翁 / 高砂 / 三人長者 / 羽衣 / 岩船

2012/01/03

新年最初の観能は、観世会定期能。番組のほとんどはちょうど一年前の一月定期能と同じで、脇能が「鶴亀」から「高砂」に、狂言が「鍋八撥」から「三人長者」に替わっているだけ。まあ、新年を寿ぐおめでたい能舞台となると、演目にヴァリエーションを求むべくもないのでしょうけれど。

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正月ということで、観世能楽堂の舞台には注連飾り。

お手洗いの入口にも……。とにかく、めでたい。

翁 

昨年は観世清和師・三郎太くん、野村萬斎師・裕基くんという二組の親子の共演で話題となりましたが、今回は面箱の野村虎之介くん(1996年生)と三番叟の野村太一郎(1990年生)が共に野村萬師の孫。その三番叟の舞は、顔を紅潮させて見所に挑みかかるような身体能力の限りを尽くした「揉みの段」と、黒式尉面をつけてぞっとするほどの呪術性を漂わせた「鈴の段」の対比が鮮やかでした。しかし、当たり前と言えば当たり前ですが、見所を圧倒したのは翁の観世宗家清和師。深い地の底から湧き上がるようなとうとうたらりたらりら。たらりあがりららりとう。そしてもの凄い声量をもって謡われた天下泰平、国土安穏、今日の御祈禱なりには、昨年3月に震災に見舞われたこの国の安泰を、翁の呪力を借りて何としても実現してみせるという決意が感じられました。

高砂

世阿弥作の脇能。祝言において謡われることの多い「高砂や、この浦舟に帆を上げて」で有名な曲です。

三番叟が下がり地謡が移動して脇能のフォーメーションに変わってから、穏やかな笛の音取。そこに小鼓の置鼓が絡んで、紺の狩衣姿のワキ・阿蘇宮神主友成(宝生欣哉師)が幕の前で平伏一礼してから、ワキツレ二人を伴って舞台へ進み、次第〜地取〜次第〜名ノリ〜着キゼリフ。続いてヒシギから真ノ一声となって杉箒を担げたツレ・姥(林宗一郎師)と竹杷(熊手)を担げた前シテ・尉(上田公威師)が登場し、一ノ松と三ノ松で向かい合って一声となりました。続いてシテ及びツレとワキとの間に問答が交わされて、「相生の松」と呼ばれ夫婦和合(共に生きる)と長寿(共に老いる)の象徴とされる高砂(現兵庫県)は上代=万葉集の時代を、住吉(現大阪府)は当代=延喜帝(醍醐天皇)の御代を指し、松とは永久に尽きぬ和歌の道のことで、その反映は万葉の昔も今の古今集も同じであるとよき御代を讃える喩えであることが明かされます(なお世阿弥の作意には、万葉の御代→延喜帝の御代の構図をスライドさせて、延喜帝の御代→現代=足利義満の治世を寿ぐ目的が含まれていたという説があります。)。

さらに、高砂の松の謂れを語るクリ・サシ・クセとあってクセの後半でシテは竹杷で落ち葉を掻き寄せる型を示しますが、ここでの竹杷の動きは「久」の字を示すのだとか。それにしても不思議なのは老夫婦の正体。ワキの問いにシテは自らを住の江の松の精、ツレが高砂の松の精と明かすと、住吉でお待ち申そうと告げて扇で住吉の方を指し、両袖を広げて帆を張る型をして、笛に送られて中入となりました。

さて、アイ語りがあって新造の舟に乗り住吉へ行くことを勧められたワキとワキツレが謡うのが、上述の一節を含む待謡です。

高砂や、この浦舟に帆をあげて、この浦舟に帆をあげて、月もろともに出汐の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり。

太鼓が入って出端の囃子と共に後シテ・住吉明神が華やかな若い神の姿となって登場すると、一ノ松から囃子方に鼓の拍子を高らかにせよと命じ、舞台に進んで神舞を舞い始めました。囃子方はもちろん全開、シテの颯爽とした舞は舞台を一杯に使ったエネルギッシュなもので、袖を巻き上げる揺るぎない立ち姿も神々しいほど。長大な舞を舞納めた直後にもかかわらず、息を切らせることもなく地謡とのロンギのやりとりでめでたい舞楽の曲名を次々に引用しながらさらに舞い続けたシテは、最後に両袖を高々と巻き上げると、あたかも松風の音を模すように袖を一瞬で振り下ろし、常座で留めました。

三人長者

近江の蒲生の長者、大和の一森長者、そして河内のせせなぎ長者の三人が都からの帰りに出会い、長者になった謂れを語り合った後に、共に酒を酌み交わし、舞を舞うというおめでたい曲。蒲生の長者と一森長者は信心によって、せせなぎ長者はさまざまな徳を積むことによっていずれも長者となったようで、「なんぼう奇特なることにては候はぬか」「なんぼう正しき謂れにては候はぬか」と互いに自慢し合った後に酒宴。うまそうに酒を飲み干してから謡え舞えとなって、「酒はもと薬なり」「春毎に君を祝ひて若菜摘む」などと酌謡を謡い、さらには三人相舞。囃子が入って「めでたかりける時とかや」と舞い、互いに名ノリ謡となって、最後はめでたく「国をさしてぞ帰りける」で三人横一列になり、扇を前に差し出しどんと膝を突いて終曲。新年らしい、めでたい狂言でした。

