采女 / 成上り / 正尊

2013/04/21

武田志房師が主催する「花影会」を観世能楽堂で。能のイメージを代表する「采女」と能のイメージを覆す切組が見物の「正尊」の組合せです。

  • 能「采女」
  • 狂言「成上り」
  • 仕舞三番
  • 能「正尊」

最初に武田文志師による「お話し」があって、これはもっぱら「采女」の内容の解説でした。かなり初心者寄りの説明でしたが、この会はそういう客層なのかな?その中で、能の話をすると必ずと言っていいほど話題になる拍手の話が出ましたが、武田文志師は「お調べが聞こえてきたら観能モードに、囃子方が出てきたらもう能は始まっていると思って下さい。そして、全員が舞台から下がったら終わりです」と前置きした上で、「采女」の場合は囃子方や地謡も含めて全員いなくなってから拍手、「正尊」の方は音が消えたらブラボーでも何でも、がお勧めではあるものの、決まりがあるわけではないので皆さんの感性にお任せしますという話をしていました。

采女

世阿弥作の鬘物、春日神社の縁起と采女伝説を語る前段と、采女の舞の美しさが見どころとなる後段からなり、小書《美奈保之伝》を用いて前場を短縮する上演が多いそうですが、今回は小書なしのフルバージョンで、2時間以上の長丁場となります。

透明感のある名ノリ笛を聞きながら舞台中央に進んだワキ・旅の僧(宝生欣哉師)と橋掛リに控えるワキツレ二人。ワキの名ノリからワキツレがしなやかに舞台に入り、向かい合い声を合わせての上歌は美しく見所に広がります。春日の里に着いた三人が脇座に着座したところで、次第の囃子と共にシテ・里女(武田友志師)登場。薄青と紅の段の落ち着いた明るい色合いの唐織姿で、左手には木の葉を持ち、舞台へ進みます。次第宮路正しき春日野の寺にもいざや参らんと謡うシテの姿は、中正面から観るからなのか、面にも装束にも影が生まれて静謐ながらぞっとするような雰囲気が漂っています。詞章を読めば、そこは春の夜明けの春日大社。藤原氏に掛けた藤の花は実際に「砂ずりの藤」として棚に掛かっているのを昨年11月に春日大社を訪れた際に見たことがあります。

木の葉を置いて立つ姿は、植樹の意味。これほど茂っている森になぜ木を植えるのかと不思議に思って呼び掛けたワキに対して、シテは春日大社の由来(〈語リ〉神護景雲二年に河内の枚岡からこの地に御神体が降臨。その際山が浅くて木蔭もなかったのを、藤原の氏人たちが植樹して深山となした)を説明し、説明を引き継いだ地謡が三笠山を霊鷲山に、藤の木陰を菩提樹に譬えて見所を見渡すと、常座で一回り。

ついで今度はシテの方から、猿沢の池をもう見たか?とワキに問い掛け、まだ見ていないというワキを脇正面に向かわせてこれが猿沢の池、と説明すると、思う仔細があるので経を読んでお勤めをしてほしいと頼みました。たやすいことだが、誰のために?と問うワキに、シテは今度は采女伝説(〈語リ〉昔、ある天皇の御時に一人の采女があり、最初は寵愛深かったのに、やがて天皇の御心が変わったのを恨んでこの池に身を投げ空しくなってしまった)を語って、地謡が吾妹子が寝ぐたれ髪を猿沢の 池の玉藻と見るぞ悲しきと謡ううちにシオリ、自分こそは采女の霊であると明かすと、笛の音に送られて静かに中入=猿沢の池に入っていってしまいました。

アイ語り、そして待謡。ワキとワキツレが心を込めて弔いを行ううちに、一声の囃子となってゆっくり幕が上がり、薄青色の地に金で藤をあしらった長絹と緋大口姿の後シテ・采女の霊が、右手に中啓を持って登場しました。僧の弔いに感謝し、ワキの草木国土悉皆成仏の教えに対し自らも変成男子となって興福寺に往生することを喜びます。ここから、クリ・サシ・クセは、かつて陸奥に派遣された葛城王の心を采女が和ませた例をあげ、そこから采女の遊び舞う容色や音楽が宮廷の酒宴の場で興を添えたことが思い出されるうちに、ゆったりとしたクセ舞が舞われました。小さく上品な足拍子、袖を返し、扇を掲げて進む姿の優美さ。開いた扇の朱色が装束と綺麗にマッチしてどこまでも美しく、しかも詞章の内容に即した写実的とすら言える舞は見る者をいにしえの曲水の宴に誘います。クセ舞は大小前でいったん留められ、続いて常座に戻ったシテは印象的な笛の音に乗って、序ノ舞を舞い始めました。

