足跡姫 〜時代錯誤冬幽霊〜(NODA・MAP)

2017/03/08

池袋の東京芸術劇場プレイハウスで、NODA・MAPの「足跡姫 〜時代錯誤冬幽霊ときあやまってふゆのゆうれい〜」を観ました。

野田秀樹の場合、芝居の主題があらかじめ公表されることはそうありませんが、今回は事前に次のように明かされていました。

舞台は江戸時代です。作品は、中村勘三郎へのオマージュです。〔中略〕彼の葬式の時に、坂東三津五郎が弔辞で語ったコトバ、「肉体の芸術ってつらいね。死んだら何も残らないんだものな」が、私の脳裏に残り続けています。その三津五郎も、後を追うように他界してしまいました。あれから「肉体を使う芸術、残ることのない形態の芸術」について、いつか書いてみたいと思い続けていました。もちろん作品の中に、勘三郎や三津五郎が出てくるわけではありませんが、「肉体の芸術にささげた彼ら」のそばに、わずかな間ですが、いることができた人間として、その「思い」を作品にしてみようと思っています。〔後略〕

18代目中村勘三郎丈は2012年12月に、食道がんの治療から誘発されたARDS(急性呼吸窮迫症候群)のため57歳で亡くなりましたが、生前、野田秀樹とのコラボレーションで「研辰の討たれ」「鼠小僧」「愛陀姫」といった「野田版」歌舞伎を上演しており、個人的にも野田秀樹と深い親交を結んでいたことはよく知られています。その勘三郎丈に対し野田秀樹がどのようなオマージュを捧げるのか、深い興味をもってこの日を迎えました。

場内に入ると、客席に向かって緩やかに前傾した舞台の上にブルーの巨大な布が敷かれ、その上にはデフォルメされた太い赤茶色の幹を持つ桜の絵。舞台下手には黒御簾があり、さらに短い花道が客席内の横通路まで伸びていて、そこから左手の出入り口へ役者が抜けられるようになっています。定刻5分前にスモークがたちこめ始め、そして柝が二回入ると妖しいSE。桜の木の布がするすると後方に立ち上がって背景となり、再び柝が入って暗転。

然るに君の宣旨には、勢州鈴鹿の悪魔を鎮め、都鄙安全になすべしとの、仰によつて軍兵を調へ、既に赴く時節に至りて、此観音の仏前に参り、祈念を致し立願せしに。

謡曲「田村」が流れる中、白塗りの荒面をかけた男「無限」が剣舞を見せ、そこへおたふく面にピンクの薄衣の女「ゼロ」が旭日旗のようなデザインの衣装の女たちを率いて後方から近づくと、足を踏み鳴らして男の荒ぶる心を鎮めます。おたふく面は振り返った瞬間、鮮やかに直面に変わり、こちらを向くとそれは宮沢りえ。謡曲が賑やかなラテンの音楽に変わり、女たちの踊りが激しさを増したと思ったところへ呼子の高らかな音が鳴り響いて、舞台上は現実世界に引き込まれました。

この何やら寓話めいた幕開けから始まった「足跡姫」の筋書きの軸となっているのは、御法度の女歌舞伎を幕府公認のものとしようと奮闘する看板踊り子・三、四代目出雲阿国(宮沢りえ)と、その弟ですきあらば地面に穴を掘りたがる座付作家の淋しがり屋サルワカ(妻夫木聡)。そこに由比正雪の霊が自身の死体に取り憑いて生き返った売れない幽霊小説家(古田新太)と故郷の刀鍛冶たちの怨念が阿国に憑依して現れる足跡姫(宮沢りえ)が将軍殺しの動機をもって絡み、貯金をはたいて買った由比正雪の死体を腑分けしようとしていた腑分けもの(野田秀樹)、由比正雪の乱を再現したい浪人・戯けもの(佐藤隆太)、将軍の前で公演したい座長・万歳三唱太夫(池谷のぶえ)、いつしか阿国の座を狙うようになるセクシーな踊り子ヤワハダ(鈴木杏)、そして狂言回しの役を一手に引き受ける伊達の十役人(中村扇雀)らを巻き込みます。

