文荷 / 隅田川

第六回日経能楽鑑賞会、狂言「文荷」と能「隅田川」。場所は、国立能楽堂。この鑑賞会は、現代を代表する狂言師・能楽師である野村萬師及び万作師(和泉流)、浅見真州師(観世流)及び友枝昭世師(喜多流)がそれぞれ同じ演目を演じ、観客はその技芸を見比べられるという企画です。能に限ると、第一回から順次「清経」「松風」「邯鄲」「熊野 / 湯谷」「天鼓」が取り上げられてきたのですが、今回の「隅田川」は私の最も好きな曲。これは見逃すわけにはいかないと、早々にチケットを確保しました。

2012/06/05,07

文荷

主人の恋文を届けることを命じられた太郎冠者と次郎冠者が、恋文は重いといって「恋重荷」の詞章を謡ったりしながら仲良く運んでいたが、途中で文を開けて読み、内容や字の拙さをさんざん笑いものにしながら文の取り合いをしているうちに破いてしまい、「風の頼りに」と飛ばそうとしているところを主人に見つかって追い込まれてしまうという話。

恋重荷」から引用された詞章は、

由なき恋を菅筵、伏して見れども寝らればこそ、苦しやひとり寝の、我が手枕の肩かへて、持てども持たれず。そも恋は何の重荷ぞ。

「恋重荷」は若く美しい女御に恋慕した庭作りの老人の恋がかなわぬ話ですし、文を届けることを命じられたときに奥さんに怒られるからと断ろうとしたり、破いた文を飛ばしてしまおうとしたりしているところからすると、二人は主人の恋路を心よく思っていないのでしょうか?能楽堂で聴いているときには、この文の相手が「千満」という男性らしいことが語られていたので「?」と思っていたのですが、後で調べてみると、どうやらこれは中世によくあった少年愛が下敷きにあるようです。

同じ和泉流なので、二日とも話の運びは一緒ですが、野村萬師の方は福々しくも天然系。野村万作師の方は目端がきいた知恵者風。文を開いてみて、「恋し、恋し」と小石がたくさん書いてあるから重いとか、「お懐かしさは富士の山にて」と富士山まで書いてあるから重いのは道理、と興じるところまではいいのですが、文字が雀の足跡のようだの、蚯蚓のぬたくりのようだの、墨が濃いの薄いのと主人をさんざんに笑い者にするとは、とんでもない使用人です(笑)。

最後は、萬師の方では先に次郎冠者が下がり、残された太郎冠者が破れた文をかき集めて「……お返事」とおそるおそる差し出して主人にどやしつけられるという展開でしたが、万作師の場合はまず次郎冠者が「お返事でござる」と差し出して逃げ、その後、さらに太郎冠者が「お、お返事でござる」と差し出して追い込まれる形でした。

隅田川

私が最も好きな曲「隅田川」は、これまで坂井音重師友枝昭世師とで観ていますが、どちらも目頭を熱くしながらの観能になりました。しかし、今回は心理的に一歩引いて、浅見真州師と友枝昭世師の演出の違いを比較してみることにします。なお、今回の最大のポイントは、浅見真州師が子方を出す演出、友枝昭世師は子方を出さない演出であるという点です。後者の演出を観るのは初めてで、いったいどういう展開になるのか楽しみでした。

