附子 / 小塩

2016/03/18

国立能楽堂の定例公演で、狂言「附子」、能「小塩」。

附子

山本則俊師がシテ・太郎冠者、山本東次郎師が次郎冠者、それに山本泰太郎師が主を勤める、抱腹絶倒の狂言。長裃姿の主と継裃姿の太郎・次郎。二人の出立はペアルックで、深緑の地の上に植物系の文様がまるでペイズリー柄のように派手。外出する主人から留守番を言いつけられた二人は、附子の入った桶(正先の蔓桶)を示してそこから吹く風に当たっても死ぬほどの猛毒だからそばへ寄るなと念を押します。ここで言う「附子」とはトリカブトの根を乾燥させた毒薬のことですが、本当は水飴状の黒砂糖が桶の中に入っており、それを太郎冠者たちに食べられることがないようにと嘘をついたわけです。

主が出発した後、残された二人は最初は桶の近くに座して「いつもはどちらかがお供しているが、今日は二人残っているのでいろいろ話そう」などとのんびり。突然、太郎冠者が床を打って次郎冠者を伴い橋掛リまで走り逃げました。「どうした?」「附子から風が吹いてきた」「あぶねー」とドキドキしながら桶を眺めると、舞台に戻って今度はやや遠巻きに座ります。しかし、好奇心の強い太郎冠者は桶の中身を見てみたいと考え、次郎冠者に遠くから扇であおいでもらいながら桶に接近。このあたりは東海村臨界事故の決死隊の趣で、次郎冠者の援護あおぎを受けつつ太郎冠者はまず桶の紐を外していったん離脱。あのおよそ笑顔を見せることのない則俊師と人間国宝の東次郎師の二人が、大真面目になって全力で扇を振りながら鬘桶に近づく演技の悲壮感がおかしくて、見所は大笑いに包まれました。次に蓋をとってまた素早く次郎冠者のところに戻りましたが、そのときチラ見したところでは、桶の中にあるのは生き物ではなさそうです。油断するなという次郎冠者の警告を背に三たび桶に近づいた太郎冠者は、桶の中を覗き込んで「黒くてどんみり」してうまそうだと報告します。食べてみたいと言い出した太郎冠者を次郎冠者は引き止めたものの、太郎冠者は桶の傍らに座って、桶の中のものを扇の要の側ですくって口にしてみました。「死ぬ!」と悶える太郎冠者。しかしそれは毒に当たったからではなく、死にそうなほどに美味いということ。この後、太郎冠者と次郎冠者は「おとがい(顎)が落つるような」と言いながら競い合って食べていましたが、とうとう桶の中は空になってしまいました。

こうなると、やがて戻ってくる主への言い訳を考えなければなりませんが、最初は次郎冠者のせいだと報告しようと冗談を言って次郎冠者を困惑させた太郎冠者は、次郎冠者に脇柱あたりに掛かっている(らしい)大事な掛け軸を引き裂かせ、ついで目付柱あたりに置かれている(らしい)台天目(天目茶碗)を一緒に割ってしまいます。この台天目を割るときの擬音「がらり、ちーん!」もあの則俊師が大声で、しかも「ちーん!」のところで素早く顔を上げて発声した後「はーっ、はーっ、はーっ」と哄笑するのですから最高です。なんだか今日の則俊師には、突き抜けたものを感じました。とはいうものの、これでどうして言い訳になるのか?と不思議に思いながら見ていると、主が帰ってきたところで太郎冠者と次郎冠者は大泣きになってしまいました。訳を問う主に太郎冠者が言うには、留守の間に眠ってはいけないと二人で相撲をとっていたところ、太郎冠者は勢い余って掛け軸に手を掛け引き裂いてしまい、かたや次郎冠者も手をついた拍子に台天目を割ってしまった。あまりに申し訳ないので、猛毒の附子を食べて死のうと思ったが、死ぬことができなかった、という報告。大事な掛け軸・台天目を壊された上に砂糖まで食べられてしまって愕然とする主を前にして二人は、一口食へども死なれもせず二口食へどもまだ死なず三口四口五口十口あまり皆になるまで食うたれども、死なれぬことのめでたさよと謡い舞って、最後は主に「やるまいぞ」「許させられい」と追い込まれました。

いや、このユーモアのセンスは凄い。解説によれば、1578年奥書の『天正狂言本』に僧と新発意たちの話としてこの狂言が載っており、しかもその類話は鎌倉時代中期の『沙石集』に既に見られるそうですから、昔の人たちの笑いの感性は侮ることができません。

