塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

船弁慶

2016/11/26

喜多六平太記念能楽堂(目黒)で「金春流能楽師 中村昌弘の会」。昨年の12月に「道成寺」で見事な舞台を見せた中村師の自身の会はこれが二回目ですが、一回目(私は観ていません)が「融」というやや意外感のある曲であったのに対し、今回は堂々の(?)「船弁慶」です。この「船弁慶」を観るのは初めてではありませんし、今年7月には事前講座も受けて準備万端で能楽堂に入ったのですが、それでもやはり新鮮な感動を得ることができました。

まず金子直樹氏による解説があって、この日のプログラムの構成についてひとしきり説明がなされました。最初の仕舞二番は男女の物狂いをテーマとした観世流との立合仕舞、ついで『平家物語』から「屋島」の一部として狂言方の見せ場となる替間「奈須与市語」、そして再び仕舞は「船弁慶」の前シテ/静が主人公の「吉野静」と、後シテ/知盛が主人公で歌舞伎「義経千本桜(大物浦)」でも有名な知盛入水を描く「碇潜いかりかづき」(金春流では番外曲)。最後はもちろん「船弁慶」です。この解説の中でなるほどと思ったのは、義経にまつわる曲のうち現行曲で義経をシテにするものは「屋島」しかないという話でした。言われてみれば確かに、「安宅」「二人静」など有名曲はいくつもあっても弁慶や静にフォーカスしたものばかり。周辺を描くことでその向こうに義経を見せているのだというのが、金子氏の説明でした。

仕舞「笠ノ段」は「芦刈」から笠尽くしの舞の部分。出だしを謡う中村師の深々とした美声に聞き惚れたあと、山井綱雄師一人による地謡を背に舞う中村師の姿はどこまでも安定していました。ついで観世流から谷本健吾師を地謡に据えて鵜澤光師が「花筐」のクルイを舞いましたが、こちらは中島みゆきもかくやの情念の世界。谷本健吾師の謡もどんどん熱を帯びていきましたが、途中シテが祈りの形で立ち尽くす姿には聖性が漂いました(実は冒頭の解説の中で金子直樹氏が、鵜澤光師をあえて「女流」と表現したり、母上の鵜澤久師を「下手な男よりうまい」などと女性の能楽師を見下すように聞こえてしまう表現を使っていたので、鵜澤光師はメラメラと燃えていたのではないか?と思ったりもしたのですが、多分これは考え過ぎでしょう)。

ついで「奈須与市語」は、屋島の合戦で扇を射落すエピソードを若手狂言師・野村太一郎師が一人語りで語るものですが、長袴を少々持て余していた感はあったものの、舞台を広く使って義経、後藤兵衛実基、那須与一の三人を巧みに演じ分け、そのキビキビとした所作には目をみはるものがありました。

休憩時間中にロビーでは、中村昌弘師の地元である狛江の菓匠志むらの限定和菓子「船弁慶」の販売あり。

さらに休憩後の仕舞二番は、「吉野静」のキリを高橋汎師が舞う予定であったところ体調不良により高橋忍師が代役となり、一方の「碇潜」は鎧二領に兜を戴きその上に碇を……と扇を用いて写実的な所作が見られましたが、何といっても金春宗家のお姿はやはり異次元でした。そして、宗家が舞い納めたときに絶妙のタイミングでお調べの笛が鳴り始め、舞台は「船弁慶」へと引き継がれました。

船弁慶

強いヒシギからの〔次第〕の囃子に乗って登場した子方/中村千紘くんは、中村昌弘師のご子息でまだ小学校一年生。その後ろに弁慶というにはスマートな福王和幸師とワキツレ二人が現れ〈次第〉を謡って大物の浦に到着します。この冒頭で子方に判官都を遠近の……という台詞があるのですが、やはり年齢相応に声は小さめ&柔らかめ。ここから先の旅路に静を同道するのはいかがなものかと言う弁慶が橋掛リから揚幕に向かって呼び掛けたところで、幕の内に登場した前シテ/静は縫箔腰巻の上に段の紅入唐織を壺折にし、いずれも花車文様が華やかです。しかしながら、弁慶の言葉を信じられず義経に直接尋ねたものの、やはり都に戻れと言われて打ちひしがれる静の姿はあまりにも哀れ。そして舞台中央で物着となり金色の静烏帽子を着けた後、常では〔イロエ〕から〈サシ・クセ〉となって静が越王勾践の故事を引くところを、義経との別離の悲しみを強調する小書《遊女之舞》により省略して〔中ノ舞〕に飛びました。美しい舞姿のシテは、途中橋掛リに進んで二ノ松で舞台に背を向けしばらく佇み、やがて義経を見やって半開きの中啓をかざすと右手でシオリましたが、扇が作る影が面を暗くしているため涙を隠している姿となって哀れがいや増します。さらに、扇をゆっくり下ろすと後ずさって再びシオリ。このとき、橋掛リのシテの悲しみと史実の静の哀しみとが時空を超えて同化したようにも見えました。

