塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

権現岳東稜

日程:2007/02/10-12

概要:土曜日に出合小屋へ入り、翌日権現岳東稜を登攀。権現小屋前でツェルトをかぶって一夜を過ごし、翌日ツルネ東稜から下山。

山頂:権現岳 2715m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲権現岳東稜核心部。上の画像をクリックすると、権現岳東稜の登攀の概要が見られます。(2007/02/11撮影)
▲リッジから左のフェースへ回り込む私。これが正しいラインかどうかは不明。(2007/02/11撮影)
▲ツルネ東稜から見た権現岳バットレス(奥の黒い部分)。手前に見える旭岳東稜にもいずれ行ってみたい。(2007/02/12撮影)

この冬、現場監督氏との間では何度か山行の計画が持ち上がっていたのですが、お互いの都合やケガなどがあってここまで冬山のプランが実現していませんでした。ようやく満を持して向かったのは八ヶ岳東面、昨年ラッセル敗退した因縁の権現岳東稜です。

2007/02/10

△12:45 美しの森 → △15:05 出合小屋

正午過ぎに清里に到着する列車に乗り、駅からはあらかじめ現場監督氏が手配してくれていたタクシーで美しの森駐車場まで。ここで準備をしている5人パーティー(後でお聞きしたら同流山岳会とのこと)に行き先を聞いてみると、我々と同じ権現岳とのこと。どうやら昨年のような2人ぼっちということはなさそうで少々安心しました。もっとも実際はそれどころではなかったのですが、そのことについては後ほど。

1年ぶりの林道を歩いて、出合小屋を目指します。今年はずいぶんな寡雪で道はところどころむき出しになっており、厳冬期だというのにかなり暖かく感じます。それでも白い岩壁を威圧的に見せる権現岳や旭岳を眺めながらのんびり歩き、沢沿いも特に問題になるような箇所はなく、実働2時間で出合小屋に到着しました。

小屋の中には2人パーティー2組が陣取っており、先行していた5人は奥の左手へ、我々はアイスが目的のぶなの会の2人がわざわざテントを片付けて空けて下さった奥右を占めることになりました。ちなみに先に小屋にいた年配のもう1組は天狗尾根を目指すとのこと。

自分たちの陣地を確保したところで、現場監督氏は「一応様子を見てくる」と言って出て行きました。私はといえば清里駅で立ち寄った酒屋で仕入れてきた日本酒を取り出して、一人で勝手に酒盛り開始。ぶなの会の2人が恐ろしく手の込んだカレー(?)を作る様子や、同流パーティーが網でキノコを焼いているのをちょっとうらやましく眺めながらも、けっこう幸せな気分に浸っていました。やがて17時すぎになって帰ってきた現場監督氏は取付の斜面の上まで行ってきたそうで、尾根上にも先行パーティーがいるらしくしっかりしたトレースがつけられていることを確認してくれていました。どうやら昨年のようなラッセル敗退の憂き目は、今年は見ずにすみそうです。明日の成功を祈って改めて乾杯し、その後食事を済ませるとすぐにシュラフの中に入り、あっという間に眠り込みました。

2007/02/11

△05:40 出合小屋 → △06:45-07:15 権現岳東稜取付 → △10:00-45 ギャップ手前の小ピーク → △12:05-14:25 バットレス基部 → △18:00-18:10 稜線 → △18:30 権現小屋

3時起床。しかし外は雪混じりのあいにくの天気で、一応予定の4時には出られる態勢に入ったもののしばらく様子見とすることにしました。やがて他のパーティーも起き出し、外も明るくなってきたので5時40分に出発しました。出合小屋の外にも4人パーティーがテントを張っていたのですが、その4人が旭岳東稜に取り付いているところで追いつき、権現沢へは我々が先行することになりました。しかし一夜のうちにトレースは新雪に埋もれており、歩きにくいことおびただしい。何の気なしに「ワカン持ってくればよかったなぁ」と言った私の言葉に反応した現場監督氏が「それじゃ取ってくる」と出合小屋へ引き返しました。うーん、なんたるバイタリティ。その間に先ほどの4人がやってきて不思議に思っていると、どうやら本当は権現岳東稜へ行くつもりだったのに誤って旭岳東稜に取り付いてしまったということを話してくれました。その4人がゴルジュの先の正しい斜面を登っていくのを見送って待つことしばし、ワカンをとってきてくれた現場監督氏を迎えて、ここでハーネスを着け、いよいよ我々も取付の登りにかかりました。

