富士松 / 高野物狂

2013/04/06

今月の国立能楽堂では「特集 観阿弥・世阿弥・元雅―その作風をめぐって―」と題して、将軍義満が少年世阿弥と共に見物した記録が残る観阿弥作「自然居士」、父・世阿弥との間に子方を出すかどうかで論争を起こした元雅作「隅田川」、世阿弥の曲に元雅作のクセを挿入した「高野物狂」が演じられます。そしてこの日の定例公演は、狂言「富士松」と能「高野物狂」。

この日は日本列島を強烈な二つ玉低気圧が通過しており、国立能楽堂に入った13時少し前には、不気味な雲が広がる空から雨がぽつぽつと落ち始めていました。

富士松

主人に無断の抜け参りをしてきた太郎冠者(野村万作)に腹を立てている主(石田幸雄)が太郎冠者の家を訪れて叱ろうとする、という出だしは「文蔵」や「二千石」と同様。それでも富士詣ということなら今回は許そうという主人は、人から太郎冠者が富士松(落葉松のこと)をとってきたことを聞いたので見せてくれと要求すると、太郎冠者は扇を持って「ざらざらざら」と引き戸を引く仕草。二人して舞台に正座し見所正面(にある松)を見やる風を示します。これは他人の預かり松だという太郎冠者に主人が「打物(物々交換)」を持ち掛けると、物によっては応じようと下心をあっさり露呈する太郎冠者。しかし、鷹もイヤ、馬もイヤ。これに腹を立てて帰ろうとする主に慌てた太郎冠者は家人に酒を買いに行かせ、富士の神酒だと言って主人に勧めます。そしてここからがこの狂言の本題、連歌の付け合いで太郎冠者がうまく付ければ松はとらないし、付けられなければ松をとるという主からの申し渡しに太郎冠者は困惑。上の句を主が歌ったところで、太郎冠者は酒を加えるために一度席をたって呼吸を整えます。戻ってきたところでお酌をし、もう一度上の句を主に歌わせて、下の句を付けました(以下、太郎冠者が付けた句をボールド体で表示。上の句が太郎冠者である場合は、先に主が下の句を読み、それに対して太郎冠者が上の句を付けて上下を通して歌っています)。

手に持てるかはらけ色の古あわせ 酒ごとにあるつぎめなりけり

これを褒めた主は突然、山王権現の縁日に行くと言い出し、その道中でも連歌の付け合いを挑むことになります。まずは出がけにこの一句。

跡なる者よ しばしとどまれ...

今度は下の句ですが、これを聞いた太郎冠者は句だと気づかず思わず平伏してしまったために主に叱られ、その上で上の句を付けました。

ふたり共わたればしづむ浮き橋を 跡なる者よしばしとどまれ

以下、丁々発止の付け合いが続きます。

山吹の花すり衣ぬしはたそ 問へど答へずくちなしにして
蓮の葉の青きが上の青蟇 ろくしょう塗りし仏とぞ見る
年寄りのしらがにまがう綿ぼうし 飛ぶしら鷺は雪にまがへり
黒き物こそ三つならびけれ...

何が三つ並んだのか?と文句を言う太郎冠者に、何が三つ並ぼうと自分の勝手だと開き直る主。

中は子か両のはたなる親烏 黒き物こそ三つならびけれ

身振り手振りと共に見事に付ける太郎冠者に腹を立てた主はむっとして「その仕方をおけ」。

うつほぎのもとすゑたたくけらつづき 上もかたかた下もかたかた
下もかたかた上もかたかた...

それはさっきと同じでは?と問う太郎冠者に、先ほどは「上→下」、今度は「下→上」だと強弁する主。

三日月の水にうつらう影見れば 下もかたかた上もかたかた

それなら「難句をもって参ろう」と主はヒートアップ。

奥山に舟こぐ音のきこうるは 四方の木の実やうみ渡るらん
西の海ちひろの底に鹿なきて...

