春日竜神 / 呂蓮 / 井筒 / 阿漕

2017/09/10

国立能楽堂で「金春会定期能」。演目は次の通りです。

    • 春日竜神(シテ:櫻間金記師)
    • 井筒(シテ:中村昌弘師)
    • 阿漕(シテ:金春康之師)
  • 狂言
    • 呂蓮(シテ:野村万作師)

これらのうち能の三曲はいずれも既に観ていますので、それらについては詞章を細かく追うことはせず、おおまかな印象だけを手短かに記すにとどめます。

この日は自由席ですが、正面席はすでにあらかた埋まっていたので、珍しく中正面席に陣取ることにしました。正面席の賑わいに対し、中正面は四分の一程度、脇正面は三分の一程度の埋まり具合。ここからは目付柱がときどき演者の姿を隠すものの、舞台の動き全体に目配りするには悪くない場所です。

春日竜神

この曲は5年前に興福寺勧進能として浅見真州師のシテで観ています。高僧・明恵上人が天竺の仏跡参拝を決意し、暇乞いのため春日社に参詣したところ、春日明神の使いである宮守が春日山こそ霊山浄土であると引き留め、渡天を思い止まった明恵上人に龍神が釈迦一代を再現してみせるという曲で、5年前は小書《龍女之舞》によって前ツレ・宮守、後ツレ・龍女を伴いましたが、今回は小書なし。

まず登場したワキ・明恵上人(村瀬提師)は明るい青灰色の水衣に金色の角帽子、大口。二人のワキツレと共によく通る声で美しい道行を謡いましたが、その朗々とした声には高僧の風格よりも入唐渡天への若々しい期待を感じました。続いて登場した前シテ・宮守(櫻間金記師)は尉面の上に烏帽子を戴き、透けた狩衣、白大口、そして脇には長い箒をかかえています。その小柄な姿の通り、謡の声は小さくかすれ気味で、ともすれば大小の鼓にかき消されがち。この後、ワキの渡天の願いはシテの論破にあって潰えることになるのですが、いかにしてもシテの言葉に力が感じられず、地謡の力を借りてどうにか説得に成功したと思えてしまいました。

ところがその弱々しい印象は、中入前、名乗りを求めるワキの呼びかけに応じてシテがすっと立ち上がったときに一変します。正体をほのめかし常座で左袖を上げてワキを振り返ったときのシテの姿にはこの世のものとは思われぬ力があり、観ていたこちらも思わず居住まいを正しました。

目が細い面を掛け額に赤い棘のようなものを巡らせたアイ・末社の神の間語リが終わると、「時に大地、震動するは」と力強い地謡と囃子が入り、龍戴、赤頭、法被を肩脱ぎにした後シテ・竜神が登場。引き続き声は高くかすれ気味ですが、さすがにその動きはキビキビと無駄がなく、足拍子にも力がこもります。袖を巻く、舞台下を見込むといった動作のひとつひとつに気迫を感じるうちに終曲間近となり、ワキと駄目押しの問答を交わした後にさらにスピードを上げての回転から、袖を掲げて池へと姿を消す型を示して留拍子を踏みました。

呂蓮

諸国修行の出家(野村万作師)が、漆黒の長衣に頭巾をかぶり、肩には灰色の衣をたばさんだ棒を負って登場。続いて登場した宿主(月崎晴夫師)が笛座に着座したところで、常座の出家の名乗りとなります。東国を回ってきた出家は続いて西国を巡ろうとしているところで、日が暮れたので宿を借りようと案内を乞いました。これを快く受け入れた宿主は出家を奥へ通してから橋掛リに向かって妻に食事の支度を命じると、出家が脇座、宿主が常座という位置関係に変わります。

ここから宿主は出家にその漂泊の暮らしぶりなどについて質問するのですが、ここでの野村万作師の語り口が滋味に満ちたもので、思わず聞き惚れてしまいました。曰く。

  • 出家の境涯はまことに心安いもの。出家には妻子がなく家がなく、郷里もない。ただ諸国を巡るばかり。
  • 朝顔の花は朝開暮落。人も同様に儚く、今日あって明日ないものだから、後生を大事になさい。
  • 地獄は恐ろしいもの(とあれこれ描写)、極楽はありがたいもの(とこれまたあれこれ)。極楽へ行きたさに頭を剃って諸国を巡っているのだ。