雪の斜面を右寄りに登っていくと、昨年ちょっとしょっぱい思いをした木登りよりは多少易しい乗り越しで尾根上に上がり、後はトレースを追いながら高度を上げていきました。時折雪がちらつくものの空には青い部分も見え始め、どうやら一日の行動には支障がなさそうです。途中2カ所の幕営跡を見送ってなおも足を進めると、9時頃に先行パーティーに追いつきました。数えてみるとその数8人で、尾根上のテントが2人×2組、それに取付で見送った4人という内訳です。ここからはひたすらラッセルのようで、我々ももちろん列の後尾につきましたが、実は既に相当高度が上がっており、我々に順番が回ってくる前に黒々とした権現岳バットレスを目の前に見上げる小ピークに到達しました。ありがたく思うと同時に申し訳ない気持ちでいっぱい、そしてここは昨年の最高到達地点です。

昨年はここからバットレスまでまだずいぶん距離があると見えたので敗退を決定したのに、今年こうして見ると岩場は目と鼻の先。どういう目の錯覚だったのでしょうか?ともあれ、ここからは雪の戸渡りを渡って細い岩稜を登るようになっており、先頭の2人パーティーはロープを取り出しています。我々もこれにならってアンザイレンし、順番が来るのを待ってここから登攀開始としました。

ロープは8.5mmシングルで、現場監督氏からスタート。先に行った人たちが岩稜の雪を落としてくれていることもあり、さしたる苦労もなく登って30mほどで先行パーティーのビレイポイントに達し、そこでピッチを切りました。後続した私も、先行のセカンドの動きに合わせて2ピッチ目をリード。ここは樹林の中の凍った草付で、けっこう斜度があるのでそれなりに緊張します。ところどころ灌木でランナーをとりながらロープを伸ばして、やはり30mでバットレス基部手前の灌木で先行に追いつきました。

灌木にスリングを結んで支点を作り現場監督氏を迎えたところはバットレスの直下で、左上に1段上がった雪の斜面を切って先行が何人か固まっており、ルートはその先のリッジを回り込んだところにある模様。また頭上に1段上がったところにバンドがあって、先行の1人がそちらにも待機していました。現場監督氏の後ろからすぐに先ほどの小ピークで追いついてきた同流パーティーも上がってきて、これでバットレス周辺には我々を含めて5パーティー15人が固まっている計算ですが、ここからが長かった!たまにコールが聞こえるのですが、どうしたわけか先行はぴたっと止まったまま動きがありません。リッジの向こう側で何が起きているのかさっぱりわからない(どうやら最初に取り付いた2人組が大苦戦した模様ですが真相は不明)ので、足踏みしながら早いところ順番が来てくれるよう祈るしかなく、手持ち無沙汰なままに時折広がる青空をバックに樹氷の写真を撮ったり、同流パーティーとおしゃべりしたりしながら時間を潰しました。

しかし1時間たっても進展がなく、徐々に「時間切れ敗退」というフレーズが脳裏をよぎり始めます。最後尾の同流パーティーは権現岳東稜に関してはなぜかツキがなくこれが3度目の正直なのだそうですが、なにしろ大所帯だけに時間の経過は深刻で、ここからは姿が見えない先行クライマーに向かって「練習してから来てくれ」などとぶつぶつ(この言葉には自分も内心ギクリ)。さらに待つこと30分、とうとう同流パーティーが諦めて懸垂下降の態勢に入ろうとしているときに、今度は左手のリッジの下という思いもかけない方向から忽然とぶなの会の2人組が現れました。彼らは権現沢左俣に入って大滝を登ってから、尾根を詰めてこのバットレスにぶつかったのだそうです。彼らも、同流パーティーと並行するように懸垂下降で下って行き、とうとう我々がこの日最後のパーティーということになってしまいました。

我々の直前にいたパーティーはご夫婦らしき男女2人組で、その2人がようやく動き始めたときにはバットレス基部での待機が2時間を超えていました。この間、身体が固まってしまわないように膝を屈伸したり足踏みしたりしながら待つしかなかったのですが、とにかく先行パーティーが動き出したので一安心。明るいうちに稜線に抜けられさえすれば、私のリュックサックにはツェルトがあるし現場監督氏は火器持参。そして2人ともシュラフカバーを持ってきているので、ビバークも可能です。

リッジ手前の灌木に移動してビレイの態勢に入り、ここから改めて登攀を開始しました(以下グレードは自分が感じたもの。ただし素手なら体感グレードはワンランク落ちるものと思われます)。

1ピッチ目(20m / IV+,A0):現場監督氏のリード。灌木から左に回り込んで行って、右からのバンド上へ乗り上がるところで現場監督氏は苦戦していましたが、なんとか切り抜けて安定したテラスに出て、いったん先行の動きを待ってからさらにリッジを登っていきます。ついで、先行のフォローが動き出すのを待ってコールが掛かり、私も後続。なるほど、最初に乗り上がるところは意外に立っていて難しく、左手は頼りない小灌木を数本まとめてつかみ、右足を引っ掛けるところを見つけてずり上がっていくのですが、寒さのせいで指に力が入らないためスムーズに抜けることができません。なんとか1段上がって一息つきましたが、続く正面のリッジは垂直に近く、フットホールドは細かい上に分厚い手袋では安定したホールドを得ることができません。恥ずかしながら、結局ランナーをつかんでA0にしてしまいました。

