塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

戸隠山〜高妻山

日程:1993/10/10-11

概要:戸隠奥社から戸隠山へ登り、山稜上を一不動へ縦走して避難小屋泊。翌日、高妻山を往復して戸隠牧場へ下山。

山頂:戸隠山 1900m / 高妻山 2353m

同行:ユウコさん

山行寸描

▲蟻の塔渡り。足がすくむ細さと高度感だが、巻き道もちゃんとある。(1993/10/10撮影)
▲紅葉の向こうに高妻山。ピラミッド状の山容が秀逸だが、登頂までは意外にアルバイトを強いられる。(1993/10/11撮影)

1993/10/10

△08:35 戸隠キャンプ場 → △09:00 奥社入口 → △09:35-50 奥社 → △11:05 五十間長屋 → △12:00 蟻の塔渡り → △12:20-40 八方睨 → △12:55 戸隠山 → △15:25 一不動避難小屋

長野駅からバスで奥社入口へ向かったところ寝過ごしてしまい、終点の戸隠キャンプ場から歩いて奥社入口へ引き返しました。見上げると秋の色に色づいた広葉樹林の上に屏風のような戸隠の岩壁が聳え立っており、どこまでも真っすぐな樹林の中の参道を進むとやや登ってその岩壁のすぐ下の奥社に辿り着きました。意外にからっと明るく、こじんまりとした奥社からは正面に飯縄山を見、遠くには浅間山から連なる上信国境の山々を眺めることができました。

登山道は奥社の社務所手前から左に入り、栃の実の皮が目立つ急斜面の尾根道をぐんぐん高度を稼ぎます。やがて五十間長屋、百間長屋と呼ばれる岩場から徐々に修験の岩山らしい地形が現れ、蟻の塔渡りで厳しさのピークを迎えました。

蟻の塔渡りは結構肝を冷やすナイフリッジで、幅50cmの両側がスパッと切れ落ちています。びびりながら通過し、そこから一登りで展望が良い八方睨へ到着しました。空にはほとんど雲がなく、信州の山々の右手には北アルプスの山々が連なり、北には間近に今山行の目的地である高妻山がすっくと立っています。紅葉したナナカマドを手前に置いて記念写真を撮りましたが、高妻山は堂々とした、しかもすっきりとした山で見飽きることがありませんでした。

稜線上を縦走に入り、すぐに何の変哲もない戸隠山のピークを越えて一不動を目指すと右手に飯縄山を見下ろしながらのアップダウンが続きますが、やがて霧が流れ始めると面白味のない行軍に変わって、最後に長い坂を下るとブロック造りの避難小屋が現れました。小屋の中にシュラフを敷く場所を確保したらただちに夕食。会津駒ヶ岳以来の青椒肉絲とレトルトの赤飯にパックの日本酒で満腹になり、19時前には就寝しました。

1993/10/11

△06:45 一不動避難小屋 → △07:45 五地蔵 → △09:40-10:20 高妻山 → △11:50-12:00 五地蔵 → △12:45-13:00 一不動避難小屋 → △13:20 帯岩 → △14:50 戸隠キャンプ場

夜半、激しい雨音に目を覚ましたりもしましたが、明けてみれば今日も晴れ。最小限のパッキングをして高妻山へのピストンにかかりました。

眺めの良い五地蔵から眺めると、朝の低い日差しの下で雲海が輝き、富士山や八ヶ岳、南アルプスがシルエットになって見えました。正面には森に覆われた黒姫山、その左奥には妙高山・火打山・焼山の頚城三山が連なり、さらに八丁ダルミから笹がちの長い急登を登りきると緩やかな短いプロムナードを経て、十阿弥陀と御鏡を過ぎると岩塊の高妻山三角点に着きました。

静かで暖かい山頂からは、北アルプスの全山をはじめとする素晴らしい展望を眺めることができました。また頚城三山の手前、すぐ目の前に往復2時間の乙妻山が立ち上っており、そちらを目指す登山者の姿も見られましたが、我々は時間の都合もあって高妻山から先に進むことはできません。その代わりこれらの眺めを堪能しながらのんびり昼食をとりましたが、岩陰には雪の跡もあって冬の気配を感じさせました。

山頂からの展望を堪能し終えたら往路を避難小屋へ戻り、パッキングをしなおして下山を開始しました。道は岩がちの急坂がやがて沢に変わりましたが、あらかじめ心配していた帯岩も鎖を使ってなんということもなく通過し、やがて道が沢を離れて牧場の中を抜けるようになると、牛や馬、山羊を眺めながらの楽しい散歩道となりました。