塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

阿弥陀岳北西稜

日程:2005/01/09-10

概要:行者小屋ベースで、阿弥陀岳北西稜をトレース。北壁側側壁ルートを採り、核心部ではアブミを使用。

山頂:阿弥陀岳 2805m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲北西稜核心部全景。上の画像をクリックすると、阿弥陀岳北西稜の登攀の概要が見られます。(2005/01/10撮影)
▲第二岩壁を正面から登攀中の先行パーティー。我々はここを左に巻いていく。(2005/01/10撮影)
▲最終ピッチを見上げたところ(写っているのは私)。残置アブミが恥ずかしい……。(2005/01/10撮影)

先月、大同心南稜を敗退した現場監督氏と私。これではならじと成人の日の三連休にしつこく八ヶ岳に挑むことにしました。行き先については当初東面の権現岳東稜も候補に上がりましたが、都合により予備日がとれないため雪の落ち着いていない季節は避けることとして、西面で手応えのありそうな阿弥陀岳の北西稜をメインにし、入山日にゆとりがあれば赤岳のショルダーリッジを組み合わせることとしました。

2005/01/09

△06:00 美濃戸口 → △09:05-35 行者小屋 → △10:15 文三郎尾根途中 → △10:40 行者小屋

現場監督氏の車で美濃戸口に着いたのが、ちょうど日付が変わる時刻。そのまま車の中にシュラフをのべて就寝し、5時起床6時出発。前回とは打って変わって道はすっかり凍り付いており、最初からアイゼンを履いていきます。美濃戸の八ヶ岳山荘でお茶と野沢菜漬けにお呼ばれしてから、南沢沿いの歩き慣れた道に入りました。行者小屋を目前にしてちょっとしたアクシデント(nature calling)はあったもののおおむね快調なペースで歩くことができ、行者小屋に宿泊を申し込みました。ここのところ殊勝にテントを担ごうという発想をはなから放棄しているのは少々後ろめたいですが、これもクライミング時の余力を残すためと自分に言い聞かせています。

しかしながら、目の前に聳えているはずの赤岳はあいにくのガスの中。とりあえず文三郎尾根をざくざくと上がってみましたが、ルートファインディングがポイントのショルダーリッジは取付すら見えず、雪も降ってきてこれはダメだとあえなく諦めることにしました。せっかくだから赤岳まで登ってくるという現場監督氏と別れて私は行者小屋へ戻り、後は日がな一日備付けの本を読んだり明日の北西稜のトポを暗記したりしてまったり過ごしました。

予想通り13時に行者小屋に帰着した現場監督氏も、以後は読む・寝る・食うののんびりモード。ここ数カ月仕事や家庭サービスでの激務(?)が続いている現場監督氏にとっても、久しぶりのリラックスした時間だったようです。その反動かどうかはわかりませんが、21時の就寝後しばらくして、現場監督氏が唐突に寝言で「それじゃ行くぞー!」と叫んだのには驚かされました。夢の中でもクライミングとは凄い気合だ。

2005/01/10

△07:20 行者小屋 → △08:30 露岩 → △08:55-09:10 小ピーク → △09:50-10:30 第一岩壁取付 → △12:55 第二岩壁終了点 → △13:10-25 縦走路 → △13:35 阿弥陀岳 → △14:10-35 行者小屋 → △15:45-16:05 美濃戸山荘 → △16:35 美濃戸口

行者小屋の朝食は6時半からで、席についてみると窓からは赤岳〜横岳間の稜線がすっきりきれいに見えています。しかし、不要な荷物を小屋の出入口横にデポして出発したときには、既に阿弥陀岳の頂上付近には気になる雲がかかり始めていました。

前日確認しておいた通り南沢沿いの道を美濃戸方面へ少し戻ったところから阿弥陀岳方向へ入る踏み跡にしたがって樹林帯へ分け入り、しばらく高度を上げてからいったん沢筋に入りました。そのまま踏み跡に導かれて沢を北壁へとどんどん詰めていきましたが、しばらく登ったところで右上を見上げると案の定、目標とする露岩が近づき過ぎています。踏み跡もそこで切れていたから、我々同様露岩の位置を見て引き返したのでしょう。たったいま登ってきた沢筋を下って、ずいぶん下ったところ(おそらく沢筋に入ったところからすぐの位置)で踏み跡にしたがって左岸の樹林帯に入りました。しばらくは等高線に平行に尾根を回り込んでいくような進み方でしたが、やがて緩やかな尾根の中心線に達したと思われるあたりから直上する方向に変わり、まばらで歩きやすい樹林の中をぐんぐん高度を上げていくと顕著な露岩に当たります。そこからわずかで視界が開けて、先行パーティーの赤いヤッケが小ピーク上に見えました。あいにく行く手の阿弥陀岳は既にガスに上部を覆われていますが、核心部となるであろう上部の岩塔までは十分見通すことができています。

小ピークに着いて先行3人パーティーに現場監督氏がトレースのお礼を言い、3人を見送ると同時に我々もここでアンザイレン。まずはコンテで前進しましたが、途中の部分的にIII級を感じるトラバース〜もろいガレからはスタカットとし、3ピッチで第一岩壁の基部に到達しました。