これを聞いて宿主は出家に、自分も頭を剃って弟子にしてもらい、諸国を巡りたいと言い出します。この申し出に困惑した出家は、出家せずとも在家のままで願う後生も変わらない、内儀や一門とも相談しなさい、と思いとどまらせようとしましたが、宿主は、ぜひとも頭を剃りたい、妻には相談済みで早く坊主になれと言われているなどと言を曲げようとしません。それならばということで剃髪することになり、宿主は後見座で肩衣をとってもらうと常座で扇を膝の前に広げて髪を揉む仕草。一方の出家は剃刀に見立てた扇を手にすると、合掌させた宿主の後ろに回って南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧と唱え、じょり、じょり、じょりじょりじょり、じょり!と声に出して宿主の頭を剃りだしました。出家が前に回って正面からの視線を遮っている間に宿主は白い頭巾をかぶって剃髪した風情になり、見所にユルい笑いが広がります。

登場のときに肩に負っていた衣を出家が着せてやれば、宿主もまた立派な出家の風情ですが、さらに名前が欲しいと宿主はリクエスト。今までの名前は?晴夫。それはいい名前だからそのままで。いや、出家らしい名をつけて下さい、といったやりとりがあって、ここで出家は立ち上がって「これは困った、これまで人に名前などつけたことがない」と独りごちましたが、イロハの手本があることを思い出し、これをもとに名前をつけることにしました。宿主から「蓮はちす」の字を入れてほしいと要望されて「なに、蜂の巣をつける?」と一瞬ボケを見せた出家でしたが、ともあれイロハ本を見ながら「い蓮坊」はどうか?と提案しました。しかし宿主が気に入らないので、「は蓮坊」「ほ蓮坊」、果ては「ちりぬ蓮坊」「よた蓮坊」「へと蓮坊」などと珍妙な名をひねり出しては却下され、最後にダメ元の「呂蓮坊」が採用されることに。

これでめでたく終わるのかと思ったところへ食事の支度を終えた妻(飯田豪師)が登場して、話が急展開します。剃髪した夫の姿に驚いた妻は、なぜ断りもなく髪を剃ったのかと怒って元のように毛を生やせと夫を責め立てました。なんとかなだめようとした夫でしたが妻の剣幕に押され、文句は剃髪を勧めたあの出家に言えと責任転嫁。妻に「やい!この坊主!」と足を踏みならされて仰天した出家は、自分は内儀に相談しろと言った、文句があるなら宿主に言えと切り返します。そのようにして言い合いになっているうちに妻が出家を引っ立てたところ宿主は自分の女房に手を出すなと怒り出し、夫婦で出家を投げ飛ばして仲良く橋掛リを下がっていきました。後に残された出家は、「このようなことでは一期、人の頭は剃ろうものではない。南無三宝、しないたり」。

後半のどたばたも楽しい狂言でしたが、野村万作師の語りの芸だけをじっくり聞いていてもよかったようにも思える一曲でした。

井筒

井筒はこれまでに一度だけ観ており、そのときは観世流で観世流宗家がシテでしたが、今回はここ数年ずっと追っている金春流・中村昌弘師のシテ。あらかじめ中村師主催の「特別講座」にも参加して予習し、期待しつつこの日を迎えました。

業平の塚に花水を手向けに現れた前シテ・女は紅白段の唐織着流出立。右手に数珠、左手に水桶と木の葉。常座で松を見ての次第から向きを変えて描写される在原寺の荒廃した情景が、中村師の低く静かにしみわたる声で、すぐれて音楽的な美しさで謡われました。脇正に下居して水桶と木の葉を置き合掌して立ち上がるまでの間もその流麗な謡は途切れることがありませんでしたが、ワキ・旅僧(高井松男師)との問答を経て大小前に下居し、地謡に詞章を委ねつつ正先の井筒を見やるシテの姿は追憶の中に沈みこんで、シテと井筒との間の距離が切なさを感じさせます。やがて、クセ。

筒井筒井筒にかけしまろが丈 生ひにけらしな妹見ざる間に
比べ来し振分髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰か上ぐべき

