塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

富士山

日程:1998/08/08-09

概要:富士スバルライン五合目から登って八合目泊。翌朝山頂に登ってお鉢巡りをしたのち、下山道を下って富士スバルライン五合目に戻る。

山頂:剣ヶ峰 3776m

同行:ユウコさん

山行寸描

▲火口越しに見る剣ヶ峰。朝日の中を、右からぐるっと回って最高点へ向かう。(1998/08/09撮影)
▲「日本最高峰」の碑。日本百名山完登の瞬間。(1998/08/09撮影)
▲剣ヶ峰に建つ測候所のドーム。近くで見ると傷だらけだが、遠くからの姿には孤高の士の趣がある。(1998/08/09撮影)

日本百名山の最後の山は、日本の最高峰=富士山になりました。この霊峰で百名山行を締めくくろうという考えがいつ頃湧いたものだったかは定かに覚えていない(もしかすると尾瀬を歩いたとき?)のですが、ゴールを意識しだした頃から「最後の山は富士山で」と意識していたことは間違いありません。

1998/08/08

△14:00 富士スバルライン五合目 → △14:35 六合目 → △15:40 七合目 → △17:15 八合目=蓬莱館

新宿発富士山五合目行きのバスが中央自動車道の渋滞で大幅に遅れ、昼前には終点に着いているはずのところが実際には13時半到着。カレーライスの昼食をとって歩き始めたのは14時になってしまいました。出だしからしばらくは水平の道を東へ回り、佐藤小屋の少し手前で斜上するようになりました。

ここでは一般観光客向けに七合目まで馬に乗せてくれる商売が盛んに行われており、道のあちこちに馬の遺留物が残されていて少々匂います。春に大きな手術をした後初めての山行となるユウコさんも、六合目と七合目の間から馬に乗せてもらいご満悦。七合目まではざらざらの歩きにくい道ですが、七合目から上は岩がちとなり登山靴が道によくなじみます。

だんだん暗くなり、上の方はガスがかかりだしたこともあって八合目の蓬莱館に着いたところで今日の登りはここまでとして宿泊を申し込みました。すると予約の有無を問われてドキっとしました(←不勉強)が、なんとか泊めてもらえることになってやれ助かったと思ったものの、

ワタシ「明日御来光を見たいのですが、何時くらいに出発すればいいですか?」
小屋番「この時期は渋滞がひどいから0時半には発たないと山頂での御来光に間に合いません」

との話に愕然。そういうものとは知りませんでした(←不勉強)。とにかく早く食事をして寝ることにしましたが、夕食は昼と同じカレーライスでまたまた愕然です。

1998/08/09

△00:20 八合目=蓬莱館 → △02:10 本八合目 → △03:00 八合五勺 → △04:15 九合目 → △05:30 久須志神社 → △07:30-55 剣ヶ峰 → △08:45 下山道標識 → △09:10-35 八合目江戸屋 → △11:10 六合目 → △11:35 富士スバルライン五合目

0時ちょうどに起き出して表に出ると、御来光期待の登山者がぞろぞろと上を目指して小屋の前を次々に通り過ぎており、まるで「ゆく年来る年」状態です。

我々もヘッドランプを点灯して歩き出しましたが、月明かりと各小屋の照明とで道は意外に明るく、たとえヘッドランプがなくても歩くには困りません。とは言うものの小屋番さんの言葉通り、登山者の渋滞のためになかなか上に進めず、徐々に寒さが身にしみてきました。途中の小屋に立ち寄ってはココアやおでん、甘酒など温かいものを補給しましたが、八合五勺を過ぎると小屋もなくなり、寒さに震えながらひたすら行列が進むのを待つようになりました。この辺りから高山病の症状で道ばたで息もたえだえになっている登山者が目につくようになりましたが、幸い我々は酸素不足には悩まされずにすみました。

冬の星座であるオリオン座が東の空にかかり、やがて徐々に夜明けの気配が漂い始めるなか、九合目の鳥居をくぐりました。大人数のツアーで来ている登山者が多いらしく、ガイドが休憩を指示する声やトランシーバーの音など登山道はかなり賑やかですが、本格的な夜明けが近づくと誰もが御来光の瞬間を逃すまいと後ろを気にしながらの登りとなります。

日の出は5時ちょうど。雲海がほぼ2700mの高さに広がっており、その向こうから一気に白熱光での御来光となりました。その後もがんばって河口湖口・吉田口からの頂上である久須志神社の鳥居をくぐり、とうとう山頂部に立ちました。立ち並ぶ山小屋の前は登山者でごったがえしており身動きもままならないほど。それでも山小屋のひとつで朝食をとってから、反時計回りにお鉢巡りに出発しました。ここは山頂の一部ではありますが、本当の最高点はお鉢の反対側にある剣ヶ峰だからです。

快晴の空の下、富士山の周囲360度は全て果てしなく続く純白の雲海ですが、北西側に回ったところで目の前に南アルプス全山が雲の上に姿を現しているのに出会いました。南の光岳から北の甲斐駒までピークが一つも欠けることなく居並んでおり、よく見ればその向こうには中央アルプス、右手奥には北アルプスが槍ヶ岳・穂高岳から後立山連峰までも見渡せ、さらに八ヶ岳と浅間山も雲間に姿を覗かせています。この眺めには、まるで懐かしい友人たちが富士登頂を祝福してくれているかのように感じられました。

剣ヶ峰には測候所のドームが建っており、その右手に「日本最高峰」の碑があって記念撮影の行列ができています。私もその行列に加わり、しばらく順番を待ってから記念撮影をしてもらいました。この碑の目の前が3,775.6mの三角点で、ようやくこれで日本百名山を完登したことになります。達成感はありましたが、感動が押し寄せるということはなく、それよりも「やっと終わった」という安堵の気持ちの方が大きかった百番目の山頂でした。

それでも剣ヶ峰でゆっくり写真を撮りたかったのでユウコさんに先に下山ポイントまで行くように言って別れ、その後お鉢の残りを回りました。公衆電話で知人に電話をかけたりトイレに入ったりしてゆっくり下山ポイントに着きましたが、見ればいるはずのユウコさんがそこにいません。道を間違えて御殿場口へでも下ったのかとも思いましたが、のんびりしているからどこかで追い越したのかもしれないと考え、とりあえずざらざらの滑りやすいブルドーザー道を雲海めがけてジグザグに下りました。

八合目江戸屋で休みながらコースを見上げていると案の定、ユウコさんがひょこひょこ下ってくるのが見えました。ユウコさんの方も、私が道を間違えたのだと思い、ばかだな〜と考えながら降りてきたとのこと。やれやれ……。

さらに下って馬の匂いがしだすと六合目が近く、そこから霧の中を歩いて観光客でごったがえす富士スバルライン五合目までは、ほんのわずかの歩きでした。