一ノ倉沢衝立岩ダイレクトカンテ(敗退)

日程:2008/10/11-12

概要:土曜日に一ノ倉沢出合まで入って幕営。翌日衝立岩ダイレクトカンテを狙うも、2ピッチ目にスリング及びハーケンの破断によって2回フォールし、敗退。最後は時間切れで暗闇の中をテントに戻る。

山頂:---

同行:ムラタ氏 / シオノヤ氏

山行寸描

▲一ノ倉沢右岸から見るテールリッジと衝立岩。何やらおどろおどろしげ。(2008/10/12撮影)
▲衝立岩全景。上の画像をクリックすると、ダイレクトカンテ敗退の顛末が見られます。(2008/10/12撮影)
▲フォールしてぶら下がったところ。二度も落ちるなんて……。(2008/10/12撮影)

湯河原幕岩などで何度かご一緒したムラタ氏とその仲間のシオノヤ氏との3人で、連休の一ノ倉沢に入ることにしました。狙うルートは衝立岩のダイレクトカンテと烏帽子沢奥壁変形チムニー(通称「変チ」)。変チの方は岩の濡れ以外さほど不安要素はなかったのですが、問題はダイレクトカンテです。記録を検索しても残置ピンの貧弱さを訴えるものばかりですし、中には敗退したクライマーの魂の叫びのような動画まであったりして下手すると命がけかもという感じ。ただしムラタ氏は2年前にダイレクトカンテを登っていてその点は非常に心強いものがあり、残置ピンを慎重に選べば何とかなるだろう……と思って出向いたのですが、その考えはやはり甘かったようです。

2008/10/11

△15:20 谷川岳ベースプラザ → △16:00 一ノ倉沢出合

交通手段に車ではなく電車を使うことにした我々は、三連休の初日を移動日にあてて一ノ倉沢出合で待ち合わせることにしました。ところが、水上から乗ったバスの終点・谷川岳ロープウェイで雨をやり過ごすためにベースプラザの庇の下に入るとムラタ氏も同じバス。体育会系のノリをもったパワフルそうな青年シオノヤ氏ともここで初対面の挨拶を交わしました。しばらく空模様を見て、雨が強くなる気配もないので交通規制が敷かれた一ノ倉沢への車道をのんびりと歩く途中、出合には何張りテントがあるだろうか?という話になって、私は5張り説、ムラタ氏は10張り説を唱えましたが、到着してみれば意外にも先客は大型テントひと張りだけ。せっかくの連休だというのにどうしたことだと驚きながら駐車場の前を出合に近づく我々に車から下りてきた群馬県警の方が「これから登るんですか?」と質問してきましたが、もちろん今日は泊まるだけです。しばし検討の末、車止めのすぐ先の位置に我々のテント2張りを設営しました。

17時を過ぎると急速に暗くなってきましたが、そのときテールリッジの上の方にヘッドランプの明かりが複数またたいているのに気が付きました。この時刻にあの場所だと下り着く前に真っ暗になってしまうけれど大丈夫かな?と心配になりましたが、ここからでは何をどうできるものでもないので、とりあえず食事を済ませてシュラフに潜り込みました。しかし20時半頃にトイレに行くためにテントの外に出てみるとヘッドランプはまだずいぶん上の方にあり、光の点がばらけて動いているところからすると懸垂下降でテールリッジを下っているようです。結局、彼らが下山して我々のテントの横を足音を響かせながら通り過ぎたのは23時15分でした。無事に下山できてよかった!それにしてもテールリッジの上から出合まで、暗くなると6時間もかかるものなのか……。

2008/10/12

△05:55 一ノ倉沢出合 → △07:40-08:05 テールリッジ上部 → △09:50-10:00 ダイレクトカンテ取付 → △13:20 敗退決定 → △16:10-25 テールリッジ上部 → △18:35 一ノ倉沢出合

とりあえずは午前3時に起きて食事をしてはみたもののガスに加えて風も強くしばらく様子見としましたが、やがて風が収まって十分明るくなった頃に他のパーティーの動きに促されるように我々も出発することにしました。沢の中のゴーロと右岸の樹林の中の道を縫い、右岸のリッジに上がって懸垂下降地点からたくさんのクライマーがクライムダウンしたり懸垂下降したりする中を我々もロープを出してラペルダウン。

