鎌倉江ノ島七福神巡り

2017/06/10

今年は社寺巡りに(自分としては)ずいぶん精を出していますが、今回は鎌倉江ノ島七福神巡りです。

七福神巡りというのはおそらく日本中のあちこちにあって、私も深川七福神巡りは3年前の正月にしたことがありますが、こちら鎌倉江ノ島七福神は昭和57年の制定で、一年を通して参詣できるというのが売り物です。そして弁財天が二ヶ所にいるので、合計八つの社寺を訪ねることになります。

浄智寺(布袋尊 - 福徳円満)

まずは北鎌倉駅から徒歩しばらく、鎌倉五山第四位・臨済宗円覚寺派の金寶山浄智寺から。

ここは初めて訪れましたが、石橋の向こうに短いながらも風情のある石段が続き、上がりきったところには上層が鐘楼となっている変わった形の三門があります。

境内には本尊の《木造三世仏坐像》(15世紀)を祀る曇華殿。左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来が過去・現在・未来を示します。また、裏に回ると曇華殿の角のところにひっそりと《木造観音菩薩立像》が佇んでいました。こちらは、もとは三門の上に五百羅漢と共に祀られていた像です。

それにしても、谷戸の奥の墓地へと続く庭はそれほど人の手が入っていないように見えてなんとなく風情があります。

竹林、岩尾根が閑静。そしてトンネルをくぐるとそこは……。

洞窟の中に布袋尊。布袋様は弥勒菩薩の化身なのだそうですが、見るからに福々しい笑顔を浮かべて我々を待ち受けて下さいました。

鶴岡八幡宮(旗上弁財天 - 芸能成就)

しばらく歩いて鶴岡八幡宮に西から入りました。

ここは何度も来たことがあるので、本宮は軽く手を合わせる程度でスルー。銀杏の成長ぶりを確認してからまっすぐ源平池を目指します。

源平池は参道の左右に分かれていますが、本宮に向かって右手の池の中島に旗上弁財天社があります。白鳩が砂浴びをしていましたが、これは何かの瑞兆か?

源頼朝が平家滅亡を祈願したとされる旗上弁財天。あいにく像は国宝館に安置されていて、ここでその姿を拝むことはできませんでした。

宝戒寺(毘沙門天 - 勝運来福)

鶴岡八幡宮の三の鳥居を出て左に向かい、突き当たりにあるのが金龍山釈満院円頓宝戒寺です。ここは北条得宗家の屋敷があったところで、新田義貞の鎌倉攻略による北条家滅亡に際してはこの寺の裏山にあたる葛西ヶ谷の東勝寺で一族郎党こぞって自害。後に足利尊氏が北条氏の菩提を弔うために建立したのがこの寺です。

別名「萩の寺」とあるように、参道は萩が目立ちます。こじんまりとしていますが、なかなか素敵。

本堂の中には本尊・子育経読地蔵大菩薩、脇立の帝釈天と梵天。そしてその向かって左の一角に目当ての毘沙門天(多聞天)がおわしましたが、それよりも不動明王の方が立派に目立っていたのは、この寺が天台宗寺院だからでしょう。

諸尊に手を合わせてから庭を回ってみましたが、さまざまな草木が植わっていて季節ごとに花をつけてくれそうです。

この寺も訪れるのは初めてでしたが、風情があってこの日一番好ましく思いました。いつかぜひ、萩の花の季節に再訪してみたいものです。

妙隆寺(寿老人 - 長寿延命)

そのまま歩いて5分くらいで叡昌山妙隆寺。こちらは日蓮宗です。

なんともあっさりした境内で拍子抜けですが、足利六代将軍義教の弾圧で灼熱の鍋をかぶせられたまま説法したことから「鍋かむり日親」と呼ばれた日親上人ゆかりの寺で、本堂に向かって右手の祠の中に寿老人の木像がありました。寿老人は福禄寿と同一神で、中国の道教の神仙・南極老人星です。

この木像は欅の一木造りで、前に控えている鹿は三千年の長寿を象徴しているとのこと。

本覚寺(夷尊神 - 商売繁盛)

