塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

甲斐駒ヶ岳赤石沢奥壁中央稜

日程:2006/07/29-30

概要:黒戸尾根を登って七丈小屋泊。翌日、八合目から八丈バンドを渡って奥壁中央稜を登り、登攀終了後に甲斐駒ヶ岳山頂を踏んでから、黒戸尾根を下山。

山頂:甲斐駒ヶ岳 2967m

同行:Niizawa氏

山行寸描

▲八合目から見る奥壁。上の画像をクリックすると、奥壁中央稜の登攀の概要が見られます。(2006/07/30撮影)
▲1ピッチ目で奮戦中の私。リュックサックがつかえて身体がクラックに入らない。(2006/07/30撮影)
▲下部岩壁最終ピッチを登るNiizawa氏。遠景は摩利支天峰。(2006/07/30撮影)

健脚のNiizawa氏と登るのなら、南アルプスの山こそふさわしい……と自分の脚力の弱さを棚に上げて山行計画を検討した結果、仕事が忙しく土日しか使えない彼と行ける場所として白羽の矢が立ったのが、若干マイナーながらトポもある甲斐駒ヶ岳赤石沢奥壁中央稜です。とはいうものの今年は梅雨明けが極端に遅く、この週末も雨模様の予報だったので「これは無理かな?」と奥秩父の鶏冠谷左俣の土曜夜発日帰りプランに切り替えていたのですが、金曜日の夕方に予報を見るとお日様マークが並んでいたためにあわててNiizawa氏に携帯で連絡を入れ、元の計画通り土曜日早朝発で2日間まるまるを甲斐駒ヶ岳に振り向けることにしました。これも日頃の行いのおかげですなあ、と海の日の三連休が雨に祟られて北アルプスの予定が丹沢に変更されたことはすっかり忘れて喜色満面。もっとも、後で聞くと急な変更のせいでNiizawa氏の奥さんはおかんむりだったそうです(申し訳ありません)。

2006/07/29

△08:00 竹宇駒ヶ岳神社 → △11:55-12:05 五合目 → △12:55-13:40 七丈小屋 → △14:15 八合目御来迎場 → △14:55-15:00 中央稜取付 → △15:20 八合目御来迎場 → △15:50 七丈小屋

朝の5時半頃に調布駅でNiizawa氏と落ち合って、Niizawa号で走ること約2時間。竹宇の駐車場で身繕いをして、駒ヶ岳神社で登攀の無事を祈って手を合わせてから黒戸尾根の登りにかかりました。甲斐駒ヶ岳に登るのはこれが5回目ですが、黒戸尾根を登るのは初めて甲斐駒ヶ岳に登った1988年以来です。ただし2003年に黄蓮谷を遡行したときの下りに歩いてはいるので、この尾根の長さ・厳しさは十分刷り込み済み。Niizawa氏の相変わらずのハイペース、そして珍しくカムなども持ってギアが重いリュックサックに苦しめられながら、それでも淡々と登りを続けました。朝のうちは日が差して暑かったのですが、やがて雨雲が広がってきて気温がさほど上がらなかったのがかえって救いです。

7月下旬の週末だというのに黒戸尾根を登る登山者の姿は見当たらず、わずかに笹ノ平あたりでAフランケ同志会左フェースを登ったという2人パーティーとすれ違い、さらにすっかり廃屋と化した五合目小屋(後で聞いたところでは小規模なシェルターへの建替えが決まっているのだそう)のしばらく先で昨年8月に登山道から転落死した登山者の仲間数名が現場に線香を手向けているのに出会ったくらいでした。

時折強く降るようになった雨に「あの天気予報はいったい何だったんだ!」とぶつくさ言っているうちに七丈小屋に着いて、中でジュースを買い求めてから小屋の管理人さんに天気の様子を聞いてみたところ、梅雨前線が西に戻ってしまっていてまだ雨は続くよとのご託宣。予定ではこのまま八合目まで上がって岩小屋に泊まるつもりでしたが、雨が降り続くのでは考えものです。このためNiizawa氏と相談の結果、今宵はこの小屋に素泊まりでお世話になることにしました。