現場監督氏のところに達してみると狭いテラスのビレイポイントはハーケン1本だけで、そこに現場監督氏が1本打ち足して支点としてくれていたのですが、ロープ長から考えればここは正規の支点ではなく、さらに上にロープを伸ばすのが本来だったのでしょう。しかし最初に取り付いたパーティーがここでピッチを切ってしまったために、後続のパーティーも皆ここを支点とすることになったようです。それにしてもこのピッチでは現場監督氏が動き出したのが14時25分で、その後上と下とに分かれて先行パーティーの発進を1時間以上も待ち、私が動き出せたのが15時50分、現場監督氏の待つリッジ上のテラスに着いたのが16時15分。バットレス基部に着いてから実に4時間10分が経過しています。

2ピッチ目(25m / IV+,A0):私のリード。先行パーティーの登り方を見ていた現場監督氏からレクチャーを受けて、直上ではなく左のフェースへ出ていくラインをとりました。まずは1段上がってあまり信用できないハーケンに最初のランナーをとり、そこから外傾したスタンスを拾いながら左へトラバース。5mほどのところにある岩の上に隠れるように打たれたハーケンに足元をだましだまし伸び上がってクイックドローをかけ、これをA0に使ってわずかに左上。そこからは細かいフットホールドを探しながら、緩やかに弧を描くようにフェースを右上。傾斜はおそらく60度くらいで、落ち着いてフットホールドを探せばいつも練習している広沢寺の岩場と同じくらいだと思われるのですが、アイゼン手袋着膨れ状態でこのグレードは今の自分には限界に近いものがある上に、いくら登ってもハーケンが見つかりません。まだかまだかと思いつつ、例によってルートの状態を実況中継(「ぼやき」ともいう)しながら登るうちに先ほどA0したランナーははるか下方に遠ざかっていき、しかも1カ所、次のフットホールドが高い位置にあるため途中ののっぺりした岩のかすかな窪みにアイゼンの前爪を押し付けながら凍った草付に打ち込んだバイルにほぼ全体重をかけなければならないシチュエーションになってしまいました。ここでバイルやツァッケが外れたら一巻の終わり、下手すれば現場監督氏も巻き込むことになるな、とはちらと思ったものの、そんなことをあれこれ考えているヒマはありません。どうせクライムダウンは不可能なので、腕も足もパンプしてしまう前に次のハーケンに向かって前進しなくてはと開き直って、息を整えてからおもむろに身体を引き上げにかかりました。

やっと次のランナーをとれたときは心底ほっとしましたが、この間10mのランナウトは本当に心臓にこたえました。最後は緩やかになって岩壁にぶつかり、ハーケン2本が連打されスリングが結びつけられた支点に到達。現場監督氏にロープの残りを聞くとまだ半分残っているとのことでしたが、ここから先に進むと後続の様子が見えなくなりそうだったのでピッチを切ることにし、岩角に手持ちのスリングをかけて補強した支点を作ってビレイ態勢に入りました。後続した現場監督氏はさすがのスピードで登ってきましたが、彼にとってもこのピッチはシビアに感じられたようで、肩で息をつきながら「塾長さん、これは凄いよ」と言ってくれました。ここは技術以上に度胸を試されるピッチで、私は目に見えない『何か』に登らせてもらったという感じ。それでも先行パーティーが抜けきってくれていたおかげで壁の途中で行き詰まるということはなく、このシビアなピッチを2人合わせて50分は私にしては上出来です。

3ピッチ目(45m / III):現場監督氏のリード。正面のかぶり気味の岩をそのまま登ることもできそうでしたが、左に回り込むバンドがトレースされており、その先は草付のミックスです。目いっぱいロープを伸ばした現場監督氏はしっかりした灌木で支点を作り、後続した私を迎えてくれました。ここまでの2ピッチに比べればほとんど「癒し系」ですが、空はどんどん暗くなり視界が狭くなってきているので油断は禁物です。

登攀はこれで終了で、灌木のすぐ上からはきれいな雪稜になっており、この先はコンテで登ることにしました。1ピッチ分上がると眼前が開けて、赤岳や阿弥陀岳がかすかな残照の中に巨体を沈めようとしているところ。そこから左へいったんトラバースしてから、これも素晴らしくきれいな雪稜の上を何の危険もなく歩いて、どうにか明るさが残っているうちに稜線に到達しました。

