連尺 / 菅丞相

2016/05/26

国立能楽堂の企画公演で、狂言「連尺」、能「菅丞相」。

この日のテーマは、「復曲再演の会」です。

連尺

まず復曲狂言「連尺」は、「鍋八撥」と同じく新市開設に際しての一の店を競う二人の商売人の争いが主題で、題名の連尺=連雀とは行商人が荷を背負うための幅広の縄のこと。ただし「鍋八撥」が羯鼓売りと鍋売りでどちらも男なのに対し、こちらは歌賃かちん売(餅屋)の女房と絹布けんぷ売りの男の競い合いで、しかも脇狂言らしくめでたさで締める「鍋八撥」と異なり「連尺」は相当に猥雑で過激です。

最初に目代(奥津健太郎師)が現れて、新市に最初に出店した店には万雑公事(雑税と労役)免除の特権と市司(筆頭商人)の栄誉が与えられる旨を告知し、高札を打ってから舞台後方に控えました。これを聞いてまずやって来たのは白い美男葛を垂らし鮮やかな小袖を着た歌賃売の女房(野口隆行師)で、一番乗りを喜びつつ脇座近くに座した後、まだ夜明け前だからと荷(鬘桶)に寄り掛かって寝入ってしまいました。ついでやってきたのは、背中に薄い箱状の荷を背負った絹布売(野村又三郎師)。こちらも一番乗りを目指していたものの既に歌賃売の女房がいることに気づいてギクリとして、昨日・一昨日からここにいるのか?と訝しみましたが、そこで諦める又三郎師ではなく、抜足差足で近づくと歌賃売の前に荷を置いて一番乗りを宣言し、やはり寝入ります。

やがて目を覚ました歌賃売の女房は仰天。絹布売を実力排除しようとして揉めているところへ目代が割って入りました。お互いに一番乗りを主張して埒があかないのでどちらが最初の店にふさわしいかを証明しようということになったものの、餅はめでたく正月などに欠かせないが、絹はそれこそ年中欠かせず、理屈の上では差がつきません。どうせその荷箱にはろくな絹は入っていないだろうと女房が悪態をつけば、鬘桶の中の餅は少ないに違いないと絹布売も負けていません。歌勝負にしてみても、それぞれに所縁の歌があって決着がつかず、それなら互いに勝負せよとなりました。目代は「川立ち(川渡り)」「木登り」ではどうかと尋ねましたが、当時の女性は下着をつけていないのでこれはNG。しからばと「足押し」でまず勝負することになります。これは舞台中央に片膝をついて向かい合い、立てた膝で腕相撲のように相手の膝を押し合うというものですが、負けそうになった絹布売が相手の股間に足を入れてひるんだ隙にひっくり返す反則技を使いました。クレームを受けた又三郎師は「ちょっと触っただけ。自分の勝ち!でござる」と悪びれる様子もありませんでしたが、さすがにこれはノーゲームとなりました。次の種目に女房が「相撲」を選択したので絹布売はびっくりしましたが、ともあれ女房は襷を掛け、絹布売は上衣を脱いで向かい合います。互いに半身で構えて声をあげ、おもむろに組んで押し合ったところで、またしても又三郎師がいやらしい目つきで女房の尻をなでまわすセクハラ技を繰り出しましたが、今度は女房はひるむことなく絹布売の足をとってにやりと笑うと、相手を見事にひっくり返した上からおならを二発かまして、そのまま下がって行きました。残された絹布売が「臭いことかな」と辟易となったところで演技は止まり、又三郎師と奥津健太郎師は静かに下がっていきました。

菅丞相

続いて復曲能「菅丞相」は、「雷電」と同じく太宰府に流された菅原道真公の怨霊が、その呪いによって懊悩する帝の平癒祈願のために参内しようとする延暦寺の座主・法性坊僧正を妨げようとする場面(『北野天神縁起絵巻』にあり)を描いていますが、後続曲でまとまりのよい「雷電」の方が人気を集めたために「菅丞相」の上演は中断することになったのだそう。

