槍ヶ岳〜北穂高岳

日程:1999/08/14-15

概要:上高地からひたすら歩いて槍岳山荘泊。翌日、核心部の大キレットを越えて北穂高岳から涸沢経由下山。

山頂:槍ヶ岳 3180m / 北穂高岳北峰 3100m

同行:---

山行寸描

▲朝の槍ヶ岳。大喰岳への登りから振り返る。(1999/08/15撮影)
▲獅子鼻下からの大キレット。実物ははるかに高度感があり迫力満点。(1999/08/15撮影)

何ごとにつけても影響を受けやすい自分、ウェブ仲間のさかぼう氏の記録に刺激を受けてどうしても大キレットを越えてみたくなってしまいました。今年の4月からタイに赴任している山仲間ユウコさんが数年前に単独でここを歩いたことがあるのを思い出し、バンコクに電話をかけてみたところ「え〜っと、1カ所だけ『ここ、どうやって渡るんだろう?』というところがあったけど、後は平気だったわよ」……というわけで催行決定です。

1999/08/14

△05:45 上高地 → △08:00-20 横尾 → △09:30-10:00 槍沢ロッヂ → △12:30-35 グリーンバンド → △14:00 槍ヶ岳の肩 → △14:30 槍ヶ岳 → △15:05 槍岳山荘

新宿発23時ちょうどの長距離バス「さわやか信州号」で上高地着。入山届を出し、食堂で朝食をとってから出発です。この時点では焼岳方面には青空が覗いていましたが、歩き慣れた道をどんどん進むにつれ天気が次第に悪くなってきます。横尾に着く頃にははっきりと雨模様となり傘を広げましたが、槍沢ロッヂでゴアテックスの上下に切り替えました。

トリカブトやアザミ、ミソガワソウ、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマなどの紫系の花が目立つ中にクルマユリのオレンジやウサギギクの黄色を見るようになり、やがてガスで何も見えない中、ザクザクの斜面を斜めに何往復か登って肩の広場に到着しました。晴れるにせよ降るにせよ明日は山頂に登る時間はあるまいと考え、直ちに山頂をピストンすることにしてリュックサックを槍岳山荘の外にデポし空身で大槍に取り付きましたが、ハシゴのところで山頂から下ってくる登山者とすれ違い待ちになり意外に時間がかかりました。

山頂に着いて証拠写真を撮ったら間髪を入れずに下降を開始しましたが、こちらも先行者が岩に慣れていないためスピードがあがらず、やがて身体の芯まで濡れて震えがくるくらい寒くなってしまいました。やっとの思いで山荘に入って受付を済ませたらまずは乾燥室に直行し、ヤッケや靴を持参の紐でぶら下げ、着ているものを替えてからストーブが暖かい談話室に飛び込みました。

おいしい夕食後にTVのニュースに見入ると、熱帯性低気圧のために長野県地方に大雨洪水警報が出ています。明日まで雨が続くとの御託宣に一同ため息をつきましたが、続くニュースで女性登山者が飛騨泣きで転落死したと報じられて動揺が広がりました。落ちた方も残されたパーティーも気の毒ですが、明日そのコースを歩く自分にとっては他人事ではありません。

1999/08/15

△04:40 槍岳山荘 → △05:10-15 大喰岳 → △05:40 中岳 → △06:40 南岳 → △06:45-07:00 南岳小屋裏手の丘 → △07:40 梯子の下 → △08:40 長谷川ピーク → △08:55-09:05 A沢のコル → △10:25-35 北穂高小屋 → △12:35-13:15 涸沢ヒュッテ → △14:45 横尾 → △16:50 上高地

朝4時に目覚めたもののどうせ雨だろうとうだうだしていると「雨がやんでいて、星も槍も見える」という会話が耳に入りいっぺんに目が覚めました。乾燥室からほとんど乾いていない靴とヤッケ類を回収し、夜明け前の薄暗い小屋外に出て振り返ると穂先に向かうランプの列がきれいですが、東の方は雲が多く日の出は拝めそうにありません。テントサイトを抜けて急降下し、飛騨乗越で槍平への道を分けて大喰岳へ登り返す頃から早くもガスが流れ始めました。

アップダウンを繰り返しながら中岳と南岳のピークを踏んで、今回の山行のもう一つの目的である「3000m峰踏破」を達成。そのまま南岳小屋の横を抜けて裏手の丘の端に座り、圧倒的な高度感で落ち込んでいる大キレットを見下ろしながら槍岳山荘で作ってもらった弁当を広げました。

