ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展

2017/05/05

東京都美術館で「ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル『バベルの塔』展」。このチケットにも描かれている絵を見たときに「これは自分が知っている『バベルの塔』とは違うぞ」と思ったのですが、その謎解きは後ほど。ゴールデンウイーク真っ只中の上野公園はたいへんな人手でしたが、この展覧会は10分待ちというマイルドな状態で、さして待つこともなく入場することができました。

その入り口の前には大友克洋の「INSIDE BABEL」が掲示されていました。その名の通り、バベルの塔を60度ほどカットしてその内部構造を示したもので、塔の中央は吹き抜けになっており、さらに画面左手から流れてくる川が塔の下を通り抜けて画面右手の海に流れ出す様子がはっきりと描き出されていることには虚を衝かれます。なるほど。

展示の構成は、15-16世紀ネーデルラントの美術の周辺事情とブリューゲルに先行するヒエロニムス・ボスの真筆2作品を配して、クライマックスであるピーテル・ブリューゲル(父)の《バベルの塔》へと、塔の構造そのもののごとく螺旋を描くようなストーリーを持たせたもの。ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が所蔵する約90点を堪能することができる、貴重な機会となりました。この展覧会は、見に行くことを強く勧められます。

I 16世紀ネーデルラントの彫刻
最初のコーナーは、意外にも彫刻です。冒頭に居並ぶように置かれた《四大ラテン教父》(1480年頃)の深い精神性をたたえた写実的な表現にまずもって惹きつけられますが、そうした高い質にも関わらずこの時代・地域の彫刻作品がさほど高い名声を得ていないのは、そもそも彫刻家が作品に署名することがなく現代では作品と作者を結びつけることができない場合が多いこと、そして16世紀にこの地に勃興したプロテスタントによる聖像破壊が多くの祭壇彫刻を打ち壊し、そうした時代を生き延びた作品も19世紀には色彩を剥がされ、切り売りされる苦難に見舞われたせいであるようです。
II 信仰に仕えて
ここからは宗教画のコーナー。描かれているのは聖母子、マリア、あるいは聖カタリナや聖バルバラ。15-16世紀の絵画は多くの文字が読めない人々に対してキリストの物語を広めるために用いられ、それぞれの人物の特徴も定式化していましたが、徐々に画家の個性が生かされるようになり、署名する画家も現れます。この時期のネーデルラント絵画の特徴である細部の入念な描写と筆痕を残さない滑らかな描法で描かれた教会絵画の多くは、祭壇彫刻と同様に破壊され、散逸していきましたが、たとえばディーリク・バウツの《キリストの頭部》(1470年頃)のように裕福な市民の私室に掛けられた作品は無傷で保存されることになりました。
III ホラント地方の美術
早くから都市化が進み反映した南ネーデルラントに対し、北ネーデルラントに個性的な絵画の伝統が生じたのは16世紀の最初の四半世紀のこと。ここでも宗教的題材を扱った絵画群を見ることができますが、ルカス・ファン・レイデン《ヨセフの衣服を見せるポテパルの妻》(1512年頃)の劇的な感情表現は、100年の時を経てあのレンブラントに受け継がれたようです。
IV 新たな画題へ
肖像画や風景画、あるいは静物画の発展については過去に見た「オランダ・フランドル絵画展」や「風景画の誕生」で既に学んでいるところですが、ここに掲げたヨアヒム・パティニール《ソドムとゴモラの滅亡がある風景》(1520年頃)の景観描写の迫力は、その画面の小ささ(22.5×30cm)にも関わらず圧倒的でした。主題は旧約聖書「創世記」に描かれる退廃した二つの町の滅亡とロトの退避ですが、天使に手を引かれて逃れるロトとその娘たちは画面右下に小さく描かれ、塩の柱となった妻に至っては岩場の左側に小さく白い線となってかろうじて見分けられる程度。見る者の視線は否応無しに、遠景となって赤々と燃え盛る都市の破滅へと引き寄せられる構図です。
V 奇想の画家ヒエロニムス・ボス
いよいよ、この展覧会の一方の主役であるヒエロニムス・ボスの登場。この展覧会には、25点しか現存しないと言われるボスの油彩画のうち2点が出展されています。そのうちの1点《聖クリストフォロス》(1500年頃)は、伝統に従ってキリスト教の聖人の姿を描いていますが、その右には奇怪な水差しの形をした家が樹上にあり、左では遠くの火事、中景の廃墟、怪物、逃げる裸の男、近景の木に吊るされる熊といったさまざまなモチーフが画面に独特の緊迫感とカオスな雰囲気を漂わせていました。
