シルヴィ・ギエム・オン・ステージ 2011

2011/10/29

『HOPE JAPN』と銘打たれた「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ 2011」。10月19日のガラに引き続いて、この日は東京におけるBプロで、コンテンポラリーなプログラムが並びます。

春の祭典

モーリス・ベジャール振付、東京バレエ団による群舞。第1楽章は若い男たちの集団の覚醒→対決→私刑→出発、第2楽章は若い娘たちのまどろみ→警戒→男たちの襲撃と対抗→生贄同士の交情→乱交→エクスタシー。この官能的な作品は、何度も観ている演目ではあるものの、ストラヴィンスキーの音楽への思い入れからその最も特徴的である第一楽章の原初的なエネルギーばかりが印象に残っていたのですが、今回久しぶりに観てみて、第二楽章冒頭の娘たちの群舞が透き通るほどの美しさをたたえていることにあらためて感銘を覚えました。

リアレイ

ウィリアム・フォーサイス振付、ストリングス・高いノイズ・ピアノからなる音楽に沿って、マッシモ・ムッルとギエムがデュエットで、あるいはソロで、絶え間なく踊り続ける作品。その動きはしなやかで印象的でしたが、衣装が暗い色のTシャツとパンツである上に、何で?と思うほど照明が落とされて舞台上が暗く、ダンサーの顔も判別しがたいほど。何度も暗転を繰り返しながら進行するのですが、曲自体が無調でメリハリの感じられないものであることもあって、振付師の意図を理解できないままフラストレーションをためるだけで終わってしまった20分間でした。

パーフェクト・コンセプション

イリ・キリアン振付の、何とも不思議な作品。舞台上手の高いところには逆さに吊り下げられ葉を失った大木、下手にも照明が吊り下げられ、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の上に繰り返しカラスの鳴き声やごぼごぼという水の流れる音(胎内音らしい)が重なる中、東京バレエ団の男女二人ずつのダンサーが真横からの照明を受けながら、青く四角いチュチュを効果的に用いて踊りを穏やかに展開していきます。途中でピアノの音の後ろにハミングするような男性の低い声が入ってきて「誰か客席で歌っているのか?まさか!」と思っていたら、後でプログラムの解説を見たところピアノを弾いているグレン・グールド本人の声だったよう。淡々とした舞台は、曲がジョン・ケージ他の刺激的なものになると共に雰囲気を変え、吊り下げ照明が旋回しながらダンサーたちを追うようになって緊迫の度を高めましたが、最後は4人が床に置いたチュチュを紐で引きながら後方に去って行く姿を見せて静かに暗転。

われわれ人間の身体の動きも心の動きも、全ていろいろな種類の円、楕円、螺旋、弧を描いているのであり、われわれ人間の整合的な業績や知的概念は歪みのない矩形、線、面によって、ほとんどが描出される。これが『パーフェクト・コンセプション』のイメージである。

というキリアンの言葉がプログラムに書かれていましたが、モンドリアンの幾何学的な抽象画を引き写したようなこの作品、その描き手であるキリアンの手となって舞台上に図形を描き続けたダンサー4人の一糸乱れぬダンスは、特筆に値すると思います。

アジュー

マッツ・エック振付、音楽はベートーヴェンのピアノソナタ32番第2楽章。暗い舞台の奥に大きなドアのような、あるいはすりガラスのようなスクリーンが置かれ、そこからアップでステージを覗き込むモノトーンの人の姿。その姿が後ろずさると、それは妙に老けた印象のギエム自身があることがわかります。ドア(?)をよじ登ったり、左右から手足を出してみたり、スクリーン上の人物の動きとその背後にいる本物のギエムの動きが完璧にシンクロしていて、その巧みさに感心しているうちにスクリーンを離れて完全に姿をあらわしたギエムは、なんだか野暮ったいシャツ、カーデガン、膝丈のスカート、そしてちょっと重そうな革靴とソックス。動きものしのしと歩き回るようだし、高く足を上げた姿もむしろ大地に根を生やしたよう。要するに「おばさん」という感じです。

だって、この作品はある女性の一生を描いている物語なんですもの。少なくとも私はそう思ったわ。〔中略〕この『ある女の一生』だって、人によってさまざまな解釈があると思うし、ある人にとっては希望、別の人にとっては終わり、というふうに感じられたりもするんでしょうけど。とにかくマッツは、人生のさまざまな段階について語っているんだと思った。そして、私がそれを望みさえすれば、私自身の人生の各段階と照らし合わせながら解釈していくことができたのよ。

というのがプログラムに書かれていたギエム自身の解説ですが、曲想が変わって少し華やいだ感じになると、ギエム自身も(若かりし頃の?)何かを思い出したかのように、カーデガンを脱ぎ捨て素足になって楽しげに踊り始めます。照明も舞台上に白い四角や円を描いてギエムの心象の移り変わりをサポートしてくれるのですが、そこはおばさんの悲しさ、華やいだダンスが終わるとはあはあと荒い息をついていったん上手へ下がりました。

そうこうする内にスクリーンには、ギエムの部屋を覗き込む紳士の姿、あるいはかわいい犬の姿が登場しますが、後ろずさりで戻ってきたギエムは一人世を拗ねたように寝そべったり天を仰いだり、がにまたで逆立ちしたり。紳士も犬も去った後に舞台上に白色光が照らし出した四角いベッド(?)にギエムが一人寂しく寝ると、その姿をベッドの上から見下ろしたような映像がスクリーンに映し出されて、その孤独が強調されるよう。最後には、スクリーンの中に集まってきたたくさんの人びとの中にギエムも戻って、曲の終わりと共に彼らと一緒に遠くへと去っていきました。

ちょっとコミカルで、ペーソスが漂っていて、おばさん踊りでありながら品を失っていない。アイデアに満ちた映像とのシンクロ、曲想の変化に沿った自然なストーリー、ささやかだけど救いのあるエンディング。最後にスクリーンの向こうへ消えて行く場面は、平凡だけど平穏な日常に戻る姿と見ることができるかもしれないし、「アジュー」=「さようなら」というタイトルに強い意味を求めるなら、回想を終えたギエムが神に召されてゆくところと解釈することができるかもしれません。一緒に観ていたY女史(←ギエムの熱烈なファン)はコンテンポラリーになじみが薄いせいかこの演目は「よくわからなかった……」という感想でしたが、私はとても感動しました。

キャスト

「春の祭典」 生贄 宮本祐宜
二人のリーダー 柄本弾 / 森川茉央
二人の若い男 松下裕次 / 氷室友
生贄 奈良春夏
4人の若い娘 高村順子 / 西村真由美 / 佐伯知香 / 吉川留衣
「リアレイ」 シルヴィ・ギエム / マッシモ・ムッル
「パーフェクト・コンセプション」 井脇幸江 / 吉岡美佳 / 高橋竜太 / 長瀬直義
「アジュー」(Bye) シルヴィ・ギエム