塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

横岳西壁小同心右稜〜小同心クラック

日程:2004/12/19

概要:赤岳鉱泉を出発して小同心ルンゼから小同心右稜に取り付き、上部岩峰までトレース。そのまま小同心クラックに継続して、横岳から硫黄岳経由で赤岳鉱泉へ帰着。即日下山。

山頂:横岳 2830m

同行:現場監督氏 / きむっち

山行寸描

▲下部岩壁の始まり。上の画像をクリックすると、小同心右稜の登攀の概要が見られます。(2004/12/19撮影)
▲小同心右稜を抜けたところ。この先に安定したテラスが待っている。(2004/12/19撮影)
▲小同心左岩峰頭の直下。後は横岳直下の1ピッチを残すのみ。(2004/12/19撮影)

◎「横岳西壁大同心南稜(敗退)」からの続き。

2004/12/19

△07:20 赤岳鉱泉 → △08:40 下部岩壁取付 → △12:45-13:00 小同心左岩峰テラス → △15:55-16:05 横岳 → △18:05-30 赤岳鉱泉 → △20:20 美濃戸口

この日は、小同心右稜を登る計画。きむっちも復活して、3人での登攀です。

赤岳鉱泉の朝食をしっかりとって、いざ出発……のはずが、なぜか私の目出帽が見当たりません。大慌てで探しまわったものの結局見つからず、しかも2人をさんざん待たせてしまって、我々の出発はガイド引率軍団よりも後になってしまいました。幸い、この秋に「誕生日プレゼントに♫」と知人からいただいていたネックゲーターを持参していたのでこれを耳あてに代用できましたが、偉そうに「アルパインはスピードが命!」なんて能書き垂れる資格ないですね。スミマセン……。

中山乗越までの道は緩やかな登り。さらに踏み跡を辿って柳川北沢右俣を遡りました。一応復調なったきむっちですが、時折膝に手をあてて苦しそうです。大丈夫かな?ともあれ30分ほどガレた沢筋を遡り、無名峰北稜で無名峰ルンゼと別れる地点からさらに少し進んだ場所から左手の小同心右稜に上がりました。多少薮や倒木がうるさいものの心配したほどではなく、おおむね順調に高度を上げることができました。

やがて目の前に現れた下部岩壁の途中のテラスまで登って立ち木に各自セルフビレイをとってから、ロープを結びました。今日はきむっちにリードしてもらおうというのがテーマなので、きむっちから現場監督氏へ青ロープ、私へ黄ロープをそれぞれつなぎます。では、ということできむっちが登っていきましたが、草付の上へ消えていってロープの動きが止まってからもしばらく音沙汰なし。「ん?」と思っていると、だいぶたってからビレイ解除の声が聞こえてロープが引き上げられていきましたが、中途半端に引き上がった状態でまたも止まってしまいました。「どうした〜!」「ロープ引いて〜!」と声を掛けても返事なし。それでも黄色が引かれる気配があるので、私がセカンドで登りだしました。

ところが事前の打合せが悪かったせいで、私が最初のランナーを外したところで今度は現場監督氏が「青(も)引いて〜!」と指示したのがきむっちを混乱させてしまったようです。仕方がないので現場監督氏には下で待っていてもらい、とにかく私が上へ急ぐことにしましたが、下から見たときは傾斜の寝た、ただの草付斜面だと思ったのに、取り付いてみると意外に立っていて歯ごたえがあります(後でトポを読み返したら、ここは左から巻くよう指示されていました)。たまらず核心部っぽいところで「ロープアーップ!」と声を上げましたが、これも全然引いてくれません。こんなところよくリードしたなぁと感心はしましたが、それとこれとは話が別。とうとう頭にきて「きむっちー、黄色引けー!」とフォールしたときの平○ユージのような怒声をあげながらここを突破すると、ようやく引き上げられていくロープに導かれて上がり「もっとさくさく引かなきゃダメじゃないか!」と声を掛けつつ『(アイゼンで)蹴りたい背中』モードできむっちのもとに辿り着きましたが、見れば折り返しのボディビレイで下ロープの張り具合も確認できていない状態です。それでも、せめてコールにはちゃんとレスポンスを返してくれよ!