このクセの上ゲ端筒井筒井筒にかけしまろが丈ではやや高めの声となり、静謐に見えて背後の大小(亀井忠雄師・鵜澤洋太郎師)の動きも細かく手がこんできました。

後シテ・井筒の女は、初冠に追懸、金色の地に菱を並べた文様の長絹の下に牛車の絵柄が見えるオレンジ色の着付。この業平の形見を身にまとった姿での序之舞はどの瞬間をとっても美しいものでしたが、男装によって舞われるため舞楽の趣が加わります。見飽きることのないその舞が惜しくも終わってクライマックス、再びの筒井筒に深い思いをこめた後、井筒に駆け寄ると一回転して扇ですすきを押さえ、間。

見れば懐かしや

その涙が出るほどの切なさの内にシテはさらに井筒の中を見込むと、下居して左袖で顔を覆いました。最後はしみじみと夢は破れ覚めにけり

上述の「特別講座」で中村師は「クライマックスの数分に向けて地謡や囃子方の力も借りながらそこまでの1時間半ほどの舞台を作り上げてゆく」と語っていましたが、実際に、どの瞬間を切り取っても弛むことのない緊密な舞台であったと感じました。

阿漕

鵜飼」「善知鳥」と共に三卑賤のひとつ、「阿漕」は3年前に観世流・観世恭秀師のシテで観ています

そのときと同じく、前シテ・漁翁(茶の水衣に腰蓑)がワキの問いに答えて語る阿漕が浦の名の謂れに漂う暗さ、釣竿を使ううちに天候が急変して不安におののく様子。後シテ・阿漕(黒い着付の上に白い縷水衣、黒頭)の姿で一ノ松に立つその幽鬼の姿(トーンクラスターのような地謡の不協和音を誘発)、人知れず網を仕掛けてそっと橋掛リに下がり、前髪を手にとって様子を窺う漁撈の期待と不安。常座から目付柱の足元の網を見下ろし、ふっと手を左右に広げて魚を追い込む殺生の高揚と、その報いとしての地獄の業火。一曲を通して随所に鬼火のような冥い閃きをまたたかせながら救済のない終曲に至るまで、流儀は違えどもあの「阿漕」の世界観がこの日もまた舞台上に現出しました。

しかし、初見の際の衝撃的な観能体験がトラウマとなっているのか、この日の金春康之師の「阿漕」からは、自ら疎ましいと思っても殺生の喜びに絡め取られる凄惨なまでの業の深さがそこまでは伝わらず、むしろ演劇的な端正さを感じました。いったい何が違ったのか説明することが難しいのですが、確かに何かが違い、中正面の最後部の席に座る私には届かないものがあったのです。

配役

能「春日竜神」 前シテ・宮守
後シテ・竜神
櫻間金記
ワキ・明恵上人 村瀬提
ワキツレ・従僧  
ワキツレ・従僧  
アイ・末社の神 内藤連
主後見 山中一馬
地頭 政木哲司
一噌隆之
小鼓 田邊恭資
大鼓 原岡一之
太鼓 小寺真佐人
 
狂言「呂蓮」 シテ・出家 野村万作
アド・宿主 月崎晴夫
アド・宿主の妻 飯田豪
 
能「井筒」 前シテ・女
後シテ・井筒の女
中村昌弘
ワキ・旅僧 高井松男
アイ・櫟本の者 深田博治
主後見 横山紳一
地頭 高橋忍
一噌庸二
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 亀井忠雄
 
能「阿漕 前シテ・漁翁
後シテ・阿漕
金春康之
ワキ・旅僧 野口能弘
ワキツレ・従僧  
ワキツレ・従僧  
アイ・浦人 竹山悠樹
主後見 本田光洋
地頭 金春安明
寺井宏明
小鼓 鳥山直也
大鼓 國川純
太鼓 三島元太郎

あらすじ

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呂蓮

旅の僧がとある家に宿を借りる。僧の説法を聞いた主は感動し、出家したいと願い出る。妻や親族の承諾を得ているというので僧は剃髪してやり、法名をつける。そこへ何も知らない妻がきて怒り、出家を思いとどまるよう迫ると、家主は僧が無理に頭を剃ったのだと言い逃れる。僧は主が妻の承諾を得ているというから髪を剃ったのだと説明したが、ついに妻と主に投げ飛ばされてしまう。

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