小塩

金春禅竹作、『伊勢物語』に題材をとった業平もので、満開の桜を背景に二条の后へのかつての恋を偲ぶ舞が主題となります。足利義政が寛正六年(1465)に南都の春日社に赴いたときに催された多武峰様猿楽(観世・金春・宝生・金剛四流の立合能)に際して金春禅竹が作り、自ら舞った「小原野花見」が、この「小塩」であるそうです。この日の舞台は、その禅竹の直系である金春流宗家がシテを勤めるもの。

幕の中から常にないほどに長いお調べが聞かれた後に、囃子方・地謡が舞台上にそれぞれの位置を占めて、切れ切れの笛から次第の囃子となりました。素袍長袴をゆったりと着こなして登場したワキ・花見の者(森常好師)とワキツレ二人の次第は花にうつろふ嶺の雲、かかるや心なるらん。座席が正面後方右端であったために森常好師の美声を堪能できないのがちょっと残念で、森師が舞台に上がるときはむしろ脇正面席の方がいいのかも、と思いましたが後悔先に立たずです。下京に住むというワキは、大原山の桜が盛りだと言うので若き人々を伴い向かうところだと名乗りましたが、ここで言う大原山とは西京の大原野神社のこと。以前私も桜の季節に足を運んだことがありますが、桜に限って言えば大原野神社よりも西行桜で有名な近くの勝持寺の方が見事でしょう。

それはさておき、花の盛りの道行の台詞の後に大原山に着いたワキ一行が脇座にくつろいだところで、再び枯れた笛から始まる一声。深い「オマ〜ク」の声と共に幕が上がり、かなりの間をおいて登場した前シテ・老人(金春安明師)は、黄土色に光る三光尉面、尉着流出立で桜の枝を右肩に担げています。すり足でゆっくり橋掛リを進み舞台に入ったシテの一セイはしをりして、花をかざしの袖ながら、老木の柴と、人や見ん。この最初の謡からふわっと深いビブラートを伴う、この世ならぬ声色で、その場の空気を一気に幽玄の中へ持って行ってしまいました。その曰くありげな様子に立ち上がったワキの呼びかけに、シテはさも心なき山賤の、身にも応ぜぬ花好きぞと、お笑ひあるか人々よと返しましたが、身は埋れ木でも心に花ある様子に感じ入ったワキはシテと打ち解けて周囲の花盛りの様子を謡い交わします。曰く、小塩の山の小松が原より、煙る霞の遠山桜里は軒端の家桜匂ふや窓の梅も咲き茜さす日も紅の霞か雲か八重九重の都辺は、なべて錦となりにけり。大原野の里が桜の花に埋め尽くされている光景が、目に見えるようです。そして舞台を廻るシテはげにや大原や、小塩の山も今日こそは、神代も思ひ知られけれと述懐しました。ワキがシテにその歌の謂れを問うと、シテは、これは大原野の行幸に供奉した在原業平の歌大原や小塩の山も今日こそは 神代の事も思ひ出づらめであって、小塩の神が天孫降臨のお供をして天下った神代の昔を思い出されたことでしょうという表の意味の裏に、二条の后もお供をしている私(業平)との昔の愛を思い出されたことでしょう、という意味があるのだ、我ながら、妹背の道は浅からぬものだ、と遠い目をしてワキに向かいました。さらにシテが名残小塩の山深みと謡ったところを地謡が引き取って上りての世の物語、語るも昔男、あはれふりぬる身の程、嘆きても甲斐なかりけりと謡うに至って、目の前で正中に座しシオリを見せているこの老人が在原業平(伊勢物語の「昔男」)の亡霊であることがはっきりと示されます。シテは桜の枝を前にかざし花の長枝(長柄の縁語)をかざし連れてとしばらくはその場の人々と共に花見に興じた後、廻る盃に酔うさまを正中で回る形で見せると、舞台上に桜の枝を捨てて夕霞の中に消えていきました。

アイ・所の者は茶色の地に細かい桜文様の長裃姿の山本則重師ですが、左大臣藤原冬嗣が春日明神を春日社から勧請してこの地に祀ったという小塩神社(大原野神社)の由来と在原業平の行幸供奉の故事を語るアイ語りは風格を感じさせる堂々たるもので、これだけでも立派な聴き物でした。