またまた歩いて5分ほどで妙厳山本覚寺。こちらも日蓮宗です。

仁王門から境内に入りますが、阿吽の金剛力士像の目の白さと阿形の口の開け方がユーモラス。

本尊は釈迦如来だそうですが、ここはパスして右手前の夷堂へ向かいました。

もともとここは源頼朝が幕府を開く際に夷堂を鎮守として建て、その後日蓮がここを拠点にして辻説法を行い、15世紀にそのゆかりで天台宗の夷堂を日蓮宗の本覚寺に改めたのだそうです。

長谷寺(大黒天 - 出世開運)

激しく混んでいる江ノ電で長谷まで移動して、これまた激しく混んでいる道を歩いて慈照院長谷寺へ。奈良の長谷寺は真言宗豊山派ですが、こちらは江戸時代に浄土宗に改宗し、現在は浄土宗系単立寺院です。

ここは紫陽花が有名ですが、入場待ち時間75分!には驚きました。初めてここを訪れた2010年にはさほど混んではいなかったのですが……。

もっとも、今回の目的は紫陽花ではないのでさして落胆はしません。奈良の長谷寺を思い出しつつ久しぶりに本尊・十一面観音菩薩像の荘重なお姿を拝んでから、下境内に戻りました。

こちらが大黒堂。左の方で拝観者を待っているのが、さわれば御利益が授かるという「さわり大黒天」です。

そして堂内には「出世開運授け大黒天」。本来は「木造大黒天立像」(応永19年(1412年))がこのお堂の本尊ですが、現在は観音ミュージアム内に収蔵されているそうです。ところで、長谷寺には大黒堂と共に弁天堂や弁天窟もあるのですが、こちらの弁天さまが七福神にカウントされなかったのは少々気の毒のような気がします。

御霊神社(福禄寿 - 家禄永遠)

長谷寺から歩いて少しで、こちらの御霊神社です。ここにはやはり2010年に訪れています

長谷寺から来ると神社に横から入るかたちになりますが、そのすぐのところに宝蔵庫がありました。

中にはずらりと並べられた「面掛行列」用の面。そのうちのひとつが面掛福禄寿ですが、紗の向こうに隠れていてぼんやりとしか見えていませんでした。「面掛行列」は鎌倉権五郎の命日とされる9月18日の例祭日に伎楽や舞楽・田楽に使われる特異な面を十人衆がつけて神輿と共に練り歩く行事だそうです。なお、寿老人は鹿を伴っていましたが、福禄寿は鶴を伴うことになっています。

七福神巡りもあとひとつだ、頑張ろう……。

江島神社(江島弁財天 - 金寶富貴)

江ノ島へ。波打つ海を眺めながらこの橋を渡るのは、2010年11月にマーマーさんを案内して以来だと思います。

相変わらず賑やかな参道をどんどん島の中心部へと進みます。

江島神社の辺津宮は、外国人参拝客であふれかえっていました。

こちらが江島弁財天を祀る弁天堂です。中にいらっしゃるのは、妙音弁財天と八臂弁財天。琵琶を抱えた妙音弁財天の方がセクシーな裸弁財天で、近江の竹生島、安芸の宮島と共に日本三大弁財天に数えられています。彩色がきれいで近年の作かと思いきや、鎌倉時代中期の作。

一方の剣と宝珠を手にして威厳に満ちた八臂弁財天は鎌倉時代初期の作〈重文〉で、源頼朝が藤原秀衡調伏祈願のために文覚上人に命じて勧請させ、21日間祈願させたことが『吾妻鏡』に記されています。

やれやれ、これで七福神巡りコンプリート……といってもせっかくなので、中津宮と奥津宮へ足を伸ばすことにしました。

江戸時代まで壮麗な社殿を構えていたという奥津宮にお参りして、今回の旅は終了です。

近くてよい街、鎌倉での社寺巡りで今日は楽しい一日でした。ただ、どこへ行っても人・人・人。そして、信心というのとは違う次元での境内の賑わいはこれでいいのか、と思わなくもありません。もっとも、神も仏もごちゃ混ぜになっている七福神巡りを喜んでいる自分も似たようなものではありますが。