この序ノ舞が、素晴らしいものでした。

舞台上を静かに回り、袖や扇を振るっての大きな舞は、優美そのもの。しかし、素早く袖を返す一瞬の所作の中にふと漏れ出る激情を見た気もします。一切の揺るぎがなく、しかも藤の蔓のようにしなやか。囃子方も渾然一体となり、眼前に平城の御代が現出したかのよう。元来動きの緩やかな序ノ舞の一挙手一投足にこれほど引き込まれたのは初めてです。

ついに序ノ舞が終わり、月に鳴け同じ雲居のほととぎす 天つ空音の万代までに万代と限らじものを天衣 撫づとも尽きぬ巌ならなんとワカが歌われて和歌の道の長久と天地国土の平穏が厳かに述べられた後、シテは舞台を廻り扇をかざして猿沢の池の悠々たる様子を眺めやり、ワキによくよく弔い下さいませと願って枕ノ扇で膝をついて水底に消えてゆく様子を示してから、立ち上がって左袖を返した姿で終曲を迎えました。

猿沢池のほとりに建つ采女神社には、2011年5月に訪れたことがあります。立札には、平城帝の寵愛が薄れたことを嘆いた釆女が猿沢の池に入水し、その池を見るに忍びず社殿が一夜で後ろを向いてしまったという言い伝えが書かれていました。また、この采女伝説は文楽「妹背山婦女庭訓」にも形を変えて引用されていますから、かなり有名な言い伝えになっていたのでしょう。ともあれ、起伏のある謡と優美な舞に惹き付けられた素晴らしい舞台には、予告とは異なり、2時間超という時間も長さを感じることはありませんでした。

成上り

鞍馬参詣の主人(野村太一郎師)と太郎冠者(野村扇丞師)、参籠の熟睡の中ですっぱ(野村万蔵)に太郎冠者が太刀を青竹にすり替えられてしまい……という話なのですが、太郎冠者による成上りの言い訳は山芋→鰻、蛙→カブトムシ、蕪→飛魚、そして嫁→姑。さすがに最後の成上りは主に「珍しくはない」と一蹴されてしまいますが、めげずに主人の太刀も成り上がりそうだと言い訳をして青竹を見せて叱られます。

ここで終わるのがスマートのような気がしますが、和泉流の場合はこの後が続き、主人がすっぱはまだいるだろうからと待ち構えるところへ期待通りすっぱが通りかかり、主人に羽交い締めにされてしまいます。暴れるすっぱを背後からつかまえ手が自由にならない主人は縄をかけろと太郎冠者に命じますが、太郎冠者はやおらそれから縄をなって(何やってんだ?という顔ですっぱと主人が一緒になって覗き込むところが笑えます)、ようやくできた縄を後ろからひょいとかけたところ、すっぱはタイミングよく頭を下げたために主人に縄をかけてしまい、すっぱに逃げられてしまいます。

楽しくはあるものの、後半はドタバタに終始した感じがして私の好みではなかったかも。

そして、仕舞三番は勇壮無比の「屋島」(今日の修羅の敵は誰そ〜)、「海女」の中から悲壮感漂う玉ノ段を観世宗家、そして長刀を振るっての豪快な「船弁慶」のキリ。いずれも十二分に見応えがありました。

