入間川 / 富士太鼓

2015/06/19

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「入間川」と能「富士太鼓」。

梅雨のさなか、しっとり濡れる国立能楽堂の前庭。

座席は最前列で、舞台はこんなふうに見えます。

入間川

「入間川」は今までに三度観ており、山本東次郎師大藏吉次郎師三宅右近師と来て今回は野村萬師ですが、やはり自在の人物造形で野村萬師らしい大名像を作り上げました。洞烏帽子を戴き緑地に白い竹模様の素袍長裃姿での最初の出では堂々とした押し出しの大名ぶり、ちょっとばかり横柄なところも垣間見せますが、入間川をはさんで対岸の何某とのやりとりあたりから太郎冠者にたしなめられもするちょっと抜けたところを見せ、入間様いるまようでのやりとりに喜んで次々に品物を何某に与えてしまうところは子供のように無邪気そのもの。ところが、最後に入間様を自分も駆使して品々を全部取り返してしまう大名は、最初からこの結末を予定していたかのようなしたたかさを感じさせます。さすが。

なお、この曲では都から本国へ帰る途中の大名が遠く(目付柱方向)に白い山を見て太郎冠者にあの山は何かと尋ね、富士であると聞いて惚れ惚れと見入る場面があります。これが次の「富士太鼓」に通じるところから、この演目がここに置かれたのでしょう。

富士太鼓

花園天皇の御代といいますから、舞台は鎌倉末期の京都。内裏で催される管絃の会で太鼓の役につきたいと願った住吉大社の楽人・富士は、既に勅命で太鼓の役に任ぜられていた天王寺の楽人・浅間に殺されてしまいます。これを気の毒に思ったワキ/官人(森常好師)は、ゆかりの者が尋ねてきたら形見として富士の舞衣装を与えようと思う……と独白するところが全体のイントロダクション。〔名ノリ笛〕の寂びた、しかし適度に澄んだ音色に乗って登場したワキは立烏帽子に紺の狩衣、白大口出立で太刀持ちの狂言方を伴い、森常好師ならではの強力な美声で一連の経緯を語ると、アイに富士のゆかりの者が現れたら知らせるよう触れさせて、脇座に落ち着きました。

富士・浅間といずれも名山の名前ですが、これは信濃なる浅間の山も燃ゆなれば 富士の煙のかひやなからんという和歌の中に楽人同士の争いを投影したネーミングで、中世ではこうした芸能者同士の刃傷沙汰が珍しくなかったようです。

ともあれ、〔次第〕となり揚幕から登場したのは、唐織姿の子方/富士の娘(粟谷僚太くん)、そして深井面に笠をかぶり薄い水色の水衣を着たシテ/富士の妻(粟谷能夫師)。一ノ松の子方と三ノ松のシテは向かい合って〈次第〉雲の上なほ遥かなる、富士の行方を尋ねんを謡います。ここからシテの〈名ノリ〉に続いてシテと子方はそこそこ長い道行を謡うのですが、子方の僚太くんはしっかりした口調で謡いきりました。〈着キゼリフ〉と共に笠をとったシテは舞台方向に進み、いったん二ノ松辺りまで戻ってシテの後ろについた子方と共に舞台に向くと、一ノ松から案内を乞いました。応対したアイからの報告で富士の縁者が尋ねてきたことを知ったワキの命令により、アイが二人に舞台へ進むよう促してから切戸口から下がると、シテは安心させるように子方を振り向いてから大小前に進んでワキと対面。子方も脇正あたりに立ち位置を占めました。ここでワキから夫が浅間に討たれたことを知らされたシテは、動揺して笠を取り落としシオリ。さらにさしも名高き富士はなど、煙とはなりぬらんと謡う地謡を聞きながら身を背けて泣くシテに、ワキは同情しながら形見の衣装を手渡しました。子方と共に下居したシテは、捧げ持つように手にした衣装を見込みながら悲しみと後悔の嘆きを謡い、座り込んでしまいます。その哀れな様子をさらに地謡が詞章で描写する間、じっと衣装を見つめるシテの姿からは霊気が漂ってくるよう。