作リ物
5日の作リ物は、淡い緑の引き廻しをかけた塚の上に榊と柳、7日は濃い青灰色。色と模様の違いを除けば同じですが、もちろん前者は中に子方が潜んでおり、後者は空です。
シテの装束
浅見師は茶色の水衣、友枝師は淡青の水衣。面の違いは、遠目であったためにわかりませんでした。
都鳥の問答
沖の白い鳥を見やってシテとワキが中正面方向を遠く望む形は概ね同じですが、浅見師のビブラートのかかった語り方が印象的でした。
上歌
地謡のわれもまた、いざ言問はん都鳥から始まる上歌の中のそれは難波江で、浅見師は一ノ松へ。友枝師は終始、舞台上。最後に乗せて賜び給へと下居合掌するところは同じでした。
乗船
浅見師は、ワキの乗り候への声を聞くと、笹を逆手に持ち笠をとってから立ち上がり、舟の中に入ります。舟の中での位置も、同乗者であるワキツレから少し離れ中正面方向に身体を向けて、心ここになく一人孤立しているような風情。これに対して友枝師は、笠をつけたまま乗船し、ワキツレのすぐ横に正面を向いて下居してから、ワキツレが船頭にあの人が集まっているのは何か?と問う声を聞きつつ、おもむろに笠をとりました。これは、正気に近い振る舞いのように思えます。
船中の嘆き
ワキツレの求めに応じたワキの語リの中で、我が子が既にこの世にいないことを悟ったシテ。浅見師はワキに斜めに背中を向けた状態のまま、ゆっくりシオリ、舟が岸に着いてワキツレが下船した後、ワキとの問答で我が子の辿った運命を確かめてからなうこれは夢かやあらあさましや候と謡ったところで笠と笹を共に投げ捨て、モロジオリとなりました。一方、友枝師はワキの語リの中で徐々に、ただしかすかに面を曇らせていき、つひに事終つて候と我が子の死が語られると笠をはらりと膝の前に落としてシオリました。ワキツレ下船後の問答の後、座り込んでモロジオリ。ちなみに舞台上に落ちた笠と笹は、浅見師のときは地謡の一人が、友枝師のときは後見が下げました。
塚の前の激情
我が子が眠る塚の前に連れてこられたシテ。この下にこそあるらめやと絞り出すような声をあげ、さりとては人々この土を返して今一度というところで、浅見師は立ち上がり、土を掘り返す型を二度見せると、崩れるように座り込み身体を丸めてモロジオリ。ところが友枝師は、土を掘り返す型を一度見せた後、ワキに駆け寄ってその両肩をばんばんと二度叩く激しい型を見せました。これにはびっくり!こんなにリアルな激情の表現は、能ではなかなかお目にかかれません。なお、後に知ったところでは、宝生流ではここで「シテがワキに両手を掛けて連れ出して来て座らせ、強く土を指し示す」という所作があるそうです(出典:『能にも演出がある』横道萬里雄著)。
我が子の亡霊
今回、もっとも違うところ。浅見師の方は、地謡の南無阿弥陀仏の上に子方の声が重なり、今のは我が子の声では?というシテにワキが念仏を励ますと、シテもいま一声こそ聞かまほしけれと激情を迸らせます。やがて塚から子方が出てくるのですが、シテも子方も(!)共に手を広げて相手を求めてもその姿は重なることがなく、ついに子方の姿は元の塚の中へ消えてしまいます。残されたシテは呆然と立ち尽くし、塚の上に手をかけて眺めまわすとよろよろと後ろずさって座り込みモロジオリ。一方、友枝師の方は首からさげた鉦を鐘木で叩きながら地謡の南無阿弥陀仏を聞いていたのですが、笛の音の中に我が子の声を聞いたのでしょう、地謡がひときわ高くなったところで両手を下ろして聞き入る型を示し、塚を見込んでワキになうなう今の念仏の声は、まさしくわが子の声にて候。しかし、その声は母の子を思う一念がシテに聞かせた幻聴ですから、ワキの同意はありません。シテがあれは我が子かと問うと、地謡が母にてましますかと返しますが、目に見えない我が子を追ってもとらえることは所詮かなわず、最後は塚に手をかけ、正面に向き直ってシオるうちに終曲を迎えました。

『申楽談儀』の中に、世阿弥が子方を用いない演出も面白かろうと言ったのに対して、世阿弥の子でこの曲の作者でもある観世元雅は、そのような演出はできないと答えたことが記されているそうです。しかし、今回の両方の演出を観て、子方が出ない演出も違和感なく鑑賞することができました。子方が出てくると、どうしてもその可愛らしさに目が行き、そこからその子を喪った母の悲しみに感情移入するというベクトルが働きますが、純粋にシテの演技だけで子を亡くした母のつらさを見所に追体験させるやり方も、能らしいと思えてくるからです。そういう意味では、浅見師の笠を投げ捨てる演出や、友枝師のワキに詰め寄る演出は、能楽的な抑制の美学からすると些か熱を持ち過ぎのように思えたのですが、果たしてどうなのでしょうか。ただ、この「隅田川」という曲は、そうした「熱」を受け入れることのできる懐深さを持っているようにも思えますが……。

配役

2012/06/05

狂言(和泉流)「文荷」 シテ・太郎冠者 野村萬
アド・主人 野村扇丞
小アド・次郎冠者 野村万蔵
 
能(観世流)「隅田川」 シテ・梅若丸の母 浅見真州
子方・梅若丸の霊 長山凛三
ワキ・隅田川の渡守 宝生閑
ワキツレ・旅の商人 大日方寛
主後見 観世銕之丞
地頭 浅井文義
松田弘之
小鼓 幸清次郎
大鼓 亀井忠雄

2012/06/07

狂言(和泉流)「文荷」 シテ・太郎冠者 野村万作
アド・主人 深田博治
小アド・次郎冠者 石田幸雄
 
能(喜多流)「隅田川」 シテ・梅若丸の母 友枝昭世
ワキ・隅田川の渡守 宝生欣哉
ワキツレ・旅の商人 則久英志
主後見 塩津哲生
地頭 粟谷能夫
一噌仙幸
小鼓 曽和正博
大鼓 柿原崇志

あらすじ

文荷

主人の恋文を届けに行くように命じられた太郎冠者と次郎冠者。二人は連れ立って歩くが、交互に持ったり、竹の棒の中間に結びつけて二人で担いだりしながら歩いて行く。途中で能「恋重荷」の一節を謡い、恋の文は重いと言って、ついに道に座り込み、恋文を開き奪い合って読むうちに恋文を引き裂いてしまう。ちぎれた恋文を扇であおぎ、「風の便りに」と小歌を謡っているところに、迎えにきた主人に見つかってしまい、二人は叱られる。

隅田川 → [こちら