第一岩壁は正面から見ると岩壁というより尾根上に隆起した高さ5mほどの岩稜で、その正面から直登するルートもありますが、より容易なのは基部から右へ伸びるバンドを20mほど辿りそこから尾根の側面をリッジ上に向かって登るラインです。我々が第一岩壁基部に着いたのはちょうど先行パーティーのトップが側壁を登ろうとしていたところで、トップが上部に抜けて第二岩壁に達し、後続2人を迎えるまでたっぷり30分の待ち時間がありました。日が差さず時折寒風が吹き付ける尾根上の待機は想像以上に寒く(温度計でマイナス17度、体感気温はマイナス20度以下)現場監督氏はグローブが薄いせいで指先の痛みを感じているようです。私もロープを結んだ時点でいったんは薄手のグローブに替えたのですが、すぐに指先が痛くなってしまい厚手のグローブに戻していました。目出帽も私の薄手のものでは役に立たないのですが、先月の小同心右稜でも活躍したネックゲーターを耳当てがわりに目出帽の下に巻いているので大丈夫。とはいえ昨夜、夕食時にテント泊の女性が小屋に上がって凍傷にやられた指先を一所懸命お湯で温めているのを目撃してもいます。速攻を心掛けねば。

そうこうしているうちに先行パーティーの後続2人は「悪い!」とこぼしながらもうまく上に抜けていき、入れ替わるように我々もバンドの先端まで進みました。ここにはしっかりした支点はなく、かろうじて見つけた残置ピン1本にスリングをかけて現場監督氏が確保の態勢に入り、例によって私のリードでスタートしました。

1ピッチ目:バンドの先端からすぐ右上に凹角が斜上しており、それを辿ればそのまま第二岩壁の基部まで導かれていけそうです。ところが、雪が詰まっていれば簡単に近づけそうな凹角がこの日のコンディションでは微妙に遠く、1歩上がってそろそろとトラバースしてみたものの行けそうで行けない感じ。仕方なく元に戻って、先行パーティーも通ったいったん左上するラインに入りました。信用していいのかいけないのかわからないようなホールドを頼りに草付と岩のミックス壁をリッジの上まで上がり、そこから幅の狭い岩のエッジ上を第二岩壁に向かって登るこのラインは技術的にはIII級程度ですが、リッジに出るまでは岩にスリングをタイオフしての頼りないランナーしかとれずだましだましの登攀となりました。リッジ上に出れば岩もしっかりしており、ところどころにハーケンがあって確実なランナーがとれましたが、大回りをするようなラインになるためロープの長さが足りず「あと5m!」の声に第二岩壁のわずかに手前の残置ピンでセルフビレイをとりました。先行パーティーは後続2人が第二岩壁の直下でビレイ態勢に入りリードが正面壁の右寄りのかぶった凹角に挑んでいましたが、「四十肩で……」というボヤキが入って上から垂れている残置スリングにどうしても手が届かない様子。ついに諦めてロワーダウンすると、我々が左にトラバースするつもりであることを確認した上で「どうぞ先に行って下さい」と声を掛けてくれました。

2ピッチ目:先行パーティーの厚意に感謝しつつ現場監督氏のリード。第二岩壁基部までちょっと上がってから左のバンドへ消えていき、私の位置からはロープの動きで様子を窺えるだけですが、ゆっくりと、しかし確実にロープが伸びていってやがて「ビレイ解除!」のコールにほっとしました。セカンドの私も上部岩壁の基部まで上がると、ちょうど北稜を登攀しているパーティーの姿が左手のさして遠くないところに見えています。3人でツェルトをかぶって待機している先行パーティーに「お先に失礼します」と一声かけて左のバンドへ入りましたが、細い雪のバンドは足下が崩れれば奈落の底へ引きずり落とされそう。ところどころ右壁に残されたハーケンでランナーをとってはいるものの、ここは技術云々ではなく勇気を試されるピッチです。現場監督氏にこのピッチをお願いしてよかった、それにしても早く安定したところに着きたいぞ……と思いながら足を進めると、基部から25mの位置にハンガーボルトが2本打たれており現場監督氏はそこでビレイをしていました。

3ピッチ目:私のリード。先ほどの3人パーティーがすぐに後続してきていることもあり、まずは「どんどんA0で行きますから」と宣言しました。ハンガーボルトが打たれた位置から右に1段上がったところに雪のスロープがあり、雪の上に足跡がないところを見ると少なくともここを今日登るのは私が初めてらしく、ラインを探りながらの登攀となりました。とにかくそこに上がって右へ回り込むのだということはわかったものの一見するとホールドに乏しい感じ。しかし、ハンガーボルトの上に残置ピンがあり、そこにヌンチャクをかけて身体を引き上げるとうってつけの三角のガバ。これに手を掛け、フットホールド上で右足と左足を入れ替えて右足を右上のスロープに上げ、さらにそこにあるスローパー状の岩に右手を掛けて右足へじわっと乗り込むと手がその先の黄色い残置スリングに届いてランナーがとれました。