一方《放浪者(行商人)》(1500年頃)はもともと三連画の両翼の外側に描かれていた2枚の絵を切り離して接合したものですが、ここに描かれるのは聖者ではなく貧しい行商人で、背後の娼家を振り向く姿に何らかの教訓を読み取ることができそう。こうした日常的な光景を描く作品は少ないものの、この絵によってボスは17世紀オランダの風俗画家たちの先駆と位置付けられるそうです。
それまでのネーデルラント絵画の特徴である滑らかな重ね塗りに対して荒いタッチを用いていることも含め、ボスの絵画は独創的ですが、ではボスは異端の存在であったかと言えばそうではないことは、生前から王侯貴族や裕福な商人の間に名声を博した画家であり、上述の2点やプラド美術館所蔵の著名かつある意味おぞましい《快楽の園》が祭壇画として描かれたものであったことからもわかります。
VI ボスのように描く
ここには二群の作品が並びます。一つは、1516年にボスが亡くなった後にボスの工房で制作し、あるいはボスの作品を模写した作品群。それらの中には、たとえば《東方三博士の礼拝》のように、かつてボスの作とされていたものの、油絵の支持体である板を年輪年代法で分析した結果ボスの生前に描かれてはいないことが明らかになった作品が含まれています。
そしてもう一つは、ボスの絵に描かれた奇怪なモチーフを用いた版画です。ボス自身は版画を制作しなかったのですが、ボスの死後50年を経て版画による「ボス・リバイバル」が起こり、異形のイメージの再生産が行われました。
中でもこの《樹木人間》(1590-1610年頃)は強烈。元はプラド美術館の《快楽の園》の右翼に描かれたものですが、見物の人々に囲まれて悲しげな表情を浮かべる樹木人間の姿は、版画という制作様式によってより鮮明に見る者の胸に迫ってきます。他にも《最後の審判》《象の包囲》など魅力的でグロテスクな作品が並びます。
VII ブリューゲルの版画
そしてブリューゲル。おそらくは20代半ばでアントウェルペンの画家組合に加入して間もなく、数年にわたるイタリアへの修行の旅に出てルネサンス絵画や古代ローマ建築をつぶさに見てきたブリューゲルは、1555年に帰国してすぐにアントウェルペンの印刷出版業者ヒエロニムス・コックに見出され、その注文に応じて版画の下絵の制作に邁進します。ブリューゲル自身が自ら図柄を考え、自ら版刻した作品は画面左半分に雄大に広がる風景の中で石弓でウサギを狙う狩人と彼を狙う追い剥ぎ(?)を右下に配した《野ウサギ狩》(1560年)だけで、初期作品の主題は画家自身というよりは発注主によって選定され、当然当時の売れ筋の主題ということにもなります。それでも多様な作風の版画が並んでいるのは不思議で、最初期において制作された「大風景画」と名付けられた連作からとりあげられた《森に囲まれた村》(1555年頃)には牧歌的な雰囲気が漂いますが、やはり上述の「ボス・リバイバル」の一環として制作された作品群がここでも異彩を放ちます。ボス風の異形の者たちが画面狭しと動き回り、聖アントニウスを誘惑したり「七つの大罪」の寓意を示す中で、この系譜の作品としてこの展示会場において中心をなしていたのは、この《大きな魚は小さな魚を食う》(1557年)でしょう。
陸に引き上げられた巨大な魚の口や腹からはたくさんの魚が吐き出され、その魚もまたさらに小さな魚をくわえています。手前のボートの左寄りに乗った男は、膝のあたりにいる息子に向かって「大きな魚は小さな魚を食う」という諺を説明しているようですし、さらによく見ると、左奥には足をもつ魚が魚をくわえてその場を立ち去ろうとしており、一方中央奥からはこちらに向かってまるで大魚の解剖を止めようとするように飛来する魚が描かれています。
私としては右奥から飛んでくる魚の慌てたような表情がかわいいと思えたのですが、展覧会の主催者は左奥でこそこそと逃げようとする二足歩行の魚の方に着目したようで、彼に「タラ夫」という名を与えてこの展覧会の公式マスコットに任命していました。確かにインパクトはこちらの方が上回っていますし、着ぐるみも作れそう。
こうしたボス風の版画の中にも後に巨匠の名声を獲得するブリューゲルの優れた手腕と構想力を見出すことができますが、続く《アントウェルペンのシント・ヨーリス門前のスケート滑り》(1558年頃)や《ホーボーケンの縁日》(1559年頃)では当時の風俗を主題として素直にとりあげており、そこからは後に有名な《子供の遊戯》(1560年)《雪中の狩人》(1565年)《農民の踊り》(1568年)等で風俗画家・農民画家として知られることになるブリューゲルの早い段階での特徴を見てとることができます。この観点からは類似主題の油絵《野外の婚礼の踊り》(1566年頃)を元にした版画《農民の婚礼の踊り》(1570-72年頃)も着目すべき作品となりますが、一方で一点だけ異彩を放っていた《ガレー船を従えた沖合の3本マストの軍艦》(1561-1562年頃)の正確な描写は、次の「バベルの塔」につながることになります。