アイの勧めに応じて業平の弔いをすることにしたワキとワキツレが待謡を謡い終えたところで、後見が天蓋の四方に花を飾った物見車の作リ物を運びこみ、常座にしつらえると、再び一声。後シテの姿は、初冠に老懸、狩衣指貫の公達出立で、面は憂いを含んだ中将。月やあらぬ、春や昔の春ならぬ、我が身ぞもとの、身も知らじとヴィブラートを効かせたところへ、ワキが先ほどまではそこになかった花見車に乗って貴人が現れたことに驚き声をかけると、シテはありし神代の物語、思ひ出づるや昔男の、姿現すばかりなりと自らが在原業平であることを明かしました。シテが車の前に出て大小前に回ると作リ物は片付けられ、クリは春宵一刻値千金、花に清香月に陰と蘇軾を引用。さらにサシからクセに移って、いくつかの和歌が引用され、このクセの内にシテは雅びな舞を始めます。上記の「武蔵野は今日はな焼きそ若草の」が上羽で、その後に大原野の思い出に籠る自らの心を乗せて正中を二回転したところへ太鼓が入り、序ノ舞が始まりました。ゆったりした中にもリズミカルな囃子に乗って、ある種神がかりを感じる風雅な舞は、しかし所どころに鋭く袖を巻き上げる所作が入って、その思わぬ力強さに畏怖の念を覚えました。そして序ノ舞を終えたシテが昔かな、花も所も、月も春、ありし御幸を花も忘れじと再び二条の后との恋の追憶に浸ると、キリに山嵐が吹いて桜の花びらが散り乱れる中、シテは左袖をかかげて膝を落とし、夢か現か寝てか覚めてかとワキの夢の中に溶け、常座で回って揚幕に向かい留拍子を踏みました。

花盛りの美しい情景の中での涙を誘う懐旧と恋慕の思いを美しい詞章と数々の歌で綴り、金春宗家の深い声色が観る者を夢幻の境地に誘う舞台。まさにこの季節にふさわしい曲で、折も折、久しぶりに大原野の桜を見に行くのもよいかと思わせられました。

なお、この曲の中には当然のことながら『伊勢物語』に含まれる歌がいくつも引用されています。

  • 大原や小塩の山も今日こそは 神代のことも思ひ出づらめ〔小塩の山〕
  • 月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして〔西の対〕
  • 今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし 消えずはありとも花と見ましや〔桜花〕
  • 春日野の若紫の摺衣 忍ぶの乱れ限り知られず〔初冠〕
  • 唐衣着つつ馴れにし妻しあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ〔東下り〕
  • 武蔵野は今日はな焼きそ若草の 妻も籠れり我も籠れり〔武蔵野〕

『伊勢物語』は数年前に通して読み返したことがありますが、これまたこの機会に読み返してみようかと思いました。京都へ桜を見に行くのであれば、『伊勢物語』の文庫本を旅の供にするのもよいかも知れません。

配役

狂言「附子」(大蔵流) シテ・太郎冠者 山本則俊
アド・主 山本泰太郎
アド・次郎冠者 山本東次郎
 
能「小塩」(金春流) 前シテ・老人
後シテ・在原業平
金春安明
ワキ・花見の者 森常好
ワキツレ・同行の者 森常太郎
ワキツレ・同行の者 舘田善博
アイ・所の者 山本則重
主後見 辻井八郎
地頭 高橋忍
一噌庸二
小鼓 幸信吾
大鼓 安福光雄
太鼓 三島元太郎

あらすじ

附子

附子という猛毒が入っている桶には近づくな、と言い置いて外出した主。留守の太郎冠者と次郎冠者は附子のことが気になり、必死の思いで桶の中を覗いてみるとそれはうまそうな黒砂糖で、二人は競うようにして砂糖を食べ尽くしてしまった。言い訳が必要になった二人は、主が大事にしている掛け軸や天目茶碗を壊し、帰ってきた主に「申し訳に附子を食べて死のうとしたが死ねなかった」と報告する。

小塩

下京に住む者が若い人々を伴って西京・大原山に花見に出かけると、桜の枝をかざした老人が現れて、あたりの花の景色を眺めながら在原業平がかつて二条の后の大原野行啓に供奉して詠んだ「大原や小塩の山も今日こそは神代の事も思ひ出づらめ」の歌を口ずさんで昔を偲ぶ。夕霞の中に老人が消えた後、近くに住む者から大原野の小塩神社の由来と業平と二条の后の恋物語を聞いた花見の男は先程の老人が業平の霊であることに気づき、再び姿を現すのを待つことにする。やがて花を飾った物見車にのった業平の霊がありし日の姿で現れ、二条の后への思いを語って舞う。