正尊

最後は、強力な立ち回りが痛快な「正尊」です。文楽の「義経千本桜」堀川御所の段では情けないやられ方をしてしまう土佐坊正尊ですが、能の方の正尊は風格満点。

若々しくも気品あるツレ・義経と、唐織朱大口で小刀を手にしたちっちゃい子方・静御前が登場し、その後にはツレの武者二人。義経が脇座で床几に掛かり、その他も居着くと、名ノリ笛に乗ってワキ・弁慶(宝生閑師)が登場します。常座で頼朝・義経兄弟の不和と、刺客として土佐坊正尊が入洛したことを述べた上で、正尊を義経の前に召し連れるべく一ノ松から幕に向かって正尊を呼びました。銀の角帽子に直面のシテ・土佐坊正尊(武田志房師)はゆっくり幕の前に出てきてワキと対面、ワキが義経の使いである旨を述べると、その前に平伏しました。ここから、京に上ってきていながらなぜ義経のもとに伺候しないのかと詰問するワキと、熊野参詣のために上洛したものの病のため養生したいと抗弁するシテとの強いやりとり。最後は強引にシテの腕をとって立ち上がらせるワキでしたが、まだ体調不良(3月の「野守」では代役を立てました)が残っているのか、立つときに宝生閑師はバランスを崩して膝を突いてしまっていました。

ともあれ、ワキに引き連れられてきたシテは舞台上に平伏して義経の詮議を受けることになります。真っ正面から自分を討つために上洛したのであろう!と詰め寄る義経と、この客僧!手練の程を見すべきなりと力一杯に言葉を投げつけるワキに対し、シテもさるもの、義経に対する恭順の姿勢は崩さないもののワキに対してはむしろ高圧的にまづ静まつて事の訳を委しく聞き給へ武蔵坊と反論を試みます。しかし、腰越状の件を問われて言葉に詰まったシテは当座の席を遁れんと起請文を書いて異心ないことを示そうとします。常座で後見から受け取った文を脇正に下居して広げたシテ、横からじっと見据えるワキ。緊迫した空気の中、敬つて白す起請文の事、上は梵天帝釈天、四大天王閻魔法王五道の冥官泰山府。下界の地には伊勢天照大神……で始まる起請文をシテは、朗々と読み上げました。こここそ、この曲におけるシテの力量の見せ所、「勧進帳(安宅)」「願書(木曾)」と並ぶ三読物。大小の鼓も最初はゆっくりと、しかし次第に強く早く打たれるようになり、シテの堂々たる語りの芸を後押し。ついに「起請文に偽りあれば来世は阿鼻に堕罪せられん」ときっぱり言い切って起請文を読み終えたシテは、文をワキを経由して義経に渡しました。

もとより虚言とは思へどもシテの機転と文才に感じ入った義経はシテに盃を与えることにし、子方がちょこちょこと進んでお酌。これだけでなく、子方はそのまま中ノ舞を舞い始めました。これがなかなか立派で、扇を手に構え足拍子も確かに、舞台上を目一杯動く姿には大いに感心。そしてワカ君が代は千代に一度ゐるちりのとしっかり謡い、シテを諌める形を示すと、シテは退出して義経たちも背を向ける(寝所に入ったことを示す)のですが、無音のうちに橋掛リを下がるシテは一ノ松と二ノ松の間で舞台を振り返って義経たちへの害意を露わにし、このとき照明は何も変わっていないのに、場内が暗転してシテにスポットライトが当たったかのような雰囲気が漂いました。

中入の間にアイが正尊の宿所の様子を窺うと、偵察の禿が二人までも斬られ、さらに宿所では武装の最中……といったことを舞台に戻って、物着を終えた法被姿のワキに報告。ワキがこれを義経に伝えると、義経はもとより覚悟の前なれば何程の事のあるべきぞと子方から太刀を受け取り、常座で待ち構える形となってから、脇座に下がりました。

いよいよ一声の囃子、橋掛リ上には頭巾に法被半切着付で長刀を携えたシテがキンキラの上衣に白大口の郎等たち九人を引き連れて立ち、かたや舞台上ではやはり長刀を持って立ちはだかるワキと上衣を脱いだツレ二人、義経も肩上げをして準備万端。後ツレたちが声を揃えて一声白波と外にや聞かん渡津海の深き心はあるものをと謡い、前に進んだシテが一ノ松で名乗りを上げ義経に切腹を迫ると、お互いに刀の鞘を捨てての打ち合いが始まりました。ここから後は、ド派手な立ち回りが続きます。一人、また一人と打ち合っては前転、跳躍、ぐっと反り返っての仏倒れと息を継ぐ暇がありません。こうした大掛かりな斬組は「烏帽子折」でも見たことがありますが、見事に統率されたアクロバットの数々は、確かに「采女」の対極にある躍動を感じさせます。郎等たちが次々に討たれ、大将を討たせてはならじと姉和光景(ノーブルな顔立ちの武田宗典師)が悲壮感を漂わせながら名乗りと共にワキに挑みましたが、これもワキの長刀に切り伏せられて壮絶な前転・仏倒れ。今は叶はじとシテ自ら舞台上に斬り込み、義経・静と切り結びましたが、割って入ったワキとの長刀の打ち合いから長刀を捨てての組み打ちとなり、ついに舞台上に引き据えられ、ツレ二人に両側から引き立てられてずるずるともの凄い勢いで橋掛リを幕の内へ押し出されて行きました。義経は常座からこれを見送り、太鼓の留撥が入って終曲。