通常はここから旭岳を越えてツルネ東稜を下るところですが、既にバットレス基部にいる間にそれは時間的に無理と見切りをつけ「青年小屋の冬季小屋を使わせてもらうことにしよう」と作戦を変更していました。権現岳までは指呼の間で、強風の中とりあえずロープをリュックサックに押し込み、我々の直前を登っていた男女パーティーが稜線直下に張ったテントに「お疲れさまでした!」と声を掛けて権現岳方面を目指しました。ちなみにこの2人は昨夜東稜の途中にテントを張っていますからフル装備での登攀ですが、にもかかわらず登るのが速く舌を巻きました。

権現岳の直下には、はるか昔に立ち寄ったことがある権現小屋が山側を半ば雪に埋もれさせて建っています。青年小屋へ行くには目の前のギボシを越えて1時間ほどの行程になりますが、もはやそれだけの距離を歩き通す気力・体力は我々には残っておらず、雪が吹き溜っていない権現小屋東面にツェルトを張ることにしました。

風にあおられながらツェルトをかぶり、さっそく現場監督氏が棒ラーメンを作ってくれました。考えてみると、この日最後に固形物を口にしたのは午前3時すぎの朝食時でしたから、ほぼ16時間ぶりの食事です。食べるものを食べてしまえば、後は長い夜をしのぐだけ。靴紐を緩め、リュックサックに入れてあったありったけの衣類を着込んでモンベルの回し者のような姿になってから、シュラフカバーにもぐり込みました。

後からわかったことですが、このとき我々の仲間Sakurai師も単独で三ツ頭下の樹林帯にテントを張っていたのだそうです。それを知った現場監督氏は「それなら温かいコーヒーくらい差し入れて欲しかった」と無茶な感想を述べていましたが、実は私もまったく同感です。

2007/02/12

△07:45 権現小屋 → △09:00 ツルネ → △11:45-12:55 出合小屋 → △14:45 美しの森

厳しい寒さと風の中、ビバークの辛さに耐えながらまんじりともせず一夜を過ごし……と書きたいところですが、後で現場監督氏に聞いたところでは私はいびきをかきながら堂々と眠っていたそうです。確かに、足先は冷たく痺れて何度も動かさなければならなかったものの、上半身は比較的暖かく過ごすことができました。朝方のツェルト内の気温はマイナス12度だったといいますから、厳冬期のビバークとしてはずいぶん条件が良かったようです。

午前5時に起床。朝食をとって出発できる態勢にはなったものの、ツェルトをめくると真っ白いガスが周囲を覆っています。このためしばらくはツェルトの中で晴れ待ちをしていましたが、いつまでも天候は好転しないので仕方なく、腰を上げることにしました。ちょうど青年小屋方面から大人数が登ってきたのを追いかけるように我々も行動を開始し、ピークを越えたところで出発の準備をしている昨日の男女パーティーと挨拶を交わしてから権現岳名物の長い梯子を下降して縦走路を北上。旭岳は西を絡むように登り、さらに先行者の足跡を辿りながら風に締まった雪の上を歩き続けました。

ツルネまでの稜線は気象条件が厳しく、ここで左(西)からの風に吹かれ続けたため左頬と鼻筋に軽い凍傷を負ってしまいましたが、東面のツルネ東稜に入ると途端に風から解放され、同時にガスもとれて眺めの楽しい雪稜の下降になりました。尾根の右手には昨日登った権現岳やその手前の旭岳が大きく高く聳えており、時間にゆとりがあることもあってつい足を止めて見とれてしまいます。ところが、この尾根は左方向に下ることを意識しなければならないのに、しっかりしたトレイルが尾根の右手に下っているのに引き込まれて本来のルートを外してしまいました。結局尾根の右手の沢筋に入って、2カ所懸垂下降も交えつつこれを下降し、出合小屋に着いたのはお昼時。何はともあれ昨年の借りを返せたことを喜び、小屋前で現場監督氏とがっちり握手しました。

ツルネ東稜の途中で我々を抜かして行った男女パーティーが身支度をしているのと天狗尾根に行くと言っていた年配ペアの荷物がデポしてある以外は人の気配もなくなった寂しい出合小屋で装備を解き、最後に簡単に小屋内の掃除をしてから、凍りついてすっかり重くなった荷物を背負って美しの森へ下りました。

こちらは『やっぱり山が好き!』のsudoさんが2007年2月25日に権現岳山頂から撮影した権現岳東稜のいわゆるバットレスの写真。緑枠内にクライマー、黄枠内にビレイヤーが写っています。

クライマーの位置から横に顕著なバンドが見えますが、これが私が2ピッチ目の出だしでトラバースしたところ、さらにスカイラインの上方の黒々とした岩が、2ピッチ目のリードを終えて現場監督氏を迎えた場所でしょう。登っているときはルートの全体像がいまひとつわからなかったのですが、なるほどこうなっていたのか……。