管理人さんもクライマーらしいのでNiizawa氏が「中央稜を夏に登る人は少ないですよね?」と聞くと「冬だって少ないですよ。ロープつけて薮漕ぎするようなルートですもん」とがっくりくるような評価でしたが、それでもルートの様子についてあれやこれやと教えてくれて、とりあえず今日は取付まで偵察に行くことを勧めてくれました。

リュックサックを小屋に置き、私のアタックザックにヤッケと水だけ詰めて八合目へ上がりましたが、相変わらず残骸のままの鳥居からは甲斐駒ヶ岳の山頂はガスに隠れて姿が見えません。そのまま尾根上を水平に歩いて登山道が再び高度を上げようとするところで左手に分かれる踏み跡が八丈バンドの入口で、泊まる予定だった岩小屋は登山道から私の歩幅で1、2歩の場所。確かにしっかりした屋根と意外な奥行きのある岩小屋ですが、床面は少々じめじめしており雨も降り込みそうです。登山道脇には幕営にかっこうの小平地があって、天気が悪くなければむしろそちらに泊まる方が快適そうでした。

八丈バンドの明瞭な踏み跡はどんどん奥へと進み、やがて1段下がってさらに奥に進んだ後、白くザレて目の前が開けた場所に出ました。ここには甲斐駒ヶ岳の岩場の開拓で名高い東京白稜会の慰霊レリーフがあって、1962年1月にこの奥壁で遭難した森義正氏(奥壁左ルンゼ初登者)ら3人の名前が刻まれていました。

これに手を合わせて先人の冥福を祈ってはみたものの、我々の方もなにしろ初めての場所なので地理的概念がつかめておらず、ガスで見通しもいまいちとあっては、とにかくバンドの最も低いところが左ルンゼ、その手前の水が流れているところが右ルンゼ、中央稜はその間、という程度の予備知識を頼りに進むしかありません。慰霊レリーフの手前から左下へ、アザミの葉の棘にちくちくやられて悲鳴を上げながらどんどん高度を下げ、最後に草付のいやらしい斜面を下ると、そこが水が滴り落ちている右ルンゼでした。ルンゼとバンドとの交点は広く安定したテラスになっており、かつて講中の人々が建てたのであろう銅製の角柱も残っていて、これなら間違いようがありません。

中央稜の取付は右ルンゼからほんのわずか先、谷側に背の高い灌木が立っているところにある顕著なワイドクラックでした。ホールドは豊富そうですが身体がつかえそうな微妙な幅で、思ったより角度が立っていて少々手強そう。オブザベーションして残置ピンの位置とおおまかな手順を頭の中に描いてから、元来た道を引き返しました。

登山道をゆっくり下って七丈小屋へ帰還したときにはテントサイトに数張りのテントがあり、小屋の中には我々以外に客が7人。夕方、テレビの天気予報は天候が好転しつつあることを告げていて、喜んだ我々は小屋で仕入れたビールと持参のウォッカで前祝いをやってから手持ちの食料でそそくさと夕食を済ませ、さっさとシュラフにもぐり込みました。

2006/07/30

△05:00 七丈小屋 → △05:45-50 八合目御来迎場 → △06:15-40 右ルンゼ → △06:40-55 奥壁中央稜取付 → △11:50-12:00 終了点 → △12:15-20 甲斐駒ヶ岳 → △12:35 終了点 → △13:15 八合目御来迎場 → △13:45-14:25 七丈小屋 → △15:05-10 五合目 → △18:00 竹宇駒ヶ岳神社

4時起床、5時出発。雲海の上に鳳凰三山と早川尾根、そして地蔵岳の左奥には富士山がはっきりと見えました。どうやら、よい一日になりそうです。

昨日の偵察時とは打って変わったギアの重さを肩に感じながら、呼吸を整えつつゆっくり高度を上げて、登り着いた八合目御来迎場からは甲斐駒ヶ岳の奥壁の堂々たる姿を見ることができました。その岩の大伽藍というべき姿に圧倒されるものを感じましたが、ここから見えているのは奥壁の上3分の2程に過ぎず、その下に奥壁の基部があり、そしてBフランケ、Aフランケと巨大な岩壁が連なっているというのですから、凄まじいスケールです。

