出した途端、山女さんが「イタタタタ!」とケンシロウみたいな声を上げて固まってしまいました。どうやら急に動いた拍子に土踏まずの筋肉がつってしまったようで、おろおろする我々の前で山女さんは必死の形相で痛みに耐えつつなんとか風をよけられる草かげに移動しました。幸い、しばらく休んでいるうちに徐々に痛みがおさまってきて動けるようになりましたが、このときばかりはどうなることかと思いました。

縦走続行。相変わらずの寒さの中、今宵の風呂ばかりを思い浮かべつつ緩やかにアップダウンする道を進みます。前方の富士山が徐々に大きくなってきますが、その手前にもっこり頭をもたげている金時山は意外に遠くに見えています。

矢倉沢峠に建つうぐいす茶屋は閉まっていましたが、近くのテーブルとベンチに陣取り、ようやく昼食となりました。山女さん持参のサーモンマリネ、にょんまい夫妻持参の鍋焼きうどん、私がコンビニで買ってきた焼き鳥弁当を分け合って、相変わらず冷たい風に震えながら山女さん直伝・白ワインのお湯割り(これが意外にも美味!)で乾杯しました。

急坂をぐんぐん登ってようやく今回の山行の目的地、金時山の山頂に到着。この時点では富士山方面には雲がかかっていましたが、何はともあれ記念撮影してから山頂の一角を占める金時茶屋に転がり込みました。ここで私は甘酒、あとの3人はビールを頼んで一息ついてから手にとったのは登山者記録帳。私も会員になっている『にこにこ山仲間』の会員企画である「金時山登頂部」の掟に従い、金時茶屋に置いてある登山者記録帳に自分のHNとともにおひさまマークを記帳すると共に、自分の前にここに来た会員の名前を確認して「金時山登頂報告掲示板」へレポートするためですが、見てみるとこの日も2人の会員が登山者記録帳に「にこ山シール」を貼っていたのでその名前をメモし、自分の記帳箇所には下手な手書きでおひさまマークを書きつけました。ここで茶屋の方から「それ、どういう仕組みなの?」と聞かれたので上記ルールを説明しているうちに、金時娘さん(といっても立派な年配です)も話に加わって、御自身の怪我や病気とそこからの回復(「不死身の人」と呼ばれているそうな)を聞かせていただいたり、何かのパーティーで真っ赤なスーツを着ている写真を見せていただいたりして、1時間ほども過ごしてしまいました。

太陽が愛鷹山にかかる頃に金時茶屋を辞しましたが、黄金色に染まる富士や箱根の夕景があまりに美しかったのでぐずぐずと写真を撮っていると、暗くなることを心配した金時娘さんが茶屋から顔を覗かせて「早く下って〜!」と声を掛けてきました。ここからは来た道をわずかに戻って右手への下りで、途中から完全に夜道となりましたが、ヘッドランプの光を頼りにぐんぐん高度を下げて1時間もたたないうちに下界に着くことができました。

にょんまいカーを飛ばして乙女トンネルをくぐり、河口湖畔にある民宿「大石荘」に着いたのは19時頃。おいしい夕食とゆったりした風呂の後、二つある部屋を宴会部屋と就寝部屋とに分けて就寝部屋にあらかじめ布団を敷いてから宴会部屋に集合しました。あれこれと楽しく語りながら飲んでいるうちにワイン1本と日本酒四合瓶3本が空になっていきましたが、まだまだ飲み足りない気持ちは翌日の山行のためにぐっとこらえて、日付が変わらないうちに就寝しました。