奈良の社寺巡り(東大寺・當麻寺)

今回の奈良旅行は、以下の3つのコンセプト。

  • シルクロードの終点として、東大寺へ。
  • 奈良町でのこじんまりした町歩き。
  • 謡蹟歩きの一環として當麻寺。

公式には、シルクロードの東の端は洛陽ということになっているようですが、平城京にはペルシアからの人や文物の到来もあったそうですから、ここまでひとつながりとみなしてもバチは当たらないでしょう!

2011/05/21

品川を朝8時過ぎ発ののぞみに乗って京都経由で奈良に着いたのは、お昼前。近鉄奈良駅近くで腹ごしらえをしてから、まずは東大寺へ向かいます。

東大寺

階段の上に、戒壇院。ここは、鑑真和上が大仏殿の前に戒壇を築き聖武天皇ほかに戒を授けた後、同年の孝謙天皇の宣旨によって建立されたもの。現在の戒壇堂は18世紀の建物ですが、堂内の「塑造四天王立像」〈国宝〉は天平時代のもので、特に後列の広目天と多聞天の穏やかさと厳しさを共にたたえた表情は、目が釘付けになるほど素晴らしいものです。

正倉院を塀越しに。ここには数々の宝物が収蔵されており、その中にはシルクロードを経て渡来した文物も含まれているはず。ちょうどお昼時で、あたりでは奈良市民の皆さんがゆったり食事中でした。

坂道を登って、修二会で有名な二月堂へ。この二月堂も、国宝です。

上からは、奈良市街が一望。中央の大きな屋根は、大仏殿です。また、二月堂の左に回り込んで下の中央に見えている建物は、修二会のときに香水こうずいを汲み上げる若狭井。その水を本尊の十一面観音に捧げる儀式が、いわゆる「お水取り」です。

こちらは法華堂(三月堂)、これまた国宝。ところが、お目当ての「乾漆不空羂索観音立像」〈国宝〉は見ることかなわず。それでも、ぬべっと大きな「乾漆梵天・帝釈天立像」〈国宝〉などは見ることができました。なお現在、須弥壇の修理事業が行われているのですが、調査の結果予想以上にシロアリなどによる被害が生じており、今年の8月から平成25年3月31日まで拝観停止なるのだそうです。

鐘楼。この建物も、吊るされている梵鐘(天平勝宝年間=8世紀のもの)とともに国宝ですが、2002年にNHK「ゆく年くる年」の撮影準備で梁に釘を打たれるという被害に遭ったのだとか。恐ろしい……。

おなじみ大仏殿(金堂)とその前の「金銅八角燈籠」も、国宝。修学旅行生がたくさん歩いていました。当然、大仏様(「銅造盧舎那仏坐像」)も国宝。とにかく奈良県はやたらに国宝が多く、たまに重要文化財があっても「なんだ、重文か」という感じ。

新薬師寺 他

東大寺での国宝疲れ(?)を癒そうと、タクシーで新薬師寺へ。しかしこの一見そっけない本堂も、奈良時代の創建(元は食堂)で、国宝です。さらに中には、何やら目鼻がきりっと大きな「木造薬師如来坐像」〈国宝〉と、パンクロッカーのようにやんちゃな姿の「塑造十二神将立像」〈国宝〉。十二神将のうち波夷羅はいら大将像だけは後代の復元で、国宝ではありません。

歩いて少しのところにある奈良市写真美術館。「入江泰吉 大和路巡礼 V」と題する写真展が開催されていました。明日、その麓へ赴くことにしている二上山の写真が、とりわけ綺麗でした。

mouseover

いつの間にか足を踏み入れた「ならまち」のいかにも下町っぽい街並の中をぷらぷらと歩いて「頭塔」。ここは玄昉の首塚という謂れもある七層階段ピラミッド状の構造物ですが、本当のところはインド風の様式をとり入れた仏塔なんだそうです。しかしその造営は奈良時代末期で、平城京がいかにインターナショナルな都市だったかがこの一事からもわかります。ちなみに、この「頭塔」に入るためには近所の仲村表具店にお伺いして、人の良さそうなご主人に門扉を解錠していただく必要があります。このご主人、お仕事もあるだろうに親切に中を案内して、いろいろと解説をして下さいました。