ともあれ、昨日辿った八丈バンドの踏み跡をぐんぐん進んで右ルンゼのテラスに降り立ったところで身繕いをし、取付に移動してロープを結んでいよいよ登攀開始。Niizawa氏はシューズをスカルパ・マラソンに履き替え、私は黒戸尾根もこれで登ったナイキ・エアシンダーコーンのままです。

1ピッチ目:私のリード。ホールドは適度にあって迷うことはありませんが、やはりリュックサックやギアがつかえてクラックに入れません。幸い岩のフリクションは悪くないので、左足を思い切り外に出して態勢を安定させ、右手でとった頭上のホールドを頼みにずり上がるようにして登りましたが、苦しい姿勢に辛抱が足りずついA0を混ぜてしまいました。クラックを抜けた後はぼろぼろのフェースで、ここは元は草付だったらしいのですが、今はすっかり剥げ落ちています。ただし傾斜はきつくなく、スメアを利かせながら登って短い土のルンゼを抜け、古いスリングも巻かれたビレイにうってつけの灌木に自前のスリングでランナーをとったところでロープの残りを聞くと「あと25!」のコール。トポによればここは40mのピッチだからあと15mも登らなければならないようですが、それにしては手持ちのギアが寂しくなっていたのでここでピッチを切ることにしました。後続のNiizawa氏もクラックでは奮戦したようですが無事に登ってきて、選手交替です。

2ピッチ目:Niizawa氏のリード。右ルンゼ方向にわずかにトラバースして、目の前のスラブをぐるりと逆時計回りのラインで10mほど登りました(残置ピン3カ所あり)。どうやらこれがトポに言う「草付の剥げ落ちたフェース」のようですが、1ピッチ目とつなげて40mとすることも可能ではあるようでした。

3ピッチ目:スラブの上の安定した場所から草付の斜面にはっきりした踏み跡が左上しています。頭上の岩場の基部が第二バンドで、草付の踏み跡がバンドに達するところには垂直の壁にリングボルトが一つ打たれていました。このピッチは40mほどロープを伸ばしたので、Niizawa氏が2ピッチ目を短めに切ったのは正解でした。この後、バンド上を右方向に踏み跡が続いていたのでNiizawa氏を迎えてから念のためそちらへ偵察に行ってみましたが、どうやら右ルンゼへ出る道のようなので途中で引き返し、先ほどのリングボルトの下の灌木でNiizawa氏にビレイ態勢に入ってもらいました。

4ピッチ目:私のリード。リングボルトにアブミをかけて立ち上がると、出っ張った岩の上に残置ピンが隠れており、そこに2台目のアブミをかけてさらに身体を引き上げてから、右上の岩に乗り移りました。乗り移るところが瞬間的にIV級で、その先は脆い凹角になっていて枯木を手掛かりに1段上のレッジにずりあがりましたが、体重をかけた枯木がばきばきと折れる音を立てたのには心臓が凍りました。レッジの目の前には饅頭のように膨らんだざらざらの高さ2mほどのフェースの左にはっきりしたクラックが入っていますが、ここもクラックの上に垂れ下がっている木の枝を引き寄せて強引に上がりました。先ほどから枯木やら木の枝やらのお世話になりっぱなしですが、これをクライミングと呼んでよいかどうかは若干疑問です。

乗り上がったところからぼろぼろの岩をさらに右上できそうでしたが、バンド状を右手に回り込んでみるとザレた階段状になっていて、こちらの方が楽そうです。ここを越えたところでロープの残りを聞くと今度は「あと12!」の返事。中途半端な長さのコールに目を白黒させましたが、それを信じるなら頭上に見えている灌木までロープを伸ばせそうです。草付のルンゼを登って上に抜けると、目の前に明らかに5ピッチ目のフェースが広がり、その右下にこれまたビレイに格好の木の根が出ていました。この4ピッチ目は頭上の岩壁を右ルンゼ側に回り込むように右上していけばいいのですが、残置ピンは最初にアブミをかけた二つ以外見当たりませんでした。

