孔雀(ヤン・リーピン)

2014/05/28

Bunkamura オーチャードホールで、ヤン・リーピンの「孔雀」を観ました。2008年の「シャングリラ」、2011年の「クラナゾ」に続く、三度目のヤン・リーピン(杨丽萍)。これまでの二作は彼女の出身地である雲南やチベットの民族舞踊を紹介する歌舞ショーのような構成で、ヤン・リーピン自身の出番はごく限られたものであったのですが、今回の「孔雀」には明確なストーリーがあり、しかもヤン・リーピンが全編ほぼ出ずっぱりというところが特徴的です。

ステージは下手に台があり、その上に白い木。台の下には根があらわになっています。舞台奥には墨絵風の大きな孔雀が描かれ、開演前のまだ明るい内に上手から縦笛吹きがゆっくりと登場して、笛を吹きながらゆっくり下手方向へスライドすると、やがて会場は虫の音や鳥の声に包まれつつ暗転して、開演となりました。

現代。天井から吊り下げられたたくさんの鳥かごと、自動車の騒音や電話の着信音に包まれながら鳥を逃がそうとする女性。しかし彼女自身も巨大な籠に囚われて、ここから四季の移ろいの中に誕生・成長・衰退・死が描かれるストーリーが展開します。

春。豊かな森に命が満ちる。種は芽を出し、ツタは伸び、花がほころぶ。そんな中、美しいメス孔雀サドゥが生まれる。

夏。森の命は一層、輝きを増す。花は色彩を強め、生命が解き放たれる。サドゥは、美しいオス孔雀ガヤと出会い、恋に落ちる。ふたりは互いの羽根で戯れ、愛を深めていく。そんな時、孔雀達を見た鴉のルーバンがその美しさに驚き、彼らの羽根を手に入れたいと考えるようになる。特にサドゥに惹かれ、彼女が愛するガヤに強い嫉妬を覚える。ルーバンは仲間の力を借り、力づくでサドゥを鳥かごに閉じ込めてしまう。

春。白い衣装に身を包んだ〈神〉が上手で見守り、生命樹の下でひたすら回転する〈時間〉が時を刻み続ける中、最初の見どころとなるのはサドゥの誕生のダンス。白と薄桃色のドレスに身を包んだヤン・リーピンの繊細な指遣いと美しい背中の動きには、うっとりと見惚れてしまいます。世界で最も美しい肩甲骨……。

夏、〈神〉が赤い花びらを撒き散らし、生命樹にも赤い花が咲くと、地獄の業火のような炎の籠の中にいかにも悪役なルーバンが登場します。一方、サドゥはガヤと出会い、青孔雀二羽の甘く激しい交歓のダンスが鳥笛を用いつつ展開。とても官能的。緑孔雀の群舞の後にルーバンの横恋慕による介入が始まり、ルーバンの荒々しいソロやガヤの雄々しいソロ、さらには三羽の舞となりますが、どうしても自分に靡いてくれないサドゥに絶望したルーバンの心は暗く激高し、地獄から現れたかのような黒い鴉の群れに二人を引き裂かせます。この鴉の群れの場面が振付けとしては最もよくできており、あるときは「春の祭典」風、あるときは「攻殻機動隊」風の音楽に乗って技巧的でダイナミックなダンスが展開しました。

ここで休憩となりましたが、冒頭から上手で回っている〈時間〉は休憩時間中も休むことなく回り続けています。この休憩時間とカーテンコール時は撮影OKとアナウンスされていたので、彼女の前にはカメラやスマホを構えた人だかりができましたが、まったく意に介さない〈時間〉=ツァイチー(ヤン・リーピンの姪)は微妙にポーズを変えながら、ひたすらくるくる。

秋。森の木々が枯れ葉を散らす。彼女を助けようとするガヤにルーバンは「お前の羽根と交換にサドゥを自由にする」と迫る。ガヤは、その美しい羽根をルーバンに渡し、自らの命も犠牲にする。

冬。サドゥは自由を得るが、ガヤのいない世界は彼女にとって悲しみしかない。また、あれだけ欲した美しい羽根を手に入れたルーバンも、結局は報われず、虚しさでもがき苦しむ。森は静寂の時期を迎えている中、悲しみに包まれるサドゥに救いが訪れ……。

〈神〉が枯れ葉を散らすとともに生命樹も葉を落とし、籠の中に囚われたサドゥの姿が現れました。その手前に、赤を基調とする無数の幡が降りてきてサドゥの姿を隠し、この極めて象徴的かつ印象的な舞台装置の前でルーバンとガヤの「羽をよこせ」というマイム風の舞が舞われました。羽を失い、瀕死となったガヤと、そのガヤを介抱しようとする白いドレスのサドゥ。たとえ青い羽を手に入れても彼女の目に自分が映らないことを悟ったルーバンは苦悩の内に姿を消し、サドゥの哀しみの舞が舞われますが、そこへガヤの生命の火を消そうと集まってきたのは、不気味な木の精たち。サドゥが必死に追い払おうとするものの、ついに取り囲まれたガヤは裸体となり、足を止めたまま、上体の動きだけで表現される断末魔の痙攣のようなソロの後、背後から出てきた石碑のような台に乗ってあの世へと旅立ちました。

冬。希望を失って倒れ臥すサドゥの上に降り積もる雪。しかし生命樹の枝先や根の先には光が灯り、舞台中央に歩み寄った〈神〉とのスポットライトを介した穏やかな舞の後、その懐に抱かれたサドゥは、魂を呼びに来た笠をかぶった六羽の白い鳥に静かに囲まれ、降りてきた紗幕に映る巨大な〈神〉の姿の彼方で宙に浮くと、そのまま昇天していきます。その姿が上空に消えていった後、唯一光が残った下手の台座の上で〈時間〉の回転はひと際速度を増し、その動きが一瞬で止まると、静かに〈時間〉の手が頭上へ掲げられていくうちに暗転して、終演となりました。

上述のとおり、一貫したストーリー展開の中にちりばめられたソロやペア、トリオでの舞、あるいは群舞はそれぞれに特徴があり、特にサドゥとガヤの孔雀の生態を意識した舞や鴉のルーバンの激情を露にしたダンスはそれぞれに見応えがありました。最もダイナミックに踊ったルーバンも一面的な悪役というわけではなく、いわば純粋にサドゥに報われない愛を注ぎ続けたという悲劇的な存在であることが作品に深みを与えていましたが、ただし振付けの完成度はやや精粗まちまち。また、伝統的な音を使う場面もあれば西洋音楽をそのまま持ち込んでいる部分もあり、さらに無音の間が劇の流れを止める場面も散見されて、音楽に関しては私の感性からするとかなり工夫の余地ありという感じがしました。しかし、そうした中でも上述のようにサドゥの誕生の場面のソロは文句なしの圧巻。また地獄の鴉の群の場面はよくできた群舞でした。そして何より、50歳を過ぎているとはとても思えないヤン・リーピンのすばらしいプロポーションと柔軟性が織りなす優美な舞をこれだけ長時間にわたって観ることができたのですから、文句はありません。

なお、上演時間は前半が80分、後半が50分で、合間に20分の休憩が挟まれているのですが、この間ずっとひとつの場所で回転し続けたツァイチーには驚きです。立っている位置に円盤があってそれが動力によって回っているのだろうと思っていたのですが、プログラムの記述などからするとあれは自分の足で回っている模様です。そうなると、単に目が回らないというだけではなく、2時間半ひたすら回転し続ける身体能力の高さも驚異的ですが、彼女はまだ15歳。いずれ、ヤン・リーピンのようなオーラを発するダンサーに育ってほしいものです。