萩大名 / 船弁慶

2013/10/20

8月の風貴銘酒会で隣り合わせたOさんが能をまだ観たことがないというので「それはいかん。わかりやすい演目があればご案内しましょう」と言う(少々お節介な)約束をしたのですが、しからばとしばらくしてから検索したら見つかったのが、勝海登師の主宰するこの「海の会」。狂言は野村萬斎師の「萩大名」だし、「船弁慶」はダイナミックでわかりやすいし、場所もセルリアンタワー能楽堂なのでこじんまりしていて舞台が身近に感じられることでしょう。

雨の中、自宅から徒歩5分のセルリアンタワー能楽堂に着くと、見所の入口の手前にはこうした飾付けがしてあってなかなかいい雰囲気。

そして我々の座席は、驚くことに正面の最前列でした。

萩大名

都での訴訟を首尾よく終えて帰国する前に清水寺へ参詣するついでに、萩の花で有名な茶屋の庭を見物する大名と太郎冠者の話。この茶屋の主人は客に歌を歌わせることで有名で、歌心の持ち合わせがない大名に太郎冠者は扇を使ったブロックサインでプロンプターを勤めるからと後押しをするものの……。

野村萬斎師の大名は、人形振りにも近い独特の様式的かつコミカルな動きの中に大名の威厳と無邪気さとを共に出していて楽しく、太郎冠者・亭主とのアンサンブルも絶妙でした。そして、事前の打合せ通りにいかない大名に業を煮やした太郎冠者が去った後に、五七五七の後の最後の「萩の花かな」を思い出せない大名が、しばらくの間の後にとぼけた顔で「……さらば」とやおら立ち去ろうとしたときには見所は大爆笑。そこから最後の「面目もおりない」を経て、舞台から橋掛リに掛かるまで大名の人格を維持していたのは、常にはない扱いだと思いました。

船弁慶

以前、観世銕之丞師のシテで観たこの「船弁慶」。そのときは国立能楽堂の大きな舞台でしたが、この日はセルリアンタワー能楽堂という小さな箱の、それも正面の一番前に座っているだけに、謡も囃子も眼前で大迫力で響き、その心地よい音の洪水に身を委ねると、能楽が音楽劇であるという当たり前の事実があらためてひしひしと感じられました。

堂々たる押し出しのワキ・武蔵坊弁慶(殿田謙吉師)に呼び出されて登場した前シテ・静御前(勝海登師)の出立は、美しい御所車の文様をあしらった紅入唐織着流。笛前での物着により烏帽子を戴いての舞は長大なものでしたが、盤渉序之舞に移る前に常座で静かに立ち尽くし、小さく爪先を上げては下ろす数歩を重ねたとき、静は義経を諦める覚悟を自分の中につけようと葛藤しているのだと感じました。そして、その後の舞の中で一ノ松で義経を見やり、膝をついてシオる長い静止の後の舞の中に、静が覚悟を固めてゆく様子を見てとることができましたが、静が去った後に舞台上にぽつんと残された烏帽子には深い哀れが漂いました。

アイ・船頭(深田博治師)の早替りとダイナミックな操船に続いて、小書《重キ前後之替》により白式の公達姿の後シテ・平知盛の霊が半幕の向こうに姿を現し、いったん幕が下りた後に今度は素早く舞台へ進み入ると長刀を振るっての大胆な飛ビ返リ、橋掛リに戻って足拍子、滑らかな流レ足。途中、長刀の柄が右袖の紐を通ってしまうハプニングがありましたが、これは後見が素早く引き抜いて事なきを得、再び義経と打ち合った後シテは弁慶の数珠に追われて一旦三ノ松に下がり、欄干に左足を掛けての威嚇など、公達らしい優美さの中にも素晴らしい迫力を示しました。

この大熱演に、初観能のOさんも「面白かった!」と言ってくれて面目を施しましたが、子方・泉房之介君の活躍も特筆ものです。まだ小学校低学年くらい?なのに、舞台上で集中力を切らすことなくしっかり台詞を語り、演技も堂々たるもの。これは将来が頼もしいぞ、と思っていたら、終演後に入ったセルリアンタワー内のレストランに後からお母さん(?)、お祖母さん(?)と共にやってきました。これを見たOさんは大喜び。一緒に写真を撮りたいとまで言っていたものの、残念ながらタイミングが合いませんでした。

えーとOさん、能には毎回こうした天才子役が登場するわけではありませんのでそこに期待されると困ってしまうのですが、いい演目の公演があれば、ぜひまたご一緒しましょう。

配役

狂言「萩大名」 シテ・大名 野村萬斎
アド・太郎冠者 中村修一
アド・亭主 月崎晴夫
 
能「船弁慶 重キ前後之替 前シテ・静
後シテ・知盛ノ怨霊
勝海登
子方・判官源義経 泉房之介
ワキ・武蔵坊弁慶 殿田謙吉
ワキツレ・義経ノ従者  
ワキツレ・義経ノ従者  
アイ・船頭 深田博治
主後見 観世恭秀
地頭 小川博久
一噌幸弘
小鼓 大倉源次郎
大鼓 柿原光博
太鼓 観世元伯

あらすじ

萩大名

→ [こちら

船弁慶

→ [こちら