塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

白峰三山縦走

日程:1987/08/12-14

概要:広河原から大樺沢二俣を経て北岳肩ノ小屋泊。山頂で朝を迎え、間ノ岳を越えて農鳥小屋。最終日は農鳥から大門沢を奈良田へ下山。

山頂:北岳 3193m / 中白峰 3055m / 間ノ岳 3190m / 西農鳥岳 3051m / 農鳥岳 3026m

同行:カト氏 / スー氏

山行寸描

▲北岳バットレスを見上げたところ。やがてバットレスを登ることになるとは、このときは夢にも思っていなかった。(1987/08/12撮影)
▲北岳から間ノ岳への縦走路。とにかく山が一つ一つでかい。(1987/08/13撮影)
▲振り返り見た北岳。ピラミダルな山容が美しい。(1987/08/13撮影)

1987/08/12

△05:25 広河原 → △07:40 大樺沢二俣 → △09:50-10:50 稜線 → △11:25 肩ノ小屋

広河原から、涼しい沢沿いを休み休み登りました。二俣から右上し、シシウドの目立つ花畑の中をジグザグを切ります。稜線に出たところで、仙丈ヶ岳を見ながら昼食をとりました。

肩ノ小屋に着く頃にはすっかり雲が空を覆い、昼だというのに少々暗くなっていました。午後を小屋の中でゆっくり過ごし、夜8時頃外に出ると、北方の積乱雲中で雷が音もなく白い電光を発していました。

1987/08/13

△03:55 肩ノ小屋 → △04:30-06:25 北岳 → △07:30-08:15 北岳山荘 → △08:45-50 中白峰 → △09:40-11:00 間ノ岳 → △11:50-12:30 農鳥小屋 → △13:05-25 西農鳥岳 → △13:45 農鳥小屋

5時4分に御来光。これから辿る3000mの稜線が明るく照らされています。山頂直下で雷鳥の親子に会い、一同感激しました。

北岳山荘ではテレホンカードを購入し、さっそく東京へ電話してみました。この日はとにかくのんびりした行程にしてあります。

間ノ岳山頂で昼食としましたが、カト氏がラーメンの鍋を引っ繰り返してしまい大慌て。あちらではワンゲルの女子が「今日もごはんをおいしくいただき〜」などと元気よくコーリング。夏の日差しの中で昼寝から覚めると、塩見岳にかかっていた雲は次第に勢力を増して西方を覆っています。農鳥小屋へと下るにつれ西農鳥岳が圧倒的ボリュームで迫ってきました。

農鳥小屋に到着し、宿泊の手続を早々に済ませました。遠くに見える熊ノ平小屋を指差し「あそこの味噌汁はマズかった」というカト氏の体験談を聞きながらビールを飲んでいるうちに西農鳥岳にかかっていたガスがとれたので、空身で足を延ばすことにしました。

西農鳥岳に登ると、行く手には明日越える農鳥岳から広河内岳の稜線。振り返ればやはり間ノ岳の巨体に圧倒されます。この辺りになると、砂浴びをしている雷鳥を見ても「なんだ雷鳥か」となってきましたが、そのうち雨に降られ、あわてて小屋へ駆け戻りました。やがて落ち着いたところで水場へ水を汲みに下りましたが、途中のクルマユリの花畑も冷たく豊富な水もうれしいものの「水場まで5分」の標識を信じて下ったものの実は10分以上かかりました。

1987/08/14

△03:45 農鳥小屋 → △04:20 西農鳥岳 → △05:00-06:30 農鳥岳 → △06:50-55 大門沢下降点 → △08:45-09:15 大門沢小屋 → △11:15 第一発電所

御来光を期待して暗いうちから歩き始めましたが、西農鳥岳の山頂は真っ暗。穂高のような(カト氏談)岩稜のトラバースが続く辺りから明るくなりました。このトラバースの途中で、岩に引っ掛けてズボンの尻にかぎ裂きを作ってしまいました。

農鳥岳の山頂でバンザイをしましたが、ガスで視界ゼロ。さっさと下って行く登山者を横目で見ながら弁当を広げてぐずぐずしていたところに、6時頃突然ガスが切れ始め、南に荒川三山、塩見岳、西に中央アルプス、東に富士山が姿を現しました。先に見切りをつけて下った登山者はかわいそうにと思いながら、自然に笑みがこぼれてきます。

大門沢下降点からの噂の急降下は思ったほどではなかったのですが、かなり下ったところでカト氏が農鳥小屋に財布を忘れたことに気付き狼狽。結局、奈良田から小屋に電話して、後日送っていただけることになりました。

大門沢小屋まで下れば下界まではあとわずか。スー氏が最後まで隠していたパイナップルの罐詰とカト氏のブドウパンをアテに、ビールで祝杯をあげました。

第一発電所から奈良田まで車で行き、うれしい温泉につかりました。その後、カト氏のたっての希望で白籏史朗の写真館を見学してから、帰路のバスに乗りました。