太郎冠者「……ちと、申し上げたいことがござる」主「何ごとじゃ」。先ほどの舟を西の海で漕がせて、鹿を奥山で鳴かせたら良くなるのでは?とまっとうな忠告をする太郎冠者に、山の上で舟を漕ごせようが、海の底で鹿を鳴かそうが、自分の勝手だと逆ギレする主。

西の海ちひろの底に鹿なきて 鹿の子まだらに打つは白浪

そうこうするうちに山王へ到着。

山王の前の鳥居に丹をぬりて 赤きは猿のつらぞおかしき

酒に酔った自分の顔を笑うのか!と怒る主に、太郎冠者は皮肉っぽく言い訳をして逃れます。そして最後に、

ぱっと言う声にもおのれ怖じよかし 螻蛄腹立つれば鶇喜ぶ

主の叱責に動じない太郎冠者を咎める上の句に対し、螻蛄けらが腹を立てたように前足を動かすと螻蛄を好物とする鶇つぐみが喜ぶ、と上から目線で返した下の句を聞いて、主が太郎冠者を叱責したところで留。

連歌の付け合いが眼目なので、国立能楽堂のように字幕表示器がないと理解するのが難しいかもしれませんが、二人の練達の狂言師のユーモラスな掛け合いのテンポを楽しむだけでも、十分に面白い曲でした。

高野物狂

直面の男性が主人公で、主従の再会をテーマにした物狂もの。物狂をテーマとする曲としては、母子の別れが主題の「柏崎」「隅田川」「百萬」、恋人と別れて狂う「班女」「花筐」など女性が主人公のものが有名ですが、「丹後物狂」は父子の別れと再会を描いたもので、「高野物狂」はこれに近いかもしれません。パンフレットでは、高野山での曲舞を中心とするため女人禁制の高野山では母子再会というわけにもいかず、子の出家の原因を考えると父子ではなく主従再会の物語になったのだろうと解説(金子直樹氏)されていました。

見所の妙に多い外国人観衆を意識して(?)か、これまた妙に長いお調べ。そして囃子方と地謡陣が舞台上に出揃い、次第の囃子となって、直面のシテが登場しました。装束は、茶白の段熨斗目に茶と深緑の霞模様の長袴。首から賑やかな模様の裂を縫い合わせた頭陀袋を下げ、右手には数珠を握っています。次第影頼むべき行く末や 若木の花を育てんとあるように、常陸の国の住人・高師の四郎(渡邊荀之助師)は去年の秋に亡くなった主君・平松殿の遺言により、遺児である春満を預かっていますが、今日は命日ということで正中に下居し合掌して法華・阿弥陀・観世音の三世利益を祈っているところへアイ・下人(竹山悠樹師)が登場して一ノ松で春満の出奔を独白した後、舞台に進んで目付に座し、シテに報告します。このあたり、複式能の中入での繋ぎとしての間語リではなくストーリーに組み込まれているところが特徴的。ともあれ、シテはアイから春満が残したという文を受け取って、正中に下居のまま長大な詞章を謡います(もちろん、文には何も書いてありません)。その要旨は、一子が出家すれば七代前の祖先まで成仏できるというから、決心して修行の道に入ることにするので、行方を捜さないでほしい。三年のうちには行方を知らせるから……というもの。その文の最後に認められた歌墨衣思ひたてども流石世を 出づる名残の袖は濡れけりを咽ぶように謡った後、顔を上げ、文を持つ右手をはずしてシオリ。シテの渡邊荀之助師は終始深刻な表情と劇的要素を排した深い声色を使っていましたが、この場面でも一種様式的な感情表現をベースにほんの少し感情の表出を導入するだけで、高師の四郎の落胆と絶望を見事に示していました。

シテは、文をしみじみ眺め、遠くを見る目をして、主従は三世の契りというのにどうして自分を伴ってくれなかったのかと再びシオるとどこへともなく立ち去って、ここで中入。抑制された表現の中にシテの悲しみを目一杯詰め込んでシテが下がると、後見が松の作リ物を目付あたりに設えて、そしてワキの次第となります。とても小さい僧体の子方・平松春満、イケメン長身にキンキラの角帽子、絓水衣に白大口姿のワキ・高野山の僧(福王和幸師)、そしてワキツレ二人が登場し、昨日重ねし花の袖、今日墨染の袂かなと謡うとワキの名ノリの後に脇座へ一列になって下居しました。先ほどまでは舞台上は常陸の国でしたが、もはやここは紀州高野山になっています。

