清水 / 葵上

2014/11/07

国立能楽堂の企画公演で、狂言「清水」と能「葵上」。この月は「鬼の世界」を月間特集としており、いずれも鬼(と化した人)を主題とする演目です。

最初に、馬場あき子さんの30分程の解説。鎮めきれない女の心の中の鬼が舞台の上に登場した作品が「道成寺」「葵上」「黒塚」で、この三つの鬼女物での舞働をこの順に真行草の祈リと総称するそうです。そうした概観の後、六条御息所の人物像に関する説明がなされ、車争いのエピソードの中で光源氏が武官である点への注意喚起の後、能「葵上」の後場は極限の思い詰めの果てに悟りに達して成仏する六条御息所の姿を般若面で示している、というのは般若(प्रज्ञा)とは元来「悟りの智慧」という意味だからという解説がなされました。しかし、『源氏物語』での六条御息所はそんなに生易しくはなく、夕顔を殺し、葵上を殺し、後には死霊ともなって紫上や女三宮にも祟るなど、折々に暗い影を物語の上に落とします。また、馬場あき子さんの解説は狂言「清水」についても言及し、原や川、橋、山の陰など何かの境にいる鬼が親戚の中に一匹いてもおかしくない、そんな中世の物語として観てほしいというお話でした。毎度のことですが、馬場あき子さんのお話は話術が巧みで内容も面白く、いくらでも聞いていたくなってきます。

清水

2年前の観世能楽堂で同じ大蔵流の山本則重・則秀兄弟によってこの曲が演じられるのを楽しく観ましたが、今回も抱腹絶倒。ただし、最初に鬼に脅されて逃げ戻ってきた主(茂山正邦師)を迎えた太郎冠者(松本薫師)が「そーれそーれ」それ見たことかと囃し立てる場面の声のひっくり返りようや、どうやら太郎冠者が怪しいと推察して再び清水へ向かう主を見送りつつほとんど泣き声になりながら「また鬼にならずばなるまい」と独り言を言う太郎冠者の様子、さらには再び清水で鬼に出会った主が「いで食らおう」と脅されて逃げ回りつつ妙に嬉しそうな顔をしているあたりが実に生き生きとしていて、前回に観たのとはまた違った雰囲気が感じられました。それもそのはず、同じ大蔵流と言っても前回の山本東次郎家は江戸にあって武家式学に由来する背筋の伸びた芸風、それに対して今日のお二人は写実的で庶民的(「お豆腐主義」)な芸風の茂山千五郎家で、豊かな声量の随所に現れる京都らしいイントネーションがおかしみを増していました。

葵上

「葵上」は今年の2月にも観ていますが、この日は小書《古式》により車の作リ物と侍女=青女房が出てくる点がポイントです。詞章に素直に従えば車や青女房が登場するのが自然ですし、『申楽談儀』の中にも近江猿楽の犬王(道阿弥)が演じたときにこれらを登場させたとの記述があるのですが、現代の常の演出ではこれらは出てこず、青女房の台詞も巫女の言葉となっています。これは六条御息女に観客の視線を集めるために演出が変更されたもので、これを元の形式に戻す試みは昭和59年になされ、以来《古式》として上演を重ねる中で様々な工夫が試みられているそうです。