さらに歩いて福智院。ここはもともと興福寺大乗院の地蔵堂で、本堂も本尊の「地蔵菩薩坐像」も重文ですが、この「地蔵菩薩坐像」は見応えがありました。御案内の方の解説によれば高さは2.4m、坐像は立像の半分というのがルールですから、丈六(一丈六尺)仏です。かつては彩色されていたそうで唇のあたりにその名残がありますが、現在は木像の上に塗り重ねた漆が浮いていて真っ黒。右手に錫杖、左手に宝珠を捧げ、右足を前に出している姿も特徴的ですし、光背にびっしり560体の小さな化仏、そして本尊とその左右の六地蔵を合わせると567体となって、これは弥勒が下生する56億7000万年後を示すものです。

奈良散策の最後は、喩伽神社です。ここは突端状の高台になっていて、ここから見下ろす現在の「ならまち」は、かつて飛鳥の法興寺(飛鳥寺)が移された元興寺の広大な境内。万葉歌人の大伴坂上郎女は「ふる里の飛鳥はあれどあおによし 平城ならの飛鳥を見らくし好しも」と、新しい都の中の「飛鳥」もよいものだと詠んでいます。

宿に荷を置いて、お食事に向かいます。夕なずむ猿沢の池の向こうに、興福寺の塔。池面にはなぜか、亀がうようよ。池のすぐ近くにある釆女神社には、平城帝の寵愛が薄れたことを嘆いた釆女が猿沢の池に入水し、その池を見るに忍びず社殿が一夜で後ろを向いてしまったという言い伝えがあります。

酒肆春鹿にて。一品一品が、かなりのボリューム。お酒はもちろん、銘酒春鹿です。「純米吟醸 而妙酒白滴」を涼しげな切子の盃でいただきました。

2011/05/22

前夜飲み過ぎて重い頭のままに、ふたたび「ならまち」へ。

ならまち

かつては、猿沢の池の南側にあって外京の大きな領域を占めていたのに、今ではすっかり境内が狭くなってしまった元興寺。右手の本堂(極楽堂)と左の禅室は共に国宝で、屋根の瓦に古式が残っています。また、収蔵庫の中の「五重小塔」も国宝で、これは国分寺の塔の十分の一の見本として作成されたものという説がありますが、小なりとはいえ奈良時代作のれっきとした建築物です。

御霊神社をちらと覗いて、さらに「ならまち」をふらふら。「ならまち」というのは旧元興寺境内一帯の古い街並をさし、格子の町家が目立つゆかしげな雰囲気が魅力ですが、それもさることながら、写真のような入り組んだ(というより無茶苦茶な)道路のつくりに目が点。ここを普通に車が走っていますし、しかも一方通行ですらありません。よって車同士が行き交うときは思い切り道の端に寄って譲り合うことになるわけで、そのためにサイドミラーをたたんだまま走っている車が少なくありませんでした。途中で見かけた庚申堂には、写真ではわかりにくいですが、棟の上には見ざる聞かざる言わざるの三猿がいます。

そしてこれは、身代わり申。「庚申さん」のお使いの申を型どった御守りで、軒先にぶら下げて魔除けとするそうです。

ちょうどこの頃に寒冷前線が通過したようで、急速に気温が下がってきたと思ったらかなり強い雨。アーケードで雨がしのげる餅飯殿通りからさらに東向通りに入って、途中で「三笠セット」で一息。