VIII 「バベルの塔」へ
美術館の2Fをまるのまま与えられた「バベルの塔」のコーナーは、展示室のつくりも凝っていて、エスカレーターを上がって入り口から入ると正面をバベルの塔の側面を模したカーブのある壁で遮られており、肝心の《バベルの塔》はその向こうに隠れています。そこに行き着く前にまずブリューゲルに先行する絵画においてバベルの塔がどのように描かれたていたかがいくつかのサンプルをもって示されていましたが、いずれもせいぜい数階層のイスラム建築風とも思わせるタワー状に過ぎず、ブリューゲルの構想がいかに雄大であったかがはっきりと理解できます。その後、係のおじさんの勧めに従って先に3DCG映像シアターでこの絵のディテールをつかんでおいてから、おもむろに列に並んで《バベルの塔》(1568年)の前に立ちました……と言いたいところですが、絵のすぐ前は立ち止まることを禁じられたベルトコンベヤー方式になっていて、じっくり見たい場合はその列の後方に手すりで区画された場所から遠巻きに見るかたちになりました。
それにしても、この絵はすごい。59.9×74.6cmとサイズはそれほど大きくありませんが、構図はどこまでも壮大で、描写はあくまでも細密。確かに「ブリューゲルの最高傑作」と呼ぶにふさわしい出来栄えです。
画面の大半を占めて見るものを威圧する塔は螺旋状に伸び上がって、不穏な気配を漂わせる雲の上に頂上部を聳えさせ、遠くの地平線や水平線もこの塔の高さを強調する役目を果たしています。画面左寄りの赤いところはレンガ、白いところは漆喰をそれぞれクレーンで吊り上げるために色が着いたところですが、上の建築中の数階層が赤いのは朝日または夕日に照らされてのものではなく、まだレンガを組んで間がないことを示しているようです。つまり、下の階層は建築が開始されてから既に相当の時間がたって褪色しており、したがって実は既に入居(?)も始まっていることが、たとえば下から4階層目の教会とそこへ向かう貴人の隊列からも窺えます。画面右下の船着場と艦船はこの塔が都市として機能を始めていることを示しているようですが、一方で画面左下では窯で盛んにレンガが焼かれています。
現存するブリューゲルの《バベルの塔》は2点あり、著名なのはむしろ1563年頃に描かれ今ではウィーン美術史美術館に収められているこちらの絵です。このウィーンの塔と今回展示されたロッテルダムの塔には大きな違いがあり、まず大きさだけで言えばウィーンの塔の方が縦横とも2倍くらいの大きさですが、画面の中を見ても、ウィーンの塔は土台となる岩山を切り崩しながら建築中でまだまだ実用にはほど遠いように見え、その建築の遅れを取り戻そうと工人たちを叱責しようとするのかニムロド王が前景に姿を見せており、王の支配する都市が塔の向こう側に広がっていて、全体として塔の建築を推進する権力の存在が濃厚に感じられます。ところがロッテルダムの塔では、周囲は田園となり、1,400人とも言われる蟻のように微細な人々が黙々と塔の建築に従事していて、竣工を見通せているかのような均整が見て取れます。建設の主役であるはずの王の姿も見当たらず、ここでは1,400人の個性がほぼすべて捨象されて、意思を持つ存在と化した塔そのものに奉仕しているかのようにも見えています。
ロッテルダムの《バベルの塔》が表現しているものについては、伝統的な解釈である人間の傲慢の象徴という説もあれば、人々の調和と協力によってなしうることの大きさを描いたものと見る説もあり、確定していません。伝説における言語の分裂と人々の離散を、当時のキリスト教会の分裂という時代背景に結びつけることもできそうですが、ブリューゲル自身の意図を詮索することについて図録に収録された解説が次のように警鐘を鳴らしていることには留意する必要があります。
2点の《バベルの塔》に限らず、ブリューゲルの名作には鋭い社会風刺と知識人画家ならではの深い知性があふれており、彼の作品を見ているとどうしてもブリューゲルという偉人の個人的信条や生活上の哲学まで知りたくなるのが人情である。しかしそもそもここには大きな危険と時代錯誤が潜んでいることを忘れてはならない。
画家による自主製作という慣習がまだ確立されておらず、注文者の委嘱に応じ、程度の差はあれ費用や納期だけでなく、「どの主題を選択しどう描くか」までが注文者の意向で定められるのが通例だった時代の美術作品に関して、図像表現の特徴を画家自身の思想や信条と直結させるのは、かりにいかにそれが説得力を備えている場合であっても、危険な試みであることには変わりないのである。