残雪のある季節なら埋まっているテールリッジ下部も今はそこそこの高度差となって対岸になだらかな斜面を作っており、アプローチシューズのフリクションでバンドをつなぎながら登ってテールリッジ末端のフィックスロープまで達しました。ここからは通い慣れたテールリッジの登りですが、紅葉の美しさもさることながらついつい衝立岩のダイレクトカンテを目で追ってしまい、なかなか足がはかどりません。近づけば近づくほどに衝立岩は圧倒的な角度で迫ってきてその威圧感に押し潰されそうになりますが、ダイレクトカンテのラインは明瞭ですっきりしています。ところが先行パーティーはいないだろうとたかをくくっていたら、テールリッジ上部で衝立スラブの横断点を探しているうちに中央稜の取付付近から右へトラバースする2人組パーティーがいました。ビレイしている方に「ダイレクトカンテですか?」と聞くとそうだということなので思わず顔を見合わせましたが仕方ありません。どうせ3人の我々の方が遅いので、ここは焦らずついていくことにしました。

我々は中央稜取付より半ピッチくらい下から右へトラバース。行き着く先に笹に覆われたバンドがあって、そこにアンザイレンテラスへ続くフィックスロープが張ってありました。アンザイレンテラスへの登りは急な壁の木登り混じりになりますが、フィックスロープのおかげでさほど困難もなく到着し、ここでシューズをクライミングシューズに履き替えてテラス右端の懸垂支点から右下へ下るバンドに沿って斜め懸垂で下ったところがダイレクトカンテの取付となります。トポによればここから北稜上の終了点まで4ピッチで、そのうち前半を私、後半をムラタ氏がリードする計画です。

1ピッチ目(45m / IV-):取付から最初は真上に見えるテラスに向かって直上しましたが、ふと気付くとずいぶんシビアなかぶり気味の壁になっていて、ここでムラタ氏から「もっと下から右へ入るのが正解」と指導が飛びました。えっ!もう少し早く言ってよ、と思いつつ2mほど微妙なクライムダウンをこなすと確かに草付の中に右へ通じる踏み跡があり、これを辿って右へ回り込んでから凹角を直上。つるんとした壁に抜けてそこに打たれているリングボルトを目印に狭いバンドを左へ折り返してビレイポイントに着きました。ちょうど先行パーティーは同じビレイポイントの左寄りからダイレクトカンテではなく隣のミヤマルート2ピッチ目に取り付いていて、そういえば先ほど頭上で「バキ!うわっ!」と言った音と声が響いていたのですが、今もロープにぶら下がった状態でしきりにラインを探っている様子でした。

2ピッチ目(35m / A1+):出だしは、ビレイポイントから右上にフレーク状の岩が重なったフェースをフリーとA0で上がり、ついで真上に垂れたスリングにアブミを掛けて乗り上がって、今度はハングの下を左上。ハングを抜けたところでダイレクトカンテのディエードルの右垂壁をアブミの掛替えで登ります。こう書くと簡単そうに聞こえ、実際残置ピンの間隔も近く普通なら楽勝なのですが、何しろどのハーケンも変色していていつ破断するかわからない恐ろしさがあり、たまに新しげなクロモリやリングボルトがあってほっとしても、その間が錆ついたハーケンだったりほつれかけたスリングだったりして心臓によくありません。広沢寺でのトレーニングでやるようにダイナミックに最上段に乗り込むなどということはとても無理で、だましだまし真っすぐ身体を引き上げることしかできません。

おまけに用具面での失敗が二つ。私のアブミのリストループはカラビナにテープスリングを巻いたものなのですが、その片方が途中で抜け落ちてしまいリストループを使えるアブミが1台になってしまった上に、シビアなフリー区間となるはずの4ピッチ目を念頭に履いているX-RAYのベルクロがテープアブミにまとわりついて足さばきを制約します。この忙しいときになんてこと!と焦ってみても後の祭りですが、それでもなんとかハングを抜けてディエードルに入り、数m上がったところで3mmスリングの輪が二重に巻かれた残置ピンに達しました。