5ピッチ目:右ルンゼに面して広がるフェースに作られたランペ状の右上チムニーの突き当たりから、左の垂壁を見事に断ち割るクラックが真上に走っています。リードのNiizawa氏が引いたロープはクラックの下あたりで止まってなかなか伸びず、手持ち無沙汰にビレイしている間、あざみの葉でひっかき傷だらけの腕を日光がじりじりと焼いて痛かったのですが、やがてロープはじわじわと引き出されていって、残り5mになったところで「ビレイ解除!」のコールが掛かりました。後続してみると確かにこのクラックのリードは歯ごたえがありそうで、Niizawa氏は残置ピンのほかに1カ所キャメロットの#2を使ってここを抜けており、A0も交えたようでした。セカンドの私の方は、レイバック気味に右へ身体を振り込んで引き上げればそこそこフットホールドもあって、こちらはなんとかA0にせずにすみました。クラックの上は短いフェースとなり、そしてブッシュ帯に入って下部岩壁は終了です。

ロープを解いてここから標高差300mのブッシュ登りですが、踏み跡は明瞭で迷うことはありません。時折岩や薮に突き当たって道を見失いかけましたが、そういうときはちょっと下がって反対方向を見るとたいてい踏み跡が回り込むようについていて、全てII級以下です。やがて踏み跡が岩壁に頭上を押さえられて水平にバンドを歩くようになると、前方のガスの中に黒戸尾根の姿がぼんやりと見えてきました。しかしこのバンドは最後に右ルンゼのわずか手前で際どく行き詰まって、そこから頭上の壁を右上する1ピッチが待っていました。再びアンザイレンして私がリードしましたが、時間も押してきているので下半分のスラビーなIV級部分は残置ピンの利きを確かめながらA0三連発、その後のIII級セクションはランナウトしてハイマツ帯に達すると、もうその先が登山道でした。

Niizawa氏を迎えて握手を交わしてから装備を外し、リュックサックをデポして甲斐駒ヶ岳山頂に向かいました。終了点から山頂まではゆっくり歩いて15分で、山頂には大半が北沢峠方面からと思われる登山者がたくさんいて、降りていく人の流れも駒津峰を目指していました。日差しはきついものの周囲にガスが垂れ込めていたために山岳展望は得られなかったのですが、登攀のゴールとして大きな山のピークを踏んだことに満足して下山にかかりました。

七丈小屋に戻って管理人さんからPETの野菜ジュースをおごっていただき、パッキングをし直したらすっかりお世話になった管理人さんにお礼を言って小屋を辞しました。

黒戸尾根の下りは長く、最後は膝や足の裏が痛くなってきましたが、それでも十分明るいうちに、ヒグラシの鳴き声が賑やかな竹宇の駐車場に下り着くことができました。

奥壁中央稜はブッシュが多くあまりすっきりしているとは言えませんが、それでも初めての甲斐駒ヶ岳の岩場は楽しいものでした。長大な黒戸尾根を登ってのアプローチ、花崗岩の大岩壁に引かれたラインの登攀、そして何よりゴールが名峰・甲斐駒ヶ岳のピークというロケーションがすてきです。次に黒戸尾根を登るときはぜひ、甲斐駒ヶ岳の岩場の白眉と言われるAフランケを目指したいものです。

▲鳳凰三山方面からの甲斐駒ヶ岳(写真提供「Rise:Forms!」 by TREK氏)

なお、黒戸尾根の八合目御来迎場から横に伸びる八丈バンドは左ルンゼを最低部としてぐっと高さを上げ、第二バンドを巻き込んでそのまま摩利支天峰の鞍部まで続いています。七丈小屋の管理人さんの話では、昭和20年代までは講中の人々は黒戸尾根を登り八合目御来迎場から八丈バンドを辿って摩利支天峰に詣でた後、山頂を踏んで黒戸尾根を下る周回コースを歩いていたとのこと。右ルンゼにあった銅製の碑(?)は、その頃の名残なのでしょうか。我々も、中央稜の取付まで行ってみてもし雨のために壁の状態がよくなければ、せめてこの周回コースを歩いてから下山しようかと話していたのですが、幸いにして天気に恵まれたために講中の道を歩くことはかないませんでした。