この残置スリングを下げたハーケンが打たれているフェースは狭いランペ状に上がっており、さらに上にも同様の残置スリングがあってそのまま上まで抜けられるのか?と迷いましたが、どうもそちらはホールドが細かそう。現場監督氏の指示にしたがっていったん右に降り、外傾した狭い雪のバンドを進んでみると、高さ1mほどの段差の上に凹角が頭上へ伸びていて、そのフェースと右の垂壁のコンタクトラインにハーケンがベタ打ちされていました。右の垂壁にはリングボルト、さらにその右の狭いチムニー状にもハーケンが見えましたが、本線は目の前の凹角だと当たりを付けて段差の上に乗り込み、ハーケンの利きを確かめながらクイックドローで身体を引き上げました。しかし凹角はだんだん立ってきて、ハーケンの間隔もあいてきます。最初はあわよくばそのままA0でと思っていましたが、ここはアブミの世話になることにしていったんテンションをかけてもらいアブミを準備。慣れないアイゼンでの人工登攀に身体を振られそうになりながらさらに上がり、最後は小さなガバを右手でとり、左手を岩稜上のギャップの向こう側にがばっとかけて身体を引き上げました。そこから左へ数m上がったところにこれも立派なハンガーボルトの終了点が設けられており、セルフビレイをとって一息つきました。

このピッチを抜けるのに私が30分、セカンドの現場監督氏は私が最後に残置してしまったアブミを回収しながら登って20分。後続パーティーには1時間ほども待たせてしまいました(すみません!)。終了点からも一応ロープを伸ばしましたが、もはや一般登山道なみの安定した道が尾根の右側を巻くように伸びており、2ピッチで御小屋尾根からの縦走路に突き当たりました。「もうここで握手してもいいんでしょう!」ということで現場監督氏とがっちり握手。荷を降ろして温かいコーヒーとどら焼きを口にし、ロープを解いてギアと共にリュックサックにしまいました。

摩利支天を越えてガスに包まれた阿弥陀岳の頂上に着くと一般登山者の姿はなく、雪も少なくて山頂の標識や石仏が露出していました。その石仏に無事登攀終了の御礼をして行者小屋方面へ下降を始めると、広河原沢から南稜を登ってきた2人パーティーと北稜を登っていた2人パーティーに行き会いました。

気温も低いままだし雪崩の心配は(たぶん)ないだろう、というわけで中岳沢をシリセード混じりでぐんぐん下るとコルから行者小屋までたったの15分で下り着いてしまいました。改めて握手を交わして小屋の横にデポしてあったリュックサックを回収し、南沢の道をとっとと美濃戸へと下りました。

行きにお茶をいただいた美濃戸山荘に立ち寄っておでんを頼みしばしまったりしたものの、現場監督氏はやはり左手の指を凍傷で傷めたらしく、昨夜の行者小屋での女性と同様に茶碗に湯を張って指先を温めています。もっとさっさとリードできていればと後悔の念に駆られましたが、実は私自身も鼻の横あたりを軽い凍傷ですりむいたような状態にしていたことにこのときは気付いていませんでした。

しかし、本当の核心部は実は下山後に待っていました。すっかり凍った路面に現場監督氏の車が滑るのなんの。運転席の現場監督氏も助手席の私も生きた心地がせず、登攀中には決して見せなかったひきつった顔になっています。八ヶ岳美術館前の交差点から「もみの湯」までの(普段なら)短い距離も、超徐行運転でそろそろと進む我々には永遠に続くロング&ワインディングロードに感じられたのでした。

今回の山行では、廣川健太郎氏の『チャレンジ!アルパインクライミング』のほか、先月の小同心右稜でも参照した古い『岳人』の記事をトポとしました。

この記事によると、第二岩壁のルートは全部で四つ。

  1. 正面をダイレクトに登るルート。正面壁の高さは約15mで、ホールドはあるが上部がかぶり気味で、これを乗り切るのが困難。
  2. 正面中段のバンドに乗り、左に移ってフェースを登り、さらに1段上のバンドに立って、そこから稜上へ抜け出すルート。フェースのバランスクライミングとなる。
  3. 北壁側側壁ルート。岩壁基部から北壁側へ延びる細い雪のバンドを伝い、25m登ると今度は右上へバンドが走っている。このバンドを伝って出ると2段の凹角が上に延びており、ここにルートをとる。
  4. 岩壁基部から右に回り込んだ後、尾根右側側壁を登り3.の終了点のギャップに出るルート。どちらかといえば巻きルート的だが、トラバース部が悪い。トラバース後は稜上へ出ないで、そのまま摩利支天沢のつめの斜面を登ってもよい。

先行パーティーは1番目、我々はもっとも一般的な3番目のルートを採ったことになります。1番目は凹角の上がどっかぶりで、残置スリングが見えてはいるもののいかにも難しそうでした。

そしてこちらは、後日(2010/02/14)阿弥陀岳北稜から見た北西稜核心部。写真の真ん中に男女パーティーが写っていますが、こうしてみると上の岳人の図とは違って実物はかなりの傾斜であることがわかります。