風景画の誕生

2015/10/11

せっかくの三連休も中日が雨とあって遠出はできず、それならと一月前から目をつけていたBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」展に足を運びました。

4月のルーブル美術館展でも説明されていたように、17世紀の価値観によれば、絵画のジャンルの中では上に神話・歴史画を戴き、ついで肖像画、その下に風景画が位置付けられます。その風景画がいつ頃、どのようにして成立したのかを紐解こうというのが、本展覧会の目論見ということになります。

よく知られているように、そのなかに人物を描くことのない純粋な「風景画」は、17世紀のオランダを中心とする文化圏で生みだされている。だがそれ以前にも、たとえば、イエス・キリストの降誕の場面の背景にそれを祝福する美しい風景が描き出されているし、聖母マリアが危難を避けてエジプトへと逃れる途上で、嬰児イエスを抱きつつひとときの休息をとる場面には、いかにも平穏な心休まる風景が描き出されている。また風景とは単なる空間の広がりのことではなく、人がそこに生きて過ごしている時間の流れでもあるとするならば、このような人が存在し生きている空間と時間の表現は、古代より描き続けられて来た一年12ヶ月の月暦図のなかに年中行事や風景とともに見られる。(Bunkamuraのホームページから引用)

展覧会の構成は、次の通り。

  1. 風景画の誕生
    1. 聖書および神話を主題とした作品中に現れる風景
    2. 1年12カ月の月暦画中に現れる風景
    3. 牧歌を主題とした作品中に現れる風景
  2. 風景画の展開
    1. 自立的な風景画
    2. 都市景観としての風景画

このように、他のジャンルの絵画の背景から徐々に風景そのものが主題として自立して17世紀のオランダで独立したジャンルとして確立したのち、さらに発展してゆく様子を展観する流れとなっています。