第1幕
三、四代目出雲阿国を看板踊り子とする女歌舞伎一座に、それぞれの理由から死体、腑分けもの、戯けものの三人が合流する中で、座長の逆鱗に触れたサルワカが一座を追い出されまいと書いた筋書きは、「無限」が死んで「終わりのある生命」が生まれたという創生神話のようなものだった。この抽象的で売れそうにない筋を死体改め幽霊小説家がゴーストライティングした「足跡姫」は、おさかなくわえたどら猫を追いかけて裸でかけて行く陽気な仁左衛門の姿を冒頭に描いてつかみはOK!将軍が由比正雪に斬られるクライマックスも「舞台にあるのはニセモノばかり〜」とハッピーエンドになって評判をとるが、この結末に納得がいかない阿国とサルワカの姉弟。役人に踏み込まれたときはヤワハダを人身御供に差し出してその場を切り抜けたものの、いつの間にか大岡越前をパトロンにつけたヤワハダに元祖出雲阿国座の看板踊り子の座を奪われる。これに対抗して阿国側は本家阿国座を名乗るが、幽霊小説家の演出で真剣での稽古をしているうちに腑分けものが本当に死体になってしまい、姉弟は大川に腑分けものを投げ込んで事故を隠蔽。一息ついた姉弟が母の思い出話を語り合うふとした瞬間、阿国に足跡姫が憑依する。
第2幕
再びサルワカが書いた筋書きは、「ゼロ」が死んで「始まりのある生命」が誕生した話。これを否定した幽霊小説家の荒ぶる心は戯けものたちによって由比正雪の自我を取り戻し、将軍の腕を狙う足跡姫の霊と結託する。一方、江戸城から「足アート展」の招待状が届いて阿国は大喜びするが、そのとき大川の河原では、浮かび上がった腑分けものの死体を検視する双子の兄・丸投左連太にヤワハダが下手人を知っているとささやいていた。阿国に届いた招待状も、阿国が持つ初代出雲阿国の巻物を手に入れようとするヤワハダが送った罠だったが、橋の上で強引に巻物を奪い取ろうとしたヤワハダは足跡姫が取り憑いた阿国に簪で刺されて川に落ちる。そのまま将軍の前に出た阿国たちが「足跡姫」を演じる中で、足跡姫の霊に真剣を渡された由比正雪は御簾の向こうにいる将軍に刀を突き立てるが、御簾を上げてみれば腹に刀を刺されて立っていたのは由比正雪自身だった。なおも凄みをきかせる足跡姫を鎮めるために、阿国も自ら刀に飛び込んでゆく。しかし、すべてはまたしても芝居小屋の中の虚構で、残されたものは由比正雪、腑分けもの、ヤワハダの死体と姉弟の罪ばかり。大岡越前と丸投左連太に追い詰められた姉弟はサルワカが掘った穴に飛び込み、花道のすっぽんから舞台に逃れ出る。ニセモノの満開の桜の下で阿国は息を引き取り、サルワカは江戸に一座を作って姉のひたむきを後世に継承することを誓う。

阿国とサルワカの母=踊ることができなくなった踊り子にとって『この世で一番遠いところ』は地球の反対側ではなく舞台であり、母の末期の言葉「い、い、あ、い」は「生きたい」であると共に「(舞台に)行きたい」だったという台詞には、舞台復帰を信じ続けながらついに果たせなかった勘三郎丈の無念が宿り、阿国の亡骸を抱いてのサルワカが僕たちは舞台の上にいなくてはいけない。何度も何度も、ニセモノの「死」を死に続けなくてはいけないと強く言い聞かせる言葉には野田秀樹の思いがこもります。