ここで本当に幽霊でも出てきそうな曲調の〔物着アシライ〕の囃子となり、シテのもとにやってきた後見二人はぱちぱちと手際よく鋏を使うと水衣を脱がせ、紫地に金の蔓草文様の舞衣を着せて、大きな鳥兜をかぶせました。やがて物着を終えて立ち上がったシテは、既に狂乱の態。あら怨めしや、あれにわらはが夫の敵あるはいかにと正先に置かれていた鞨鼓台に駆け寄りましたが、ここで子方がすかさず片手で母を制止!あれは太鼓ではないか、どうして敵だと言うのか、あまりの事に心を乱すとは浅ましいことではないかと必死に訴えて舞台上が一気に緊迫しましたが、夫(父)が討たれたのはあの太鼓のせいではないかとシテに叱られて子方も納得し、シテと子方の掛合いの詞章の後に子方が撥を構えて太鼓を打つと、シテも常座から打てや打てやと励まします。さらに、富士自身の幽霊がシテに取り憑いたと見えて、シテは怒りの足拍子を繰り返した後に、子方から撥を取り上げ自ら太鼓を打ち始めました。ここで笛が強くなって舞楽を模した〔楽〕へと移行し、虚ろな表情でさらに太鼓を打っていたシテは数歩下がってゆっくり舞い始めます(〔楽〕では太鼓が入るのが常ですが、この曲のように鞨鼓台が置かれる場合は囃子から太鼓が省略されることがあるそうです)。舞は最初の内は穏やかで、足拍子の音も小さなものでしたが、徐々に徐々に、舞台を回る距離も足拍子の音も撥を振る所作も大きくなっていき、囃子方もシテの動きにつれて力強さを増してゆきます。そのクライマックスに持ちたる撥をば剣と定めと激情を露わにしたシテでしたが、高揚の頂点で富士の裾野の桜が吹き散らされる情景に夫の幻を見て撥を捨てると類ひなや懐かしやと袖で顔を覆い泣いてしまいました。

しかし、その涙に心を洗われたのかシテは落ち着きを取り戻し、扇を手にして吹っ切れたように修羅の太鼓は打ち止みぬ、この君の御命、千秋楽を打たうよと祝祭の舞を舞い始めました。やがて日が傾いて山の端にかかっているところを扇をかざして眺めやると、ワキに向かって招キ扇をした後に嬉しや今こそは、思ふ敵は討ちたれと扇で太鼓をはたく所作を見せて、怨みを晴らした喜びを正中に下居してシオル形で示します。そして、これまでなりと舞衣・鳥兜を後見が手際よく外すことで憑依と狂気から解き放たれると、シテは笠を手に立ち常座に移って、太鼓こそ思えば夫の形見なのだと笠を頭上に捧げ持って太鼓を振り返ってから、最後に太鼓に背を向けて留拍子を踏みました。

恋する相手の衣を身にまとって狂乱する能としては、他に「井筒」「松風」「柏崎」などがありますが、この「富士太鼓」は〔楽〕の囃子に乗って、上品ながら徐々に高揚する舞に心の昂りが示されるところが特徴です。また、同じ題材を暑かったものとして「梅枝」があり、この「富士太鼓」が現在能であるのに対して「梅枝」は懐旧の夢幻能であるそう。こちらも、いずれ観てみたいものです。

配役

狂言和泉流 入間川 シテ/大名 野村萬
アド/太郎冠者 小笠原匡
アド/入間の某 野村万蔵
喜多流 富士太鼓 シテ/富士の妻 粟谷能夫
子方/富士の娘 粟谷僚太
ワキ/官人 森常好
アイ/官人の従者 野村万禄
松田弘之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 國川純
主後見 狩野了一
地頭 粟谷明生

あらすじ

入間川

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富士太鼓

萩原院(花園天皇)の御代、四天王寺の浅間という雅楽奏者が太鼓の役に召されたが、一方住吉神社の富士という奏者もこの役を望んで上洛した。技の競い合いの末に浅間が召されたものの、浅間は富士を憎み、富士の宿所に押し入りこれを殺してしまう。残された富士の妻は不吉な夢を見て、娘を連れて都へ来たところ、臣下に富士が殺されたことを告げられる。形見の装束を渡された富士の妻はこれを身に着けると、太鼓こそが仇であると言ってまず娘に太鼓を打たせ、ついで狂乱の態で自ら撥を持ち太鼓を打ち始めるが、やがて正気を取り戻し、天下の安寧を願う舞を舞った後、夫の形見の装束を脱ぎ捨て、名残を残しつつ太鼓のもとを去っていく。