戸隠の社寺巡り〔中社・火之御子社・宝光社〕

2013/06/09

モントレイル戸隠マウンテントレイルの翌日、戸隠神社の中社、火之御子社、そして宝光社を訪ねてみることにしました。昨年は奥社と九頭竜社を訪ねたので、これで戸隠神社の五社すべてを訪れたことになります。

戸隠スキー場の越水ゲレンデそばの宿を出て、天気もいいので林間の道を気持よく歩き、まずは中社へ向かいます。

中社

中社の横手口に立つ鳥居をくぐるとすぐに境内になり、立派な拝殿に達します。祭神は天八意思兼(オモイカネ)命。天手力雄命を祀る奥社と共に、天岩戸伝説と結びついており、寛治元年(1087年)創建とのこと。

見事な御神木と、拝殿の右手に清浄な水を落とす滝。はやりの言葉で言えば、パワースポット?

正面の階段を下って表に出て振り返ってみると、こんもりと杉の大木に囲まれた中社の丘は、まさに御神域といった感じです。

火之御子社

再び車道をてくてく歩いて、今度は火之御子社。祭神は天鈿女命なので、舞楽や芸能の神様ということになります。しまった!お賽銭をあげておけば、楽器の腕が上がったかもしれないのにケチってしまった……。

宝光社

火之御子社からしばらく林間の道を歩いて、再び車道を下ることしばし。最後は宝光社です。康平元年(1058年)、奥社から遷祠されたもの。

鬱蒼とした樹林の中の急勾配の参道をひいこら言いながら登り、拝殿へ。今の社殿は五社の中では最も古く文久元年(1861年)に建てられたもので、神仏習合時代の造りらしく寺院建築の様式が取り入れられており、間口五間よりも奥行七間と奥に深い構造が特徴的です。

善光寺

駆け足で三社を見て回ったので時間にゆとりがあり、それならと長野駅行きバスを終点より前で下りて、善光寺に足を運ぶことにしました。

石畳の道を抜けると、まず現れるのが仁王門。「定額山」の額が掛かっています。

左右の仁王像は高村光雲・米原雲海の作で、そう言われてみればモダンな感じ。

みそソフトクリームをいただきながら仲見世通りを進み、源頼朝の参詣時に馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという駒返り橋を経て、境内へ入っていきます。もちろん、ソフトクリームはそれまでに食べ終えておくべし。

左は六地蔵、手前の地獄界から左奥の天界まで、至るところで衆生を導くお地蔵様たち。右はぬれ仏(延命地蔵)。

二層入母屋造りの巨大な三門〈重文〉。額の「善光寺」の文字の中に五羽の鳩がいることから「鳩字の額」と呼ばれていますが、どこに鳩がいるかわかるでしょうか?

三門の楼上に上がると、南の仲見世通り方面が一望できます。善光寺は宗派が分立する前からのお寺ということで、今でも天台宗の大勧進貫主と浄土宗の大本願上人とが共に住職を勤められています。

宝永4年(1707年)再建の本堂〈国宝〉。これも大きい!中に入ってびんずる尊者にお触りして、内陣でまずはお参り。ついでスコータイ仏を拝みつつ奥に進んで、お戒壇巡りにチャレンジしました。これは、秘仏の御本尊「一光三尊阿弥陀如来像」を安置する瑠璃壇の床下に潜り、真っ暗な回廊を巡って途中の「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たすというものですが、本当に目の前を歩く人の姿もわからないくらいの暗闇の中を、右手を壁に這わせて進むというのはなかなかにスリリングでした。肝心の「極楽の錠前」は、触った感じ大きめの金属の把手のような感じで、ガチャガチャと動かせるものでしたが、これで往生の際にはお迎えに来ていただけるという約束をいただいたことになるようです。ありがたいことです……。

後は、周辺の建物を見て回りました。左は鐘楼、右は経蔵〈重文〉。かつては経蔵の中に入って、一切経が収められた八角の輪蔵を回すことができたようですが、今は建物老朽化のため中に入れません。残念。

三重塔の形をした忠霊殿・善光寺史料館で、御開帳の様子を紹介するビデオ。御本尊は絶対秘仏で、住職ですらその御姿を見ることはかなわないものの、前立本尊が6年ごとに姿を現すそうで、善男善女が前立本尊と縁を結ぼうと境内を埋め尽くす様子に深く感銘を受けました。そして、外に出てふと見やると、なぜかそこにはホルスタインの善子さんと光子さん。うーん……。

締めくくりに門前の蕎麦屋さんのさらしな天ぷら蕎麦、そしてくずきりをいただき、思い切り和風な一日を過ごした後、長野駅まで歩いて帰京の途につきました。