ブリューゲルは、1569年にまだ若い30代末-40代前半で没したそうです。ロッテルダムの《バベルの塔》はブリューゲルの死の前年に描かれていますから、後付けで考えれば晩年の作品ということになるのですが、もちろんブリューゲルにそうした意識はなかったでしょう。もしブリューゲルがさらに長生きして制作を続けていたとしたら、次に発注を受けたときにどのような《バベルの塔》を描いたかを想像するのは楽しいものです。もしかすると塔はさらに高さを増して完成の域に達していたかも知れませんし、聖書の記述に沿って人々が散り散りになった跡に朽ちた姿で残骸をさらしていたかも知れません。

なおブリューゲルの名で知られる画家には、ここでとりあげられた父ピーテル・ブリューゲル1世のほか、その息子である長男ピーテル・ブリューゲル2世(地獄のブリューゲル)と次男ヤン・ブリューゲル(花のブリューゲル)、長男ピーテルの息子ピーテル・ブリューゲル3世と次男ヤンの息子ヤン・ブリューゲル2世、さらにその息子アブラハムがいます。しかし、これらの息子たち、孫たち、あるいは曽孫は、それぞれに得意分野を持ちながらもいずれも偉大なるピーテル・ブリューゲル1世のフォロワーとしてその作風を拡大再生産し続け、そのことによって後世に伝わった作品に真贋論争を巻き起こすことにもなってしまったそうです。

出口を出たところには、このガチャガチャ。ボス風のモンスターたちのピンが9種類あって、その中には上述の「慌てて飛んでくる魚」もいたのですが、手を出すことは差し控えました。

そして、やはりいました「タラ夫」の実物大(?)の人形。足元の解説を見るとこの着ぐるみはときどき出歩くことがあるそうですが、こんなのが普通に歩いているのをみたら、感受性の繊細な子供や心臓の弱いお年寄りはショックを受けてしまわないかと心配になりました。

鑑賞を終えた後は、こちら「バベル盛り」スイーツに大いに惹かれましたが、丸井まで行くのも少々億劫です。

そんなわけで、久々の「喫茶去」訪問となりました。

あんみつの上の抹茶&豆乳アイスクリームの高さもバベル級?