西穂高岳〜奥穂高岳

日程:2002/07/27-28

概要:新穂高温泉からロープウェイで上がって西穂山荘前に幕営。翌日、西穂高岳から奥穂高岳まで縦走して涸沢へ。

山頂:西穂高岳 2909m / 奥穂高岳 3190m

同行:---

山行寸描

▲西穂高岳からの西穂山稜。前方遠くに奥穂高岳が聳える。(2002/07/28撮影)
▲有名な逆層スラブ。遠目には立って見えるが近づいてみると傾斜はかなり緩やか。(2002/07/28撮影)
▲天狗岳からの奥穂高岳。コルからの厳しい登り返しにはうんざりさせられた。(2002/07/28撮影)
▲ジャンダルムから奥穂高岳方面の眺め。手前の岩峰がロバの耳だがようやくゴールが見えてきた感じ。(2002/07/28撮影)
▲ジャンダルム(左下トラバースしている人物の小ささに注目)。奥穂側からのこの角度で見るジャンダルムは潜水艦の艦橋のようですっきりと格好いい。(2002/07/28撮影)
▲振り返りみるロバの耳(左)とジャンダルム(奥)。これで難所と言われるところはおおむね終了。(2002/07/28撮影)

穂高の入門的な岩稜ルートとして前穂高岳北尾根には前々から狙いをつけていましたが、6月に奥秩父の沢でご一緒したさかぼう氏にその話をすると、さかぼう氏も今年の夏はここを狙っていたとのこと。そこで2人でロープを組み、前穂高岳北尾根に挑むことにしました。お互いの仕事の都合から、私は土曜日から山に入って日曜日に西穂高岳から奥穂高岳を抜けて涸沢に下り、月曜日に北穂高岳東稜をやっつけて涸沢でさかぼう氏と合流し、火曜日にさかぼう氏と共に前穂高岳北尾根を登って水曜日に下山することとし、一方のさかぼう氏はそのまま涸沢にとどまり水曜日に同じく北穂高岳東稜を登って木曜日に帰宅というスケジュールを組むことになりました。まさに「穂高三昧」です。小屋泊まりにすれば軽量化も図れますが、この日数ではさすがにお金がかかり過ぎ。そんなわけでクライミングギアに幕営装備が加わりましたが、ロープはさかぼう氏が持ってきて下さることになったので、結局リュックサックの重みは20kg程度に収まってくれました。

2002/07/27

△16:10 西穂高口駅 → △17:10 西穂山荘

西穂高口駅から西穂山荘までの歩きは、一昨年の9月以来。そのときはやはり西穂高岳から奥穂高岳を目指したものの悪天候のために独標で敗退したのですが、今回はどうやら文句のない天候が予想されているので宿題を果たせそうです。ゆっくり歩いて西穂山荘に17時すぎに着いてみるとさすがにテントサイトは大盛況で、それでも隅っこにぎりぎりひと張り分のスペースを確保し、小屋からビールを仕入れてコンビーフ入り焼そばを作りました。

しかし、このテントサイトには凄い数の蚊がぶんぶん飛び回っていて落ち着かないし、西穂山荘が建っているところから1段低いところにあるため山荘前の広場にいるたくさんの登山者たちから見下ろされて(本当は登山者たちは遠くの霞沢岳などを眺めているのですが)まるでクマ牧場のクマになった気分です。

2002/07/28

△04:25 西穂山荘 → △05:20 西穂独標 → △06:25-40 西穂高岳 → △07:45-50 間ノ岳 → △08:25 間天のコル → △08:40-09:00 天狗岳 → △09:25 天狗のコル → △11:10-40 ジャンダルム → △13:20-40 奥穂高岳 → △14:10-15 穂高岳山荘 → △15:50 涸沢

朝食にラーメンを食し、朝のお勤めを済ませて出発。既に多くの登山者がご来光をピークで見ようと歩き始めていますが、私のようにヘルメットをぶら下げている登山者は意外に少ないようです。もっとも、西穂山稜は一般登山道の延長線上なのでそれも当然かもしれません。

独標、ピラミッドピークを越えて、出発からちょうど2時間で西穂高岳に到着。逆光の中、前穂高岳から奥穂高岳への吊尾根が大きく、ふと気付けば左奥には槍ヶ岳も見えています。

背後には焼岳や乗鞍岳が遠く連なり、左手に笠ヶ岳、遠くに白山など山座同定を始めたらきりがない感じですが、時間をつぶすのはそれくらいにしてヘルメットをかぶり、目の前の稜線へと足を踏み出しました。高度感のある狭い岩稜を進み、鎖を頼りに信州側に急下降してからトラバース。ガラガラの稜線を進むと顕著なピークに登り着いて、ここが間ノ岳らしいのですが標識らしきものは見当たりません。ここでヘルメットをかぶった2人の対向者とすれ違い、その早さに驚きながらこちらは奥穂高岳方向へ下りましたが、下り始めは岩がもろい感じで少々神経を使います。よく見ればしっかりした踏み跡があるのですが、中には自ら崩れそうな岩屑の中に踏み込んでピンチに陥りかけている者もいて「そこは戻るしかないですね」と間が抜けたアドバイスしかできません。鎖場の先に飛騨側へ下降する場所があり、そこでも先行者が行き詰まっていましたが、これも見れば垂れているロープに忠実に下ろうとしてかえって足下が崩れそうになっていました。しかし周りを見渡せば道はジグザグにつけられていてさしたる危険もなく、先行者にそのことを教えると「緊張で道が見えなくなっていた」という趣旨のことを言っていました。確かにこうした悪場は慣れがものをいう世界で、3年前の自分ならおそらく同じように随所で行き詰まっていたに違いありません。ともあれ、この道はあちこちでガラガラという落石の音が聞こえていて、さすがに安定した縦走路というわけにはいかないようです。

