シャングリラ(ヤン・リーピン)

2016/04/17

ヤン・リーピン(杨丽萍)の「シャングリラ」(云南映象 / Dynamic Yunnan)を初めて観たのは、2008年のこと。そのときのクライマックスでヤン・リーピンが踊る“孔雀の舞”は涙が出るほど美しい。という宣伝文句通りの美しさに感動して、以後2011年の「クラナゾ」、2014年の「孔雀」と彼女のステージを観続けてきたのですが、今回日本では三度目の上演となる「シャングリラ」をもって、ヤン・リーピンが自らのソロを封印するという話を聞き、Bunkamuraに足を運ぶことにしました。

全体の構成や演出は2008年版とほとんど変わっていませんが、いくつか相違点をあげると次のようになります。

  • プロローグ「混沌初開」では、前回の「孔雀」で〈時間〉を演じた長い黒髪の少女ツァイチーが赤い光の中に姿を現わし、その手の動きや回転に伴ってなびく髪が炎のゆらめきを表現する神秘的な場面がありました。
  • 躍動感に満ちた「花腰歌舞」の後にも、ツァイチーによる高速回転系のソロ。その回転を横目にマニ石を積む老人。
  • 日本の歌垣に通じる「打歌」(花を摘みにやってきて、でもそれを言うのは女の子には恥ずかしい、と歌われます)の最後、ペアになった女子を男子がお姫様だっこで下手へ連れ帰ろうとするも、重さに負けて「つかれた」(日本語)。とうとう女子を放り出してダウンしてしまうと、腹を立てた女子が「男でしょ!」(これも日本語)と見下ろしたかと思うと、逆に男子を抱え上げて下手へ。
  • プロジェクション・マッピングが多用され、前に打たれる民家の屋根や川の流れ、どこまでも続く豊かな棚田、農村の景観が舞台上に出現しました。また、照明の効果は随所で発揮され、とりわけチベット族の巡礼路が白色の照明と五体投地の人々とによって舞台上に出現したときには、深い感動を覚えました。

全体を通して客席が最も熱くなったのは、やはり上述の「花腰歌舞」だったでしょう。色鮮やかな民族衣裳を身に着けた大勢の少女達が舞台上に広がり、最初は水草の揺れるようなたおやかな舞を見せていたのに、やがてヒートアップして3拍子の歌と2拍子のステップ、1拍子の手拍子が組み合わされたダイナミックなダンスに変わり、最後はステージ最前面に横一線に膝をついて舞台を手で叩きながら複雑な振付の組合せの妙を超高速で見せてくれるエネルギッシュなもの。独特の高音で歌われる合唱の強靭な音圧にも、激しい動きに目も眩む色彩の豊かさにも、圧倒されました。

他にも、勇壮に打ち鳴らされて原初的な興奮を呼ぶ第1場の見せ場の数々や、「太陽は休んでもいい、月も休んでもいい、でも女は休まない」とヤン・リーピン自身の低くささやくような語りに乗って踊られる「女人国」、様々な生き物の男女交歓の様子を模した「煙草入れの舞」、チベット仏教における信仰心の強さをそのまま原動力として赤い袖を嵐のように激しく打ち振る「経旗」など見どころには事欠きませんでしたが、やはり圧巻はヤン・リーピン自身による二つのソロです。第1場、赤い太陽が月食によって暗い影に覆われ、その影が取り払われると出現していた白い月を背にして踊られた「月光」のダンスは、完璧なプロポーションのシルエットによるきびきびとした動きと背中や腕のしなやかさが極限まで活かされたものですし、エピローグの「孔雀の精霊」の、写実から神秘へと滑らかに遷移してゆくソロダンスの数分間は、観ているこちらが何かの魔法にかけられたようですらありました。

ヤン・リーピンの輝くばかりの美しさはいささかも衰えてはおらず、カーテンコールでは満員の客席から惜しみない拍手がヤン・リーピンに贈られていて、これがそのステージの見納めということが信じられないほどでした。しかし、あえてシルヴィ・ギエムを引き合いに出すまでもなく、表現者には必ずどこかで線を引く時が来ることが予定されているもの。中国国内においてはもう彼女がステージに立つことはなくなっていたということですから、1958年生まれの彼女自身の中では既に何かが終わっているということなのでしょう。

とはいえヤン・リーピンは、ダンサーであるだけでなく演出家であり劇団主宰者でもありますから、きっと遠からぬ内に自身の劇団を率いて違ったかたちのステージを日本にもたらしてくれるに違いありません。そのときは、この日も印象的なダンスを見せた黒髪のツァイチーやその他のリード・ダンサーたちが舞台上で、ヤン・リーピンの代わりに日本の観客を魅了してくれることを期待したいものです。