當麻寺

しばらく雨がやみそうにないので、奈良市街散策は打ち切って近鉄線で當麻寺へ。うまい具合に、当麻寺駅に着いたときには雨もほぼやんでくれていました。當麻寺に通じるまっすぐな道の左右には由緒ありげなお屋敷が何軒も建ち並んでいます。

柿の葉寿司とにゅうめんで腹ごしらえをしてから、當麻寺に入ります。

境内の奥には、天武天皇の子で同母兄・草壁皇子との争いに破れ自害した大津皇子が眠る二上山。姉の大来皇女の「うつそみの人なるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む」は有名です。梵鐘は、白鳳時代のもので日本最古。当然国宝です。

中之坊。ここからしばらくは、中将姫ワールドに突入です。左が剃髪前、右が剃髪後(ほんまかいな?)。

本堂である中将姫剃髪堂には観音様が祀られていました。中将姫が女人禁制の當麻寺への入寺を許されるために、三日間念仏を唱え続けて足跡がついたという石もありました。中将姫は、8世紀中頃に右大臣藤原豊成の娘として生まれましたが、継母に妬まれ命を狙われ続け、千巻写経を成し遂げた16歳のとき、二上山に沈む夕陽に阿弥陀如来の姿を見て當麻寺に入ります。その後、阿弥陀如来のおわす極楽浄土の光景を五色の蓮の糸によって曼荼羅図に織り、29歳で亡くなったと言い伝えられています。この伝承に取材した謡曲が「当麻」、さらにここから生まれた折口信夫の小説が「死者の書」で、私はそれをアニメーション化した川本喜八郎の遺作「死者の書」を見たことがありますが、小説の方は難解だと言われているのでまだ手を出していません。

美しい庭園「香藕園こうぐうえん」。ふたつある茶室(「丸窓席」「知足庵」)も、それぞれに面白い構造です。さらにぐるりと庭園を回った先の霊宝館では、中将姫が蓮の糸で織った「當麻曼荼羅」の最古(鎌倉時代)の写本、中将姫真筆と言われる「千部写経のうち称讃浄土経」、中将姫の髪が織り込まれた「中将姫髪縫名号」「毛髪刺繍種子阿弥陀三尊」などが展示されていました。ここまでくると、ヘタなアイドル以上の熱い扱いです。

ようやく中将姫ワールドを抜け出して、あとは寺内の国宝めぐり。まずは本堂(曼荼羅堂)からですが、天平時代の建物であるこの本堂自体が国宝、中の巨大な厨子と赤黒の木地に螺鈿の文様が美しい須弥壇も国宝。中将姫が織ったという「根本曼荼羅」〈国宝〉は傷みが激しいようで展示されていませんが、室町時代の写本である文亀曼荼羅が厨子の中に見事な姿を見せていました。

本堂の向こうに見える三重塔は、西塔〈国宝〉。こちらも傷みのせいで危険らしく、階段の上に立入り禁止の標識がありました。なお、奈良時代の東西両塔をそのまま残す寺は、この當麻寺が唯一です。

この奥院に入れれば、西塔と東塔を一度に見ることができたでしょうが、ここも立入り禁止でした。

左が講堂〈重文〉、右が金堂〈重文〉。金堂内の弥勒仏は白鳳時代の塑像で国宝ですが、それよりも四天王(多聞天を除き白鳳時代の乾漆像〈重文〉)が、精悍なあごひげをたくわえ中央アジアっぽいエキゾチックな顔立ちであることに惹かれました。まだまだゆっくり見て回りたいところですが、時間の都合もあってこの日はこれまで。東塔〈国宝〉を見上げながら、當麻寺を辞しました。

締めくくりは、当麻寺駅近くで買い求めた中将餅〈国宝ではありません〉。ここから橿原神宮前経由で京都に出て、帰京しました。それにしても奈良県の国宝保有数は、凄いものがあります。まだまだ行っていない名刹や、久しぶりに訪れてみたい社寺などもあって、大和通いのネタには当分困ることがなさそうです。