冷え冷えとした名ノリ笛に乗り静かに橋掛リを進む僧たちは、いずれも白大口を履いて身分が高そう。ワキ・法性坊僧正(福王和幸師)の名ノリによって菅丞相の怨念が帝を悩ませている次第が明らかにされ、脇座に下居した三人の僧が五壇の法を行う内にシテ・菅丞相ノ霊(大槻文藏師)が姿を現しました。その姿は、黒地の狩衣に薄い青の大口、垂纓冠を戴いた衣冠束帯の出立で、面は高貴ながら虚無感を漂わせる錦木男。白い髪を垂らしているのは、無実の罪に憤激して一夜にして白髪になったという伝説を反映しています。家を離れて三四月、落つる涙は百千行から始まる淡々とした嘆きを一ノ松で聞かせた後、ワキとの問答の内にゆっくりと舞台に進んだシテは、白髪の姿となった由来を地謡に語らせ、その中で鳴けばこそ別れも憂けれ鳥の音の 聞こえぬ里の暁もがな(太宰府に流される前に訪れた道明寺での歌)を織り込みつつ舞台を巡ってワキに向いた後、下居して袖で顔を隠しました。以下、正中で床几に掛かったままクリ・サシ・クセと進み、クセの中では東風吹かば匂ひおこせよ梅の花の歌が登場しましたが、上羽あたりから徐々にシテの感情が激してきた模様。クセの後段の詞章は厭はじとての心なる、厭へただ厭ふべきは、鬼こもるとも言ふなれば、何故の恨みにや、人を失ふ心ぞや、よしや思へばこれとても、ただ前の世の報ひの、なしたる科の故なれば、恨むまじや恨みても、因果は逃るまじ、罪こそ悲しかりけれと恨み節全開で、この間に地謡も囃子方もヴォリュームが上がってきましたが、特に地謡陣の力量がここではっきりと発揮されて身を乗り出して聴き入りました。いよいよワキに対し「帝から勅使がやってきても参内するな」と要求を始めたシテは、たとひ勅使は重なるとも、参内なきこそ肝要なれと念押しをしましたが、ワキが勅使が三たびやってきたら応じないわけにはいかない、ときっぱり答えると、怒気を隠そうともせずに立ち上がってワキを凄まじい目付(面をかぶっていますが)で見下ろしました。菅丞相の御気色、俄に色を変じつつ、偉丈高になり給ひてと地謡が謡う通りに舞台を踏み鳴らしたシテは僧正よ、ご参内は情けなしと怒りつつ正先に出て扇に柘榴を受ける形を示すと、両袖を振って柘榴を嚙み砕き、再び正先に出て扇を前に妻戸に吹きかけるさまを示し、この柘榴が火焰となって燃え上がる内にくるくると廻って、炎にまぎれて失せにけりと左袖に身を隠して一気に下がっていきました。その後に大小がアシラウ中、ワキ・ワキツレも下がって中入。

アイ・能力(茂山正邦師)による間語リは、菅丞相の太宰府遠流の経緯から「鳴けばこそ」「東風吹かば」の二つの歌の紹介。そして最後は、僧正の参内の供をせよとの高らかな触れ。入れ替わりにゼブラカラーの牛車の作リ物が脇座に運び込まれて、後場となります。