食事を終えたら、丘を右手に回り込んだ獅子鼻の脇からいよいよ下降開始です。出だしのざらざらの急斜面には嫌なものを感じましたが、その左手のしっかりした岩場に道がつけられており一安心。ところが、長い下りの後に2本の梯子を下ってキレットの底に降りつき、霧のために岩が濡れ始めた稜線上を歩いていたところ、突然前方のガスの向こうから「キャーーーッ!」という女性の長い悲鳴とガラガラと岩が崩れる音がはっきりと聞こえてきました。昨日の今日だけに「誰か落ちたんだな……」と気付いたものの、ここまで来たら先に進むしかありません。途中ですれ違ったり追い付いたパーティーとの挨拶も「落ちましたね」「大丈夫でしょうか」と暗いものになりましたが、そのうちの一つのパーティーから事故が北穂高岳の下のA沢のコルで起きたものだと聞かされて驚きました。自分が悲鳴を聞いたのは南岳から下に降り着いたあたりなので、あの声はキレットの南の端から北の端まで届いていたことになるからです。

先行パーティーを追い抜いたり、すれ違い待ちなどで小刻みに時間を使いながら長谷川ピークに達し、小さな手掛かり・足掛かりに身体を預けながら傾斜のきつい壁を下降して、やがてA沢のコルに到着してみると、中年女性が1人と何人かの若いパーティー、それに山慣れた様子の男性が1人、荷を置いてあれこれ打ち合わせていました。

しばらくしてわかったところでは、落ちたのは男性で、コルにいた中年女性を含む4人パーティーの一員。パーティーのリーダーは北穂高小屋へ救助要請に向かい、もう1人の女性がコルの東側下方に落ちて動けなくなった被災者のところまで降りて付き添っているところで、悲鳴の主はその方かコルで待機している方のいずれかのようです。山慣れた男性はガイドで、客2人を引率している途中で事故に遭遇し状況確認のために現場に降りてから戻ってきたところで、若いパーティーは前進組と救助組に分かれ、本格的な救援が来るまでのつなぎとしてツェルトや火器を持って下ろうとしていました。現場は霧と雨で視界が限られていますが、目をこらすと下の方にうっすらと要救助者らしいヤッケが見えました。

しばらく様子を見たのち手伝えることはなさそうだと判断して前に進むことにしましたが、飛騨泣きの取付ちょっと上で先ほどのガイドに追い付いたので「助かるでしょうか?」と聞いたところ「ヘリ次第だが、この天候では……」と悲観的です。ともあれ登高を続け、いかにも怖そうな岩場を回りこんで最後の難所の鎖トラバース手前で今度は黄色いヤッケに身を固めコルへ向かう長野県警の山岳パトロール2人とすれ違いました。

警「(被災者の)同行者の方ですか?」
私「あ、違います」
警「(現場まで)あと何分くらいでしょう?」
私「ここまで登りで40分ですね」

といったやりとりをしてから、パトロールの人たちは現場へ急行していきました。一方、雨に濡れた鎖トラバースは一見足場が乏しいように見えましたが、実際に足を出してみると意外にしっかりした足場があり難なく渡れました。

ところで、ここまで難所が続いているはずなのにちっとも恐怖を感じていないのは不思議です。霧のせいで高度感が少ないせいもありますが、むしろ、ホールドを目まぐるしく探し、手足の運びや体重のバランスを素早く計算して……などと頭をフル回転させているせいで、恐さを感じるゆとりがなかったようでした。

最後にちょっときつい斜面にあえぎながら、霧の中に突然現れた北穂高小屋の右手にひょっこり飛び出して大キレット越えを終了しました。本来は槍ヶ岳方面の素晴らしい展望台となるテラスも、残念ながら今日は雨と霧で視界ゼロ。ともあれホットミルクを注文して一息つきましたが、この後上高地までの下りが待っており長居はできません。

長くつらい下りを終えて涸沢ヒュッテに到着し、カレーライスとおでんの昼食を済ませたら傘をさして石段の道を下ります。ここから上高地まで脇目も振らず歩きましたが、その間に左膝を痛めてしまい、しかも上高地に着く頃には傘が役に立たないくらいの豪雨となっていてしたたかに濡れてしまいました。

後日談

事故が起こったときにA沢のコルを歩いていたM氏から、落ちた方のその後をメールでお知らせいただきました。それによれば転落者は腰の骨と肋骨を折ったものの無事救出されて松本の病院に収容されたそうで、命に別状がないことがわかり安堵しました。

なおM氏と私は長谷川ピークですれ違っており、その際に言葉も交わしていることがメールの内容から確認できました。このメールからは山での出会い、インターネットでの出会い、いろいろな出会いの不思議を感じました。