羽衣

仕舞四番に続いて、関根祥六師(1930年生)による「羽衣」。うーん、なんとも凄い舞台でした。

羽衣が一ノ松の欄干に掛けられてから、ワキ・漁夫白龍(森常好師)とワキツレ・漁夫二人が登場。しかしこの後に下歌・上歌を省略したために、ワキツレは出だしの一声を謡った後はひたすら脇座近くに下居しているだけという損な(?)役回りに終わってしまいます。それはさておき、衣を見つけて持ち去ろうとしたワキに鏡の間から声を掛けたシテ・天人(関根祥六師)はやがて橋掛リをゆっくりと進んできますが、震える右手に持つ扇が腰巻にした縫箔に当たってぱさぱさと音を立てています。謡の声も力なく裏返り気味ですが、それでもワキとのやりとりでやっと羽衣を返してもらえることになったシテは、そのかわりにと舞を見せることになり、物着。透き通った黄色系の舞衣をまとって立ったシテの姿はあまりにも儚げで、いつ朽ちて倒れても不思議ではないほどです。小書《彩色之伝》により、クリ・サシ・クセを省略して入った序ノ舞は盤渉調。さらに、ワカをはさんで舞台から橋掛リに下がろうとするシテの姿を見て、一瞬後見が腰を浮かしかけたものの思いとどまると、シテはそのまま一ノ松に立って、右手の扇を再び激しく震えさせつつ左袖を巻き上げました。《彩色之伝》によって破之舞も彩色(イロエ)になり、さらに地謡をバックに懸命の舞を続けたシテは、二ノ松まで進んでからシテ柱に戻り、柱の影で気息を整えた後、左袖を巻き上げて顔を隠すようにして橋掛リを下がってゆき、ワキが常座で見送って留拍子を踏みました。

これは何だったのか?関根祥六師が生命そのものを燃やし尽くすような、まさに懸命の舞台……。

休憩をはさんで仕舞が五番ありましたが、その最初は観世宗家の跡取りと目される三郎太くんの「屋島」。地謡も父君の清和師を地頭とする三郎太くん専用セットで、三郎太くんがしっかりした舞を見せ終わると、彼と一緒に下がってしまいました。残る四番の中では、予想通り観世銕之丞師の「船弁慶」がド迫力。この方、普通にしていてもインパクトのあるお顔なのに、地謡の前に端座してふっと目を上げた瞬間から平知盛が憑依してそもそもこれは桓武天皇九代の後胤、平知盛幽霊なりと大音声を見所の隅々まで響き渡らせ、長刀ぶんぶん、足拍子どんどん、最後は長刀を脇に飛び返っておしまい。

岩船

短い祝言曲。龍を戴き赤頭に右肩を脱いだ法被半切姿の龍神(坂井音隆師)の大暴れで、この日の番組を締めくくりました。やはりめでたいお正月、最後はこうでなくては!

配役

能「翁」 観世清和
三番叟 野村太一郎
千歳 清水義也
面箱 野村虎之介
能「高砂」 前シテ・尉
後シテ・住吉明神
上田公威
ツレ・姥 林宗一郎
ワキ・阿蘇宮神主友成 宝生欣哉
アイ・高砂の浦人 山下浩一郎
一噌幸弘
小鼓 鵜沢洋太郎
脇鼓 古賀裕己
脇鼓 田邊恭資
大鼓 柿原弘和
太鼓 助川治
主後見 武田宗和
地頭 坂井音重
 
狂言「三人長者」 シテ・せせなぎ長者 野村萬
アド・蒲生の長者 野村万蔵
アド・一森長者 野村扇丞
 
仕舞 道明寺 梅若万三郎
放下僧小歌 観世喜之
蝉丸 片山幽雪
国栖キリ 角寛次朗
 
能「羽衣 彩色之伝 シテ・天人 関根祥六
ワキ・漁夫白龍 森常好
主後見 観世恭秀
地頭 谷村一太郎
一噌庸二
小鼓 亀井俊一
大鼓 亀井実
太鼓 金春國和
 
仕舞 屋島 観世三郎太
難波 観世芳伸
田村クセ 野村四郎
東北キリ 坂井音重
船弁慶キリ 観世銕之丞
 
祝言 能「岩船」 シテ・龍神 坂井音隆
ワキ・勅使 梅村昌功
主後見 観世清和
地頭 山階彌右衛門
藤田次郎
小鼓 森澤勇司
大鼓 高野彰
太鼓 小寺真佐人

あらすじ

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高砂

高砂の浦を訪れた神官は、松を掃き清める老夫婦に出会い、高砂と住吉の松が「相生の松」と呼ばれる謂れを聞く。老夫婦は自分たちこそ松の精だと言い、住吉で待っていると告げ小舟で沖へ去る。住吉に出向いた神官の前に住吉明神が現れ、御代を祝福して舞を舞う。

三人長者

近江・大和・河内の三人の金持ちが都に上り長者の号を拝した帰りに、互いに長者になった謂れを語り合う。大いに盛り上がり、心打ち解け酒宴になり、三人でめでたい相舞を舞う。

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