紫の衣に袈裟をつけ美々しい外出姿となったワキが登場して車の中に入り、これまたグレードアップした姿となったワキツレ二人もこれに従う形になって勅に応じて参内の、車遅しと飛ばせけり。しかし、地謡と囃子方が緊迫の度を高めたときワキツレの切迫した謡が不思議やな、俄に晴天かき曇り、賀茂川白川ひとつになつて、越すべきやうこそなかりけれと異変を告げ、ワキも扇を上げて怨念の矛先が前途の異変を認めると、地謡が荒れ狂う川の音が大地震のように鳴り響くさまを激しく謡います。そのテンポがどんどん速くなっていき、悪魔外道の荒御先が洪水を立てて飛ばせけりという最後の一節に至ってはほとんど絶叫しているかのよう。ここまで激しい地謡は、これまで聴いたことがありません。そして引き続き早笛となり、強烈な高さ・速さの笛に太鼓も加わると、いよいよ後シテがツレ・火雷神二体を先に立てて登場しました。火雷神は赤頭、法被半切のキラキラした姿で、一体は刀、一体は長刀を持ち、顰面の上に角のような冠を戴いています。またシテは白髪に三光飛出面。白地に金の模様を煌めかせゆったりした衣装で、恐ろしいながらも実に堂々とした姿です。これに怯むことなく車を前へ進めるようにと下知したワキに対し、火雷神二体は打ち物を持って舞台に進むと僧正一行に襲いかかる舞働。刀や長刀を振り回し舞台狭しと暴れまわるツレ二体とこれを数珠で迎撃するワキツレ二人の戦いはかなりリアルで、火雷神が突きかかる刀が車の作リ物に当たって硬質な音をたてる場面も一度ならずありましたが、ワキのかくて時刻も移りしかばをきっかけにワキの説く道理にシテも心を和らげる様子を見せ、大小前にシテとツレ二体は座して一礼。さらに僧正の車を内裏へ送ろうと轅に手をかけてから川の上を渡すさまを三人が舞台を回る姿で示し、はやこれまでぞとワキに向かって手をついた後にまず火雷神が静かに下がっていき、ついでシテも下がります。最後は、キリの詞章が帝の平癒による天下泰平国土安穏を寿ぎ、菅丞相が今の世まで天満天神として現れることの有り難さを謡う中、橋掛リに火雷神・シテ・火雷神が並んで見所を見下ろし、ワキがこれを舞台上から下居合掌して見送る配置となって、シテが両袖を巻き上げた姿で終曲となりました。

菅丞相の恨みの強さを前面に出した展開で、一夜白髪の由来、シテが豹変しての柘榴天神、火雷神の荒ぶる舞働と見どころ多く、そこに強靭な地謡と囃子方(特に笛の力強さ!)のダイナミクスが加わって終始緊迫した舞台となり、これは平日の午後を休んで国立能楽堂に足を運んだ甲斐があったと思いました。

配役

狂言「連尺」 シテ・絹布売 野村又三郎
アド・目代 奥津健太郎
アド・餅売り 野口隆行
 
能「菅丞相」 シテ・菅丞相ノ霊 大槻文藏
ツレ・火雷神 大槻裕一
ツレ・火雷神 武富康之
ワキ・法性坊僧正 福王和幸
ワキツレ・従僧 喜多雅人
ワキツレ・従僧 矢野昌平
アイ・能力 茂山正邦
主後見 赤松禎友
地頭 上野雄三
杉信太朗
小鼓 大倉源次郎
大鼓 河村大
太鼓 三島元太郎

あらすじ

連尺

土地繁盛のため新市開設。最初に出店した者には万雑公事免除の特権と市司の栄誉が与えられるという目代の告知を聞いて、一番に名乗りを上げたのは歌賃売の女房。夜明け前に場所をとって寝入っていると、後から来た絹布売の男は歌賃売の前に座り、狸寝入りをする。目を覚ました女房が怒って絹布売と諍いになったところで目代が割って入ったが、互いに自分が一番だと主張するために埒が明かず、それならと足押し、相撲で決することになる。足押しでは絹布売の反則で負けた女房だったが、続く相撲で組んだ絹布売の足をとってひっくり返すと、男の上に放屁して去って行く。

菅丞相

讒言によって太宰府に左遷され憤死した菅原道真の祟りによって病悩する醍醐天皇のために、延暦寺座主法性坊僧正が五壇の法を修していると、菅原道真の怨霊が白髪の姿で現れる。配所での日々を回想した道真の霊は、勅使の来訪があっても参内してくれるなと懇願する。僧正が、勅使から三度要請されたら参内すると答えると、道真の霊は顔色を変じ、仏前に供えた柘榴を噛み砕いて妻戸に吐きかける。柘榴は火炎となって燃え上がり、道真の霊は煙のうちに消え失せる。
勅命が三度下り、僧正が内裏に向かうところを阻むように賀茂川・白川が増水し、悪鬼となった菅丞相の霊が火雷神を従えて出現。僧正の車列に雷鳴と洪水が襲う。しかし、僧正が静かに師弟の縁、主君の恩を説いて退散を勧めると、丞相の怨霊は心を和らげ、僧正の車を内裏に誘導する。これによって天皇の病苦は平癒し、丞相は「天満天宮」と神に祀られる。