間天のコルから目の前には有名な逆層スラブが立ちはだかっている……と書きたいところですが、「立っている」というよりは「寝ている」と書いた方が正しそう。角度はせいぜい30度くらいで、鎖もついているのでさくさくと登ることができました。これを登りきってさらに岩場を越えていくと天狗岳の山頂に達し、ここからは後方の間ノ岳の稜線から間天のコルへロープ伝いに下る人の姿なども見えて、この稜線に実に多くの登山者が入っていることがわかります。その多くが単独か2人パーティーですが、中にはガイドとお客という組み合わせもいました。

天狗岳からの下り始めはちょっと際どい感じがしましたが、すぐに危なげのない道になりました。コルへの最後の鎖は垂直で下が見えないだけに不安にもなりますが、実際は足場がしっかり作ってあるので、体力以上の荷物を背負っているのでもない限りさしたる危険はありません。降り着いたコルの信州側にはかつての避難小屋の土台がちらっと見えましたが、ここまでけっこう時間を使ってきているので先を急ぎました。

天狗のコルから眼前に怒濤の急登が続いていて、正直に言ってだんだん飽きてきました。西穂山稜に対して失礼な言い方で申し訳ないですが、ここまで技術的な難所はほとんどなく、暑い夏の日射しにあぶられながらアップダウンを繰り返しているだけ。そんなことなら東北地方のたおやかな山稜を花を愛でながら歩いた方がずっと楽しい……などと考えながら急登をこなしているうちに、10時頃になると岳沢側からガスが上がってきて展望が急速に失われていきました。

長い登りの後に登り着いたのがコブの頭で、ここからジャンダルムは目の前ですが、こちら側から見るジャンはずんぐりしたただの岩峰で迫力がありません。ジャンダルム正面の岩壁には比較的新しいと思われる鎖やフットホールド用の鉄棒がついており、それらを頼りに直登するとすぐにジャンダルムのてっぺんに出ました。存外広い頂上部からの眺めはあいにくのガスで奥穂高岳方面の展望がとぎれとぎれですが、それでも時折ロバの耳や奥穂高岳山頂を確認することができました。この時点で時刻は11時すぎと、この後の行程に対してゆとりあり。早立ちだったためここで眠気が一気に襲ったこともあり、ケルンの横でリュックサックを背負ったまま仰向けになってしばらく昼寝をとりました。

昼寝を終えて行動再開。ジャンの頂上からコブの頭方面へ下り、信州側を巻いてロバの耳へ向かいます。ところがこちら側から振り返ってみるとジャンダルムの姿は一変していて、まるで潜水艦の艦橋のようにすっきりと高く格好よし。そうそう、ジャンダルムはやっぱりこうでなくては。

続く岩峰のロバの耳は飛騨側をトラバースして、最後に鎖頼りに脆く長い斜面を下りました。ここで私の後ろを歩いていた単独行の登山者が起こした落石が先行していた登山者の足に当たって冷や汗をかく場面もありました(大事には至らずほっとしました)が、この下りが終わるとおおむね核心部は終わりです。

ロバの耳を下りきったコルから登り返していくと、痩せた尾根の通称「馬の背」です。奥穂側からの下りだとちょっとイヤな感じかもしれませんが、登りにとればホールドも豊富で問題なく、おまけにガスのせいで高度感がほとんどないのがかえって残念なくらい。ここを過ぎると傾斜は緩やかになって、そのまま岩屑が堆積した奥穂高岳の山頂に到着しました。

山頂では、この西穂山稜で前後を歩いていた登山者同士が何となく寄り集まって縦走の成功を祝福し合いました。そこで縦走の感想を述べ合った各人の共通の結論は、西穂山稜は「難しいところはないが、しんどかった」というものでした。

奥穂高岳から白出のコルへ下り、穂高岳山荘でホットカルピスを注文して一息ついてからザイテングラートを下りましたが、この下りが重荷を担いだ身にはこの日最も辛く感じられたピッチとなりました。苦闘1時間半、へとへとになって下り着いた涸沢にテントを張り、何はともあれ涸沢ヒュッテで生ビールとおでんを注文しました。

◎「北穂高岳東稜」へ続く。

▲2日後に吊尾根から見た西穂山稜。今回は最後まで天候に恵まれた。(2002/07/30撮影)