以下、2月の常の演出(ただし金春流)と今回の《古式》との違いに言及しながら、舞台の流れを再現してみます。

まずは烏帽子狩衣白大口のワキツレ・廷臣(則久英志師)が登場し、常座に立って名ノリを述べる内にツレ・照日の巫女(坂井音隆師)が登場。一ノ松に戻った廷臣が三ノ松の巫女に声を掛け、自身は脇座へ。大小の鼓がアズサを打つ内に巫女は舞台に進み正中に下居して小袖を見下ろした後、数珠を構えて呪術的な詞章を謡ってから、地謡座前へ《常》ツレ・照日の巫女が登場し、脇座に着座。ワキツレ・廷臣が登場し、常座に立って名ノリを述べた後、地謡座前に着座。廷臣の求めに応じ、巫女は着座のまま謡う。ここで車の作リ物(黒っぽく背の高い宮風ですが、両脇に車輪が付いています)が一ノ松に、正面を正先の方に向けて置かれた後、枯れた切れ切れのヒシギ笛、一声の囃子。小面・紅入唐織壺折のツレ・青女房(坂井音晴師)、泥顔・紅無唐織壺折のシテ・六条御息所の生霊(坂井音重師)が登場し、まず青女房が車の舞台寄りに立って舞台をじっと見つめる姿が不気味。続いてシテが車の中に入ろうとしたのですが、限られた視界のためか爪先を引っ掛けガタン!という音と共に背後によろけてしまい、地謡陣も思わず「げっ!」という表情で橋掛リを見やってしまいましたが、どうにかシテは車の中に入ることができました。一声の詞章を、シテの低く落ち着いた声、青女房のやや甲高い声が分け合います《常》作リ物・青女房なく、一声は一ノ松に立ったシテが一人で謡う。次第は憂き世は牛の小車の廻るや報ひなるらん。続いてシテと青女房の同吟となり、サシの後にあら恥づかしや今とても、忍び車のわが姿とシオったシテの背後にうら寂しい笛の音が響きます。シテと青女房は詞章を分け合い、青女房が車に手を掛けて下居したところで二人ともシオった後に巫女が不思議やな誰とも見えぬ上臈の、破れ車に召されたるに、青女房と思しき人の、牛もなき車の轅に取りつき、さめざめと泣き給ふ傷はしさよと謡ったとき、一ノ松にはこの詞章通りの情景が出現していました。廷臣がただ包まず名を御名乗り候へと呼び掛けたところでシテも車の後ろに出て舞台に入ると大小前で床几に掛かり《常》大小前に着座、青女房も舞台に進んで常座に下居。ただいま梓の弓の音に以下はシテが巫女の口を借りて廷臣に自らの存在を明かす場面になるため、シテと巫女の同吟となります《常》シテの独吟。囃子は息をひそめ、シテが憑依した巫女は廷臣に語りかけているのですが、シテ自身は床几に掛かったまま時折正先の小袖=葵上を見つめる姿が何とも不気味です。ようやく囃子方が力を取り戻して初同となり、思ひ知らずやとシテと巫女は小袖を見込む内に車の作リ物は下げられ、入れ替わりにアイが狂言座へ。何を嘆くぞ葛の葉の、恨みは更に尽きすまじと恐ろしい言葉を地謡に謡わせながらシテは床几から降りて下居しシオリを見せましたが、ついにあら恨めしや、今は打たでは叶ひ候ふまじと激情に駆られて立ち上がり、小袖に駆け寄りました《常》ここではまだ巫女を見やるだけ。その瞬間、青女房も立ち上がってシテに駆け寄り絶妙のタイミングでその肩に手を掛け制止するとあら浅ましや六条のと諌める詞章。しかしいやいかに言ふとも、今は打たでは叶ふまじと青女房の制止を振り切ったシテは小袖の傍らに膝をついて扇で小袖を打ちました。今はこれまでと思った青女房は笛前へ移り、シテと掛け合いで葵上への恨みの言葉を連ねます。青女房の思ひ知らずや思ひ知れと重ねたシテは扇で小袖を指し、足拍子。引き続き地謡に恨みと嫉妬の心をこれでもかと謡わせつつ扇を手に舞台を廻ったシテは、再び小袖に駆け寄り葵上の頭から足先までを睨み付けると、開いた扇を小袖の顔のあたりに投げ捨て《常》扇は後見座へ投げる、青女房を先に立てて橋掛リに戻ったところで唐織を引き抜き小袖に鬼気迫る一瞥をくれてから、唐織を被いて橋掛リを下がっていきました《常》舞台を去らず、後見座で物着