一声。再び現れたシテは折烏帽子、熨斗目の上に水衣、白大口姿で、右手に文の付いた笹を持っています。蘇武雁札の故事を引いて主君・春満への思いを謡った後、高揚する囃子に乗って舞台を廻るカケリ。やがて高野山に着いてみれば念仏称名の声や鐘の音などに心も澄んで、三鈷の松の根元に笹を置くと安座合掌の形になりました。ここでワキがシテの異形を咎めて「何者?」と問うと、シテはこれは放下にて候、歌を謡ひ放埒したる物狂ひにて候と答えて笹をとり、常座へ移動しました。ここから、シテに対してこの場にふさわしくないから立ち去れと言うワキと、理を説いてワキに対峙するシテとの問答になりますが、この構図も「柏崎」と同じ。ついにワキとシテとは声を合わせて弘法大師の徳を讃え、さらにシテは笹を扇に持ち替えて正中に下居、クリ・サシ・クセと高野山の清浄さや三鈷の松の由来を謡う地謡に聞き入っていましたが、やがてクセの途中から舞い始めてそのまま中ノ舞に進みます。物狂いの高揚の中で足拍子を踏み、舞台を廻っての(しかしどこまでも上品な)舞が一段落して大小前に舞い納まると、シテは正気に戻った様子となって、高野山の境内では謡い狂わぬ制戒を忘れたことをワキに詫びて手を合わせました。

ここに至って子方・春満はシテが四郎であることに気づいて立ち上がり、ワキに向かっていかに御聖に申すべき事の候。これなる物狂ひをよくよく見候へば、古郷に留め置きし乳人にて候。子方の和久凛太郎君はまだ六歳か七歳ですが、実にしっかりとした語りにたいへん感心しました。一方、これを聞いてシテは常座から子方を見やり、不思議やなあれにましますは主君春満殿候か、御跡を遥々尋ね参りてこそ候へと声を震わせて正中へ駆け寄ります。この不思議にワキも驚いてシテと子方に故国や春満の父の名を問い質して、間違いなく子方がシテの探していた春満であることを確認。キリの地謡が紀の国までやってきて主君と再会できたシテの喜びを謡う中、シテは扇で元結を切る形を示すと、子方を正中に優しく迎えて橋掛リへ送り出し、自らも主君に従って出家する旨の詞章を聞きながら常座で静かに留拍子を踏みました。

さて、この月のパンフレットには当月のテーマそのままに「観阿弥・世阿弥・元雅―その作風をめぐって―」と題した西野春雄氏の解説が載っており、そこでは三人の作風について次のように述べられています。

観阿弥
劇的内容の重視、平明な文辞、会話の巧みさ、意外性に富む劇展開。
世阿弥
歌舞と劇の融合、通俗性の排除、出典の重視、楽式の整備、典雅な文体、詩劇の重視、統一イメージ。
元雅
劇と詩の融合、心象風景の的確な描写、詩的で平明な文体、音象詩の劇化、舞踊部分の縮小。

冒頭に記した通り、今日の「高野物狂」は世阿弥の曲に元雅がクセを挿入したもの、そして今月24日に観る「隅田川」は元雅の作。ことに「隅田川」は何度も観ていますが、このように整理されてみると、確かに!と思えます。

配役

狂言(和泉流)「富士松」 シテ・太郎冠者 野村万作
アド・主 石田幸雄
 
能(宝生流)「高野物狂」 シテ・高師四郎 渡邊荀之助
子方・平松春満 和久凛太郎
ワキ・高野山の僧 福王和幸
ワキツレ・従僧 村瀨提
ワキツレ・従僧 村瀨慧
アイ・高師四郎の下人 竹山悠樹
主後見 高橋章
地頭 小倉敏克
一噌庸二
小鼓 成田達志
大鼓 安福健雄

あらすじ

富士松

主人に無断で富士詣をしてきた太郎冠者が持ち帰った富士松がほしくなった主人、山王権現への参詣の道すがら連歌の付け合いをして、買ったならば松を取ると言いわたし連歌の応酬となるが、太郎冠者にうまく付けられ次第に不機嫌に。

高野物狂

常陸国の平松殿に仕える高師四郎は、主君の遺言を守ってその子春満を預かって育てていたが、主君の命日の日に春満は、一子が出家すれば七代前の祖先まで成仏できるので仏道に入るという置手紙を残して出奔する。四郎は、主従は三世の契りという間柄なのに、なぜ自分を伴ってくれなかったかたと恨みつつ、当てもない旅に出る。
家出した春満は得度剃髪して、紀州高野山の三鈷の松の辺りに、師の御坊に伴われてやってくる。遊芸者に身をやつし、高野山にたどり着いて三鈷の松の下で休んでいる四郎の異形風体を見て、高野山の僧は浄域にそぐわないと咎めるが、四郎はその説教は心得ぬと僧と問答を交わし、禁制を破って舞を舞う。この姿を見ていた春満はこの物狂が四郎であることに気づき、四郎も春満に気づいて再会を喜ぶと、四郎は元結を切って仏道に入る。