舞台に戻ったシテは烏帽子を置き義経に涙の別れを告げると、アイ/船頭に送られて下がります。そのしんみりとした風情にも情感がこもりましたが、義経がここに一日逗留すると言っているとワキツレが弁慶に告げると、ここから舞台上の空気は一気に変わります。どうせ静に名残を惜しんでいるのだろうと怒る弁慶に命じられて幕の内に駆け込んだ船頭は、瞬時に戻ってきて船の作リ物を舞台上に置くと、義経一行を急かして船出。船上での船頭は以前観たときにあった弁慶とのビジネスの話はせず、その代わり、雲が出てきたが自分が漕げば大丈夫だから気遣い無用と頼もしいプロ意識を示し、囃子方による荒れた海の描写にも動じずにありやありやありやありや、波よ波よ波よ波よと激しく漕いで難局を打開しようと頑張ります。しかし、ついに平家の公達の亡霊登場が謡われ、小書《替之出》により幕がわずかに上がってその下から後シテ/知盛ノ怨霊の床几に掛かった姿の膝から下が覗くと、ここで朗々と力強くそもそもこれは、桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なり。前シテの静とは対極の勇壮さとおどろおどろしさが感じられます。幕がいったん降りた後、早笛となって飛び出してきた知盛は、黒頭に鍬形を戴き、金の亀甲紋が入った白い袷狩衣の下にこれも金の波線が縦に入った白い半切。長刀を構えて舞台狭しと舞い巡るシテの〔舞働〕は圧倒的な迫力でしたが、義経がそのとき義経少しも騒がずと謡うところで、私の目はシテの長刀の刃の向きに釘付けになりました。上述の事前講座の中で、この場面で知盛が直立して肩に立て掛ける長刀の刃の向きが金春流だけ内向きで、他流の能楽師たちから「それじゃ首を斬りそうで危ないじゃないか。外に向けろ」とけしかけられていたのを覚えていたからですが、さすがに後見についている宗家の目の前で流儀を破るわけにはいかなかったようで、長刀の刃はやはり内向きでした。

そんな不純な動機をもって自分の一挙手一投足に注目している客がいるとは中村師は知る由もなかったでしょうが、ともあれ知盛は刀を抜いた義経と二合打ち合うと割って入った弁慶の数珠に押し戻され、幕の前までいったん下がって長刀を捨て、太刀を抜いて再び舞台に戻り再び義経と打ち合いました。しかし、奮戦甲斐なく弁慶に祈り伏せられた知盛は、太刀を首の後ろに渡し流レ足で苦しげに海上を渡ると、一目散に退散していきました。最後は、子方が刀をなかなか鞘に戻すことができずにハラハラしましたが、後見が気付いて鼓による留のひと打ちにぎりぎり間に合い、無事に一曲を終えることができました。

終演後、場内で落ち合った旧友ヨシコさんとお茶をしながら感想を述べあったのですが、いろいろ見どころ・ツッコミどころがあったものの、とにかく中村昌弘師の謡の美声と流れるような舞のしなやかさが素晴らしかった!という点で意見が一致しました。

配役

仕舞 笠ノ段 シテ 中村昌弘
地謡 山井綱雄
花筐クルイ シテ 鵜澤光
地謡 谷本健吾
奈須与市語 野村太一郎
仕舞 吉野静キリ 高橋忍(高橋汎代演)
碇潜 金春安明
船弁慶
遊女之舞
替之出
前シテ/静 中村昌弘
後シテ/知盛ノ怨霊
子方/判官源義経 中村千紘
ワキ/武蔵坊弁慶 福王和幸
ワキツレ/義経ノ従者 矢野昌平
ワキツレ/義経ノ従者 村瀨慧
アイ/船頭 野村太一郎
栗林祐輔
小鼓 鳥山直也
大鼓 亀井忠雄
太鼓 桜井均
主後見 金春安明
地頭 辻井八郎

あらすじ

船弁慶

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