シテ・正尊とワキ・弁慶の気迫のこもった対峙や大人数での斬組のダイナミックさが楽しめましたが、子方が舞い、謡い、切り合いにも加わりとこれほど活躍する曲は見たことがありません。こうした点も含めて、実に痛快かつ面白い曲。二度三度と観たくなるかというとちょっと考え込んでしまいますが、一度は観ておいて損のない体験でした。

配役

能「采女」 前シテ・里女
後シテ・采女
武田友志
ワキ・旅の僧 宝生欣哉
ワキツレ・従僧 大日向寛
ワキツレ・従僧 御厨誠吾
アイ・春日の里人 野村万蔵
主後見 浅見真州
地頭 観世清和
杉信太朗
小鼓 観世新九郎
大鼓 國川純
 
狂言「成上り」 シテ・太郎冠者 野村扇丞
アド・主人 野村太一郎
小アド・すっぱ 野村万蔵
 
仕舞 屋島 武田文志
玉之段 観世清和
船弁慶キリ 岡久広
 
能「正尊 起請文・翔入 シテ・土佐坊正尊 武田志房
ワキ・武蔵坊弁慶 宝生閑
ツレ・義経 坂井音隆
子方・静御前 武田章志
ツレ・江田 坂井音雅
ツレ・熊井 清水義也
ツレ・姉和光景 武田宗典
ツレ・正尊ノ郎等 武田祥照
ツレ・正尊ノ郎等 野村昌司
ツレ・正尊ノ郎等 坂口貴信
ツレ・正尊ノ郎等 小早川泰輝
ツレ・正尊ノ郎等 武田崇史
ツレ・正尊ノ郎等 坂井音晴
ツレ・正尊ノ郎等 松木崇俊
ツレ・正尊ノ郎等 高梨万里
アイ・女 野村太一郎
主後見 武田宗和
地頭 岡久広
藤田貴寛
小鼓 曽和正博
大鼓 亀井洋佑
太鼓 観世元伯

あらすじ

采女

僧が春日大社を詣でると女が現れ、春日大社の縁起を語ると共に、僧を猿沢の池に案内し読経を頼む。僧が誰の弔いかと尋ねると女は、昔ある采女がこの池に身を投げたことを語り、我こそその女の幽霊であると名乗って池に消える。その夜、僧が弔っていると采女の霊が現れ当時の様子を見せ、さらなる弔いを頼み消え失せる。

成上り

初寅の日、主人と共に鞍馬に参籠した太郎冠者。主人に太刀を持たされるが、熟睡している隙にすっぱに青竹とすり替えられてしまう。目が覚めてそれに気づき青竹を隠しながら、世間でいう「成上り」の例を並べ、太刀も青竹に成り上がったと言い訳して叱られる。二人は、参詣人の中に犯人がいるかもしれないと待ち伏せし、通り掛かったすっぱを捕らえ縄を掛けようとするが、太郎冠者は主人に縄をかけてしまい、すっぱに逃げられる。

正尊

梶原景時の讒言により義経の忠誠心に疑いを抱いた頼朝は義経を殺害する為に土佐坊正尊を都へ差し向けた。義経と弁慶から上洛の目的を詰問された正尊は熊野参詣の為と説明し、起請文を書いて読み上げ、その場を免れる。その夜、正尊は軍勢を整えて義経を討つべく、堀川の義経邸へ攻め入るが、義経勢に迎え討たれて、捕らえられる。