一方、主役に絡む由比正雪と足跡姫の二人の霊は、能楽の作法に従えば執心をはらすために自身の死体や阿国に憑依しているはずですが、由比正雪の幕府転覆はまだしも、足跡姫の「故国の踏鞴鉄の刀鍛冶たちが名刀をこれ以上生み出さないよう腕を切り落とされた」エピソードは若干唐突に感じられました。なお、この場面は八岐大蛇を連想させ、そうであれば名刀「無限」は草薙剣とつながることになりますが、ただし神話の中の八岐大蛇は「高志の国」(=後の越前か)から出雲への外来者です。

舞台を横に仕切る幕と回り舞台を巧みに用い、繰り返される劇中劇のからくり(=どこまで行っても虚構)で次々に場面が展開する演出は、いかにも野田秀樹らしくスピーディー。野田演劇と言えば言葉遊びの要素も重要ですが、それが最もクリアに出てきたのは「売れない幽霊小説家」が由比正雪の自我を取り戻すロジックで、「売れない」とは「う、れ」が無いということだから「ゆうれい小説家」から「う」と「れ」を除くと「ゆい小説家」、つまり「由比正雪か?」だと言うわけ。かつての夢の遊民社『ゼンダ城の虜』での「万年青年が『年』をとったら万年青おもと」と同じパターンです。

また、最後にしんみり泣かせるとは言え、途中では笑いの要素もふんだん。たとえばこんな感じです。

  • 伊達の十役人の二人目・御縄田奮縛助兵衛に由比正雪の死体が盗まれたいきさつを聞かされていた万歳三唱太夫、いつの間にか客の愚痴を受け止める飲み屋のおかみの風情で「すまじきものは宮仕えだねえ」。
  • 演目「足跡姫」の冒頭、「おさかなくわえたどら猫を追いかけて、裸でかけて行く陽気な仁左衛門」の姿は、幽霊小説家が上半身はだかの腰巻姿で「待ちなさい、かつお武士〜!またあんたなの〜」と叫びながら舞台を右から左へ駆け抜けるだけ。
  • 三、四代目将軍イエナントカが斬られる場面で、古田新太は「やられたー!こんなことならもっとグラタンを食べておけばよかったー!」と叫んだ後、なぜか長々とグラタンの蘊蓄を開陳。フランスの郷土料理であることから秋田のきりたんぽと比較し、さらに「わるいごいねがー」「ボンジュール」と秋田弁とフランス語のひとり掛合いまで。
  • 人身御供として逮捕されたヤワハダは、引っ立てられながら阿国に対して「うらみます〜、中島みゆきよりもうらみます」。この「中島みゆきより」は野田秀樹の得意技で、最近では「逆鱗」でも松たか子に恨み節を語らせていました。
  • 腑分けものが斬られる前、逃げて隠れた戸板が倒れたときのバツの悪そうな表情。ただしこれはアドリブではなく演出のうちです。
  • またしても無限とゼロの話を書いたサルワカを「大衆は数学が嫌いなんだよ。というか寧ろ教室で数学が嫌いだった奴らだけが芝居小屋に来てるんだよ」と諭しながら、幽霊小説家は客席を見回す。
  • 戯けものたちが腑分けものの死を悼む0.1秒の瞬間黙禱に重なる呼び鈴のチーンという音!
  • 江戸城内ギャラリー『足アート展、足跡姫から伊藤若冲まで』……姉さん、なんだこれ?ちなみに、今月の日本経済新聞「私の履歴書」は伊藤若冲のコレクターとして知られるジョー・プライス氏ですが、これは偶然の一致でしょう。
  • 腑分けものの遺体を前に兄の丸投左連太が「悔しいよー、お役人さま」と子供の声とつぶらな瞳で伊達の十役人を見上げ、「いや、あなたも役人だから」と返されて素に戻る。

