キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』展

2015/02/11

週の半ばの祝日に暇ができたので、自宅から歩いていけるBunkamuraのザ・ミュージアムへ足を運びました。この日の展示は、「キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』展」です。

ジェームス・クック(1728-1779)は生涯に三度の太平洋探検航海を行っており、それらを通じた太平洋各地の正確な測量により大英帝国の太平洋進出(たとえばオーストラリアやニュージーランド等)を支えましたが、この展覧会では第一回航海(1768-1771)の際に同行した貴族にして植物学者のジョゼフ・バンクス(1743-1820)が採集し画家シドニー・パーキンソン(1745頃-1771)がドローイングに描いた南太平洋の植物たちの図譜が主役です。

展示の構成は、次の通り。

プロローグ 科学的発見を目指した太平洋への航海
第1章 ソサエティ・アイランズ―金星観測の成功
第2章 ニュージーランド―勇ましき戦士たちの島
第3章 オーストラリア―花咲ける太平洋
第4章 ジャワ―パーキンソン最期の地
エピローグ 凱旋帰国、そして『バンクス花譜集』の出版へ

この航海は、タヒチ島において金星の太陽面通過を観測するという科学的な目的を持っていました。この観測の結果によって地球と太陽との距離が算出できるため、このとき英国王立協会は世界中に観測者を送り出していたそうです。ジェームス・クックが船長を勤めたエンデヴァー号は排水量550トン、全長33.3メートル、横幅8.89メートルで底の浅い石炭運搬船で、会場にはその構造図や船内の様子の再現展示がありましたが、この決して大きいとは言えない船は94名もの乗組員を乗せて1768年8月26日にプリマスを出航すると一路大西洋を南下し、途中三回の寄港を経て太平洋に入りました。観測予定地であるタヒチに着いたのは1769年4月13日。ここに8月9日まで4ヶ月近く滞在し、その間の6月3日に金星観測を行っています。

しかし、実はこの航海にはもう一つの秘密の目的があり、それは当時まだ発見されていなかった南方の大陸(Terra Australis)を他国に先んじて探索することでした。昔から発見されている大陸の多くが北半球に偏っていることと釣合いをとるために南半球にも巨大な大陸があるに違いないという説が信じられており、17世紀にヨーロッパ人が到達したオーストラリア西海岸やニュージーランドがこの伝説の大陸であると思われていたそうです。しかし、クックの探検と測量の結果、マオリの戦士たちの土地・ニュージーランドは島であることが確認され、さらにオーストラリア東海岸の測量の結果からオーストラリアもまたTerra Australisではないことが明らかになりました。

オーストラリア東海岸を北上したエンデヴァー号は1770年4月28日に投錨し、ここで一行はオーストラリアに初めて上陸したヨーロッパ人となりました。さらに北上を続けたエンデヴァー号はグレートバリアリーフでの座礁で修理のための思わぬ7週間を費やしますが、この間にバンクスは数多くの植物の標本を採取することになりました。今回の展示の大きなパートが、このときのオーストラリア滞在で得られた成果です。

仮修理を終えた船はオーストラリアを離れ、西進してジャワ島のバタヴィアに入りました。ここにはオランダ東インド会社があり、ここで帰国に備えた修繕を行うことにしたのですが、衛生状態が悪く赤痢やマラリアが蔓延していたために病人が続出する事態となり、バタヴィアから喜望峰までの航路において画家パーキンソンを含む31人もの乗組員を失うこととなります。それでも1771年7月12日にエンデヴァー号は英国に帰投し、足掛け4年間の探検航海を終えました。帰国後、バンクスは自身が持ち帰った標本やパーキンソンの遺作をもとに植物図譜の出版を企画しましたが、大量の銅版が制作されたものの、ついにバンクスの生前に出版されることはありませんでした。

それから長い時を経て1980年代に限定版で遂に出版された『バンクス花譜集』から、今回120点がこのBunkamuraにやってきたという訳です。

南太平洋の植物というと、何か原色系のどぎついものをイメージしてしまいますが、確かにエキゾチックなフォルムを見せるものもありはするものの、花譜に描かれた植物の大半は落ち着いた色調と繊細な姿形をしており、むしろ上品と言ってもよいくらい。もっとも、上品過ぎてだんだん区別がつかなくなってくるきらいも無きにしも非ずでしたが、そうした飽きがくるところをエンデヴァー号の船室の再現や植物と共に採集した民俗品やオーストラリアの植物園の映像などが救ってくれて、どうにか最後まで興味を途切らせることなく航海を終えられたという感じです。

上の図は、クックの航海を示したもの。赤線が『バンクス花譜集』を生むことになった第一回航海で、緑線は第一回では発見できなかったTerra Australisの確認を目指して行われた第二回航海(1772-1775)です。結局この航海を通じてTerra Australisは実在しないことが証明され、続く第三回航海(1776-1780)では北太平洋からベーリング海を抜けて北極海を目指しました。しかし、北米大陸西岸の測量には成功したものの北極海に入ることはできず、クックはハワイ島で不慮の事故(現地人との衝突)から命を落としてしまいます。青線はそのときの航路を示しており、おそらく点線はクックの死後に継続された航海を意味するのだと思いますが、そうだとすると、もしクックがハワイで命を落としていなければ、あるいは日本に立ち寄っていたかも知れません。

鑑賞後は、ロビーラウンジでお茶。

写真はアフタヌーンティーセット(手前)とマロンクレープ(奥)。「チケット半券サービス」なるものに期待していたのですが、あいにく前者は、この展覧会の半券では割引になりませんでした。