このスリングは見るからに信用できなさそうで、後から振り返ればここで落ち着いて手持ちのワイヤーナッツを使うか、せめてデイジーチェーンで下のアブミにバックアップをとればよかったのですが、深く考えずに二重スリングの内側の輪にアブミを掛けて加重した途端に「バツッ!」という音がしてバランスが崩れ、滑った両手がアブミから離れると思い切り背中からフォールしてしまいました。壁にかかったアブミが見る見る上方へ遠ざかっていくのを見ながら無意識のうちに「うわーっ!」という声を上げていましたが、ビレイヤーのムラタ氏が素早く止めてくれて6-7mのフォールで空中にぶら下がりました。見れば、自分を支えてくれたのはハングを抜ける最後の位置にあった比較的新しいリングボルトで、しかもそこは私がランナーを掛け損ねていたのをシオノヤ氏が下から見つけて指摘してくれ、あわててランナーを掛け直していた場所でした。もしここでシオノヤ氏がランナーが外れていることを見つけて注意喚起してくれていなかったら、このフォールは致命的なものになっていたことでしょう。真円だったリングボルトのリングは後から登ったムラタ氏曰く「長方形」に伸びきってしまったそうですが、私の叫び声には隣のルートのパーティーも驚いたようです。しかし彼らはロープにぶら下がっている私に「(切れたのは)ハーケン?スリング?」と聞いてきた上で「こっちもハーケンが3回も折れて、もう引き上げるところ」と言いつつなんだか妙にうれしそうでした。

ともあれリングボルト1本にぶら下がっている状態で登り返しをする気にはなれず、そろそろとロワーダウンしてもらってから身体を点検すると、負傷は左手甲に派手な擦過傷と左の臀部の軽い打撲のみ。どうやら行動能力まで失ってはいないようなので協議の結果、ムラタ氏にリードしてもらって登攀を続行することにしました。さすがにムラタ氏は軽やかに登っていって、私がフォールした場所も慎重に越えるとやがて2ピッチ目を登りきり、下にいる我々に後続するようにコールを掛けてきました。

2度目のトライはセカンドなので気が楽ですが、アブミの1台は切れたスリングの外側の輪に、もう1台はその下の残置ピンに掛かった状態ではるか頭上にぶら下がったまま。よって手元に残されたのは予備のアブミが1台とアジャスタブルデイジーです。この組み合わせで人工登攀ができることはアジャスタブルデイジーの取扱説明書で知識としては知っていましたが、実践したことはまだありません。ままよ、とぶっつけ本番で登ってみると意外にスムーズに身体を引き上げていくことができて、これは具合がいいぞと喜びながら登り続けたのですが、ハングの最後で右手のアブミを残置ピンにかかったスリングに掛け、身体を思い切り左へ倒し込んで遠いピンに左手のデイジーのカラビナを掛けようとしたとき、右手の残置ピンの頭が破断してまたしてもフォール。今度は上から確保されているのでぶらんと振り子のように落ちただけですみましたが、さすがに心が折れました。それでも上のビレイポイントにいるムラタ氏からの指示に従いいったんはセルフレスキューで登り返すことにして5mmスリングをメインロープに巻き付けたのですが、戦意を喪失している上に時間が押してきていることもあって、壁の上と真ん中と下とで協議の結果、ここで撤退することになりました。

再びゆるゆるとロワーダウンしてもらってビレイポイントに帰還したところでシオノヤ氏からは「ナイスファイトです」と言ってもらいましたが、敗退は敗退です。ムラタ氏も懸垂下降で戻ってきて、ハングの下に残したいくつかの残置物はせっかくの機会だからとシオノヤ氏にトップロープ状態で回収してもらいましたが、シオノヤ氏の初人工登攀も落ち着いたものでした。

3人が揃ったところでビレイポイントの左手の支点に移動して懸垂下降でダイレクトカンテ取付に戻り、後はアンザイレンテラスへ登り返してフィックスロープ沿いに笹のバンド、そして衝立スラブを横断してテールリッジ上部に戻ったときには日没まで1時間を切っていました。小休止の後にテールリッジをとっとと下降しましたが、末端のスラブに達する頃にとうとう暗闇につかまってしまい、ヘッドランプと月明かり頼みでスラブを下降。右岸の登り返し、リッジの下りを慎重にこなして河原に下り着き、なんとか右岸の巻き道も見つけて出合に張ったテントに帰着できました。前夜の深夜残業パーティーを見て「我々は残業はしないようにしよう!」なんて言っていたのに、やれやれです。

とにかく無事の帰還を祝ってアルコールを持ち寄りながら、遅い夕食としました。いろいろと反省点はありますが、何といっても生きて帰ったのだから究極的には成功ということにしようという結論を導き出して就寝したのは、21時前でした。