1-1. 聖書および神話を主題とした作品中に現れる風景
ここで取り上げられるのは、東方三博士の礼拝や聖母子、キリストや聖人たちの物語の背景としての風景。窓の外の風景、物語の舞台としての背景を経て、やがて聖なる主題を小さく配したパノラマとしての背景が描かれるようになります。このコーナーを代表する作品を一つあげれば、デューラーから「良き風景画家」と呼ばれたヨアヒム・パティニールの《聖カタリナの車輪の奇跡》(1515年以前)ということになるでしょう。
手前を褐色、中景を緑、遠景をパティニール・ブルーと呼ばれる神秘的な青で描いた色彩遠近法の見事さ。そして作品の主題である聖カタリナは画面右端で拷問の車輪の前に祈りを捧げていますが、この絵を見る者の視線は画面の奥の広がりへと吸い込まれていきます。また、ヤン・ブリューゲル父子の作品もいくつか展示されていて、そこでは聖人の背後に描かれた深い森そのものが存在感を示しているのですが、この《聖カタリナの車輪の奇跡》からはむしろピーテル・ブリューゲル(父)の有名な《バベルの塔》(1563年)が連想され、しかも《バベルの塔》は美術史美術館所蔵であるのですから、ぜひこの機会にBunkamuraへ来てもらいたかったところです。
1-2. 1年12カ月の月暦画カレンダー中に現れる風景
このコーナーでは、広いスペースを使ってレアンドロ・バッサーノ及びマルテン・ファン・ファルケンボルフによる大きな月暦画が展示されていました。バッサーノは9,10,12月を除く9枚、ファルケンボルフは5枚。いずれも画面上方中央に浮かぶ星座のシンボルがその月を示す点は共通ですが、バッサーノの絵は月々の農村の様子を生き生きと示す風俗画の趣きを示し、一方ファルケンボルフの絵は《東方三博士の礼拝》や《ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)》《五千人のパン》(1580-90年頃)といった宗教的な題材を採りながらも例えば三博士の遠景では奇想天外に凍った水路でスケートに興じる人々が描かれるなどやはり真の主題は製作当時の風景と風俗の活写にあって興味をそそります。そして、マルテンの弟ルーカス・ファン・ファルケンボルフの《夏の風景(7月または8月)》(1585年)に描かれる豊かな黄金色の麦畑と、その彼方に広がる大地の広がりには息を飲みました。
また、ここではカラフルな挿絵と飾り文字が目を引く時禱書の数々も参考出品されていましたが、そのデザインから不意にKing Crimsonの『Lizard』のジャケットを連想しました。
1-3. 牧歌を主題とした作品中に現れる風景
羊飼いを主役とする牧歌の世界から、その背景に廃墟のある風景へ。野菜を満載した荷車で小川を渡る情景を文字通り牧歌的に描くヤン・シベレフツ《浅瀬》(1664-65年頃)、そしてネーデルラントの画家たちが修練を積むために訪れたイタリアで出会った廃墟を主題として採用したアダム・ペイナーケル《ティヴォリ付近の風景》(1648年頃)に至って、風景画は多彩な亜種を内包するひとつのジャンルとして確立するに至った感があります。
他にも、やはり色彩遠近法を用いつつ近景の船と人々、中景の廃墟、遠景の都市のさらに彼方に空と雲と水面を青く溶け込ませてゆくパウル・ブリル《塔の廃墟のある川の風景》(1600年)や、どこまでも穏やかな洗濯婦たちの語らいの背後遠くの丘の上の廃墟に滅びの気配を漂わせるフランチェスコ・ズッカレリ《洗濯婦のいる風景》(1740-50年頃)の完成された構図に見惚れました。
2-1. 自立的な風景画
17世紀オランダで興隆した「自立的な風景画」=人物の登場しない純粋風景画を取り上げるのがこの節の目的ではありますが、どうしても目が釘付けになってしまうのはルーカス・ファン・ファルケンボルフ《盗賊の奇襲が描かれた高炉のある山岳風景》(1580-85年)。その名の通り、川の中洲に設けられた火を噴く高炉の背後の岩山のごつごつとした形と茶や黄土色を用いた山肌の色合いは、山それ自体が人格を持っているかのような存在感を示していますが、ふと気づくと、画面左端ぎりぎりに描かれた山道を向こうからこちらに向かって必死の形相で走る旅人と、その背後に迫る黒いターバン姿の盗賊二人。絵の主題とはそぐわないほどにリアルな旅人の逃走のさまには、つい笑ってしまいます。一方、嵐の中で渦巻く雲の下、激しく風に揺さぶられる木々の間を一人ひっそりと右手前へと歩いて来る白衣の修道士の姿を描いたマルコ・リッチ《修道士のいる嵐の風景》(17世紀末〜18世紀初頭)には東洋絵画に通じる諦念が漂い、しばらくの間、この絵の前に立ち止まり続けることになりました。そして、アールト・ファン・デル・ネール《月明かりの下の船のある川の風景》(1665-70年頃)の静謐さ……。
2-2. 都市景観としての風景画
最後に、ローマやヴェネツィア、パリの都市景観を描く絵画(ヴェドゥータ)のいくつかを紹介して、この展覧会は幕を閉じます。それらの絵の中には、18世紀初頭のイギリスで盛んとなった教養としての物見遊山「グランド・ツアー」の記録として制作されたものもありましたが、それはまたその時代の都市の記録として後世に受け継がれることにもなりました。

会場の外には、奇怪なオブジェ。これは、幻想的で奇怪な地獄のイメージで知られるヒエロニムス・ボスに影響を受けた作品が展示の中に含まれていたことに由来するのだそうです。

これだけを見ると、かなりおどろおどろしい展覧会であるかのような誤解を与えそうですが、こうした怪奇趣味の作品は本展覧会の中では極めて例外的な部類であったことをはっきりさせておきましょう。ほとんどの作品が、その生成から発展に至るまで、風景画ならではの空間の広がりの中に魂を吸い寄せるような美しい魅力に溢れていたことは、あらためて言うまでもありません。