そして出演者を見渡すと、それぞれに好演でした。

  • やはり今回も宮沢りえの突き抜けるような存在感が素晴らしいものでした。あの細い身体なのによく通る声ときっぱりした動きにはこちらの意識が釘付けになります。阿国に足跡姫が憑依したときの変貌ぶりもすごく、特に第1幕の最後、初めて取り憑かれた場面の異様さは背筋が凍るほどでした。
  • 一方、妻夫木聡はもはやNODA・MAPの常連になった感がありますが、まさに万年青年的なあのキャラクターが今回は宮沢りえの弟役ということで特に生かされたように思います。しかし、その宮沢りえ扮する阿国が亡くなった後の長大な独白の説得力は、見事でした。
  • 古田新太は、もう盤石の安定感。この人が舞台上にいたら面白くならないはずがありません。その古田新太が全幅の信頼を寄せるという池谷のぶえも、軽薄な座長と思っていたら終盤に一筋縄ではない闇を見せてぞくっとさせてくれました。
  • NODA・MAPに初登場なのは佐藤隆太と鈴木杏。このうち鈴木杏の舞台は、ずいぶん前に大竹しのぶと共演した「奇跡の人」を観て以来でした。ところで「幕府」を「ハンバーグ」と言い間違えるヤワハダは「時が熟する」も「柿が熟する」と言い間違え、戯けものが由比正雪に決起を促すときにもこの「柿が熟する」が使われますが、ちなみに中村屋の定式幕は黒・白・柿色の三色縦縞です。
  • 何と言っても中村扇雀丈がいるおかげで、江戸時代という舞台設定に一本しっかり筋が通った感じ。歌舞伎「伊達の十役 慙紅葉汗顔見勢」のパロディである伊達の十役人は、衣装の背中に何役人目かを示す数字が着いていて、しかもよく見ると着付けはワイシャツにネクタイ(大岡越前は蝶ネクタイ)というのが摩訶不思議です。そして六役人目は阿国にヤワハダからの罠手紙を渡したあと、従者に対していくぞ、ローゼンクランツ、ギルデンスターンと声を掛けていましたが、この二人はシェークスピア「ハムレット」の登場人物で、このすぐ後に由比正雪か?が自分の死体(実は腑分けものの死体)を見ながら吐き出すう〜ん、俺は生きているのか?死んでいるのか?それが問題だ。という台詞に連携しています。

終幕の場面、満開の桜の花に囲まれて阿国の身体が消えて(見えなくなって)ゆくのは、坂口安吾の『桜の森の満開の下』のイメージ。この鮮やかに明るい場面で、ゼロでも無限でもない有限の生を生きなければならない人間の営みや思いが、代々引き継がれることによって永続性を獲得することを宣言する、妻夫木聡の長い長い独白を導き出すための、2時間半の濃密な舞台でした。

キャスト

三、四代目出雲阿国 宮沢りえ
淋しがり屋サルワカ 妻夫木聡
死体 / 売れない幽霊小説家 古田新太
戯けもの 佐藤隆太
踊り子ヤワハダ 鈴木杏
万歳三唱太夫 池谷のぶえ
伊達の十役人 中村扇雀
腑分けもの 野田秀樹
 
囃子 田中傳左衛門
望月太喜十朗
田中傳三郎

中村勘三郎丈の奥様・波野好江さんが書いた『中村勘三郎 最期の131日』をこの機会に読みました。うつ病と診断されて過ごしたつらい日々を抜け出したと思ったとたんの食道がんの診断。手術自体はうまくいったのに、術後の入院中に起こした嘔吐で大量の胆汁が肺に入ったためにARDSを発症。自身の肺では呼吸できなくなってから人工肺で延命しつつ生体肺移植の可能性を模索したものの、11月下旬に脳内出血を起こして脳死状態に至り、ついに息を引き取るまでの過程を、奥様ならではの心情と共に綴ったものです。

この本の中には、勘三郎丈の実はナイーブな人となりや、勘九郎丈・七之助丈を含む家族の情愛の深さが細やかに描かれていますが、勘三郎丈の末期にあたり野田秀樹と大竹しのぶのお二人が実に親身に勘三郎丈と奥様とを支えていた様子も記されています。