こうした一部始終を脇座から見ていた廷臣は、ここでアイ・左大臣家の者(丸石やすし)を使いに出し、ワキ・横川の小聖(宝生閑師)を請じます。宝生閑師は一時体調を崩したと聞いていましたが、揚幕から現れた山伏出立の凛々しいお姿を見れば、どうやら復調された模様。巫女とアイは相次いで切戸口から姿を消し、残った廷臣から仔細を聞いた小聖は小袖を見下ろして事態を察し、囃子方が速いテンポで打つノットを聞きながら正中に下居して加持祈祷を始めたところ、密かに幕が上がってシテが白練を被いた低い姿勢で入ってきました《常》後見座から唐織を被いて立ち上がる。シテはそのまま常座に身を伏せて機を窺った後、被いていた白練を後見に委ねて立ち上がると小聖との戦いである祈リへと突入。般若面に鱗摺箔、緋の長袴をはいた姿《常》縫箔腰巻は「道成寺」の後シテを連想させます。右手に打杖を持ち、左手を背後に回して長髢(蔓状に長く伸ばした髢かもじを継ぎ足した髪)を引き出すと胸の前に抱えましたが、太鼓の音が高鳴る内に小聖と対峙するとその髪を小聖に投げつけ橋掛リに一度下がったため、小聖はシテの姿を見失い小袖に祈ります(=空之祈)。しかし再び舞台に近づいてきたシテは、シテ柱に寄りかかりながら(ここも「柱巻き」を想起)葵上を苦しめようとし、これに気づいて舞台側に立つ小聖と相対した後に素早く小袖に迫ろうとするところを妨げられるといかに行者、はや帰り給へ、帰らで不覚し給ふなよと恫喝。ここからはシテの激しい舞と足拍子に対し小聖の誦する祈祷と数珠の音が一進一退の攻防を続けましたが、不動明王の偈にたまらず左足から崩れ落ちて両手をついてあらあら恐ろしの般若声やと絞り出して俯き、これまでぞ怨霊、この後またも来たるまじと謡ったときには憑き物が落ちた様子となって小聖と見つめ合いました。そして、キリの地謡を聞きながら立ち上がったシテは悪鬼心を和らげで打杖を前に常座から正面へ進みましたが、その表情は面を上げたことで明るく照らされ菩薩来迎を具現しているかのよう。打杖を落とすと共に悪鬼の心を捨てたシテは数歩後ろずさり、成仏を喜びつつ合掌して、彼岸を見やりながら留となりました。

このように常の演出と《古式》とでは様式面で相当の違いがありますが、実際に観たところの舞台効果の違いはさらに大きなものでした。六条御息所が深い恨みを抱く契機となった車争いを形に示す車の作リ物は、同時に葵上を黄泉へと連れ去ろうとする地獄の車ともなり、不気味な存在感を一ノ松から発していましたし、その陰に立つ青女房と車の中に籠るシテが遠くじっと正先の葵上を見やる姿もぞっとするほどの暗さを湛えており、また、激情に駆られたシテが葵上に打ち掛かろうとするところを素早く制止する青女房の動きの見事さは、単に詞章に即しているという以上の躍動感を舞台上にもたらしていました。この「枕之段」においてそうした舞台上のやりとりの劇的な面白さをとるか、六条御息所の心の闇に焦点を絞るかが、どちらの演出を採用するかの分かれ目になるのだと思いますが、時代を経るに連れ精神性を高めていった能楽演出の傾向は詞章との乖離を覚悟の上で後者を常の型としたのでしょう。また、後シテが大きくその姿を変えての小聖とのバトルもドラマティックでしたが、これは小書《空之祈》と同じと思われます。それよりも、キリで六条御息所が救済を得、面を上げて前に進む姿の神々しさに心打たれるものを感じました。ただしこれは、演出云々ではなく、純粋に演者の力のなせることだったのでしょう。

配役

狂言(大蔵流)「清水」 シテ・太郎冠者 茂山正邦
アド・主 松本薫
 
能(観世流)「葵上 古式 シテ・六条御息所の生霊 坂井音重
ツレ・照日の巫女 坂井音隆
ツレ・青女房 坂井音晴
ワキ・横川の小聖 宝生閑
ワキツレ・臣下 則久英志
アイ・左大臣家の者 丸石やすし
主後見 観世恭秀
地頭 観世銕之丞
一噌庸二
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 柿原崇志
太鼓 観世元伯

あらすじ

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