なんとか現場監督氏をここまで迎えて、引き続きこの急斜面を現場監督氏先行で登ると、ほとんど傾斜のない細い尾根筋が前方へと続いていて、上には小同心の左右の岩峰が聳えています。大同心もよく見えますが、昨日我々が敗退したドームを別のパーティーが登りきっているのを見て、ちょっと悔しい思いも込み上げてきました。ともあれ、雪があればここはきれいな雪稜になるのでしょうが、今は灌木やハイマツがうるさく、途中まで私が先行してから2人を迎えて、そこから左の緩やかな斜面をきむっちと現場監督・私ペアが交互に先行して4ピッチ分で上部岩壁の取り付きまで上がりました。ここは足が揃っていればコンテで十分でしょうが、猿回し方式で先頭を交代しながら登っているために時間がどんどん過ぎていきます。

上部岩壁は出だしが2mほどのちょっと立った岩壁ですが、灌木に手を掛けて簡単に越えることができて、後は草付の斜面を快適に上がって行けました。きむっちリードでロープいっぱい登ったところでいったんピッチを切り、ここでロープがもつれたので黄色ロープの端をきむっちから現場監督氏に付け替えてから易しい斜面を私のリードで登りきると、目の前に小同心の左岩峰が立ちはだかり、小同心クラックに何パーティーか取り付いているのがはっきり見てとれました。

最後のビレイポイントからハイマツの中の踏み跡を辿って、小同心クラック下のテラスに到着。トポではこの後左岩峰の正面から右上するバンドを使って左岩峰と右岩峰の間に入り、そのまま左岩峰の裏手へ巻き上がるルートが示されているのですが、なにぶん古いトポなので支点の現状も不安。それならむしろ勝手知ったルートの方が間違いがないだろうということで、そのまま小同心クラックに継続することになりました。現場監督氏は既にご隠居モードに入りかけていたようですが、先ほどのロープの付け替えで現場監督氏が2本のロープをハーネスに結んでいるので、そのままリードしてもらうことにしました。

この頃からガスが稜線を隠しはじめ、午後の冷たい風がコールを飛ばしてしまいます。先行パーティーも意思疎通に相当苦労している様子で、渋滞の気配も感じられました。実際、我々の登攀速度自体はさほど遅くはないのですが、先が詰まっていてなかなか進めず、1ピッチ目は下側の支点で、2ピッチ目もチムニーの下という中途半端な場所でそれぞれピッチを切り、そのたびに寒風に震えながら上が動き出すのを待つ羽目になりました。チムニーでは後から登った私が一番動きやすい位置にいるのでそのまま垂直に突っ張りで登り、下から現場監督氏に年賀状用の写真を撮ってもらってにんまり。そのまま本来の支点で短く切って、現場監督氏に右ルートを登ってもらいました。過去2回の小同心クラックの登攀ではここでいずれも左ルートを選んでいたので今回は未経験の右ルートを登ってみたかったのですが、こちらもホールド豊富で登りやすく、出だしがかぶって思い切りのいる左ルートよりも易しく感じました。

左岩峰の頭に出たときにはあたりはすっかりガスに包まれ、横岳の姿も見えません。とにかく先を急ごうとコンテで馬の背を進み、最後の1ピッチは私のリードでとっとと登りました。誰もいない山頂に抜けて3人で握手をかわしてからテルモスのコーヒーを飲み、行動食のどら焼きを口にしましたが、考えてみると朝から今まで口にしたのは3人ともゼリー1パックだけ。道理で腹が減っているはずです。

一息ついてから下山をどうするか協議しましたが、最短は大同心ルンゼながらあと30分で日没であり、しかもこの天気なので、時間はかかっても硫黄岳経由で一般道を下ることにしました。明るいうちに行けるところまで行って後はヘッデン勝負と思っていましたが、毎度のことながら大ダルミあたりで雪混じりの強い風に吹かれまくり、骨の折れる硫黄岳への登り返しを終えたところでとうとう暗くなってしまいました。それでもここから先はお互い知った道で、赤岳鉱泉へは難なく帰り着きました。

もし翌日も休日なら間違いなく赤岳鉱泉にもう1泊しているところですが、あいにく3人とも仕事を抱える身(私は名古屋・大阪日帰り出張が控えていました)。デポ品を回収して重くなったリュックサックを背に、引き続き美濃戸口を目指して飛ばしました。美濃戸口からはきむっちの車に乗せてもらい、一路小淵沢方面へ。しかしiモードで検索してみると、小淵沢も甲府も終電には微妙に間に合わず、きむっちに八王子まで送ってもらうことになってしまいました。

小同心右稜は『日本登山体系』でこそ冬期の登攀ルートとしても立派なものと紹介されていますが、普通のガイドブックにはほとんど載っていません。今回の山行のプランニングにあたって西壁でどこか手頃でまだ登っていないところはないかと探していて、たまたま手元にあった古い雑誌の記事の中から見つけたのですが、収載していたのは『岳人 1989年3月号』ですから、なんと15年以上も前のものです。

紹介している記事では雪稜 / 雪壁のバリエーション初級ルートとありますが、今回はあまりにも雪不足で、本来の魅力は味わえなかったようです。それでも、大同心稜をさっさと登って小同心クラックだけを登るせわしない登り方に比べると、下から上まで登りきったという充実感が得られてそれなりに楽しいものでした。